彼らは再び月へと戻ってきた。
 だが、そこに待っているはずの二人はいない。
 そのかわり、そこにあったものは。

 おびただしい量の血痕だけであった。












PLUS.232

地下渓谷







destiny stone






 まだ傷が癒えないハオラーンは月の地下渓谷でゆっくりと体を休めていた。
 かしずく者のない玉座。広く静かな空間は彼にとってもっとも心地よい癒しの場。
 もう彼が自分から曲を奏でることはない。奏でるのは人間。人間たちは自ら自分たちのレクイエムを歌う。
 自分は指揮者だ。
 どれだけ綺麗なレクイエムになるかは、自分の指揮次第で変わる。
 そのためにも、この地下渓谷に乗り込んでくる者たちを始末しなければならない。
「どう、調子は?」
 名前だけの妻の声が聞こえる。
 レイラは両手に荷物を引きずってきた。それが何かということはすぐに分かる。
「魔女と指導者か」
 ジュリアとラグナの死体。しかも二つとも左胸にぽっかりと穴があいている。それを取り出して食べたという証。
「うん。これで私の力はまた上がったよ」
「代表者、魔法王、指導者、それに魔女」
 これまでにレイラが吸収した相手を全て上げる。
「魔女の力を手に入れた私を、あなたは倒せる?」
「体調が万全なら。今の私では無理だな」
「ふうん? あなたが一番怖れていた最初の魔女ハインの力を手に入れたというのに?」
「最初の魔女の力は、ハインだからこそ完全に使うことができる」
 それにあわてることもなく、ハオラーンは答える。
「私じゃ役者不足って言いたいわけ?」
「いや。魔女の力そのものを手に入れたことに違いはない。ただ、全てを畏怖させることはできないということだ。私や、それに同じように魔女の力を持つ者にとっては」
「魔女の力」
 思い当たる人物は一人だけ。
 彼らの中に、魔女の力を持つ者がいる。
「ふーん。じゃ、それだけ先に片付けるか」
「いいのか? 私を倒すのなら、今が一番の好機になるが」
「そうねえ」
 レイラは少し困ったように考える。
「私は魔女として役者不足だとは思ってないけど、ラスボスにはちょっと不向きかも」
「は?」
「もしスコールたちが私たちを全滅させるとしたら、最後の敵はあなたってこと。私は前座」
「前座にしては豪華すぎるが」
「あのディオニュソスもね。無駄に豪華ね、この地下渓谷は。で、その近衛隊長はどこにいったの?」
「あれには暇を出した」
「暇?」
「好きにしろ、と。人間がにくいなら、好きなだけ殺せばいいと伝えた」
「あらあら、まるで近くにいてほしくないっていう感じね」
 ハオラーンは答えない。彼が何を考えているかなど、今さら自分にとってはどうでもいいことだ。
「ま、私があいつらを全滅させたら、私がかわりにあなたを倒すわ」
「彼らよりはよっぽど倒しにくいでしょうね」
「そうかしら。カインは守護者の力を手に入れたわよ」
「資格だけで倒せるのなら苦労はしない。それはまだ私を倒す可能性があるというだけ。ここまで来たとしたら全力で叩き潰す」
「ふうん。まあ、私があいつらを倒すにせよ、逆に倒されるにせよ、その場面が見られないのは残念だわ」
 そして彼女は二つの死体をそこに置き去りにしたまま引き上げる。
「それじゃ、お先に」
 彼女が消え去ってから、血の匂いがする二つの死体めがけてハオラーンは魔法を唱えた。
 燃え上がる二つの死体。
(満足か、ジュリア)
 死にたかった女性。死ねなかった女性。
 そして今彼女は、最愛の男性と共に死んでいく。
(私も満足だ。お前がいなければ、もはや私を止められる者はいない)






 ラグナロクに戻ってきた四人から、ラグナとジュリアが行方不明になったことが告げられると船内に動揺が起こる。
 もちろん見たのは血痕だけで、いったい何があったのかなど分からない。生死不明の状態だ。
 二人が戦ったのか。それとも第三者の侵入があったのか。
 分からないのなら、今は先に進むだけだ。
「月の地下渓谷への入り口を発見した」
 逆にスコールからの情報は四人を驚かせた。
「モンスターの分布を調べているうちに、その場所が見つかった。周りにモンスターは多いが、何とかなるだろう」
「助かる。今は先を急ぐときだ」
 そうして彼らはモンスターの跋扈する中へと進んでいく。
「全員で行くわけにはいかないな。ラグナロクをどうにかしなければならない」
「そうだな。操縦者としてイリーナを置いていくが、後は」
「ラグナロクがなければ戻ることができない。最低限の戦力は残しておきたいところだが」
「とはいえ、地下渓谷ほど強いモンスターが出てくるというわけでもないだろうな」
「イリーナも含めて四人、というところか」
 カイン、ティナ、スコール、セルフィ、リディア、ブルー、アセルス、レノ、アリキーノ、シャドウ、ファリス、ユリアン、モニカ。
「シャドウとユリアン、モニカは一緒に残ってくれ。そして適宜連絡を取れるようにしておいてくれ」
「了解しました」
 ユリアンが代表して答える。
「よし、行こう」
 ブルーが言うと、十人は月へと降り立つ。
 すぐにラグナロクが浮上し、かわって襲いくるモンスターたち。
「アフラマズダ!」
 リディアの召還魔法がそれらを蹴散らす。その隙に地下渓谷への入り口へ彼らはたどりつく。
 モンスターたちはその中までは追ってくることができないのか、入ってくる様子がない。
「進もう」
 先頭にスコールとセルフィが立ち、カインとティナが最後方となる。戦力の高い者が前後を挟む格好だ。
「私が先行しましょうか」
 アリキーノが言うが、ブルーは首を振った。
「一本道でその必要はない。相手の出方が分からない以上、こちらも慎重策を取ろう」
「分かりました」
 さらに奥へ、奥へと進む。
 そうしてたどりついたのは大きな広間。もちろん、ここにハオラーンがいるとは思っていない。
「最初の障害か」
「そうだろうな」
 カインとスコールが頷きあうと、その中に入る。
 中にいたのは、長い闇色の髪をした薄幸の女性であった。
「それ以上、近づいてはなりません」
 女性は白い手をこちらに向けて、進行を阻む。
「あなたは?」
「私はハオラーンの部下、闇のブラックダイア」
 一気に警戒が強まる。だが、こういうときやはり頼りになるのはブルーだ。
「僕らと戦うというのではないのか?」
「私たちはハオラーンの命令に逆らうことはできません。今なら間に合います。引き上げてください」
 つまり、近づけば戦う、ということか。
「ハオラーンは僕たちを殺したいんじゃないのか?」
「そうです。ハオラーンは私たちにあなたたちの抹殺を指示しました」
「それなのにあなたは僕たちを見逃すと?」
「はい。今ならまだ間に合います。私たちディステニィストーンはハオラーンに使役される存在。他の九体は私のような自我が残っているわけではありません。会えばすぐに戦闘となりましょう」
「あなただけが自我が残っていると」
「そうです。二重人格、とでもいえばいいのでしょうか。もう一人の私はハオラーンに完全に使役されていますが、『私』だけはハオラーンの言いなりではありません。ですが、それ以上近づけばもう一人の私が目覚めます。だから、それ以上は近づかないように」
 なるほど。この場に留まるなら会話を続けることが可能ということだ。
「僕らはハオラーンを倒さなければいけない。この先に進む必要があるということを分かっていただけますか」
「承知しています。ですが、あなたたちはここから先へ進んではいけません。私たちディステニィストーンと戦えば、あなたたちは敗れることになる」
 それだけ強いということか。この繊細そうな女性が。
「もし進むというのなら、私を倒していってください。それから、この先の迷宮について教えましょう」
 彼女は、す、と右手を奥の壁へと向ける。
「この広間から奥へ進むには、正面、右、左と三つのルートに別れています。それぞれのルートを攻略していかなければ、最奥までたどりつけないようになっています。そして、奥の壁の手前にある台座。あれが切り替えスイッチになっています。それぞれのルートを進んでいく中で、それ以上進むことができないように壁がありますが、あのスイッチを切り替えることで進むことができます。だから、ここから先に進むには、誰か一人残らなければなりません」
 一人が残り、九人を三パーティに分けて進む。ハオラーンはこちらの戦力を分断するつもりなのだ。
「それぞれのルートの奥に私の仲間たちがいます。彼らを倒さなければ先へは進めません」
「あなたは?」
「私もです。私はこの広間を守る者。あなたたちが先へ進むというのなら、もう一人の私が目覚め、戦いになります」
「ひいていただくことは?」
「できません。それは私に許されていないから」
 彼女は苦悶の表情だ。戦いたくないという気持ちは容易に伝わる。
「もし僕らがひいたらどうなりますか」
「三日後にハオラーンは完全回復し、あなたたちのところに攻め入るでしょう」
「ならなおさら僕たちは先に進まなければならない」
「先に進んだとしても、私たちディステニィストーンが戦う以上、あなたたちはハオラーンを倒すことはできません。私は、私の目の前で誰かが死ぬのを見たくありません」
 それは彼女の本心であることは誰もが分かる。だが、彼らも先に進まなければならない。このジレンマをどうすればいいのか。
「なんだか、戦いづらい雰囲気になっちまったぞ、と」
 レノが言う。まさにその通りだ。目の前の女性は戦いを望まず、だが自分たちは彼女を倒さなければ先へ進めない。
「一つだけ聞かせてくれ」
 カインがふと気になったことを尋ねる。
「あなたは今、ハオラーンを倒すことはできないと言ったな」
「──は、はい」
 動揺したのが誰の目にも分かった。
「ハオラーンまでたどりつけない、ではなく、倒せない、なのか?」
「……申し訳ありません。それ以上は」
「つまり、ディステニィストーンを倒すことは可能だということか」
「やめてください! やめ──」
 すると、女性の闇色の髪が逆立った。
「なんだ?」
 女性が必死の表情で「逃げて!」と叫ぶ。
「私を倒してはいけない! 私を倒せば──!」
「そこまでだ、ブラックダイア」
 いつの間にか、その彼女の隣に背の高い男が立っていた。
「オブシダンソード!」
「目覚めよ。お前は我らと同じ、ハオラーンの使役。その『飾りの』仮面を早く脱ぎ捨てるがいい」
 その男の剣が彼女の額に触れる。瞬間、逆立っていた髪がいっせいにうねりだす。
「何が起きているんだ?」
「分からん。だが」
 カインは冷静に言う。
「どうやら、引き返すことはできなくなったようだ」
 髪がおさまり、闇色の髪が背中に垂れる。
 だが、先ほどまでの彼女とは全く違う別人だということは簡単に分かった。
 何故なら、目が違う。
 怯えた、優しい目ではない。破壊の衝動に満ち溢れた目。
「世話を焼かせたな、長兄」
「気にするな。私も彼らと戦うのは本意ではない。だが、我らが戦わなければこのレクイエムが終わることはない」
「そうだな」
 そして二人となったディステニィストーンが戦闘体勢を取った。
「さあ行くぞ、せいぜい我々を楽しませてみろ」
「勝手なことを」
 カインが呟く。スコールも頷いた。
「どうする?」
 ブルーの質問の意味は分かっている。ブラックダイアの二重人格の片割れのことを分かっていて倒すのかどうか、ということだ。
「どのみち倒さなければ先に進めないのなら、倒しやすいうちに倒してしまう方がいいだろう」
 もし先ほどの女性が相手だというのなら積極的に戦うのは御免だ。だが、この相手ならば。
「倒す」
「了解した」






233.水晶迷宮

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