広い空間。壁、床、天井、一面が透き通ったクリスタルのパネルが連なる月の館。
ディオニュソスがここにやってきたのは別にたいした理由はない。幻獣界で受けた傷は完全に癒えた。これから何をするのか主の考えを聞くためだ。
問題はその主。昨日地上に降りたかと思えば重傷で戻ってきた。あれではたとえハオラーンといえども一日、二日で治るものではないだろう。
「お、案外元気そうじゃねえか」
クリスタルルームの台座の前にいたハオラーンに話しかけると、彼も能面のまま振り返った。
その顔には痛みや苦しみなどまったく表れていないが、力が失われているのは一目瞭然だった。
「まー、ブルーごときにあんな裏技使われたらショックで寝込むのも分かるけどよ」
「黙れ」
ハオラーンの機嫌はすこぶる悪い。ブルーは生き残り、彼らはこの月にやってくる。しかも自分はブルーの魔法のせいでまだ完調ではない。機嫌のよくなる理由など一つもない。
「で、どうするんだこれから」
「どうもこうもない。ここで迎え撃つ」
「って言ってもなあ、人数差ありすぎだぜ? 向こうに何人いると思ってんだよ」
「人数の差は問題ではなくなる」
ハオラーンは懐から十個の宝石を取り出してその台座に置いた。
「それは?」
「私の世界のクリスタルだ。もっともその世界では──」
するとそのクリスタルが勝手に動きだす。
「ディステニィストーン、と呼ばれていたが」
徐々に大きくなるクリスタルはもはや台座にはおさまりきらず、ばらばらと床にこぼれおちていく。そしてすべてが人の形をとった。もともとの宝石の色をした十色の宝石生命体。
「この力を使うことになろうとは思わなかったが」
「強いのかい、こいつらは」
「お前ほどではない。だが今のやつらと戦っても勝てないわけではない」
あまり勝つことを期待している言い方ではなかった。つまり、自分が治癒できるまでの足止め、というところだろうか。
「連中、あと二日で来るってよ」
「いつ来ても同じだ。私が完全体となればやつらを倒すことなど雑作ない」
「じゃ、こいつら何のために作ったんだ?」
「決まっている。私が完全体となるための生贄だ」
「生贄?」
「そうだ。カオスの力と、そのカオスを封じ込めるクリスタルの力。その双方を体内に組み込むことで完全体となる。クリスタルを砕けば我が力とすることができるが、残念なことに既にカオスの力を吸収している私ではこのクリスタルを砕くことはできん」
「で、やつらにやらせるってわけか。倒せば敵が減り、倒されても自分の力が上がる。一石二鳥ってわけだな」
「問題はこの力を使うことで私の詩人としての力はなくなってしまうことだが、守護者が攻め込んでくるのだ。やむをえん」
ハオラーンは顔をしかめたまま十体の宝石生命体に命令する。
「行け。そして、この館を襲うものたちを残らず殲滅せよ」
すると宝石生命体たちは瞬時に消え去る。それぞれ館の各地にひそみ、敵の侵入を待つのだ。
「で、俺はどうすればいい?」
「好きにしろ。どうせ私が何を言おうとお前は聞くまい」
「なんだよその言い方」
「お前は既に目的を果たしている。お前が私についているのはただ人間を滅ぼしたいだけだろう。ならば私の言うことは何もない。自分の望みのために人間を滅ぼせばいい。それは私の目的とも合致する」
「けっ。ただ利用されるだけかよ、つまんねえ」
だがその顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「ディステニィストーンだかなんだかしらねえが、俺が先にやつらを倒しちまうかもしれねえぜ」
「かまわん。あの宝石たちはどのみち私の配下にある。守護者さえ倒せればそれでいい」
「了解」
そうしてディオニュソスは館を出る。
「ま、こうなったらやるだけのことはやるがな」
ディオニュソスとしても、手を抜くことなどできない。
自分の目的を達するためには、彼らはまぎれもなく最強の敵なのだから。
PLUS.226
月へ……
climax
三日がすぎて、最終決戦のメンバーがラグナロクに乗り込んでいく。
異世界組は全員が乗り込むことになり、あとはこの世界のメンバーから戦力となる者が選ばれる。
まずはこのチームを率いるリーダーである守護者、カイン・ハイウィンド。彼がリーダーとなることについてはもはや誰からも異論はない。スコールにせよブルーにせよ、この誰よりも自分を責め、苦しむ男の力になりたいと考えて行動している。この二人の認める人間を、他の人間が認めないはずがない。
そしてその隣に立つのはティナ・ブランフォード。隻腕となったがその剣の腕と魔法の能力のバランスを考えれば彼女ほど有用な人材はいない。そして何よりリーダーであるカインを補佐し、支えるのは彼女だけにしかできない任務であった。
変革者スコール・レオンハート。もはや変革者としての使命は必要なくなったものの、彼のその強さは他に類を見ない。実際に剣を振るうにあたってカインとスコールは双璧ともいえる。彼の力なくしてこの戦いの勝利はない。
幻獣界の娘、リディア。もはや押しも押されぬ魔法の第一人者である。幻獣の力を使いこなし、全ての世界で最も高度に魔法を操る。今回彼女は自分をずっと支えてきたディオニュソスとの決着もつけなければならない。
修正者セルフィ・ティルミット。彼女の最終奥義ジエンドは誰を相手にしても必ずその命を奪う。それだけの力を持っているがゆえに、スコールをして『最強』と言わせるほどなのだ。そしてこの戦いが終われば彼女はセフィロスを探す旅に出る。それもあってか、ラグナロクの操縦者である彼女は誰よりも気合が入っている。
このチームの頭脳ともいえるブルー。リコレクションによる体力の消耗からは完全に回復している。どのような場合でも作戦を立て、行動に移すことができるのは彼の明晰な頭脳あってのことだ。今回、彼にとって最大の見せ場は、ディオニュソスとハオラーン、この二体の敵とどう戦うかということにつきる。
そして半妖のアセルス。彼女は今回、何としてもディオニュソスをその剣に封じ込めなければならない。そうして自分が人間に戻る最後の鍵を手にするのだ。そうしてこの戦いが終われば彼女は晴れて人間に戻ることができる。そのためにも彼女は戦う。
ファリス・タイクーン。さまざまな能力を使いこなす彼女の力も実はこの中では頼りにされている。先のマレブランケとの戦いでもカインですら苦戦した相手をその能力で追い詰めるところまできた。彼女の力は相手が強ければ強いほどその真価を発揮する。
暗殺者シャドウ。彼の索敵能力、情報収集能力はここ数日間でいかんなく発揮された。ハオラーン襲撃後も混乱も彼が情報をまとめたから大きくはならなかった。問題は先の戦いで失われた彼の愛犬、インターセプターのことだ。そのせいかここ最近の彼には覇気がない。人生に疲れたような様子すら感じられる。
レノはいつものように「仕方がないぞ、と」とやる気を隠したままの出撃となった。もちろん彼にやる気のないはずがない。仕事となればそれを完璧にこなすのがタークスたる所以だ。その意味で彼ほど『タークス向き』の人材はない。
そしてイリーナ。彼女もタークスではあるが、レノほどプロフェッショナルというわけではない。だが今回、パイロットであるセルフィの控えとして、最悪の場合はこの船を動かす役割も担う。職責は重大だ。
マレブランケのアリキーノ。彼女がこちら側に転向してまだ間もないが、すっかりこの空気に溶け込んでいた。先のハオラーン戦でも先頭に立って戦い、重傷を負ったことも信頼されることにつながったことを考えれば悪い話ではなかったのかもしれない。傷はすっかりと癒え、自分の『主人』であるレノの傍らに寄り添う。
ユリアン・ノール。モニカ姫を探してこの世界まで来たが、思わぬ長居となった。それもこの戦いが最後となる。この戦いが終われば二人で元の世界に戻る。サラ、ゼロ、ハリード、カタリナ。多くの訃報と共に。
モニカ・アウスバッハはこの中では明らかに能力が劣っている。だが、得意の弓矢での援護攻撃は他のメンバーを助けることにもなる。そして親友であったサラの仇をとらなければならない。
最後にラグナ・レウァール。指導者として、このチームの総監督となる。もちろん実質のリーダーはカインだが、結局のところカインやブルー、スコールらが相談したことをラグナが承認するという形でこのチームは機能している。
そのラグナが最初に言った。
「全員に守ってもらわなきゃいけねえことがある」
十四人の顔を確認してから続ける。
「絶対に死ぬな。いいか、ここまで生き残ったんだ。最後もきっちり生き残って、先に逝っちまった奴らの話をするんだ。だから、死んだら駄目だ」
珍しくまともなことを言う、とスコールは思ったが口にはしなかった。ここで彼の威厳を落としてもチームにはマイナスだ。
「じゃあ、出発の前に最終確認をしておくぜ。ブルー、頼むわ」
「わかりました」
ブルーは全員の前に出て説明する。
「まず、今回の敵は吟遊詩人のハオラーン。そして、彼の下についていると思われる幻獣ディオニュソスと、魔女レイラ。この三人が当面の相手だ」
そこまでは全員がわかっている。特別異論を挟む余地はない。
「最終目標のハオラーンを倒すには守護者の存在が不可欠だ。そのため月に到着したら僕らはまず、そこにいると考えられる最初の魔女ハイン=ジュリアを探し、力の源にたどりつく。そしてカインに守護者の力を継承してもらう」
カインがうなずく。
「それからハオラーン打倒にもう一人不可欠な人物がいる」
そう前置きするが、誰のことだかまったく分からない。
「セルフィ、君だ」
「え、あ、あたし?」
きょとんとしてセルフィがブルーを見返す。
「そうだ。それも修正者としての力じゃない。君に受け継がれた『魔女』の力だ。ハオラーンの弱点の一つに魔女の『恐怖』の力がある。その力がこの戦いでは必要になる」
「頼むぞ、セルフィ」
スコールが応援するように言うと、うー、とうなる。
「はんちょにそこまで言われたら何も答えられへんやないの〜。だいたいあたし、そんな力、まるで──」
「いや、その力は既に発動しているかもしれない」
スコールが真剣に言う。
「少なくとも、お前の本気の怒りを前にして、俺たちは誰一人身動きが取れなかった」
それは先日、ブルーが無事に生きながらえたときのことだ。セルフィが巻き起こした『恐怖』は一同のトラウマと化している。ティナやリディアなどはいまだに怯える始末だ。
「よく分からないけど、やってみる」
「頼む。お前の力が頼りだ」
スコールがそこまで言うことは滅多にない、というより初めてだ。セルフィはすっかり気をよくして「おっけ〜♪」と笑顔で答える。
「もう一つの問題はディオニュソスだが、これは僕とアセルスの勝手な頼みになるけれど──」
「わかっている。気に病む必要はない。俺たちは全員、お前たちの仲間だ」
スコールが言う。ありがとう、とブルーは答えた。
「ディオニュソスは倒すのではなくて、アセルスが最終的にその妖魔の剣に封じ込める。そこまで彼を弱らせなければならない。体力勝負になる。正直、その強さは桁外れだ。でも倒せないわけじゃない。作戦は三通り、すでに考えてある」
え、と全員がブルーを見直す。
「第一の作戦はスコールを中心としたもの、第二の作戦はカインを中心としたもの、第三の作戦はレノを中心としたものだ。作戦内容についてはラグナロクの中で説明するとして、まずこの三人のうちの誰かとアセルスの二人がいない状態では話にならない。アセルスがいないときはできるだけディオニュソスからは逃げてくれると助かる」
「逃げ切れなかった場合は?」
カインが尋ねる。無論その場合は戦うしかない。
「これは僕らのわがままにすぎないから、どんな場合でも自分の命を最優先にしてくれればいい。戦う、戦わないはその場の状況にもよると思う」
確かにディオニュソスはアセルスが人間に戻るのにふさわしい相手ではある。だが、必ずディオニュソスでなければならない、というわけでもない。今回の戦いは世界の命運がかかっているのだ。そのことばかりこだわっていては、本質を見失う。
「一番の問題はレイラだ。彼女はまだ何を考えているのかよく分からない」
「世界制服って言っていたが」
「それは表面的というか、ただ単に面白がってやっているだけだろう」
ブルーは一度だけ会った彼女の顔を思い浮かべる。
彼女の欲しいものはスコールか、という問いに彼女は「当たっているけれど違う」と答えた。つまり、彼女には他に欲しいものがあるということ。
「代表者の力や魔法王の力までも取り込んだ彼女だ。きっと何か企んでいるに違いない」
「考えすぎな気がするぞ、と」
「いや、レイラには別の目的があるのは間違いない」
スコールが言う。
「何か心当たりが?」
「特別何かあるというわけではないが。あいつはただ楽しめればそれでいいと考えている反面、必ず成し遂げなければいけない何かを抱えている。おそらくそれは、魔女そのものにかかわることだ」
最初の魔女ハイン=ジュリアの娘、レイラ。だとすると彼女の目的もまた、ハインが握っているのかもしれない。
「いずれにせよ、ハインのところに行くのが最優先ということだな」
カインは天井を見上げる。無論、見ているのは天井ではない。さらにその上だ。
「ああ。この戦いに勝利するためにも避けては通れない相手だ」
魔女ハイン。いよいよその相手が目前にやってきた。
過去、ラグナやキロスの前に現れては自らの子を産み落とした最初の魔女。
彼女の目的は、彼女自身が消滅することだという。それも、スコールとレイラの子を使って。
(もうスコールとレイラの子が生まれるなんていう可能性はないだろうけど、そうしたらハインはどうするつもりだろう?)
ブルーにとってハインの考えだけは思考の届かないところにある。それは相手の情報が足りないという理由であり、それを推論しても仕方がないと割り切っている。
問題は、彼女が障害となるかならないか、なるとしたら何をしてくるつもりなのか。それは彼女の思考とは切り離して考えられる問題だ。
「準備ができたら出発する。予定は今から三時間後。もしかしたらもうこの世界に戻ってくることがないかもしれないから、やり残したことがあったら今のうちに終わらせておいてくれ」
準備というのは人の問題ではない。このラグナロクを月まで行かせるための最後の確認だ。
月の石。これをいよいよ動力炉にくべる。
「最後にカイン。全員を代表して一言」
ブルーから勧められてカインは、分かった、と答える。
「これが最後だ」
カインは全員を見て言う。
「俺はこの戦いが終わったら、自分の罪を償うために元の世界に戻るつもりだ。そしてみんなもそれぞれにやることがあると思う」
カインの声は落ち着いている。その姿を見たリディアは、まるでセシルがそこにいるかのような安心感を覚えた。
「だから、全員でこの戦いを勝ち抜こう。俺たちは必ず、成し遂げることができる」
その声は自然と全員の体内に入り込み、そして力となる。
「行こう、最後の戦いへ」
227.月の裏側
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