思い出せることなど何一つない。
 自分がかつて何をしたかなど思い出せない。多分、自分はそんな知識を初めから持っていない。きっと幻獣になるときに全部どこかに置いてきた。だから何があっても思い出せないようになっている。
 ただ、彼女の話が事実だとしたら自分にはするべきことがある。
 自分が幻獣として生まれて、ずっと抱いていた感情。この感情に決着をつける。

 憎悪。

 それはもう、何に対するものなのか分からない。自分を苦しめた世界か、自分に力を与えた神々か、自分を置き去りにした人間たちか。何も知らない自分自身か。
 ただ、分かることはたった一つ。
 自分を含めた全てのものに対する憎悪。全てを憎み、全てを破壊し、そして最後には自分そのものもカオスに還る。

 そう。

 全てを無に帰す。それこそが自分の望み。












PLUS.240

神の終幕







Ragnarok






「何故世界を滅ぼす必要がある」
 アルテミスが尋ねるが、完全に意思を定めた相手はもう揺らぐことはない。
「理由は多分、ねえんだよ」
 それは理屈ではない。ただあふれんばかりの感情。いや、破壊への衝動というべきだろうか。彼が今望むのは、全ての破壊。それが明確な形となって目の前に現れている。
「どうする、俺とやるなら、手加減をするつもりはないぜ」
「お前と戦うつもりなどないのだがな」
 アルテミスは首を振る。
「だが、どうしてもリディアの敵となるというのなら戦わざるをえん」
「へえ。人間嫌いのお前が随分入れ込んだじゃねえか。そんなにリディが好きかよ」
「そうだな。お前と同じくらいには好きだろう」
「俺かよ」
「お前がリディアを特別に思っていることなど分かっている。そうでなければお前は悩むことも迷うこともない」
 ディオニュソスの顔が歪む。それはアルテミスの言葉が真実であることを言い当てている。
「認めたらどうだ。お前はリディアと共に生きたいのだろう」
「それを否定したことはねえぜ。ただ、それ以上にこの衝動に身を任せたいと思ってるだけだ」
「お前の民たちはそれを望んではいまい」
「そいつらがどう考えようが俺の知ったことじゃねえよ。思い出せねえんだからな」
 そしてディオニュソスは両の拳を握る。
「さ、行くぜ。お前の力で俺を防げるなんて思うなよ」
 動く。
 圧倒的な破壊力を発散させて、まっすぐにアルテミスに接近する。
「速い」
 アルテミスはその速度をしっかりと見据えてから回避する。瞬時に別の場所へ移動している。それも全く動いた様子がない。
 移動したのではない。自分の幻覚を生み出して瞬間移動しているように見せているだけだ。
「月影か。だが、逃げ回ってばかりじゃ俺には勝てねえぜ」
「私がお前を倒せるはずがないだろう。できることがあるとすれば、足止め程度だ」
 アルテミスの右手に光が宿る。
「ムーンライトアロー」
 その光が真銀の弓となり、彼女の手に三本の矢が生まれる。
「これを受けてみるがいい、ディオニュソス」
 三本の矢を一瞬で放つ。
「この程度の技で俺が倒せるかよ!」
 ディオニュソスは回避などせず、その攻撃を左腕で受けた。三本の矢が刺さるが、そんなものをものともせずに突進する。
「まずい」
 アルテミスがかすかに表情を変える。
 豪腕がうなる。それを腹部に受けて、勢いよく吹き飛ばされた。
「アルテミス!」
 壁に激突したアルテミスはそのまま地面に落ちる。後はもう、ぴくりともしなかった。そのまま実態を維持できなくなり、幻獣界へと戻っていく。
「ディオ! どうして、そこまで!」
 リディアが睨みつける。だが彼は苦笑するだけだ。
「いや、今のは手加減したんだろう」
 ブルーが隣にいた。アセルスもだ。
「そうでなければ一撃でアルテミスを消滅させることだってできたはずだ」
「よく見てるじゃねえか。さすがはチームの司令塔ってとこか。だが、お前らじゃ俺を止められないってのも分かってるよな」
 もちろんよく分かっている。自分では倒せない。
 だからこそスコールに力比べを頼みたかったのだ。ディオニュソスを上回ったというその力で。
(あとは僕がうまくディオニュソスの力を削ぐことができれば、アセルスの力で充分に取り込むことができたんだが)
 ディオニュソスの倒し方は最初から決まっている。スコール、カイン、レノのうち誰かが足止めをしておく。そして自分が決定的なダメージを与える。力がなくなったところでアセルスが支配下におく。
 だがそのスコールがノックダウンしてしまってはどうしようもない。こうなったら現有戦力でやれるだけのことをやるしかない。
「アセルス、最悪のときはごめん」
「分かってる。生き残るのが最優先。それは間違えない」
 既にアセルスは妖魔化している。もちろん相手を弱らせた上で支配することができるなら良いが、そんな簡単にいく相手ではない。本気で倒すつもりでいかなければダメージすら与えられない。
「リディア、援護を頼む!」
 ブルーとアセルスが二人で突進する。
「魔導師が肉弾戦だあ?」
 ディオニュソスが笑って身構える。
「いい度胸だ、オラァッ!」
 負けじとディオニュソスも体当たりをしてくる。が、そこはありとあらゆる攻撃を極めたブルー。そう簡単に攻撃を受けるはずがない。
 接触する瞬間、相手に触れずに、するり、と背後に回りこむ。
「なに?」
「天雷!」
 水の力を使った電撃の魔法を背中から放つ。激しいスパークにディオニュソスの顔が歪んだ。
「ちっ、さすがに司令塔だな!」
「こっちも忘れないでよね!」
 アセルスが妖魔の剣で正面から斬りつける。背後に回ったブルーに気を取られたか、その攻撃で裂傷が生じる。
「ちっ、こいつらさすがに連携はたいしたもんだぜ」
 ディオニュソスがその場に踏みとどまってからさらに気合を入れる。
「だが、俺に致命傷を与えるほどじゃねえぜ!」
 豪腕が風を切る。だがその攻撃をブルーもアセルスもたくみにかわしていく。いや、違う。
「何しやがった、ブルー!」
「なに、ちょっと動きを遅くさせてもらっただけだよ」
 カオスストリーム。既に効果は発動させている。生み出された気流が彼の動きを制限している。
「気流は嵐に、くらえ、カオスストーム!」
 吹き上がる嵐にディオニュソスの体が浮き上がる。完全な無防備状態。そこへ──
「エクスティンクション!」
 リディアの最強魔法が放たれる。無防備状態のディオニュソスに直撃した光が拡散する。
「この程度で!」
 だがディオニュソスはその攻撃に抵抗する。無防備状態でエクスティンクションを受けてもなお消滅しない彼の魔法耐性。
「ブルー!」
 アセルスの悲鳴。そして魔法に耐え切ったディオニュソスがブルーに迫る。

 豪腕が、ブルーの体を貫く。

 こふっ、と小さく血を吐く。そして、ゆっくり地面に落ちる体。
「ブルー」
 アセルスの目が見開かれる。
 血の気の失った顔。
 そして、ごめん、と小さくつぶやく声。
「うああああああああああああああああああああああっ!」
 アセルスが雄たけびをあげてディオニュソスに突撃する。
「おっと、お前一人で倒せると思ってんのかよ」
「一人じゃない」
 覚醒したスコールがそこにいた。
「許さない」
「おっと、やっかいな奴が目覚めちまったな」
 ディオニュソスが顔をしかめる。やはり自分にダメージを与えた相手とはなるべく戦いたくない。しかも他にまだアセルスとリディアがいるのだから。
「仲間を殺したお前を、絶対に許さない!」
 折れた地竜の爪。それが、鈍く光を帯びている。
「くらえ!」
 光が灯る。剣の形に。
「エンドオブハート!」
「くっ」
 その剣を受け止めようと手を伸ばす。
 だが、刃のある剣ならばともかく、光をつかむことはできない。
 光はそのままディオニュソスの左腕を、手の先から真っ二つに切り裂く。
「がああああああああっ!」
「くらえ!」
 そのひるんだ隙に、アセルスが妖魔の剣で腹部を貫く。
「トライデント!」
 さらにリディアが生み出した三叉の矛がディオニュソスの肩を貫く。
「ぐ……て、めえら」
 だがディオニュソスはそれらの攻撃をなおも耐え切った。だが、それより早くアセルスは剣を引き抜く。
「とどめだ!」
 彼女はその剣を大きく振り上げた。
「てめえごときにやられるかよ!」
 だが、逆にディオニュソスは正面のアセルスを攻撃しようと構える。が、アセルスはニヤリと笑う。
「いまだ、ブルー!」
 彼女は、号令をかけた。
「……なに?」
 その、ディオニュソスの後ろ。
 傷一つないブルーが、既に魔力を完全に充填させている。
「なんで──」
「レミニッセンス!」
 魔力がディオニュソスの中で暴走する。
 そして、爆ぜる。
 それが決着の合図だった。






「どういうことだ」
 おもいっきり不機嫌なスコールが睨んでくる。
「あらかじめアセルスと確認しておいたんだ。やられたフリをして、魔力をためてうまく背後を取るって」
 後は簡単だ。レミニッセンスを限界で放てばいかにディオニュソスといえども殲滅させることは可能。後は少し自分の力をセーブして放つことができれば、致命傷を負わせない程度にダメージを与えるだけだ。
 以前はそういう器用な真似はできなかったのだが、ルージュの力を認め、その力を継承したときに魔力の融通が少しだけきくようになった。
 後はタイミングをスコールにはかってもらおうと思っていたら、思った以上にダメージを与えてくれたので成功した。やはりこの青年の力は桁外れている。
「……殴っていいな? 答えは聞かない」
 握りこぶしでブルーに一歩近づこうとするスコール。
「ストップストップ。それよりも、こいつが先、だろ?」
 だがその間にアセルスが割って入った。まあ今回に限っていえばアセルスも知っていたのだから同罪なのだが。
「やってくれやがったな」
 仰向けに転がっているディオニュソス。既に体中がぼろぼろで、話すので限界という様子だ。
「今からお前を支配下に置く。いいか?」
「俺に拒否権なんかねーだろ」
「私も人間に戻りたいからな。できればお前が協力してくれると助かる」
「好きにしろよ。こんなにされたんじゃ、もう戦う気もおきねえよ」
「ありがとう」
 アセルスがそう言って頭を下げる。そしてリディアに場所を譲った。
「ディオ」
「よ、リディ。看取ってくれるのはお前かよ」
 別にアセルスの支配下に入ったからといって死ぬわけではないが。
「一つだけ約束してほしい」
「なんだ」
「ディオがまた元に戻ったら、今度こそ私とちゃんと契約して」
 ディオニュソスは少し考えていたようだったが、やがて。
「いいぜ。ま、リディと一緒にいるのは面白いからな」
「ありがとう」
 セルフィは許さないかもしれないが、今はこれでよしとしなければならない。
「それじゃ、始めてもいいかい」
 アセルスが妖魔の剣を構える。
「ディオニュソス、我が支配下に入れ」
 エデンやレオンを支配下に入れたときと同じように、ディオニュソスの体が、その剣の中へと封じ込まれていく。
 そして、彼の姿が完全に見えなくなった。
 そのときだ。
「くっ……」
 アセルスの体が、ゆっくりと倒れていく。
 一番近くにいたブルーが彼女の体を抱きとめる。
「どうした」
 スコールが近づくが、ブルーは「大丈夫」と答えた。
「妖魔といえども限界はある。四つの大きな力を吸収して、アセルスの体は限界に達した」
「……それは」
「人間に戻さないかぎりアセルスはずっと目を覚ますことはない。あ、いや、もちろん、ハオラーンとの戦いもあるし、後にしても命に別状はないんだけど」
 ただ、そうなるとアセルスをこの場に置いていくことになってしまう。それは危険だ。だったら誰かが残るか、それとも一度引き返す他はない。無論、そんなことをしている余裕はない。
 ならば、答は一つ。
「お前なら、アセルスを人間に戻せるんだな?」
 スコールが尋ねる。ブルーは頷いた。
「なら、そうした方がいい。ハオラーンは俺とリディアに任せておけ。カインもいるしな」
「うぬぼれではなく、僕がいなくても大丈夫かい?」
「いてくれた方がありがたいのには違いないが、アセルスをこの状態にしたままでお前が冷静でいられるとは思わない」
 まったくその通りだ。このままではブルー自身が足手まといになるのは目に見えている。
「任せておけ」
「分かった。ありがとう、スコール」

 そうして、二人は残り、二人はさらに奥へと進む。
 その先に待つのは最後の敵。

 吟遊詩神、ハオラーン。






241.最終決戦

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