三章  深夜、襲撃






 それからさらに丸一日歩いて、五人はようやく大森林を抜けた。
 既に時は夕刻。西日が赤く輝いている。東の空は夜の帳が下りはじめ、群青色から少しずつ黒色へと変化している。
「この分なら、今日中には街につけるかい?」
 ジャンヌが明るい声で言う。ロイスダールは「そうだな」と答える。
「でも、少し急がないと」
 ニーダは少し慌てているようであった。その理由はマリーにもよく分かった。
 夜になると、街は人の出入りを規制される。たとえ通行証を持っていたとしてもだ。それが街の治安を守るためであるから、仕方のないことだといえばそれまでだ。だが、旅人にとっては夜になる前に街にたどり着かなければ、せっかく到着した街の前で野宿することになってしまう。
「そうだな、急ごう」
 ロイスダールはこういうことについては多言しない。仲間たちの考えは全て頭の中に入っているかのように、その意見を取り入れる。わざわざ仲間たちが発言するのは、意識の統一を確認するかのごとき、である。
 何も言わなくても、それぞれの意思の疎通ができている。改めて、すごいメンバーだとマリーは感心した。





 森から一番近くにある街は、サウスライト、といった。
 ここはエルフィア王国の中でも辺境に位置するため、あまり大きな街ではない。一般的な街道筋からも外れているので、ここを訪れる旅人は少ない。
 一行は門が閉まる直前に、なんとかこの街にたどりついていた。それでも森を抜けてきたことを隠すために、わざわざ街を大きく迂回して北からこの街に入り込んだのだ。
 さすがに旅人が南門から入ってくることはありえない。地理的にも南には大森林しかないのだから。
 だが、それでも門を通過する際に少々問題が発生した。
 マリーが、通行証を持っていない、と言いだしたのだ。





「……そういうことは、早いうちに言ってくれた方がよかったんだけど」
 門を通過する直前に言われてしまい、さすがに一行も戸惑っていた。マリーは神妙な顔で「申し訳ありません」と繰り返し謝る。
「ま、そういうことなら仕方ないね」
「そうだな」
 ジャンヌとロイスダールは頷きあう。何が『仕方ない』なのかは、マリーには分からなかった。
「ニーダ。フード深くかぶりな」
「はい」
「それからマリー。何があっても冷静にね」
「はい。でも、どうなさるおつもりなんですか?」
「なに、大丈夫だから」
 ジャンヌが落ちつきはらった声で言うので、マリーはひとまず安心する。だが、通行証も持っていないのに門を越えようとしたので、さすがに平静ではいられなかった。
「大丈夫だ」
 低い、よく通る声が後ろからかけられた。
 振り返ると、ルファーがいつもの感情の表れない顔でこちらを見つめていた。
 不思議と、その顔を見ていると本当に大丈夫のような気がしてきた。覚悟を決め、一行についていく。
「ご苦労さま」
 ジャンヌが一枚の通行証を門番に提示した。さすがにこの時間となると、他に街に入ろうという者は皆無であった。
「随分遅いな」
 門番は一行を見て少し眉を潜めた。
「ちょっと出てくるのが遅くなってね」
「もう少し遅かったら門が閉まってたぞ」
「でも、間に合ったんだしさ」
「ま、それはそうだ」
 ジャンヌは門番と軽口をかわす。その門番も威圧的というわけではなく、単なる世間話のつもりのようであった。そしてその通行証を見て目を丸くする。
「クラヴィナからか。大変だったな」
「まあね。森を抜けられたらすぐだったんだけど」
「はは、そりゃあ無理だな。あの森を抜けるのは命懸けだ」
 その通りだ、とマリーは思う。正直、一人になってからあの森を抜けられるのは不可能だと思っていた。それが、何の運命かあの黒装束から身を守ってくれたこの四人と出会い、幸運にもこうして生きてエルフィアにたどりついた。
 感謝しているのは当然のことだが、疑問にも思う。何故この人たちはわざわざ森を抜けてきたのか。通行証を持っているというのに。いや、それよりももっと不思議なことがある。
 何故、あの森を抜けられたのか。
 足を踏み入れた者は二度と出てこられない。あの森はずっとそう言われ続けている。太陽の光が射さないために方向感覚を奪われてしまうし、あの森には方向感覚を狂わせる空気が満ちている。そういう『場』なのだとも言われている。
 それなのに、この人たちはあっさりと、迷いもせず森を抜けた。いや、正確にはずっと先頭に立っていたのはロイスダールだ。
 道を知っていた、などというのは詭弁だ。あの森に街道以外の道は存在しない。現に、誰も踏み入っていない場所を、草をかきわけて進んできたのだ。
 不思議だ、と一言でかたづけられる問題ではない。
 後で確かめてみよう、とマリーが思った、その時のことである。
「うん、ちょっと待て」
 別に誰も動いてはいない。門番がそう一人で言っただけのことだ。だが、一行はそれが何のことかはすぐに分かった。
 あの通行証は、ロイスダールたちのものだ。従って、マリーの名前は記載されていない。そのことに、門番が気づいたのだ。
 どうするのだろう、と表面上は冷静さを保ちながらも内心では冷や汗をかいていた。
「一人多いな」
「はあ?」
 ジャンヌがいかにもわざとらしい声を上げた。
「どういうこと?」
「どういうことも何も」
 一瞬、緊張しかけた門番であったが、ジャンヌの態度を見て再びもとの気安さが戻ってきた。
「四人分の名前しか記載されていない」
「まさか」
「本当だ。見てみろ」
 どうやら、ジャンヌはどうにかとぼけてこの場を切り抜けるつもりのようだ。はたしてうまくいくのだろうか、とマリーは緊張を濃くする。
「ちょっと、ロイ」
 ジャンヌはロイスダールを呼んで一緒に確認する。もともとそのつもりだったのか、こちらも不自然さはどこにも感じられなかった。
「ほう」
「ほう、じゃないでしょ」
 二人はその場で困ったように言葉を詰まらせた。だが、たしかにこういう予想外のアクシデントがあった場合、人というのはあまり言葉が出てこないものではある。
「ちょっと職務質問をさせてもらう」
 門番がやや厳かに言った。
「ロイスダール、というのは?」
 手を上げて答える。
「ジャンヌは、お前か」
「分かってるじゃない」
「ルファー」
「俺だ」
 低い声が響く。
「ニーダ」
「僕です」
 フードを深くかぶって、顔を見えないようにしていたニーダが答える。が、門番はそれに不信感を持ったようであった。
「フードを脱げ」
 ニーダは言われるままにフードを脱いだ。中から、白い肌の美少年が現れたので門番は少し驚いたようであった。
「ああ、こいつはあたしの弟」
「弟? 似ていないな」
「それは言いっこなし。肌が弱いから外に出るときはずっとこんな恰好してるんだ。疑われたんだったらあたしが謝るよ」
 それでずっとローブを着つづけていたのか、とマリーは思ったがすぐに打ち消した。だとすれば寝る時までローブを着る必要はないし、旅の間はずっとフードを外していたのだ。何か理由があってそうしているとしか思えない。
 つくづく、不思議な人たちであった。
「お前は?」
 門番がマリーの方を見て言う。
「……私の名前が書かれていないんですか?」
 少し驚いたふうに答えてみせる。
「見てごらん」
 ジャンヌは通行証をマリーに渡す。それを確認する。当然のことながらそこに自分の名前があるはずがない。
「……」
 マリーがそれを見て何も答えないので、門番の方がしびれを切らしたようであった。
「名前は?」
「マリー、といいます」
「職業は同じく、傭兵?」
「いや、それが違うんだ」
 ジャンヌが口を挟んだ。
「彼女の親戚がこっちにいるんだけど、容態が悪いみたいでさ。それで見舞いに来たってわけ。あたしたちはその護衛。最近物騒だからさ」
「入国許可は、五人一緒に?」
「そう。ここまで送り届けて、また実家に戻るまでだからね」
「じゃあ何故彼女の名前がぬけているんだ?」
「それはこっちが聞きたいよ。あたしたちはちゃんと規定に従って入国許可申請したんだから」
 そう言われるとさすがに門番も困ったようであった。
 どうやら、完全にジャンヌの術策にはまったようである。マリーは困った表情を浮かべながらも、内心安堵していた。
「ねえ、どうにかなんない?」
 ジャンヌは特別何かを示唆するのではなく、解決策を相手に委ねた。門番は困ったようであったが、仕方がないなという様子で「少し待っていてくれ」と言い残して門の中へ入っていった。
 五人は何も喋らなかった。
 自分たちに話しかけてきた門番以外にも見張りの兵士たちが門の前を固めている。うかつな言動は控えるべきなのだ。
 しばらくして、先程の門番が戻ってきた。
「どう?」
 艶っぽく、ジャンヌが尋ねる。
「ああ、何とかなった」
「頼りになるね」
 門番は褒められたのが嬉しかったのだろう、顔をほころばせた。
「新しく通行許可証を作成してもらったから、こちらを使うように」
「そんなことして、大丈夫なの?」
「問題ないさ。黙っていれば分からない」
 驚くべき台詞である。とても国に仕えている者の台詞ではない。
「助かるよ」
 ジャンヌはその門番の頬にキスした。ロイスダールが苦笑していたが、これはまあやむをえないと見逃したようだ。
 マリーも門を通る際、門番に「ありがとうございました」と謝辞を述べた。一行は無事、街に入ることができたのである。
 少ししてから、マリーは正直に言った。
「驚きました」
「何が?」
 ジャンヌは悪びれたところは少しもない。マリーは苦笑して「全部です」と答えた。
「あたしは別に嘘は言ってないよ?」
「それでも、言葉を濁したりしていましたし。それに、態度が」
「ああ」
 答えて、笑う。
「こっちが気軽に話しかければ、向こうは警戒を解く。それだけのこと」
「ニーダさんがフードをかぶったのは、私に対する警戒を逸らすため、ですか?」
「分かってるじゃない」
 それくらいのことはマリーにも分かった。おそらく先程の門番は、ニーダが不審人物でないかどうか確認をしてから、新しい通行証を作ってもらったに違いない。
「皆さんは、ジャンヌさんがそういうつもりだったということを知っていたんですね?」
 ロイスダールが苦笑して「まあ」と答える。
「さっきも言っていたけど、本当に最初に言ってくれていればよかったんだ。そうすればジャンヌが昨日のうちにでも通行証を偽造することができたから。でも、さすがにあの時点で通行証を偽造したなら、今日のうちにこの街に入ることはできなくなっていただろうからね」
 なるほど、とマリーが頷く。少し間を置いてから、今のロイスダールの言葉の意味に気がついた。
「偽造?」
「声が大きいよ、マリー」
 ジャンヌがにやにやしながら言う。
「そんなことをしたら」
「大丈夫。ばれないよ」
「ですが」
「だって、ばれてなかったでしょ?」
 凍りついた。
 そして、今までいくつか疑問に思っていたことの一つが解けたような気がした。
「で、ではあれも?」
 最初の通行証。あれもまた、偽造したものだ、というのだ。
「そういうこと。うまくできてたでしょ」
 たしかにちらっと見ただけだったが、まるで分からなかった。だが、それは相当な技術を必要とすることは理解していた。
 なにしろ、これは公にはなっていないが、通行証、入国許可証に使われるインクは特殊なもので、普通のインクとは違う成分が含まれている。その成分は一般には明かされていない。この人たちはその秘密をおさえているということになる。しかも、正規に発行された通行証には、真偽の判定法がいくつも存在するという。それらは当然のことながら国によって異なるのだが、その秘密をも知っているというのだ。
 ルファーは当然のことながら、ロイスダールもニーダもどこか秘密を持っている人間だと思っていたが、ジャンヌもまたとんでもない秘密の持ち主であった。
 この人たちは全員、本当に非常識だ。
 無論その言葉に善悪をこめているわけではないが、つくづく自分の常識が通用しない人たちだと思った。
「一つだけ、うかがってもよろしいですか?」
 ジャンヌが目だけで「なに?」と尋ねてくる。
「あなたたちは、何者なんですか?」
 ジャンヌもロイスダールも、豪快に笑った。ニーダもまたおかしそうに笑い、ルファーはため息をついていた。
 だが、マリーは自分一人だけが、間違ったことは尋ねていないはずだという確固たる信念を持っていた。





 簡単な食事を終えて、一行は宿屋に入った。さすがに辺境だけあって、自分たちの他には客はいなかった。
 これで商売になるのだろうかと思わないでもないが、宿屋は副業で、本業は農家なのだという。それで納得がいった。
マリーはジャンヌと一緒に二人部屋、そして男三人でもう一つ部屋を借りた。当然の配慮ではあったのだろうが、マリーは多少疑問に思うことがあった。
「せっかくの宿なんですし、ロイスダールさんと一緒の部屋がよかったのではありませんか?」
 女同士ということもあるだろうが、おそらくはジャンヌの開放的な性格の影響を受けたという方が大きいだろう。ジャンヌはマリーがこういう質問をぶつけてくるとは思っていなかった。が、どう切り返すかが閃いて意地の悪い笑みを浮かべる。
「マリーがいなければそうしていたけどね。そうだ、マリー」
 ジャンヌはぺったりとマリーに抱きついてその耳元に囁いた。
「ロイスダールがあたしにいつもどんなことをしてくれてるか、知りたくない?」
 マリーはからかわれているのは分かったが、それでも顔を真っ赤にしてジャンヌから逃げた。まさかとは思うが、そのまさかかもしれないという不安が襲ってきたのだ。
「ぷっ、はは、冗談冗談」
「ジャンヌさんのは冗談に聞こえません」
 言葉を交わして、二人は吹き出した。



 一方で、男部屋の方はひどく静かなものであった。ロイスダールが一昨日から描き続けている泉の絵にとりかかっていた。ルファーが話すはずは無論なかったので、ニーダは一人寂しく先に眠りについていたのである。
「ルファー、寝ないのか?」
 ロイスダールが一息ついたところで、椅子に腰掛けているルファーに声をかけた。
「ああ」
「ま、明日に疲れを持ち越さないでくれればかまわないがな」
 言いながら、ロイスダールは道具を片付け始めた。どうやら、今日のところは終わりのようだ。
「少し気にかかっていたんだが、何者だと思う?」
 ルファーは質問の意味をはかりかねたのか、何も答えない。
「ああ、すまない。マリーさんのことだ」
 ロイスダールが言うと、無口な男はゆっくりと口を開く。
「彼女は依頼人で、俺たちは彼女を護衛する者だ」
「確かにそうだ。そして俺たちはプロだ。雇われている以上は最高の働きをする」
「それで何か問題が?」
「彼女がもしも、犯罪者だったら?」
 ルファーは顔をしかめた。
「少なくとも入国許可証がないのにエルフィアに入ろうとした。重罪といえるだろう。これが判明したら、即刻本国送還か、へたをすれば刑の執行を受けるぞ」
 ルファーは何も答えない。
「俺たちは犯罪者の片棒を担がされているかもしれない。そんなのはごめんだ」
「お前の目には、彼女が犯罪者に見えるのか?」
 意外な反応だった。ロイスダールは苦笑する。
「見えないな」
「俺にも見えない。では違うのだろう」
「随分と自信があるんだな」
「彼女の正体は、だいたい予測できている」
 ロイスダールは目をみはった。
「なんだって?」
「言葉どおりだ」
「そうではなくて、彼女の正体が分かっている、だと?」
「予測ができている、と言った」
「やれやれ」
 左手で頭を押さえて脱力する。
「それで、お前の予測は教えてもらえるのか?」
「聞きたいのなら言ってもかまわないが」
 ルファーは言葉を途中で切り、腰を浮かせた。
「どうした?」
「……ニーダを叩き起こせ」
「敵か?」
「おそらく」
 ルファーはそう言い残し、剣を手にして廊下へと飛び出した。
「相変わらず行動の早い。おい、ニーダ、起きろ!」
「……うん……?」
 ニーダは寝惚けまなこで見返してくる。
「ど……したの?」
「敵襲だ」
「ふーん……てきしゅ……敵?」
 がばっと飛び起きる。このあたりは姉にそっくりだな、とロイスダールは一刻を争うにも関わらず思っていた。
「すぐ動けるか?」
「うん、大丈夫」
 ニーダはフードを深く被った。それを見て、ロイスダールは剣を手に廊下へ飛び出す。
 甲高い音が、廊下の奥から聞こえてきた。
「もう来たか、早いな」
「どうする?」
「ニーダはマリーさんの部屋へ。俺はルファーの助太刀にいく」
「分かった」
 ぱたぱた、と音を立ててニーダが走り去る音を聞きながら、ロイスダールも反対方向に走りだした。
 深夜の、建物に襲撃をかける。
 その意味するところは、マリーの敵とはそれだけなりふりかまわない相手だということである。
 だとすれば、おそらくは廊下から多数と、窓から少数の挟み打ちにするつもりだろう。
 ジャンヌとニーダがいれば、マリー一人くらい守りぬけるだろう。だが、いくらルファーが腕の立つ剣士とはいえ、多数を相手にいつまでも持ちこたえられるはずもない。
 すぐに、戦場は見えてきた。
「助太刀するぜ、ルファー」
「遅い」
 先に飛び出していた無口な相棒は、口の悪い相棒に変質していた。だが反応があることがロイスダールには嬉しかった。
 相手は例の黒装束であった。それも以前よりも倍以上の数であった。既に二人、床に打ち倒されている。
 ロイスダールが加わったが、戦いは劣勢であった。上手に間合いをはかり、投げナイフを使って援護攻撃を行ってくる。うかつに仕掛けることも、引くこともできない。
(どうする?)
 暗い廊下。それでも目線でなんとか意思の疎通をはかる。だがルファーはここで敵を迎撃することしか考えていないようであった。そちらがその気なら、とロイスダールも付き合うことにした。
 それからお互いに一人ずつ打ち倒したものの、さらに劣勢に追い込まれてきたので一度二人は引き下がった。黒装束はここぞとばかりに一気に間合いをつめる。
 再び甲高い音がした。ルファーと黒装束の一人が剣を交えたのだ。
 そしてロイスダールにも一人襲いかかってきた。やむをえず応戦する。
 その時、聞き慣れない声がロイスダールの耳に届いた。
「あなたは……」
 誰の声か、すぐには判別できなかった。剣を交えながらも後方に注意を払う。だが誰もいない。
 では、いったい。周りを素早く見回すと、ルファーと黒装束の様子がどこかおかしかった。
 黒装束は、一歩後ずさりし、もう一歩下がる。暗闇でよく見えないのだが、どこか震えているようにも見受けられた。
 口笛が鳴った。
 同時に黒装束たちが一斉に引き上げていった。自分と剣を交えていたものも、目に止まらぬ速さで引き上げていく。
「……どういうことだ?」
 ロイスダールには、理解ができなかった。黒装束たちが引き上げた理由は当然分からなかった。だが、それ以上にルファーの様子がおかしい。いつもならば引き上げる敵に追撃をかけているところ、今日は敵が引き上げるのを見送っている。
「詮索は後でもいいだろう。依頼人が気になる」
 ロイスダールはやや不審に思いながらも頷いた。
 自分たちは傭兵のプロなのだ。やらなければならないことを、優先しなければならない。
 二人はマリーのいる部屋へ向かって走りだした。



 ロイスダールの予想通り、ジャンヌたちの部屋にも侵入者が現れていた。
 二人が浅い眠りについたのを見計らったのか、二階の窓を破ってきた侵入者にいち早く体が反応したのは当然ジャンヌの方だ。
 直前まで寝ていたにも関わらず、その動作は機敏を極めた。枕元に置いていた剣を鷲掴みにして鞘を抜くと、侵入者がマリーに襲いかかるのを防いだ。
「あんたたち、乙女の部屋に無断で入ろうなんて、いい度胸してんじゃない!」
 声を振り絞ったのは、まだ頭の中にかかっている靄を消すためである。無理やり覚醒させようとしているのだ。だが、弛緩していた筋肉や、休んでいた脳がすぐに働くはずもない。ジャンヌの動きはいつもの半分もなかった。黒装束に押され、後退する。だがそれでも相手の攻撃をなんとか防ぎ続けた。
「そこまでだ、剣を捨てろ」
 声が、違う方向から聞こえてきた。視線をそちらに向けると、別の黒装束がマリーの首筋にナイフをあてていた。
(もう一人……!)
 ジャンヌのミスであった。普通、建物にいる人物を狙うとなれば、窓と廊下からの挟撃がベストだ。だが、窓から侵入するというのは一人であることが多い。侵入の難しさがその原因なのだが、二階くらいなら複数の侵入者が来ることも少なくはない。
 敵が一人だと読み違え、もう一人侵入してきたことに気がつかなかった。いわば、二重のミスである。ジャンヌはようやく働きだした頭に唾を吐きかけてやりたくなった。
「すいません……」
 マリーのすぐ傍には抜き身の剣が転がっている。おそらくは迎撃しようとして、間に合わなかったのだろう。ジャンヌは謝るマリーに、首を振った。そんなことは言わなくてもいい、と。
「あたしが剣を捨てたら、その人は助けてくれるの?」
 おそらくは、いや間違いなくそんなはずがない。黒装束の狙いはマリーの命だ。そのマリーを人質にとったというのは、自分に対する抵抗を諦めさせて、容易に自分の命を奪う算段なのだろう。
 それが分かっているとはいえ、傭兵はこういう場合に依頼人を見捨てることはできない。それが自分の命を無駄に捨てることだとは分かっていても、それが傭兵の信義に関わるのであるし、何より今回は自分のミスが招いた惨事である。
(……仕方ないか)
 少しでも時間を稼ぐことができれば、ロイスダールたちが救援に来てくれるかもしれない。だが、救援に来たところで自分と同じ立場に置かされるだけのことだ。それならば、自分だけが犠牲になればいい。
(自己犠牲の精神。反吐が出るけどね)
 傭兵とはもっとしたたかな生き物であるはずだ。だが、今回ばかりは自分にも非があるのだ。
 ジャンヌが諦めてゆっくりと剣を下ろした、その時である。
「そこまで」
 扉が開いた。
「ニーダ」
 扉の向こうには、フードを深くかぶったニーダの姿があった。そして、右腕を真っ直ぐにのばして、人指し指でマリーを捕らえている黒装束を指す。
「二人とも、動かないで。動いたら、殺す」
 迫力があるわけではない。
 だが、その声には逆らうことができない何かを感じた。少なくともマリーにはそう感じられた。

『指一本で人をころしたりすることができるって言われたりしたら、怖くない?』

 昨日のニーダとの会話が、唐突に頭の中に思い浮かんだ。
 まさか。
 まさか、魔法を?
「やめるんだ、ニーダ。あんたが『それ』を使う必要はない」
「ねぇちゃん。僕たちは傭兵で、依頼人の命を助けるためなら自分の命を懸ける。そうだったよね」
 幾分、声が震えていたようだ。いったいこれから、何が起きるというのだろう。
「はったりはやめろ」
 マリーの後ろにいた黒装束が、低いくぐもった声を上げる。
「早く、武器を捨てるんだ」
「こっちの台詞だよ」
 ニーダが強気で言い返す。どうやら従う意思はないとみなしたのか、黒装束が手に持つナイフに力をこめた。
 瞬間、ニーダの人指し指の先が光った。同時に、黒装束が「ぐうっ」と呻いてナイフを取り落とした。
「マリー、逃げてっ!」
 ジャンヌは叫びながら目の前にいた黒装束を斬りかかる。だが黒装束は状況が不利になったと思ったのか、すぐに窓から飛び出していった。マリーを束縛していた方の黒装束も、右手を押さえたままそれを追いかけて飛び出す。
「くっ」
 ジャンヌは窓に駆け寄るが、既にその姿はどこにも見当たらなかった。闇夜にまぎれた黒装束を追いかけるような無謀な真似はせず、すぐにニーダに駆け寄った。
「ニーダ、ニーダ」
 何故かニーダはうずくまっていた。マリーは付き添うジャンヌの後ろから、その様子をじっと見つめた。
 嘔吐していた。
 酸性の匂いが鼻をつき、マリーの背筋が震える。
「……ごめ……ねぇ……」
「喋んなくていいから」
 うっ、とまたニーダは吐き出す。マリーはその光景から目を逸らすことができなかった。
 少しして、扉の向こうからロイスダールとルファーが現れた。割れた窓硝子、嘔吐するニーダを見て、二人はだいたいの状況を察したようであった。
「ルファー。マリーさんを」
 ロイスダールに言われ、ルファーはマリーを手を引いて廊下に出た。
 廊下に出ると、ルファーは扉を閉めた。そして、震えるマリーの肩に手を置いた。びくっ、とその体が跳ねる。
「泣かなくてもいい」
 低い声が、優しくマリーの体を包んだ。
「ですが……っ!」
 マリーは明らかに動揺していた。
 理由も分からない。ただ、心が揺れて、いたたまれなかった。
「私のせいで……っ!」
『魔法を使ったときはもっと症状がひどい』
 昨日、そう教わったばかりではないか。それなのに自分が捕らえられたせいで、ニーダに魔法を使わせてしまった。
「お前は優しいな」
 突然、思いもかけない言葉を言われ、きょとんと涙目でルファーを見つめる。
「目の前で魔法を見せられて、それであいつのことを心配してくれたのは俺の知る限りではお前が初めてだ」
「それは、私のせいで」
「それでもだ。ニーダが命懸けで魔法を使い、あげく自発呼吸がかなわないあいつに向かって『化け物』と叫んだ依頼人もいたくらいだ」
「そん……な……」
 扉の向こうから、苦しげなうめき声が聞こえてくる。
「そんなの、そんなのはありません」
「ああ。だがそれは現実に起こったことだ。それに比べたら、お前は立派だ。そして、ニーダを嫌わないでくれて感謝する」
 感謝されるようなことではない。自分が捕まらなければ、ニーダは今苦しむ必要はなかったはずだ。
 自分のせいで。
「あまり、自分を追い込まなくてもいい」
「ですが」
「俺たちは依頼人を守ることが仕事だ。ニーダはそれを実行した。お前はそれが当然だと思っていればいい」
「そ、そんなことはできません」
「では、あいつが回復したら感謝の言葉でも言えばいい。それで充分だ」
 それだけではとても自分の気がすまなかった。
 ニーダは、魔法を使えば自分がどうなるかということは分かっていたはずだ。それなのにその力を使わせてしまった。それこそ、死すら覚悟して。
 そこまでする必要はなかったのに。
 自分など守らずに逃げてくれてもよかったのに。
 と、その時扉が開いて、中からロイスダールが出てきた。すぐに扉を閉め、中の様子をマリーに見せないようにした。
「ニーダさんは」
 顔を蒼白にして、涙を浮かべて尋ねる。その様子が意外だったのか、ロイスダールは目を瞬かせた。
「ああ、大丈夫だ。命に別状はない」
「よかった……」
「意識して力をセーブしたみたいだ。おかげで回復も早かった」
「会わせていただけますか?」
 が、ロイスダールはこれには渋面な顔をした。
「もう少し、落ちつくまで待った方がいいだろうね」
 何か含みのある言い方であった。だが、命を助けてもらって、それ以上の贅沢を言うことはマリーにはできなかった。
「あなたは、優しいな」
 思わず目を丸くした。そして、ぷっと吹き出す。
「何か?」
「いえ、すみません。だって、ルファーさんと同じことを言ってくださったので」
「ほう、ルファーが」
 ロイスダールは相棒をまじまじと見つめる。別段、いつもと変わったところはないように見受けられた。
「何の気まぐれだ?」
「依頼人を落ちつかせるのも仕事のうちだろう」
 こういうことを依頼人の前で堂々と言うからたまらない。先程の言葉は自分を気づかってくれたからではなく、あくまで仕事だということなのか。
 少しだけ、残念に思った。
「脱いでいるのか?」
 と、意味不明な言葉をルファーが言った。ロイスダールはそれに答えて頷く。
「ああ」
「そうか。いつ回復する?」
「経験則からして、二時間くらいといったところか」
「早いな」
「使った魔法は『指弾』だ。それも威力を最小限に抑えていた。やはり、使った魔法の大きさと具合の悪さは比例しているな」
「指弾?」
 聞き慣れない言葉であった。マリーが二人に尋ねると、ロイスダールが困ったように首筋をかく。
「ニーダの指先が光っただろう?」
「はい。光ったと思ったら、束縛が緩みました」
「あの光が武器なんだ」
 マリーは首を傾げる。
「つまり、あれが魔法の正体ということだ。ニーダはあの光を敵にぶつけたんだ」
「ひかり……ですか」
「光と言ってもただの光じゃない。質量を伴った恐ろしい武器だ。例えば、ここ」
 ロイスダールはマリーの額に人指し指をあてた。
「ここを貫けば、人一人簡単に殺せる」
「つらぬ……く?」
「今回はマリーさんを捕らえていた男の手を貫いたようだ。マリーさんに怪我をさせてはいけないから、かなり威力を弱めていたようだな」
 難しい話であるが、ニーダの魔法がとてつもなく強力なものだということは理解できた。たしかにそのような魔法を目の前で見せられたなら、感謝よりも先に恐怖を感じる者がいてもおかしくはないかもしれない。
「では大きな魔法さえ使わなければ、命には別状ないということか」
「そうなるな。だがいずれにせよ何らかの症状は発生する。魔法は使わないにこしたことはない」
「そうだな」
 ロイスダールとルファーが互いに納得したところで、この話は打ち切られた。
「マリーさんと俺たちの部屋に連れていってくれ」
「お前はどうする?」
「すぐに行く。ただ、この惨状について説明しないことにはどうしようもないだろう」
「分かった」
「それに、いろいろと話したいこともあるしな」
 視線を一度マリーに移し、それからもう一度ルファーに戻す。
「……全員で、か?」
「そうだな、それがいい。しばらくすればニーダも回復するだろうし、それからでも遅くはない。今日はもう襲撃はないだろう」
「そうだろうな」
 ルファーの返答を得て、ロイスダールは廊下を歩いていった。続けてルファーも「行くぞ」とだけ告げて、すたすたと歩きだす。
 マリーはおとなしくついていった。
 ロイスダールたちが自分に不審を抱いているのは理解している。だが、四人ともあえて自分には何も聞いてこない。自分の素性も、目的も。
 それは感謝している。だが、ここまで迷惑をかけては素直に話した方がいいのかもしれない。
 難しい選択であった。










事実の先には……

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