それからちょうど三時間後、ラグナロクは天高く舞い上がった。
 上空で一度だけ旋回し、さらに高みを目指す。
 それを見送る者たちは、これが最後だという自覚を持っている。
 彼らはきっと、最後の敵を倒してきてくれる。
 だから自分たちは、ここで待っていればいい。
 きっとみんな、帰ってくるのだから。












PLUS.227

月の裏側







truth






 カインはスクリーンを通して宇宙空間を見る。隣に立っているのはもちろんティナ。彼女はいつでも自分を支え、守ってくれている。
「月の石か。この感覚は魔導船に乗ったときのものに似ているな」
「魔導船?」
 ティナが分からないという風に尋ねてくる。
「ああ。俺たちの世界にあった空翔ける船、魔導船。あの船には緊急用のクリスタルがあり、それを起動させることによって俺たちは月まで行った」
「そうなんですか。なんだか、今と同じですね」
 そう、カインが気になったのはそこだ。自分は今、まるであのときの繰り返しをしているようではないか。
「カインも、気づいた?」
 メインルームに入ってきたのはリディアとスコール。
「あの月の石というのはまさか、俺たちの世界の緊急用クリスタルと同じものではないのか?」
「たぶんそうなんだと思う。さっき、ラグナロクの動力炉を見てきたんだけれど、魔導船とそっくりだった。二つの月の石をセットして起動させたらあっという間に宇宙空間まで来た。全部、魔導船と同じ」
「まるで準備されていたかのようだな」
「うん、きっとそうなんじゃないかな」
 リディアの素直な頷きにカインも面食らった。なるほど、純粋とはこういうことを言うのか。
「月まであと二十分くらいだってセルフィが言ってた」
「分かった。あまり時間がかからないな」
「うん。最終決戦だっていうのに、なんだかまだ実感なくて」
「お前の能天気なのはいつものことだろう」
「なにそれ、ひどーい」
 ティナとスコールはそれぞれ自分の恋人を不思議なものを見るような目で見ていた。お互い、こんな風に自然に話す恋人を見ることがほとんどない。これが、同じ世界に生きてきた二人の関係ということなのだろうか。
「それじゃまた後で。行きましょう、スコール」
「ああ」
 いつも以上に仏頂面となったスコールがリディアに手を引かれて行く。
 二人を見送ったカインがその後で目にしたのは、こちらもなぜか仏頂面になっていたティナの顔だった。
「どうした?」
「なんでもありません」
 冷たい目と声。なんでもないはずがない。
「なんでもないはずがないだろう」
 カインは両腕でティナの体を抱きとめる。
「恋人のいる女に嫉妬してどうする」
「それは、仕方ありません。リディアさんは、私の知らないあなたを知っているのですから」
「俺を独り占めしたくなったのか?」
 幼稚なことを言っているということはティナも分かっている。だが、この初めての恋に対して自分はどうすればいいのかまだ分かっていない。言いたいことも求めていることもまるで伝わらないような不安すら覚える。
「安心しろ。俺はとっくにお前に独り占めされている」
 それにしてもこの人は、どうして自分の欲しい言葉をくれるのだろう!
「信じられません」
「何がだ」
「言ってはいけないことだと分かっていますが。あなたのような人に目がいかないローザさんのことがです」
 思わず苦笑する。確かにその名前が出てくることは愉快なことではないが、それでも動揺したりすることはもうない。
「仕方がない。あいつの選んだ男は、すべてが俺より上回っているのだから」
「そんなことありません」
 正面にカインを見据えてティナが言う。
「絶対にカインは、誰よりもかっこいいです」
 また苦笑する。そこまで言われたからには、期待に応えなければなるまい。
「月に到着する前に、充分に気合が入ったな」
 何を言われているのか分からないティナは少しむくれた様子だった。






 月面が見えてくると、全員がメインルームに集まりだした。
 徐々に大きくなる月。そして、その表面。いたるところにあるクレーターと、そして──
「あれが、月のモンスター」
 表面を見ただけで分かる、うごめくモンスターの群れ。月の涙として落ちてきたモンスターは、そのほんの一部にすぎない。それがよく分かる。
「月とはあまり関係を持たない方がよさそうだなあ」
 ラグナがのんびりとした口調で言う。確かにあれでは話も通じまい。
「あまり表面に近づくとモンスターの餌食だな」
「そうはいっても、魔女の居場所を探さないことにはどうしようもないぞ、と」
 レノの意見は至極もっともだ。いずれにしても月面に降りないことにはどうにもならない。
『どうします?』
 操縦室からセルフィの声が音声に流れる。ここにいないのはセルフィと副操縦士のイリーナだけだ。
「まずは降下できそうな場所を探そう。このまま上空に浮かんでいても仕方がない。下手したらモンスターが宇宙空間まで攻撃に来ることだって考えられる」
 ブルーの指示は的確だった。りょーかい、とセルフィの返答があって、ラグナロクはゆっくりと月のはるか上空を移動する。
「どこもかしこもモンスターだらけだな」
 見えるところはまさにすべてモンスターで覆われているという状態だ。
「食事とかってどうしてるんだろうね」
「共食い、だろうね。もっとも仲間意識なんていうものがあればの話だけど」
 そこでしばらく考えていた様子だったアリキーノが遠慮がちに手を上げた。
「月の裏側へ行ってもらえないだろうか」
「裏側?」
 ラグナが少し考えてからマイクに向かって言う。
「セルフィ、聞こえるか」
『感度りょーこー』
「オーケィ。そのまま月をぐるりと回って裏側に回りこんでくれねえか」
『りょーかいしましたっ!』
 ただちにラグナロクが軌道を修正して裏側目指して円軌道を取る。
「……不思議なものですね」
 意見が通ったアリキーノの方がかえって驚いていた。
「何がだ?」
「理由を聞かないのですか? どうして裏側なのかと」
「別にどこに向かったって同じだろ。どうせ方向性がないなら直感でもなんでもかまいはしねえさ」
「確かに直感のようなものですが」
 一応という形で後から説明をつける。
「僕は聞いておきたいな。アリキーノがどうして月の裏側を気にするのか」
 ブルーが尋ねると、分かりました、と答える。
「月はすべての世界に共通するものです。そして、すべての世界にとって月そのものに変わりはありません」
「すべての世界に共通?」
「そうです。唯一PLUSにだけは月がありませんが、あれはカオスが既に壊してしまいましたから」
「俺の世界には二つあったが」
 カインが言うが、アリキーノは首を振った。
「今は一つでしょう?」
「そうだが」
「あなたの世界の『もう一つの月』は、人工的に作られたものです。地上と同じように暮らせるように。ですが、それは世界にとって大きな負担となります。ですから煌竜バハムートが直接監視していたのです」
 なるほど、と頷く。しかしそれにしても、
「随分と詳しいな、キノ」
 全員が思っていたことをレノが尋ねた。
「そのことはマラコーダ様から聞いていましたから」
「それで、月の裏側には何があるんだい?」
 ブルーが先を促す。
「はい。月という星は、地球のまわりを回りながら自らも回転しています。そして必ず、同じ面だけを地球に向けているのです」
「確かに月の模様は常に変わらないが」
「月の裏側は、地上に住む者にとって未知の場所です。だからこそ、確認する必要があります」
「見えないところを先に確認しておくってことか」
 ラグナがうまくまとめた。確かにそういうことならば、見えるところより見えないところの方が大事ではある。
「どのみちハオラーンの居場所はこの月の内部だろう」
 カインが言うと、確かにと誰もが頷く。
「だとしたらジュリアの居場所は案外そこなのかもしれないな」
 遠い目をするカインをティナが見つめる。
「カイン?」
 その視線に気づいてカインは微笑んで肩を叩く。
「たとえ何もなくても、何もしないよりは前進しているだろう」
 スコールもその考えを支持する。そうだね、とブルーも頷く。
「まずは動かないことには始まらない」
 主要三人に認められ、アリキーノは静かに頭を下げた。
「本当に不思議ですね」
 隣に立つレノに語りかける。
「何がだ?」
「私のような魔族の言うことを簡単に信じることがです」
 それを言うなら、その魔族を恋人に迎えようとしている男の立場がない。
「かまうことはないぞ、と」
「はい」
 そうしている間にもラグナロクは月の裏側にたどりつく。
「ビンゴ、か」
 そこに一つの建物。
 地上からでは決して見えない位置にそびえる、城。
 モンスターの姿は一切ない。モンスターはただ地上だけを見つめ、月の表側にいる。
 したがって、裏側にいるのは。
「あそこにハインがいるということか」
 ブルーが地上を映し出すスクリーンを見ながら言う。
「そのようだな。そして──」
 城門が開く。
「どうやら、歓迎されているらしい」
 カインの言葉に、ラグナは頷いてマイクに言う。
「セルフィ、あの中、行けるか?」
『大丈夫で〜す』
 門は狭かったが、ラグナロクのサイズで行けないことはない。
「いいんだな、カイン?」
 ラグナが確認を取る。カインは頷いて答える。
「あれはおそらく敵対意思があるわけではない。純粋な招待には礼儀正しく正面からうかがおう」
「オーケイ。セルフィ、行ってくれ」
『らじゃー!』
 ラグナロクが急降下し、城門をくぐる。
「ここがハインの城か」
 スクリーンには城の中庭の様子が映し出されている。
「とんでもないな。これが月の表面だっていうのか?」
 それはごく普通の城。『緑が生え』『空気のある』ごく普通の中庭だった。
「どうやら降りても大丈夫なようだな」
 カインは槍を手にする。
「おい、何も準備もせずに行くつもりか」
 スコールが止めるが、カインはただ頷くだけだ。
「相手のことを知らなければ意味がない。まずは行かなければな」
「んじゃ、決まったところで行くとするか」
 ラグナが一行をまとめた。
「全員で行きますか?」
「ん? そうだな……どうする、カイン」
 ラグナも決定については三人の意見を優先する。
「何人かで押しかけるのも失礼だろうから、数人でいい。何人かで充分だ。俺にブルー、ラグナ、セルフィ。それに──」
「私も行きます」
 ティナが睨むように言う。
「分かった。じゃあみんなは一度ここで待機。スコール、後は頼む」
「分かった。早く戻ってこい」
「気をつけて、カイン」
「ああ」
 リディアとも挨拶をかわし、五人はラグナロクを降りる。
「ハインの城か」
 船の外はきちんと空気で満たされていた。風もある。踏みしめる土、草が地上のものと変わりない。おそらくはこの城内だけが別世界となっているのだろう。
「魔女の力ってすげえなあ」
 ラグナが素直に感心すると、まあね〜、とセルフィが頷く。
「私を選んだのって、魔女に会わせたかったから?」
「ああ。少なくとも今、ハインと関係するのはこのメンバーだろう」
「ジュリアかあ。外見は変わってねえんだろうなあ」
 ラグナの言葉に反応したかのように、城の入り口の扉が開く。
「歓迎されてるね」
 ブルーが言う。
「行くぞ」
 カインが先頭に立って入る。
 城内は赤いカーペットが敷き詰められている。正面に二回への階段。
 その踊り場。
「ようこそ、みなさん」
 透き通る声が、広間を支配した。






「私が魔女、ハインです」






228.魔女の庭

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