今は涙にぬれたままで 深い祈りのように
 いつしか哀しみも 終わるように












PLUS.254

最後の罪







I'm sorry.






 ティナ・ブランフォード

 一人、第十三世界ユトランドへ戻る。
 その後、自分がかつて殺した相手を確認し、その婚約者だった人物の居場所をつきとめる。



 別れの前。二人きりで会ったとき、彼女は自分の考えを述べた。
 それはカインにとってはとても許容できるものではなかったが、それでも自分も言ってしまった以上は、付き合わなければならないものだった。
「愛しています、カイン」
 その言葉から始まった会話は、お互いにとって辛い内容だった。
「私はあなたを愛しています。でも、私は罪人です。罪にふさわしい罰を受けなければなりません」
「ああ」
「そしてあなたは私の罪を半分、背負ってくれると言いました。間違いないですね」
「間違いない」
「なら、私の願いを聞いてください」
 これは自分が決めたこと。そうしなければ彼と共に歩むことはできない。だからこそ自分は自分に厳しくあることができる。
「私を裁くことができるのは、私が殺した人の婚約者だけだと思います。そして私はその罰を受けてこようと思います」
「お前、まさか」
 カインが顔をしかめる。気がつくのが早い。この段階で分かるとは。
「はい。私にふさわしい罰は、きっと死ぬことなんかじゃないと思うんです。セルフィがハオラーンの罪を裁いたときに分かったんです。ああ、私もこう裁かれるのかな、って」
「死よりも重い罰、か」
「それを私と一緒に背負ってくれますか、カイン」
 カインはすぐには頷けなかった。
 今まで何度も何度も繰り返してきたことだ。彼女を連れて故郷の親友に会わせる、と。だが。
「お前の罰は……」
「そうです。婚約者の方が永遠に会えなくなったというのなら、私もそうならなければ不公平です。私は永遠にカインに会えない。その罰を負うべきなんです」
 今さらカインには『俺の傍にいると言っただろう』とは言えない。なぜなら、その罪はカインをも縛るものだからだ。
 お互いの罪を等価交換した二人にとって、ティナへの罰はカインへの罰でもある。
 だから離れている状態は、二人に対して同時に罰を科している状態になる。これほど分かりやすいことはない。
「もう決めたのか」
「はい。カインの傍にいると誓ったのに、申し訳ないと思います。私もカインの傍にいたい。でも、これは私が背負わなければならないことなんです。そして、私の罪を半分背負うと言ったカインも」
「そうだな。それを言ったのは確かに俺だ。返す言葉もない」
 ため息をつく。前言を撤回しない限り、彼はティナを取り戻しに行くことすらできないのだ。
「願ってください」
 ティナは左手で彼の手を取った。
「その女性がいつか私を赦してくれることを。私も祈り続けます。自分の罪が赦されることを。だから、カイン」
 涙を流しながら、ティナが言う。
「もし、再会できたときは、あなたの子供をください」
「当然だ」
 カインは彼女を抱きしめる。
「俺からは会いに行かない。そうしないといけないんだな」
「はい。私はずっと、裁かれ続けます。赦されるまで」






 そうして、彼女は自分の世界へと降り立つ。
 もう一度彼に会えるかどうかは、これから先の展開次第。婚約者という人物がいったいどういう人なのかによって全く違う結果になる。
 ただ、何の罰もなく赦されるようなことだけはあってはならないと思う。人を殺すという重い、重い罪に対して正当な罰がほしい。
「ここ、ですね」
 マランダの街。その建物は彼女の来訪を拒むかのように、扉が閉ざされている。いや、それはあくまで彼女の思い過ごしにすぎない。自分がこの扉を開けるのをためらっているからそう思えてくるのだ。
 一度深呼吸。そして、ノック。
「すみません。こちらに、セーラさんはいらっしゃいますか」
 突然の来訪に、そこにいたのはセーラの両親だろうか。驚いたような様子を見せてから「ええ」と答える。
「私は、セーラさんの婚約者だった方を殺した者です」
 その言葉はさらに衝撃を与えたようだった。
「一言、話ができればと思います」
「お帰りください」
 母が毅然と言う。
「あのことで娘は病を患いました。今は回復し、新しい恋もして、もうすぐ結婚するんです。それなのに今さら」
「遅れたことも重ね重ね、謝罪いたします」
「謝罪なんていりません! 今すぐ──」
「いいえ。話を聞きたいわ、お母さん」
 奥から現れたのは少しやせ気味の女性だった。ティナより一つ、二つ上だろうか。
「この場所でいいわよね」
 セーラという女性の目つきはもちろん鋭い。
「はい」
「それで、どんな話を聞かせてくれるのかしら」
「いかなる事情があれ、私があなたの婚約者を殺したことは事実です。ですから、私に罰を与えてもらうためにやってきました」
 セーラの顔が強張る。
「私が悪かったんです、どうかお赦しください、とか言うわけじゃないの。それこそお母さんじゃないけど、あれからもう何年も経っている。時間が経てば赦してもらえると思っているわけじゃないの」
「そのときのセーラさんの悲しみと、今の気持ちとは当然違うと思います。でも、そのときに心が張り裂けるほど悲しんだという事実はなくなりません」
「だから?」
「自己弁護をするのは嫌いです。ですから、私にとって一番重い罰を考えてきました」
「死んでお詫びするとか?」
「いいえ。死ねばそれで終わりです。その程度のことであなたは納得できるのですか?」
 少しセーラが黙ってから尋ねた。
「そうね。納得はできないかも。それで?」
「私には将来を誓った男性がいます。その人は私がどれだけ重い罪を背負っているか理解してくれました。そしてその罪を半分背負うと言ってくださいました」
「それで?」
「私はあなたが赦してくれるまで、永遠にその人と会いません。それを彼も了承してくれました」
「……」
 ここに来て相手の促す言葉がなくなった。
「私のような人間が近くにいれば気分が悪いと思います。私はモブリズの村におります。あなたが赦してくれるまでずっと。ここに住所を記した葉書がありますので、もしもあなたが私のことを赦してくださるというのでしたら、この葉書を投函してください。葉書が届かない限り、私は死ぬまでそこにいます」
「あなた、本気?」
「本気です。それが償いだと思います。モブリズは完全に崩壊していて、人手が必要です。私の命のある限り、人の手助けをして生きていくつもりです。あなたが赦してくれても、くれなくても」
「私を騙して、好きな人のところに行くかもしれないわね」
「その可能性は否定しませんが、あなたの心は救われるはずです。今でも婚約者を殺した女は苦しんでいるに違いない、と」
「私を嫌な女にするのはやめてもらえる?」
「すみません。でも、人の心理はそういうものだと思います。自分を苦しめた人間が苦しむのは心地よい。私はこの数年で、いろいろなものを見てきました。だから私は自分の罪を償う方法として、一番大切な人に会えないという罰がもっともふさわしいと判断したんです」
「相手の彼氏の方が、あなたのことなんか忘れて他の女の人とくっつくかもしれないわよ」
「それだけはありません。絶対に」
 強い口調のティナに相手も少したじろいだようだった。
 ティナはカインが裏切らないと信じているのではない。カインが裏切らないことを知っているのだ。
「ただ、あの人は本当にいい人なので、女の人がすぐに近づいてくるのは嫌ですけど。でもあの人は私以外の女性に振り向くことはありませんから」
 少しむくれたような顔になったティナに、セーラは思わず笑っていた。
「面白い子ね、あなた」
「そうでしょうか」
「どうすればそんな理屈的に考えられるのかしらね」
「私はあなたの婚約者を殺すまで、自分の理性というものを持っていませんでした。ずっと思考することを魔法のアイテムによって封じられていましたから。だから感情そのものがあまり育っていないんです。ただ、あの人のことだけは何にも変えがたいと思っています」
「その気持ちも変わるかもしれないわね」
「私が、カインのことを?」
 全く予期していないことだというのはその表情を見ればよく分かった。
「考えたこともありませんでした」
「近くにいい男がいれば考えも変わるわよ」
「あんなに素敵な人は他にいません」
 きっぱりと言い切る。セーラはいい加減、自分が何を話していたのかが分からなくなってきていた。
「それであなたは罰を受けたいというのね」
「はい」
「たとえばこの葉書、あなたがいなくなった後で私が捨てたりしたらどうするの?」
「私はただモブリズで一生を終えるだけです」
「私は病気を患っているわ。この後あなたを赦さないまま死ぬことがあるかもしれないわよ」
「あなたが病気を患ったのは私があなたの恋人を殺したからです。そのせいでなくなったのなら、なおさら私はあの人に会ってはいけません」
「本気なのね」
「本気です。私は」
 ティナはぶんぶんと頭を振る。
 感情が強くこみ上げてくるのを強引に押さえ込む。
 ここで泣くのは反則だ。被害者に同情を求めるのは卑怯だ。だから絶対に、自分は毅然としていなければならないのだ。
「あの人に会えないのは悲しいし、苦しい。でも、同じ罰をあの人も受けてくれていると考えられるからこそ、死ぬまで罪を償い続けることができます」
 だが、どれほどこらえたところでティナが自分の感情を強引に殺していることなど一目瞭然だ。
 セーラの両親からすれば、殺したくせにそんな顔をするな、と言いたいところだろう。
「それで赦さなかったら、私が完全に悪役じゃないの」
 セーラはため息をついた。
「じゃあ、判決をくだしてあげるわ」
「はい」
「主文、有罪。あなたを有期懲役一年とするわ」
「は?」
「死ぬまで殉じる必要はないって言ってるのよ。あなたが悪い人じゃないっていうのは分かるし、さっきも自分の思考を封じられていたって言っていたでしょう。つまり、あなたは自分の意思で彼を殺したわけじゃない。それなら主犯は別人。あなたはただの凶器、道具にすぎないわけでしょう」
「……ですが」
「だからといってあなたも罪を償わずにはいられないということなんでしょう? だから有期懲役。一年経ったら好きな男のところでもどこでも行きなさい。だからこんな葉書、待つ必要ないわ」
 彼女はその場で手紙を破った。
「私も来年には結婚するの。あの人とのことはもう全部思い出にしてね。もちろん悲しかったし、忘れることなんかできないけど、でもあなたが本当に悪いわけじゃないのに人生を棒にすることもないわ」
「あなたは、強い人です」
「やめてよ。本当はあなたを苦しめたくてうずうずしてるんだから。ただ、そうすることで私が私を悪人にしたくないだけなのよ」
 はあ、とまたため息をつく。
「だからといってあなたを無罪にしたら彼も報われないし、あなたも納得がいかないでしょう。だから有期一年。これ以上は議論しないわよ。思い出すだけで苦しくなるんだから」
「はい」
「じゃあ、もう行きなさい。そして二度と私の前に顔を見せないで。あなたに事情があることは分かったし、そのことで私はもうあなたを責めない。好きに生きればいいわ」
「はい。本当に申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます」
 ティナは深く、深く礼をする。
 それからようやく、我慢していた涙がこぼれてきた。
「あなた」
「はい?」
「その腕はどうしたの?」
「はい。彼を助けるために、失ってしまいました」
 右腕がないことなど、最初に見たときから分かっていることだっただろう。
「なるほどね」
「?」
「あなたの彼氏は本当にあなたを愛しているのね」
 その怪我から何を推測したかなど分からない。
 だが、ティナが断言する以上、二人の間にある絆が強いものだということの象徴に見えたのは間違いないだろう。
「はい。私の、たった一人の人ですから」
 最後に、ティナはようやく笑顔を見せた。






255.旅人の帰還

もどる