地下六階。
カインにとってみれば、自分に関係のある幻獣など存在しない。だから、誰が出てこようが違いはない。そう考えている。
だが、考えてみればリディアにせよ、スコールにせよ、幻獣と直接の関係があったかといえば全くない。エウレカもセフィロスも、もともと幻獣という存在ではなかった。人の身から幻獣へと昇華した存在だ。
だとすれば自分の相手とやらもそうなのではないか。幻獣になった人間。人間とかかわりのある幻獣。
試しの間。
カインは、仲間たちが見守る中、ゆっくりとその中に入っていった。
PLUS.219
目覚めの時
please give me your daughter
今までの試しの間と違い、一際天井が高い。どうやら地下五階が吹き抜けになっているようだ。
広さはさほど変わらない。ただ、周りを照らす松明の炎は今までより量が多くなっているのを感じる。やけに明るい。
その中央に、幻獣は既に到着していた。騎士の格好だった。それが彼が人間だったころの姿だというのだろうか。松明の明かりに照らされて、白銀のプレートメイルが輝く。
「待っていたぞ」
既に中年の域に入っている男性の姿をした幻獣が告げる。
「お前が、カインか」
「いかにもそうだが、あなたは?」
「私はマディン。ティナにとっては父親に当たるものだ」
「ティナの──そうでしたか」
急にカインは直立不動となる。突然のことではあったが、いつかは会わなければならないと思っていた相手だ。
「はじめまして。自分はカイン・ハイウィンド」
「知っている。娘の恋人だそうだな」
「ティナにはいつも、助けてもらっています」
「それも知っている。記憶のない間、ずっと面倒を見ていたそうだな。それに娘が片腕を失ったのは君のためだったとか」
「その通りです。申し訳ありません」
「だが、その前に娘は君に命を救われている。それを考えれば逆に礼を言わなければならないのはこちらの方だな」
カインは相手のわずかな動きも見逃さないように注意深く見つめる。
この試しの間に入ってきている以上、自分と戦うつもりなのは間違いないのだろう。だが、その目的が分からない。
とはいえ、これはいい機会だ。
「一度、あなたには会わなければならないと思っていました」
「ほう?」
「ティナの父親ですから、当然のことでしょう」
そしてカインは槍を置いて片膝をついた。
「自分は戦うことしか能がない、彼女にとってはふさわしくない人物なのかもしれません。ですが、自分は彼女を愛している、ティナが必要なのです。幸せにはできないかもしれません。ですが、彼女を愛しぬくと誓います。ですから、お父さん」
顔を上げて、真直ぐに見つめる。
「お嬢さんを、自分にください」
「ふむ」
にやにやと笑うマディンが品定めをするように見下ろす。
「礼儀も知っているか。強く、正しく、そしてティナを本気で愛している。私としては問題はないのだがな」
「では」
「問題は、あの子がお前の愛を信じていないということだ」
カインが顔をしかめる。それは分かっている。自分がどれだけローザのことを想っているか、彼女はずっとそれを見続けてきた。
だが、今は違う。確かにローザへの愛は変わらないのかもしれない。だが、それ以上にあのティナという少女が、自分には必要だ。
愛している。彼女の声が聞きたい。顔が見たい。この腕に抱きしめたい。自分の持つ愛情の全てを彼女にぶつけたい。
「ならば、信じてもらえるまで何度でも説得するだけです」
「不退転の決意か。愛に一途なところも私にとっては評価すべきところだな。だが、結論を言うと、私自身、まだ君を息子と呼ぶかどうか、最後の判断はしていないのだよ」
すると、マディンはその身にまとっていたプレートメイルを一つずつ外していく。腕も、足も、胴体からも、全ての装備が取り払われ、武器すら持たない。最終的には上下の服だけとなった。
「私の息子にふさわしいかどうかは、これだけだよ」
そしてマディンは拳を握り締めた。
「自分の身で証明せよ、ということですか」
「怖いか。怖いなら引き返せばいいだろう。ティナがほしいのなら、私の余興に付き合ってもらわなければならないがな」
「無論、何でもしますよ。自分でできることならば」
そしてカインも竜騎士の鎧を脱ぐ。もちろん槍も不要だ。全ての武具を取り外したカインもまた強く拳を握った。
「自分はティナが必要ですから。誰よりも必要ですから。戦って奪えというのであれば、たとえ相手が誰であっても引く気はありません」
「いい覚悟だ。私の息子に相応しい。後は、その覚悟と同じだけの力量を見せてもらおう」
そして、ふたりが格闘を始める。
騎士として鍛え抜かれた体が俊敏に動く。より速く、強いのはマディンの方だった。確かに肉体の若さはカインの方が上かもしれない。だが、マディンはカインよりもはるかに長い年月、その体を鍛えあげているのだ。強さの格が違う。
最初の三撃は、カインが一方的に受けた。マディンの攻撃が回避しきれなかった。胸に、腹に、それから顎に一撃ずつ受けて、骨が軋む音が聞こえた。
「この程度か、それでよく我が娘がほしいなどとぬかしたものだ!」
踏み込んでくるマディンの姿が見える。
集中。そして、回避。
軽やかに跳んでマディンの頭を両手で掴む。そこを支点にして、顔面に膝を入れた。
「自分は本気だ!」
バランスを立て直して右の拳を振りぬく。だが、先ほどの攻撃も大きなダメージではなかったのか、マディンはそれを左手で受け止めた。
カインの左手も、マディンの右手と組み合う。
力比べだ。
「私は怪力というほどではないが」
マディンの握力が、カインの手を軋ませる。
「それでも幻獣の力が人間より弱いはずがない」
「でしょうね。これで相手がディオニュソスであれば、きっと自分の骨はもう砕けている」
最強の幻獣、ディオニュソス。これから倒さなければならない相手になる。
「自分はたとえ相手が誰であれ負けるわけにはいかない。自分には夢ができたから」
「夢?」
「そうです。自分のこれまでの人生とは違う人生を送ること。仲間たちに対して罪の意識で接するのではなく、自分がその場所にいたいから一緒にいることができるような人生を送りたい。そして、そのためには絶対に、ティナが必要なんです」
力を入れる。
負けられない。
この相手にだけは。
何故ならば、子は、父親を超えていくものだからだ。
「ティナのいない未来など、いらない!」
マディンを弾き飛ばす。そして追い討ちをかける。
「甘いな」
だが、その程度の攻撃がマディンに通用するはずもない。体を開いて右腕を伸ばす。するりと腕がカインの首筋に巻きついて、その喉を絞める。
「カイン!」
リディアが思わず叫び声を上げた。だが、カインとて簡単にやられるわけにはいかない。自分の体重を相手に任せて、右足を大きく振り上げる。その足が後背のマディンの額を打った。
「ぐっ」
拘束が解かれ、咳き込む。危なかった。咄嗟に自分の身を投げ出していたが、逆に抵抗していればものの数秒で落ちただろう。
「逃れるポイントをよくわきまえているな。格闘が専門ではないのだろう」
「昔の仲間にいろいろと教わりましたから」
その言葉にリディアが「あ」と声を上げる。ヤン。かつて共に戦った仲間。
「仲間にも恵まれているのか。ますます理想的だな」
「自分がただ一人だけ、かなわないと思う奴がいます」
呼吸を整える。
「全てが終わったら、そいつに会いに行こうと思います」
「超えなければならない壁、か」
マディンは笑った。
「そういうのは嫌いではないな。だが、その前にお前はまず、私を超えなければならないが」
「超えてみせます。ティナのためですから」
「いい覚悟だ──!」
ステップを踏んでくる。足技だ。
呼吸を止めて、マディンの足がハイに打ち込んでくる。それより早くカインは突進した。
接近戦に持ち込み、肘を相手の頬に入れる。だが逆に体勢を立て直したマディンが膝を腹に入れてくる。がはっ、と空気を吐き出す。
「無闇に接近戦に持ち込むべきではなかったな」
マディンはその腕をかついでカインの体を投げる。下手に抵抗するより投げられた方がダメージは少ない。地面に叩きつけられてから素早く起き上がる。
(追撃がない?)
だがマディンは立ったままにやりと笑っている。あのまま上に乗られたらもう抵抗することはできなかったはずなのに。
(力の許す限り戦いたいということか)
そういうことならば、自分とて気のすむまで戦える。
「うおおおおおおおっ!」
声を振り絞って突進する。拳を繰り出す。回避される。相手の拳が突き出てくる。回避する。
足を出す。拳を出す。
攻撃を受ける。回避する。
組み合って、力比べになる。
投げる。投げられる。
「その程度か、カイン!」
「まだまだ!」
徐々に無心になっていく。
戦いの中に没頭していく。
そして。
(見える)
その先に。
いる。
確かに。
(ティナ)
マディンの姿の後ろ。
彼女が、そこにいる。
(逃がさない)
一歩、踏み込む。
(……なん、だ?)
やけに、相手の動きが、スローだ。
いや、違う。
見える。
『見える』
まだ、マディンは何もしていないのに。
『次にする行動が見える』
次に、マディンは。
『左足を引く』
力を溜めて、その足を蹴りだす。
『その前に──』
その前に、その足を止める。
「なっ?」
マディンの動揺が口に出る。
だが、そこでは終わらない。
『その先が見える』
マディンの左足を、右手で押さえる。
そして、マディンの右腕が振り上げられる。
『それより速く』
回りこむ。足を一度止められたマディンはうまくついてくることができない。
『攻撃は回避される』
なら攻撃をする必要はない。
振りだけ見せて、動揺を誘う。
そして。
『隙が、できる』
体勢を立て直そうとするマディンの顎だけが、やけに輝いて見える。
『そこに、拳を打ち込む』
カインが動きを止めて、右拳を放つ。
遅れて、マディンの体勢が整う──が、遅い。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
振りぬいた右の拳が、マディンを宙に舞わせた。
そして、背中から相手の体が大地に落ちる。
大きく肩で呼吸する。そして、振りぬいた右手を見つめた。
(なんだ、今のは)
肉弾戦を行っている中で、何故か『まだ起こっていない近い未来』が見えた。
いや、見えたのではない。『感じた』のだ。次にこうなるということを、相手の体やわずかな動きから読み取り、脳と体がそれに反応したのだ。
(この力は……こんな力が、俺の中に)
そして呼吸が整ってきたところで、マディンが頭を振って上半身を起こした。
「つつつ……完全にノックアウトされたようだ」
まだ頭がふらふらするのか、立ち上がってもまだマディンは頭を押さえている。
「まだ続けますか」
「いや、十分だ。これだけの力を覚醒させておけば、後は自分でどうにかなるだろう」
覚醒、と言った。その言葉の意味するところはつまり、
「自分の今の力、お分かりだったのですか?」
「君を見ていればね。最初に君がその力を使い始めたのはカオスとの戦いのときだよ。カオスの攻撃を見極めた君は、それより早く最後の一撃を放った。君自身は分かっていなかったようだが、既に力の覚醒は始まっていたのだ」
「自分はまだ、分からないのですが」
「いや、そのうち分かる。そして、ハオラーンとの戦いのときにはその力が必ず生きてくるだろう。もっと自分を磨くことだ。そうすれば君は必ず全ての世界を救うことができる」
「世界を救う……」
「まあ、その段階にいたるには、まだいくつかの超えなければならない壁があるがね。でも、とにかくこれで君はこの試しの間をクリアした」
マディンがカインの肩を叩く。
「ティナを頼むよ」
「……」
「あの子はとても寂しがりやなんだ。家族のぬくもりを知らないで育った。思考もずっと奪われたままだった。だから、あの子は人のぬくもりと優しさに餓えている。愛情に餓えている。もし一度手に入ったら、それを失う恐怖と戦わなければならない。あの子が君から逃げようとしているのはそれが理由だよ」
「自分は、絶対に彼女を裏切りません」
「でも君は一度死んだ。それも、あの子の目の前で」
そう。別れというものは必ず訪れるものなのだ。
「あの子を愛してやってくれ。これはできの悪い父親からの、せめてもの願いだ」
「はい」
カインは力強く頷いた。
「ティナは絶対に自分が幸せにします」
「ふむ。やはりあの子が選んだだけのことはあって、いい男だね」
ははっ、と朗らかに笑った。
「それじゃあ、またいつか会うときもあるだろう。それまでしばらくの間、さよならだ。ティナにもよろしく伝えておいてくれ」
そういい残して、マディンの姿は空気となって消えた。
220.罪と罰と罪
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