最後の戦いが始まる前に、戦いが終わった後のことを考えなければならない。
 生き残るかどうかなど分からない。だが、戦いが終わってからその先どうするかを考えるのではなく、今考えることによって戦いに勝利することの価値を高める。ひいてはそれが生き残る理由につながる。
 ただ。
 彼らにはそれぞれ、解決しなければならない問題点が存在していた。












PLUS.225

本当に大切なもの







I still...






 カインとティナ。この二人が、この二人でいながらゆっくりと話せるのはいつ以来になるだろうか。
 幻獣界は論外だ。あれはお互い意識がはっきりとしてはいたが、一種の戦闘だ。あれを会話とは言わない。
 その前はマラコーダとの戦いでしばらく二人でいることができなかった時期が続き、さらに前になるとカインが記憶を失ってしまっていた。
 そしてカオスとの戦い。もはやカインの意識は完全に失われた状態。もはや『まとも』とはいえない状態。
 二人が普通に話ができたのは、実にエウレカまで遡らなければならない。だが、そのエウレカにしても既にカインの記憶喪失が判明したため、さらにその前まで戻らなければならないだろう。となると、あの名前のない世界。
 そこで話した内容は何だったか。
「今の俺なら思い出せるな」
 客室にティナと二人で茶を飲みながらゆっくりと話す。
「あのとき、お前は俺のことを優しいと言い、お前は俺と共に地獄に落ちると言った」
「そうですね。もう、ずいぶん昔のような気がします」
「実際、かなりの時間が過ぎている。あまりに密度の濃い時間だったが」
「はい。私はカインを助け、カインは私を助けてくれた。私にとってこれほど嬉しいことはありません」
 それはティナの本心だろう。だが、カインとしては一つ釘を刺しておかなければならない。
「ティナ。言っておくことがある」
「はい」
「金輪際、俺の傍から離れることを許さない。俺はもう、お前なしでは生きていけない」
「分かりました」
 返答は無呼吸。寸分の間もなく答えた。
「私も、カインなしでは生きていけませんから」
「だったら──」
 何故、自分から離れようとしたのか。いや、それを言っても仕方がない。彼女には彼女の悩みがあったのだから。
「俺は人を殺した」
 カインは自戒するように言う。
「たくさん殺した。数え切れないほど殺した。そして俺はいつしか、裏切り者として生きるようになっていた」
「でもそれはカインのせいでは」
「俺があの二人を裏切ったのは、俺自身の欲望のせいだ」
 セシルとローザ。愛と憎しみを同時に抱かせた二人。
「たとえセシルを傷つけてでもローザがほしいと思った。その気持ちは嘘ではない」
「人の気持ちは一つではないから」
 ティナは頷いて言う。
「カインのその気持ちは嘘ではありません。でも、カインがセシルさんのことを思う気持ちも嘘じゃないんです。それはただ、封じられていただけ」
「そうだな。今となってはそれがよく分かる。ローザ以上に必要な存在を手にしたとき、自分がセシルという存在をいかに気にいっていたのかが冷静に判断できるようになった」
 それはのろけ以外の何者でもないが、ティナも真面目に頷く。
「行動そのものは裏切りであり、その結果たくさんの悲劇が起こり、取り返しのつかないことが生じた。それでも、カインの気持ちは間違いではありません」
「それを気づかせてくれたのはお前だ」
「光栄です」
 ティナが頷く。
「そして俺は、お前の過去を見た」
「──はい」
 憂いを帯びた表情がいっそう深まる。
「お前も人を殺していたのだな」
「そうです。たくさん殺しました。数え切れないほど殺しました。そして私はいつしか、化け物と言われるようになっていた」
「それも、お前のせいじゃない。思考を封じられ、自分の思うとおりにできなかった」
「そうです。でも、私のかすかな思考では、人を殺すことを悪いと判断することはなかった」
 ティナは首を振って答える。
「人殺しが悪いことだと、誰も教えてくれなかった。そして人を愛することも、誰からも教わらなかった。好きとか、嫌いとか、そんな感情が存在することを知らなかった。世界はうつろで、自分はただ生きるために殺していた。殺せば食事がもらえた。だから私は……」
 婚約者のいる兵士も殺した。
「私は償わないといけない。私はカインについていくと誓いました。でも、一つだけ、絶対にやらないといけないことがある。私は、あの人の婚約者に、心からの謝罪をしないといけない」
「そんなことをしても、相手の傷をえぐるだけだ。お前の自己満足にすぎない」
「分かっています」
 ティナもそれが欺瞞、偽善であることは分かっている。
「でも、その苦痛に立ち向かわないで、カインの傍にいることは許されないと思うのです」
「そのせいで、その婚約者は余計な苦しみを負うことになる。お前の自己満足のために人を傷つけるのか」
「それが私の真実です」
 だが、ティナは毅然とした態度で答える。
「私がこの先もカインと共に生きるなら、それは避けては通れません。いつか私とカインの子が生まれたとき、私は子供をどう教えるのでしょう。人を殺したこと、その事実にふたをしたまま私は自分の子に何を語ることができるでしょう」
 未来。
 ティナにとって最良の未来は、カインと共にあること。カインと共に年老い、子供たちに囲まれた人生を暮らすこと。
 これまでずっと不幸な生き方をしてきた二人だ。罪もあれば、罰もあろう。だが、せめて最後の瞬間くらいは、幸せでありたい。
「だから、わがままを言います。カイン」
 ティナはまっすぐにカインを見て言う。
「この戦いが終わったら、一度、故郷へ戻りたいんです」
「自分の世界、ということか」
「そうです。私はこれから先の長い人生、この後悔を引きずったままでいたくない。それが相手を苦しめることであっても、私はこの気持ちに訣別して、カインと一緒に生きていきたい」
 すべてを決めた女性は強い。決して自分の気持ちを曲げることはない。それはカインが何を言っても無駄だろう。もし強引にそれをとめたとしたら、それこそ彼女は後悔したまま残りの生涯を生きることになるかもしれない。
「なら、俺もそうしよう」
 カインも観念したようにそれを認めた。
「お前が自分の世界に戻っている間に、俺はセシルとローザに会う」
「カイン」
「本当はお前と一緒に会いに行こうと思っていたが、俺も二人のことは一人で立ち向かうべきだろうな。お前を紹介するのはそれからか」
 カインは息をつく。だが、過去と向き合ったティナは意外に頑固で、彼女自身の主張を持っていた。そうした別の一面が見られたことと、彼女が自分の意見を言ってくれたこと自体は嬉しかった。
「必ずカインのところに行きます。向こうの世界には仲間はいるけど、身内のようなものはいませんし。カインと、カインの大切な人のところで一緒に暮らしたいです」
「ああ。お前と一緒ならどんな場所でも生きていける。それこそ地獄でもな」
 そして二人は笑いあう。
 ようやく、安堵することができた。誰よりも大切な人と一緒にいて、何が一番嬉しいか。
 それは、ただ居ることだけ。
 ただ居てくれるだけのことが、どれほど嬉しいか。今までずっと、心も体も離れていた二人はこのとき初めて『一緒に』居ることが可能になった。
 いや、たとえこの先離れることがあったとしても、自分の相手は自分を最優先に考えているということが分かっている。だから大丈夫。
 カインが罪を償うときも、ティナが罪を償うときも。
 二人は一人しかいないが、常に二人でいるのだ。
「来い」
 そしてカインは手を差し伸べる。
「はい」
 赤らんだティナはその手をとった。そして、力強く、その胸に抱きしめられる。
「あなたの意思で、あなたの手で、私を抱きしめてくれる」
 ティナは泣いていた。過去、何度カインに抱きしめられただろうか。だが、今まで一度も心からの安らぎなど得られたことはなかった。
 記憶がない一方的な抱擁も、自分より大切な女性がいる相手との抱擁も、それは幸せな抱擁ではない。
 すべてを認め、愛し、共に居られるということ。その安らぎ。



 救いとは、本当はこういうものをいうのではないだろうか。






「本当によかったのか?」
 セルフィと別れたスコールとリディアの二人もまた客室でようやく体を休めることができていた。
「セルフィさんのこと? もちろんいいよって、何回も言ったじゃない」
 くすくすと笑うリディア。それを見ながらスコールが思いついたように言う。
「お前に惹かれた理由が分かるような気がした」
 突然言い始めたスコールに、リディアが顔を赤らめながら「どうしたの、突然」と尋ねなおす。
「いや。今までのことを思い返してみたら、俺がお前に惹かれた最初の理由は単純だった」
「単純?」
「ああ。それはただ俺が安らげる場所を探していただけのことで、その場所がお前だった。だが」
 スコールは苦笑する。
「それがすべてではなかったんだな」
「?」
 きょとんとした顔を見せるリディアに苦笑が強まる。
「なに、もう」
「お前は最初からそういう態度を見せていたわけじゃなかった」
 思い返せば、リディアはずっと精神を張り詰めていた。知っている者のいない世界で、カインと出会うまでどれだけ苦しんだだろう。
 その彼女が時折見せる、子供らしい素顔。
「リノアがいて分からなかったが、たぶん最初から、その笑顔に惹かれていたんだろう」
 冷静に自分を見つめなおす。
「そしてもう一つ。俺は、今ようやく認めることができる」
 それはもうずっと前から分かっていたことだ。分かっていながら認めることができなかった。
「俺は、そんなお前が成長したことに嫉妬したんだ」
「嫉妬?」
「エスタでお前がモンスターを一掃したとき、どうしてこんなにも前向きになれたのかと。俺はずっと後ろ向きに逃げ続けていたのに、お前だけがどうして成長したのかと。悔しかった。そしてそれは今も変わっていない」
 リディアはもう口を挟まなかった。今自分が何を言ってもスコールは受け付けないだろう。まずは全部話しきらせてしまう方がいい。
「お前に比べれば、俺の方が年上なのにずっと子供で、それを認めるのも悔しかった。お前がずっと先を歩いているのが悔しくて、必死になって追いかけている。俺が追い求めていた強さは何の意味もない、ただの力。お前の強さは心の強さだ。ひたむきで、前向きで、とまることを知らない。だから俺はお前を追いかけているんだ。いつも。そしていつの日か、お前に認めてもらいたいんだ」
「認めるって、そんな」
「俺が成長できたときに、よくやったとか、がんばったとか、お前に言ってもらうために俺は成長しようとしている。お前に認めてもらうことが俺の一番の目標なんだ」

 そんなことを言われても。

 正直それは買いかぶりすぎもいいところだと思う。リディアにしてみれば思いもかけない言葉だ。自分より冷静沈着なスコールはずっと大人びていて、ある意味では理想的な人だ。かっこいいし優しいし強いし、いいところをあげたらキリがない。心の強さとスコールは言うが、それは一次的なものにすぎないし、自分の幼稚さに比べればぜんぜん高みをいっている。そのことにスコールは気づいていないのだろうか。
 これは困った。
 自分はずっとスコールを頼りにしていたのだが、まさかスコールに頼られているなんて思いもよらなかった。いつも迷惑をかけているのは自分の方で、スコールに愛想をつかされないかと心配しているくらいだというのに。
 とはいえ。
 スコールが言いたいことは少なからず分かる。分かるというか、分かってしまう。何しろ、自分が惹かれるきっかけになったのはかっこよさでも強さでもない。まさにその部分なのだから。
「スコールって」
 それを言うと、彼は傷つくだろうか。
「かわいいよね」
 二度、眉が動いてからうつむく。どうやら今の言葉はかなりショックだったらしい。目に見えて落ち込んでいる。
「でもね」
 リディアは自分から抱きついた。こういうところが彼の子供っぽさというところだろうか。
「頼りにしてる。私、スコールがいなかったら何もできないよ」
「こっちの台詞だ」
 スコールは強くリディアを抱きしめ返す。
「絶対に離さない。俺は必ずお前についていく」
「うん。ずっと一緒にいてね」

 やはりこの二人、主導権を握っているのはリディアの方らしい。






226.月へ……

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