セルフィは何人かの整備班と共にラグナロクの修復を行っていた。
 幸い致命的な損傷はない。修復をすればすぐにでも飛び立てる。ただ安全面での点検をしておかなければ、宇宙空間では何が起こるかわからない。月にはハインがいるそうだが、自分たちが無事に生きていられるかなど分からないのだ。
 人数分以上に宇宙服も食料も積んである。あとは安全面さえ点検すれば終了だった。
 セルフィはただただ体を動かす。
 何も考えたくない。
 あの、後先考えない大馬鹿者のせいで、彼女の神経は完全にショートしていた。
 置いていかれる者の気もちを考えないなんて。
 馬鹿だ。
 馬鹿だ。
 絶対に、許さない。
 涙が出そうになるのをこらえたまま、彼女は作業を続けた。
 ちょうど終了に差し掛かった頃だった。
「セルフィ!」
 ドックにシュウが駆け込んでくる。今は知っている人と顔を合わせたくない。そうしたら何をするか自分でも分からないから。
「ブルーが助かったわ。もう、完全に持ち直したのよ!」
 ──だが、次の瞬間、彼女の動きは固まった。

 助かった?

 あの生命力の尽きた状態でどうやって助けられるというのか。自分のフルケアすら全く効果がなかったものを、いったいどうやって生命力を回復させたのか。
「どうやって?」
 冷めた声で答える。
「ついさっき戻ってきたカインの力で……」
 だが、途中まで言いかけたシュウの声が止まる。そんな答を言っている間にも、セルフィの顔色が変わっていくのが分かったからだ。
 そう。彼女にしてみれば、どうして助かったかなどどうでもいいことだ。助かっているのだから。
 問題は。
「そう。分かった」
 シュウは彼女の背後に修羅を見た。
 血の雨が降る。
 そんな不吉な予感が頭から離れなかった。
「医務室?」
「え、ええ、そう」
 シュウは頷くことしかできない。彼女が脇をすり抜けて、ゆっくりとドックを出ていく。
 その間、シュウは自分が零下五十度の極寒の地にいる思いだった。
「……死んだわね、ブルー」
 せっかく生き残ったのに、とは言わなかった。あまりに不謹慎だった。












PLUS.223

束の間の休息







If everything ends






 ちょうどその頃、スコールも突然襲い掛かってきた悪寒に体を震わせる。きょろきょろと周りを見るが、特別変わったところは何もない。
「どうかした、スコール?」
 リディアが尋ねてくるが彼は「いや」と答えるだけだった。正直、何故悪寒を覚えたのかは自分でも分からない。ただなんとなくだが、不吉な感じがした。
「とにかく、そうなるとあとは時間の問題か。いつ行くかがすべてだが」
 カインが言うとブルーも頷く。
「僕は少し体調を取り戻す時間がほしいけど、君たちはどうなんだい?」
 スコールとリディアも確かに疲れている様子だ。カインとティナにしても完調というわけではない。
「三日休もう。その間に準備もできるだろう」
「賛成だ。こっちの世界に戻ってきてからずっと戦いずくめで休んだ記憶がない」
 カインの意見にスコールも頷く。ブルーも問題なしとなれば、これで結論は出たようなものだ。
「行くメンバーも厳選しないとな。これが最終決戦なら、異世界の人間は全員連れていった方がいいだろう」
「そうだね。ハオラーンとの戦いが終われば、もうこの世界にみんながいる必要はない。元の世界に戻っていいことになる」
「これが最後というわけか」
 三人の話に女性陣は全く口を挟まない。この三人の話し合いが最高決議機関であるのは既に定まっていることだった。
「そうしたら全員疲れていることだし、今日はまずゆっくり休むことにしようか。そして明日には準備を──」
 そのときだった。
 部屋の中を限界を超えた寒さが襲う。全員の背筋が凍る。これは、ただごとではない。
 全員が注目したのは扉。その不可視のブリザードの発生地点。
 その扉の向こうに、両手を握り締めて三白眼でこちらを睨みつけているセルフィの姿があった。そのバックには氷の炎が燃え上がっている。そのあまりの寒さにティナとリディアは凍結した。スコールやカインですら動きを制限されている。
「おはよう、ブルー」
 ゆっくりとした、いつもよりオクターブ低いのにやけに透明な声が氷の刃となって六人を刻む。
 ブルーは立ち上がるが、蛇に睨まれた蛙よろしく、そこから全く動けない。本来止めるべき立場にいるアセルスですらセルフィの剣幕には何も言えなかった。
「ちょっと話、あるんやけど、ええ?」
 地が出ている。本気だ。このままだと今日がブルーの命日になる。止めなければいけない。全員それが分かっているのだが、体が凍り付いて全く動かない。
 セルフィは笑顔だったが、そこから表情が動かない。しかも目は半目の三白眼で全く笑っていない。これは何かのサスペンスか。
 セルフィの左腕が、喉下あたりのところをむんずと捕まえて、力任せに引きずっていく。
「悪い、アセルス。ちょっと借りるわ」
「あ、うん」
 アセルスは心の中でブルーに謝る。おそらくこの後の制裁は、自分やカインのものよりも激しくなることだろう。
(まあ、セルフィも殺したりは……しない……よな)
 扉の向こうに消えていったブルーの命運を祈ることしか、彼女にはできなかった。
 全員の凍結が解除されたのは、二人がいなくなってから三分後のこと。最初に解除されたのはカインだった。
「……怒っているというのは予想していたが、その度合いは想像以上だったな」
 カインの言葉で残りのメンバーも金縛りが解けていく。
「セルフィ……こわい」
 ティナの体は震えていな。まあ、彼女のあんな姿を見てはそうなるのも仕方がない。
「やー、あんな顔されたらさすがの私も何も言えないわ」
 アセルスも冷や汗を隠しきれない。あれが本気を出した彼女の姿ということなのだろうか。
「今のセルフィだったら、ハオラーンも倒せたかもしれないですね」
 リディアの言葉にようやく苦笑が出る。
「セルフィは俺たちSeeDの中でも最強だからな」
 スコールの言葉に誇大はない。実際、格闘のセンスも剣や銃の腕も人一倍優れていて、ガーディアンフォースとの付き合い方もうまい。それに何より、無敵のスロット魔法がある。相手が誰であれ一撃で即死させるジエンドの魔法は、修正者である彼女にしか使えない。それはエウレカにもリディアにも使えない魔法だ。
「では、後は明日にしよう。今日はもうブルーと話すこともできなさそうだしな」
 カインが立ち上がる。そしてティナの手を取った。
「一部屋借りる。俺もこいつに色々と言っておきたいことがあるしな」
「え、あ、は?」
 ティナがうろたえている。まあ、カインから逃げ出してラビリンスを作り上げたくらいのことだから、カインにも言いたいことは山ほどある。
 そうして二人が出ていくとスコールも立ち上がる。
「俺たちも行くぞ、リディア。寝る前にもう一度ラグナに会っておく」
「あ、うん。分かった」
「アセルスはここに残っているといい。ブルーがまた運ばれてくるだろうから。セルフィは手加減を知らないからな」
 本当に大丈夫だろうか、とアセルスが頭をひねる。
「まあ、アンタたちもせっかくの休暇なんだから、のんびりするといいよ」
「そうさせてもらう。俺もリディアとは話しておくことがあるしな」
 スコールがそう言って彼女を見ると、リディアも頷く。
 最後の戦いはもう見えている。ここまで来たら後は、その先を考える時期だ。
 そう。
 戦いが終わった後、自分たちはどうするのか。それぞれに考えるときが来たということなのだ。






「せんぱいはー」
 復興中のエスタでは酒など飲む場所はない。従って適当に仕入れてきたものを適当な場所で飲むしかない。
 レノにつきあっているのは後輩のイリーナと彼女にした魔族のアリキーノ。アリキーノは勧められたら酒を口にしているが、まるで酔った様子はない。ザルのレノにとってはいい飲み相手だ。
「そのひとと、いっしょにかえるんですかー?」
 だんだん呂律が怪しくなってきている。自分が一緒に飲む相手はたいていこんなのばかりだ。
「あんたは問題ないんだろ?」
「私はあなたのものです。どうぞご自由に」
「というわけだぞ、と」
「うわー。ごちそうさまですー」
 勢いよくお辞儀する。そろそろ寝かしつけた方がいいのかもしれない。子どもは寝る時間だ。まだ昼だが。
「お前はどうする?」
「そりゃー、もちろんかえりますよー。どーせまってるひともいませんけどー」
 カインと一緒に行ったところで邪魔者になるのは目に見えている。ここは潔く帰る方がいいと考えたのだろう。
「まったく、とんだしごとになっちゃいましたねー」
「そうでもないぞ、と」
 レノはロックのウイスキーを流し込んで言う。
「俺にとっては何よりも代え難いものを手に入れることができたぞ、と」
「うわー、うわー、それってぷろぽーずですかー?」
「ま、俺が何を言っても無反応なのが少し寂しいぞ、と」
 別にレノも相手の反応を楽しもうとは思っていない。イリーナにあわせているだけだ。
「アンタはこれから先、やることはないんだろ?」
「ええ」
「なら、俺のところに来い。タークスの一員として鍛えてやるぞ、と」
「きたえられるのはせんぱいのほうですよねー」
「黙ってろ」
 厳しく言うとイリーナはしょぼーんと額を机につけた。おそらくそのままもう起き上がってこないだろう。
「かまわないか?」
「私に選択肢はありません」
「そうじゃないぞ、と。俺といっしょにいてつまらくないかと聞いてるんだぞ、と」
「あなたは私にとって」
 少し考えてからアリキーノが答える。
「いろいろなものから助けてくれた恩人です。同時に、人間たちの中でも最も興味深い存在でもあります。あなたのように飄々としていて、それでいて信念を持って行動している人は簡単にはいないでしょう」
「信念?」
「はい。誇りとか、プライドといってもいいです。あなたは自分の仕事に誇りを持っている。面白い人間だと思います」
 やれやれ、とレノは口にする。この魔族の女性は案外に人を見る目がある。それなのにマラコーダのような魔族にいいように使われていたのはどうしてだろうか。それほど恋をするということは近視眼になるものなのか。
「元の世界に戻ったら多分正式にタークス主任になる。アンタは俺の部下として働け」
「分かりました」
「ま、それもそう長いことじゃないだろうけどな」
 地位が上がるのは自分の活躍の場がなくなるということだ。裏稼業を続けていくつもりである自分にとって階級が上がるのは好ましくない。
 自分のプロフェッショナルを受け入れてくれるところがあればどこにでも行く。それこそ、これほどたくさんの『世界』があるのだ。一つの世界にこだわっていても仕方がない。どうせ天涯孤独の身。どこに行っても問題はない。
「アンタと一緒に旅をするのも悪くないぞ、と」
「そうですね。私も同感です。あなたは私を飽きさせない」
 まったく酔った様子のない彼女の口からそんな言葉が出てくる。案外アルコールは回っているのかもしれない。明日になって言ったことを全く覚えてないとかいう事態になったら、とんだ茶番劇だ。
「今の言葉、忘れるんじゃないぞ、と」
「もちろんです」
 どのみち自分はこの女性を手放すつもりはない。ようやく手に入れた理想の女性なのだ。全く、自分が誰かに固執するなどありえないと思っていたが、まさかこんなことになろうとは。
 それなのに、その束縛が心地よいとは。
(ま、戻ったら墓参りの一つでもしてやらないといけないぞ、と)






 シャドウはインターセプターの墓の前に来ていた。
 もはや自分にとって、大切なものは何もない。
 ただ、自分の娘が故郷にいる。故郷で平和に暮らしている。
 せめてそれくらいは守ってやらないといけない。
(今度こそ、死ぬときが来たようだ)
 もはや一緒に行動するインターセプターもいない。この戦いが終われば自分は帰る場所などどこにもない。
 娘に会いたいか、と言われると微妙だ。あの女性と自分との間に生まれた娘。それだけで確かに守る価値はある。だが、自分が会いたいと思うわけではない。
(あいつは俺に会いたがるか? まあ、どっちにしても意味のない仮定だな)
 死ぬ自分にとって、その仮定は無意味。
 ならば最後まで自分は自分でありつづけよう。
(列車強盗団シャドウか。ビリー。俺は、お前の名前を後世に残せるか……?)
 だがそれすら自分にはわからない。このシャドウという名前がせめて、後世に残るならそれでいい。
 それが自分と彼、そしてインターセプターの生きた証となる。






224.もしも死んだら

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