一章  森の中で……






 はあ、はあ、はあ、はあ。
 日はまだ高いというのに、その光を木々に遮られている、そんな暗い森の中。一人の妙齢の女性がぬかるんだ道を駆け抜けていく。
 このような森の中で走るには、あまりにもそぐわない恰好。具体的に言うならば、絹のスカートに、上品そうなブラウス。少しだけヒールのあるパンプス。
 白い肌の足には生い茂る草によって何箇所も赤い傷がはしっている。ずっと走り続けているのであろう、ブラウスが汗でひどく濡れている。金色の髪は既に乱れてしまっていて、赤いリボンが今にも取れそうだ。
 女性は、一度後ろを振り返った。そして顔をしかめ、また再び前を向いてさらに加速していく。
 何度もぬかるみに足を取られそうになるが、それを必死に堪え、何とか前へと進んでいく。その先に、明るい光があふれていた。
 はあ、はあ、はあ、はあ。
 呼吸はこれ以上ないほどに乱しつつ、女性はその光ある場所へ飛び出した。
「……ここ……は……」
 そこは、四方を木々に囲まれている泉であった。女性はこみあげてくる涙を拭い、泉を背にして腰のダガーを抜く。
 少し遅れて、黒装束の男が四人、女性の目の前に現れた。





「本当にこの道でいいのかよ、ロイスダール」
 先頭を行く偉丈夫に向かって、このパーティの紅一点が声をかけた。
「そんなに心配するなよジャンヌ。俺はこの道を何度も通っているんだ。間違いはない」
 返ってきた答に一番後ろを歩いていたジャンヌは「怪しいなあ」とさらに言い返す。
「だいたい、これって道?」
「昨日も同じ台詞を聞いたぞ」
「そりゃあ言いたくもなるさ。歩きにくいし、草で足も腕も傷が増えるし、じめじめしてるし! こんなことならやっぱり公道を通るんだった」
 ジャンヌはたくましい腕をいっぱいに広げるが、一番後ろでは前を行く三人に見えるはずもない。はあ、とため息をつく。
「この森を抜けられるのって、いつだったっけ」
「あと二日だ。明日の夜には出られる」
 無情なロイスダールの答に、ジャンヌはまたため息をつく。
「あーもー、疲れたー。お腹すいたー。足だるいー」
「やれやれ」
 ロイスダールは苦笑して足を止めた。そのすぐ後ろをついていた二人もまた同じように足を止めて振り返る。
「もう、我儘言わないでよ、ねぇちゃん……」
 パーティの中で、ジャンヌを含めてももっとも背の低い男が言った。
「ニーダ、あんたねえ」
 ジャンヌはおそろしい目つきで睨む。ニーダは「やばい」と後ずさりしたが、それよりも早くジャンヌの腕がその首に巻きついていた。
「ね、ねぇちゃん! 苦じ……」
「あーんただって、充分疲れてるでしょーが。あたしより体力ないくせに、この口はそういうことをいうのかな?」
「ごめん! ごめんってば!」
 ニーダはようやく解放されて、ぜーはー、と呼吸を整える。
「だいたいあんた、こんな深い森の中でまでローブ着る必要あるの? 邪魔くさいし、暑苦しいし。脱いじゃいなさいよ」
「で、でも……」
「大丈夫。誰も他に見るやつなんかいないわよ」
「でも、不安だよ」
「いいっていいって。それとも、姉の言うことがきけないのかなー?」
「ちょ、ちょっと! そう言いながらにじり寄ってくるの、やめてよ!」
 ニーダは今度こそロイスダールの後ろに隠れて、その脇の下から姉を見返した。
「ロイスダール、避けなさい」
 苦笑を浮かべるが、ロイスダールは両手をあげてなだめる。
「ジャンヌ、勘弁してやれよ。こいつのは……仕方ないだろう? 姉であるお前が一番よく分かっているんじゃないのか?」
 ジャンヌよりも頭一つ大きいロイスダールは、少し目線を下にして言う。
「もう。あんたって子は、ロイスダールにかばってもらえばいいと思って」
 大きく息を吐く。そして腕で額に浮き出ていた汗を拭った。
「それにしても、暑いわね」
「日は差し込んでこないんだがな」
「どこかで休憩したいわ」
「そう言うと思った」
 ロイスダールは茶色の目を細め、頬を少し上げる。それが彼独特の笑い方だ。相手を安心させる微笑み。大人の、穏やかな笑顔。
「もう少し行ったところに泉があるんだ。清水で飲むこともできる。そこで休憩することにしよう」
「やった。休憩だ」
 答えたのはジャンヌではなく、彼の後ろに隠れていたニーダであった。
「なによ、あんたもやっぱり疲れてたんじゃない」
「そりゃね」
 姉弟は微笑みあい、先程までの険悪なムードが一掃される。そして、ロイスダールはこのいがみあいに最後まで関わらなかった最後の一人に向かって声をかけた。
「ルファー。お前もそれでいいな?」
 鳶色の瞳が光った。端正な顔が、少しだけロイスダールの方を向く。そして無表情のまま、男は口を開いた。
「ああ」
 返ってきた答は、簡潔明瞭なものであった。それを聞いて「よし」と頷く。
「それじゃあ早速行こうか」
「あとどれくらい?」
「本当にすぐだよ。五分もかからない」
「なんだ、じゃあわざわざあたしが言うまでもなかったんじゃない」
「そういうこと」
「あんた、知ってて黙ってたわけ?」
「まあな」
 ロイスダールは、小馬鹿にするかのような笑いを浮かべた。
「こういうことは、あまり期待させない方がありがたいものさ」
「ろ、い、す、だ、あ、る?」
 ジャンヌはわざわざゆっくり、一音ずつ区切って相手の名前を呼んだ。
「なんだ?」
 勝ち誇ったような表情。それを見てジャンヌはがっくりとうなだれた。
「駄目ね、やっぱりあんたにはかなわないわ」
「年季の差さ」
「あら、それはあたしが若いってこと? それともあんたが」
「静かにしろ」
 せっかく反撃の機会、と思ったところでジャンヌは思わぬところから釘をさされた。
「なによ、ルファー。いきなり」
「もう一度言う。静かにしろ」
 ジャンヌは頭ごなしに命令されて血が上ったが、それ以上にルファーの迫力に圧されてしまい、素直に口を閉ざす。
「どうした?」
 小声で、ロイスダールが問う。ルファーはたっぷり五秒たってから「金属音」と答えた。
「金属?」
「…………」
 問い返しに何も答えず、ルファーは突然走りだした。
「おいっ、ルファーッ!」
「ど、どうしたっていうのよ、あいつ」
 ジャンヌまでもが呆然とした様子でルファーが駆けていく後ろ姿を見つめていた。が、いち早く我に返ったロイスダールが「追うぞ」と言うと、ジャンヌもニーダも頷く。
「なんだか分からないけど、もめごと、ってことかしら?」
「あいつの様子だと、そうかもしれないな」
「疲れてるんだけどなあ、あたし」
「駄々をこねるな」
 走りながらも軽口を叩きあう二人の後ろで、ニーダがくすりと笑った。
「でも、やっぱりローブを脱がなくて正解だったみたいだね」
 器用に走りながら後ろを睨み付けた姉に、ニーダは肩をすくめてみせた。





 黒装束が一人、泉に浮かんでいる。
 女性は返り血を浴びたのか、金色の髪にも、顔にもその上品なブラウスにも、べっとりと血がついていた。
 水かさは、女性の膝上まである。素早く動くには不向きであろう。そして残っている三人の黒装束は、女性の三方を囲みんで剣を構えている。
 どれだけ女性が剣を使えたとしても、あまりに不利な状況であった。目で牽制するも、少しずつその間合いを詰めてくる黒装束の男に襲いかかられるのは遠い先のことではない。
「何故……何故あなたたちは、このようなことを」
 だが、答えるはずもない。暗殺者に言葉は不要だ。
「それほどまでに」
 次の言葉を言い終える前に、三人は一斉に動いた。女性はそのうちの一人に向かって間合いを詰め、ダガーで剣を受け流し、なんとか包囲から逃れようとその脇を駆け抜けようとする。
 だが既に別の一人がその先に回り込み、別の一人がさらに斬りかかってきていた。
 女性は最後の瞬間に耐えられず、ぐっ、と目を閉じた。
「ぐあっ!」
 が、その黒装束が叫び声を上げた。女性はその声を聞いて後ろを振り返る。
「間に合ったか」
 鳶色の瞳が非常に印象的な、無表情の戦士がそこにいた。そしてすぐに辺りを見回すと、今剣を交えていた男が湖に倒れていた。
「あなたは」
 問いかけようとして、ここがまだ戦場であることに思い至った。女性はすぐに体勢を建て直し、自分に味方してくれたこの戦士に自らの背を預けた。
「二対二か。やれるな」
 その戦士があまりにも自信ありげに言うので、女性もまた「はい」と力強く頷く。逆に、黒装束の男たちは新手の出現に戸惑っているようであった。
「ルファー!」
 その時、声が泉に響いた。遅れてきた三人が到着したのである。黒装束たちは目線を交わすと、一目散に、それぞれ別々の方向へ逃げ去っていった。
「ちっ」
 ルファーが舌打ちする。だが深追いはしなかった。
「怪我は?」
 女性は自分に話しかけられていることにしばらく気づかなかった。
「怪我は?」
 もう一度尋ねられて、ようやく「あ、大丈夫です」と答えた。それから思いなおしたように、さらに続ける。
「危ないところを、どうもありがとうございました」
「あんたの運が良かったんだろう」
「私はマリーと言います。失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしかったでしょうか」
「ルファーだ」
 簡潔な答。マリーは少し残念そうな顔をする。そのころになってようやく三人が泉の傍までやってきていた。
「二人とも、とりあえずあがったらどうだ?」
 ロイスダールが声をかけた。
「そのままだと、風邪をひくぞ」
 言われて、ルファーが先に歩きだした。だが、マリーはついてこない。
「どうした?」
 ルファーが振り返り、尋ねる。マリーは「あ、いえ……」と躊躇していたようであったが、すぐにその後ろをついていった。
 泉から上がって、まずマリーはぺこりとお辞儀をした。
「危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」
「なに、あたしらは何もしてないよ。礼ならルファーに言いな」
「はい。ありがとうございました」
 改めて礼を言うと、ルファーは「ああ」とだけ答えた。
「それにしても、ちょっとどころかだいぶ汚れてるね」
「あ、はい。なんとか一人目を倒した時に返り血を浴びてしまいまして」
「洗った方がいいね。というわけで男衆! しばらく向こうに行ってる!」
 ジャンヌが仕切って命令する。
「はいはい。だが、着替えはどうする? 見たところ、何も荷物はないようだが」
「あたしのじゃ、ちょっと大きいか」
 ゆうに一七〇はあるジャンヌの服では、せいぜい一五〇しかないマリーの体にはとうてい合わないであろう。
「というわけで、ニーダ。服かしな」
「ええっ? でも、男物だよ?」
「それじゃ、彼女に素っ裸でいろってのかい?」
「わ、分かったよ」
 ニーダは顔を真っ赤に染めて、道具袋の中からいそいそと服を取り出す。
「俺たちは向こうの方で火を起こしておく。血糊を洗い流したら、濡れた服を持って来てくれ」
 ロイスダールはわざわざ指で示して説明した。
「あいよ。それじゃ、すぐに行くから」
 男衆を追いやり、ジャンヌは改めてその女性に向き直った。
「さて、と。ああ、自己紹介がまだだったね。あたしはジャンヌ。あなたは?」
「マリー、といいます」
「うん。それじゃ、早速水浴びといきましょうか」
「は、はい」
 マリーは頬をほんのりと染める。それに気づいていたのかいなかったのか、ジャンヌは全く構わずに次々と鎧や服を脱ぎ始める。ほとんど全部脱ぎ終わったところで、まだマリーが何も服を脱いでいないことに気づいた。
「どうしたの?」
「あ、いえ」
「ははあ、さては、恥ずかしがってるな?」
「あ、その」
「図星」
 かあっ、と顔が真っ赤になる。
「女同士なんだし、気にしない気にしない」
「でも」
「早くしないと、あたしが脱がしちゃうぞ」
 その一言が決定的だった。マリーはあからさまにうろたえる。
「じ、自分でできますから」
「そう。それじゃ早く」
 ジャンヌはにこにこ笑い、マリーが一枚ずつ服を抜いていくのをじろじろと眺めた。
「な、なにか、凄く視線を感じるんですけど」
「気にしない気にしない」
「もう」
 とうとう諦めたのか、マリーは手早く身につけていたものを脱ぎさると、改めて泉の中に足を踏み入れた。
「へえー」
「な、なんですか?」
「色白だねー。うん、綺麗綺麗」
「あ、ありがとう……ございます」
「それに、この胸のあたりの膨らみがなんとも」
 ジャンヌはマリーの後ろに回り込むと、抱きしめる恰好になって後ろから胸を触る。
「ちょ、ちょっとっ」
「女同士なんだから、気にしない気にしない」
「気にしますっ!」
「だいじょうぶだいじょうぶ。別に変な趣味っていうわけじゃないんだから」
「すごく疑わしいです」
「あはは、純情なんだね、マリーって──あ、呼び捨てでも構わなかった?」
 尋ねられて駄目だと答えられる人は、そう多くはなかったであろう。マリーもまたかなり目つきを鋭くして「かまいませんけど……」と不承不承頷いた感じであった。
「髪の方、もう随分乾いてきちゃったね。早く流さないとこびりついちゃうな」
「そう、ですか?」
 マリーは右手で返り血を浴びた辺りを触って見る。確かに少しずつ水分が失われて、べったりと粘りついていた。
「というわけで、えいっ」
「きゃああああっ?」
 突然ジャンヌに突き飛ばされ、マリーは受け身も取れずに泉に突っ伏した。
「きゅ、急になにするんですかっ」
「いや、こういうのはやっぱり勢いが大事でしょ、勢いが」
「必要ありませんっ!」
「あらあ、そんな駄々をこねてちゃ駄目よ」
 泉の底に尻をつけて睨み上げるマリーの横に座り、改めて髪に手を伸ばした。
「……ん、大丈夫ね。まだ完全に乾いてなかったから、なんとか落ちそう」
「もう、ペースがおかしいです」
「どうかした?」
「なんでもありませんっ」
 マリーはぷいっとそっぽを向いた。
「ここ、染みない?」
 ジャンヌが右腕に触れると、マリーの体は敏感に反応した。
「……少し……」
「ま、このくらいなら大丈夫だと思うけど、あとで弟に治癒魔法かけてもらおうか」
「治癒魔法?」
「うん、あたしの弟。さっきのちっこい奴ね、ニーダって言うんだけど、そういうの得意だからさ」
「得意って……魔法、ですよね?」
「そう。マリーが今思っている通りの魔法」
「…………」
 マリーは言葉をなくし、黙ってジャンヌが髪を透くに任せていた。
「あなたたちは」
「ん。これで完璧かな。元通り、綺麗な金色の髪だ」
 マリーが何かを尋ねようとしたが、ジャンヌがそれを遮る。
「あ、ありがとうございます」
「うーん、こうやってみるとやっぱり凄い綺麗」
「そうですか?」
「うん。どこかのお姫様でも通るよ、これなら」
「冗談でも嬉しいです」
 マリーはにっこりと笑った。
「あ、やっと笑ってくれた」
 ジャンヌも笑顔を返した。
「少しは落ちついてくれたのかな?」
 その言葉を聞くと、表情を強張らせた。
「まさかとは思いますが」
「なに?」
「私のために、明るく振る舞ってくださっていたのですか?」
「半分ね」
「半分?」
「もう半分は、地」
 それを聞いて、マリーは思わず吹き出していた。
「笑うことかなー」
「面白かったです」
「ま、怒られるよりはずっとましだけどね」
「本当に色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いいっていいって」
「でも、見ず知らずの私にこんなにしてくださって」
「気にしない気にしない。助けただけで、はいさよなら、だとあまりにもあたしら人非人だと思わない?」
 くすり、と笑う。
「確かにそうですね」
「そうそう。他人の好意には素直に甘えるべし!」
 二人は声をあげて笑った。





 エルフィア王国とクラヴィナ王国との間には、明確な国境が定められていない。というのは、この二国間には広大な森林地帯が広がっているからである。この二国を結ぶ公道はたった一本のみである。
 そのちょうど中間と思われる地点にはきちんと関所が設けられており、許可が得られなければ国境を超えることはできないのだが、この広大な森林地帯が多数の不法出入国者を生む土壌となっていた。
 とはいえ、何の予備知識もなしにこの密林にわけいることは無謀きわまりないことであった。時折日が差し込むことがあるとはいえ、内部はどこも薄暗く、方向感覚を見失いやすい。さらにこの森林を縦断するには最低でも五日の日程を必要とする。これは早く見ての概算であり、実際にはこの倍以上の日程になってもおかしくはない。
 この森に分け入った者の行方が知れないということはよくあるケースである。それだけ迷いやすいということでもあり、不法に出入国を企てる者にとっても命懸けということになる。
 両国の関係はきわめて良好であり、よほどの事情がないかぎりは手形が発行されるため、実際には不法出入国を企てる者は多くない。だが、公道から離れたところにいて、緊急に隣国へ行く用事があるという者にとっては、森を超える、ということは非常に魅力的に感じるであろう。
 最大で二十日の日程を、最短で五日にまで縮められるというのであれば、確かに魅力的に違いない。
 もっともそこまでして急がなければならない理由など、そう多くはないであろうが……。





「おまたせー」
 ジャンヌとマリーが戻ってくると、既に三人はキャンプの用意を終えていた。とはいっても、それほどしなければならないことが多いわけではないが。
「なに、今日はここで寝るの?」
「ああ。体を冷やして風邪になったら困る」
「あたしは大丈夫だよ」
「お前じゃない。そちらのお嬢さんだ」
 ぶう、とジャンヌはむくれた。マリーはそのやりとりを見て笑う。
「それじゃあ、改めて自己紹介をしよう。俺はこのパーティのリーダー、ロイスダール。よろしく」
 リーダーであるその人物は、四人の中でもっとも体が大きかった。ジャンヌよりも頭一つ大きい。一九〇は下らないだろう。茶色の髪と、同色の瞳。厚い胸板、たくましい腕、足。そして背中に下げた長剣。どこから見ても立派な戦士であった。
「よろしくお願いします」
 がっしりとした手と握手をかわす。頭二つ小さいマリーは、ロイスダールに近づくと真上を見上げるような感じになってしまう。だがその割に迫力という言葉には乏しく、優しげな、紳士的な雰囲気のする人物であった。
「もう言うまでもないかもしれないけど、あたしはジャンヌ」
 ハーフパンツとタンクトップという、きわめてラフな恰好になっていたジャンヌが次に自己紹介する。茶褐色の肌、白銀色の髪。非常に印象的な女性だ。それは最初に見た時からずっと思っていたことだ。
「一応、ロイスダールの妻」
「妻?」
 思いもかけない言葉に、マリーは目を丸くして驚いた。
「そう見えない?」
「すいません」
 謝るマリーを見て、ニーダがぶっと吹き出した。
「に、い、だ?」
 ものすごい形相で睨みつけたジャンヌから逃げるようにして(実際逃げていたのだが)ニーダはルファーの後ろに回り込んだ。
「僕はニーダ。ジャンヌの弟。よろしくね」
 座っているルファーの肩ごしに微笑みかける。この暑い中、全身を覆うローブを着ており、肌は顔にしか表れていない。だがその肌は姉とは異なって真っ白であった。髪も薄い緑色で、どう見ても姉弟には見えなかった。
「よろしくお願いします」
 聞いてもいいのだろうか、とも思ったがあまり深く追求するのもためらわれたので、結局何も聞かないことにした。
「ほら、ルファーの番だよ」
「俺はさっきした」
「そういう問題じゃないって。こういうのは儀式みたいなもんなんだから、ほら早く」
 ニーダに急かされ、仕方なさそうにルファーは口を開いた。
「ルファーだ」
 黒い髪、鳶色の瞳。座っていると分からないが、先程の印象では背はジャンヌよりも大きく、一八〇くらいか。髪は首のあたりで一度縛られていて、だらりと背中まで伸びている。ロイスダールと同じ戦士風の体つき。
(なんだろう)
 マリーは何だかそわそわしていた。四人が四人ともそれぞれ印象的なのだが、このルファーという人物がもっとも気にかかる。つきつめて言えば、得体が知れない、と表現できる。
(不思議な人)
「先程は助けていただいて本当にありがとうございました」
「もう聞いた」
 つっけんどんに答える。話すことが意味のないことのように思えるその返答に、マリーは一気に気持ちが冷めてしまった。
「それで、お嬢さんは?」
 全員の自己紹介が終わったところで、ロイスダールが尋ねてきた。
「あ、はい。私はマリーと言います」
 四人の目に映っていたマリーは、まさに『お姫様』であった。先程は頭から血を被っていたので分からなかったが、色白の肌、薄い金色の髪、透明な水色の瞳、端正な顔だち、美女と呼んで全く差し支えなかった。
 その女性が男物のズボンとトレーナーを着ているというのは、かなり違和感があった。ドレスを着たならば本物のお姫様で通るだろうに、もったいないことであった。
「それで、お嬢さんはどうしてこんな森の中に? いや、言えないことだっていうんだったら別に深くは聞かないけど」
 ロイスダールが慎重に言葉を選んでいるのだということを察し、マリーは「ありがとうございます」とまず謝意を述べた。
「理由は言えないのですが、エルフィア王国の首都アルガに行く用事があったのです、緊急に」
「アルガ?」
 反応したのはルファーであった。
「はい。公道を通っていたのでは時間がかかりますので、森を抜けられないかと思ったのですが」
「一人でか?」
 今度はロイスダールが尋ねた。
「いえ、最初はもっと人数がいたのですが、先程の黒装束に襲われて」
「なるほど。で、あいつらの正体に心当たりは」
「ありません」
「なるほどな」
 ロイスダールが納得したように言う。ジャンヌが「何が分かったの?」と尋ねると「何も」という答が返ってくる。
「ただ、マリーさんは俺たちに全てを話してくれるつもりはないということさ」
 そう言われるとマリーは「申し訳ありません」と言った。
「いいよ、気にしないでも。人間誰だって秘密の十や二十は持ってるんだからさ」
「ねぇちゃんには一つも秘密はなさそうだけど」
「ニーダ、茶々入れるんじゃないの」
 ぺろり、と舌を出す。随分と茶目っ気のある弟のようだ。
「だがだとすると、今後どうするかは少し問題だな」
「まあ、森を抜けた最初の村までは送ってあげるとして」
「みなさんは、傭兵なのですか?」
 ロイスダールとジャンヌの会話に、マリーが口を挟む。
「ああ、まあね。それなりに優秀だと自負してるけど」
「では、私を護衛していただけないでしょうか」
「護衛?」
「はい。またいつあの黒装束が襲ってくるか分かりませんから」
「うーん」
 ジャンヌは助けを求めるようにしてロイスダールを見た。
「それ自体は別に構わないが、俺たちは金にならない仕事はしない。それはこの世界の鉄則だ。マリーさんにはお金を払える能力があるのか?」
「それは大丈夫です。アルガにさえ着くことができればきちんとお支払いいたします」
「アルガに君の身元引受人がいる、ということかな?」
「そうとってもらってかまいません」
「では、商談成立だ」
 ロイスダールは簡単そうに答える。
「本当にいいの?」
「ジャンヌは反対なのか?」
「あ、あたしは別にいいけど」
「それなら、ニーダはどうだ?」
「僕は全然いいよ。可愛い子と旅ができるなんて、ラッキーだし」
 ぽっ、とマリーは顔を赤らめた。
「ルファーもいいだろう?」
「…………」
 少しの間の後、
「ああ」
 短い答があった。
「よし。それじゃあ話し合いも終わったところで」
「ご飯か?」
 ジャンヌは目を輝かせてロイスダールに近寄る。
「やれやれ。こういう時ばかり機嫌がいいな」
「そりゃあもう!」
「それじゃあ準備をすることにしようか」
「よしっ」
 ジャンヌははりきって携帯食料を取り出した。そんなところではりきっても仕方のないことだとは、見ている者全てがそう思っていた。










旅の仲間

もどる