五章 暗闇の中で






 首都アルガは王国エルフィアにとって、単なる首都というわけではない。このような表現をするとこの都市にだけ存在する特別な制度などが組み込まれているように思われるが、事実は全くそうではない。それどころか、他の国に比べて著しく機能が劣っていると言うこともできるだろう。
 分かりやすく言えば、この都市は政治の中心地であって、経済の中心地ではなかった。
 エルフィア王国は、二つの『大街道』と無数の国道とによって、交通網がしっかりと整備されている、大陸でも希有な国である。
 北の大山脈と南の大森林を結んでいるダルポート街道、そして西の海と東の湖を結んでいるベルダ街道は、それぞれ国を東西、南北に分断する。
 北の大山脈、南の大森林は自然そのものが国境となっているため、唯一出入国が可能であるこの『大街道』には関所が設けられていることは前にも述べた通りであり、同様にこの要路を使用する主体には外国人の方が多いこともしかりである。
 比べて、西の海、東の湖を結ぶ『大街道』は貿易品の通過ルートであり、すなわち国内の商人を主な使用者としている。人よりも物が多く運ばれるため、人が絶えないダルポート街道に対して、こちらでは荷馬車が絶えない。
 道路そのものの様相もかなり異なってくる。荷馬車の多い東西のベルダ街道は、道幅があらかじめ極端に広く作られており、四台くらいが横になってもまだ充分なゆとりがあるほどである。対して南北のダルポート街道は、人が歩くことを前提にして作られているため、逆に道幅を狭くしている。頻繁に休憩所が見られるのも特徴の一つであろう。
 この二つの街道が交わる都市ルーダは、もともとこの国の首都であった。政治と経済とを一手に収め、この都市から全国に指令を発していたのである。だが、それは当然のことながら極端な人口の集中を生み、地方と中央とでの格差が極端に生じることになった。
 時の国王サンドリア二世がこの人口の集中現象に歯止めをかけるため、首都を東方へ移すことにした。言葉で位置を説明することは難しいが、そもそも南北のダルポート街道は国の中心よりも若干西よりであったこともあり、西の海からダルポート街道まで、ダルポート街道から新首都まで、新首都から東の湖までがだいたい三等分できるくらいの位置に遷都したのである。
 これによって、政治の中心を新首都アルガ、経済の中心をルーダに据えることができ、人口の極端な増加を抑えることに不完全ながらも成功したのである。完全たりえなかったのは、結局のところ都市への人口集中という現象は必然的な流れであり、地方へ分散させることは不可能であったということであろう。
 だがこれにより、国はまた新たなる発展をみた。特に文化面での発展、変化は著しいものがあった。
 国王の直接の統制を離れた経済都市ルーダにはますます外国の文化が取り入れられるようになり、閉鎖的であったエルフィア独特の文化と融合して新しい文化が次々と生み出されるようになっていた。またアルガではそうした外国文化の流入はルーダほどではなかったので、国風文化がそのまま残っていた。そのように古い文化と新しい文化が東西で同時期に存在しているという、極めて稀な現象といえたかもしれない。
 アルガには取り残されたというような感はなく、むしろ古来から伝わる文化を次代へ残そうという意欲に燃えていた。新首都が繁栄するにつれ、その傾向はより強まっていったようである。
「やっぱり、アルガは何回来てもいいもんだねえ」
 ジャンヌが周りを見回しながら感慨深げに言う。隣にいるニーダも楽しそうに街並みを眺めていた。
 もともとアルガは街道上の小都市にすぎなかった。新首都として選ばれて計画的な都市設計がなされ、都市自体が一つの創作物ともいえる様相を呈している。
 都市を東西に横断するベルダ街道。その北側を上方、南側を下方とし、貴族と平民がそれぞれ別れて住んでいる。上方は赤と緑を基調とし、下方は青と黄を基調としてバランスよく邸宅が配置されている。
 都市の中心から北にのびるグリフィス通りの先に豪奢な王宮が存在する。王宮は巨大な防壁によって囲まれており、通りの先にあるペルシュ門からでなければ出入り不能となっている。ただし東西の防壁には商人・下人用の通用口が設けられており、王宮へ入る人間を少しでも分散させようという意識が見られる。
 ベルダ街道は都市内においては市街とも呼ばれ、貿易品目の取扱点や食料品店などが絶えない。だがグリフィス通りと交わる箇所は、当然のことながらもっとも交通量が激しく、この近辺に店を出すことは禁止されている。この南側に広大なサンドリア広場が設けられていて、貿易品を運ぶ荷馬車を停めておくことができるようになっている。広場の中心には遷都王の名で親しまれるサンドリア二世の像が建てられている。
「アルガは初めてだが、たしかにこれはなかなかのものだな」
 ロイスダールも、この街並みに心を奪われたようであった。
「ロイ義兄さんは、アルガは初めてだったの?」
「ああ。ずっと東方にいたし……今にして思えば、ルファーの奴がこの国に来ることを躊躇っていたようなところがあったしな」
 そのルファーも今はもういない。一つ前の都市でしばしの別れを行った。といっても長の別れというわけでもない。数日のことにすぎないとは分かっていたが、彼がいなくなることはこの一行に大きな寂寥感を与えることとなった。
「どう、来てみてよかった?」
「そうだな。たしかに噂通り、綺麗な街並みだ。月並みな表現だが」
「……そうでしょうか」
 ぼそり、と呟いたシスティーナの声は、三人の耳に止まった。
「システィーナは、こういう街は嫌い?」
 ジャンヌが信じられないような視線を送る。
「そういうわけではないのですが」
「じゃあ、どういうこと?」
 少し間を置いてから答える。
「私がこの都市に来るのはこれが三度目になります。初めて来た時から、私は大きな違和感をこの街に抱いていました」
「違和感?」
「はい。貴族と平民との居住区画が完全に分離されていることです」
 三人はシスティーナが何を言いたいのか理解できなかったようだ。表情を変えずに、次の言葉を待っている。
「私共の国では、こんなに明確に貴族と平民との間で線引きを行うようなことをいたしません。そんなことをしてしまえば、平民と貴族との距離が広がるばかりです」
「でもさ、現実に貴族と平民っていうのは違うものなんでしょ?」
「そんなことはありません。仮にそうだとしても、大多数の人は大きな勘違いをしています」
「勘違い?」
「そうです。そもそも王族とは、貴族とは何をなす者なのか。平民が収穫した食糧を集めて、公平に再配分することがその職務なのです。それを考えれば、どちらが主で、どちらが従かは自ずと明らかではありませんか」
「平民の方が……その、偉い、ってこと?」
「そうです。彼らが貴族だと主張し、権力を誇示することができるのは、富と武力を備えているからです。ですが、富の源である平民が貴族に富を収めなかったとしたらどうなりましょうか。貴族はその依って立つところを失うのです」
「……はあ……」
 ジャンヌには理解ができないようであった。ニーダも不思議そうな表情である。
「……私の考え方は、やはりどこかおかしいのでしょうか」
 唯一ロイスダールだけが「そんなことはない」と言った。
「あなたの考え方は立派なものだ。だが、それを世間一般に通用させるとなると、気の遠くなるような歳月をかけて意識改革をさせる必要があるだろう」
「はい」
「正直、嬉しい。王族の中にそのような考え方をしてくれる人がいるとは」
 システィーナは、かあっと顔を赤らめた。
「……父上の教えなのです」
「そうか。ではやはり、ラルディス王は噂通りの名君であらせられるのだな」
 ますます、顔が赤らんでしまった。
「だが、たしかにそう言われてみると、この都市はいささか作りすぎ、という気がしないでもないな」
「作りすぎ……ですか」
「ああ。たしかにこの街並みは完成された美しさを保っている。が、保っているがゆえに矛盾を感じる」
「それは、なんとなく分かります」
「言葉にすることは難しい。あえていうなら、現実的ではない、というのだろうか。どんなに計画的にしたところで、どこかに歪みが生じてもいいはずだ。それをここまで、まるで模型の通りに出来上がったこの街を見ていると、なんだか不安すら覚える」
「そんなもんかなあ」
 ジャンヌはあくまでも納得できないようであった。
「まあ、それよりも早速王宮へ行くとしよう。王宮の客間からなら、この美しい街並みを見下ろすこともできるのではないか?」
 ジャンヌはそれを聞いて、ぱっと笑顔が戻った。
「うん。よし、行こう。それはすごい楽しみだ」
 たちまち機嫌が戻ったジャンヌの後ろで、ロイスダールが肩を竦めた。ニーダはやれやれといった様子で、システィーナは穏やかな微笑を浮かべた。





 あの襲撃の日から五日が過ぎていた。
 ある時は徒歩で、またある時は乗合馬車で、一行は首都アルガまでたどりついていた。
 その間、黒装束の襲撃は一度もなかった。この分では何回あることかと思っていたこともあり、逆に何もなかったことが不気味ですらあった。
 前日。ロイスダールは友人に、もしかしたらお前の正体が原因で攻めてこないのかもな、と冗談まじりに問いかけてみた。
『即断はできない。だが、可能性はある』
 友人は、仏頂面でそう答えた。
 いったい、その友人の正体が何だというのかという疑問と共に、それが原因であるにせよないにせよ、どういう理由で襲撃をかけないのかは一行の疑問であった。
 友人がこの都市に来たなら、その理由の一端は判明したのであろうか。
 だがその友人は、今日の朝から別行動をとっている。どうしてもアルガへだけは行きたくないと主張し、そのまま近隣の街に残ったのだ。
 正体の分からない嫌悪感に、友人は耐えられるのだろうか。自分ならば、何故それほどまでにこの都市を嫌うのか、その正体を突き止めたいと考えるのではないだろうか。
 それとも、記憶を失うということは、それほどに過去の自分というものを恐れるものなのか。
 その友人は、黒装束の正体がこの国の人間、諜報部隊か暗殺部隊であろうと言っていた。その彼の言うことを信じるのであれば、ここはまさに敵地。その本丸だということになる。
 はたして、無事に出てくることができるのか。
 こういう時に、頼もしい友人がこの場にいないことが、特に心細く感じられた。





「うわー、うわー、本当にすごい、いい眺め」
 ジャンヌは城の客間から窓の外を眺めていた。たしかに、それは素晴らしくよい眺めで、計画都市の名に恥じないものであった。
「姉ちゃん、ちょっと……みっともないからさ、やめてよ……」
 窓の側でおろおろしているのは当然のことながらニーダだ。その彼にしても、たしかに外の景色には目を奪われていたので、説得力というものに欠けた発現であった。
 部屋の中には六人。彼ら四人の他に、二人の小者が扉の傍に控えている。接待という名の監視であろう。
 ロイスダールとシスティーナは部屋の中央で、テーブルを挟んで向き合うようにしてソファに座っていた。王女はその立場からジャンヌのように騒ぐことができなかったし、ロイスダールにしても景色などは一度見れば充分と、しばしの間を休息にあてていた。
「それにしても、やはりあなたは王女殿下なのですね」
 王女は疑問の表情を浮かべた。
「先程の、門番とのやり取りです」
「ええ。あれも教育のたまものです。王家の血を引いている以上、威厳というものをいつでも見せつけられるようにしなければならない、と」
 先程、王宮に入ろうとした時のこと。自分の姓名を名乗ると、門番はまず驚いてから急いで取り次いだのだが、その後で一行のことを訝しく思い、職務質問を行ったのである。そこで、王女が一喝したのだ。
『この方たちは、私の命の恩人です。失礼のないように!』
 正直、普段これだけおどおどとしている印象を拭えない少女が、あれほどに気迫を見せつけることができたのか、今にしてもなお信じられないところである。
「必要に応じて、というわけですか」
「……軽蔑、なさいましたか?」
「まさか。何故そのようなことを思われるのですか?」
「いえ……今までずっと旅をしてきて、隠していたことが」
「王女には、王女の目的と理由があった。仕方のないことです。こちらがそれを責めることなど、できはしません」
「そう言ってくださいますと、助かります」
「正直に申しまして、王女は非常に好感の持てる方です。我々はいつなりとも王女のお味方をさせていただきますよ」
 王女は一礼を返すにとどめた。ロイスダールも微笑で返す。
(それにしても、妙だ)
 そういう成り行きがあって、四人は一室にいわば軟禁される形となったのだが、それにしてもこの待遇はあまりにも良すぎた。
 だいたい、王女と平民を同部屋にするところからして、待遇の仕方が間違っている。自分たちを厚遇するのはともかく、普通に考えるならばこれは、王女に対して失礼極まりないのではないだろうか。
 少なくとも王女は『失礼のないような取り計らい』を重ねて求めたそうだが、同部屋にするようにとは言わなかったはずだ。
 ということは、向こうはもしかしたらこちらのことを疑ってかかっているのかもしれない。本当に、彼女がシスティーナ王女であるのかどうか。
 だがそれにしても、本物の王女に対してあまりにも礼を欠くとみられる応対ではないだろうか。普通の貴族ならば、平民と一緒にいることすら嫌うというのに。
 本来なら、自分かジャンヌかが向こうに探りをいれるために城の中を動き回ってみるところなのだが、生憎と小者は部屋の中に入ってきてこちらを監視している。密談すらすることができない。
本当に黒装束がこの国の暗殺部隊なのだとすれば、自分たちごと王女を暗殺するという可能性もある。
 それはやりすぎだとしても、こちらに可能な限り情報を与えまいとしていることは理解できる。勝手に城の中を歩き回られては困る。もっと端的に言えば、パルス王子のことを嗅ぎ回られては困る、というところか。
 パルス王子が暗殺され、その濡れ衣をクラヴィナに着せられている。その仮定が真だとすれば、現在の状況は妥当といえよう。
 だとすれば、向こうは何を考えるだろうか。
 クラヴィナがパルス王子を暗殺したと信じているのであれば、まさか本物の王女が正面から、たった三人の供だけ連れて入ってくることなどありえない、と考えるのではないだろうか。
 だとすれば、この王女は偽物であって、単にエルフィアの内情を探りに来させただけではないのか、と向こうが考えてもおかしくはない。
 いや、それどころか……。
 ……その仮定はとりあえず置いておくことにして、向こうがそう考えているのだとすれば、自分たち四人を同じ客間に通したことは理解できる。
 それではこの先はどうするつもりなのか。『偽物の王女』相手に芝居を打ちつづけるのか、それとも……?
 ……いずれにしても、向こうの出方を待つ他はないようだ。





 それからさらにもうしばらくしてから、ようやくその『相手』はこの部屋へ訪れた。見張り二人が同時に跪くのを見て、ロイスダールも立ち上がって膝をつく。ジャンヌもニーダも同様に、その場に膝をついた。
 ただ一人、システィーナだけが優雅に立ち上がると「お久しゅうございます」と述べた。
「お久しぶりです、システィーナ王女殿下。まさか、本当にいらしてくださるとは思いもよりませんでした」
 その初老で肉付きのよい男は満面に笑みを浮かべながらそう答えた。ロイスダールは下を向いているのをいいことに、皮肉げに微笑んだ。
 それにしても、この男は誰だろう。
 雰囲気からして、この国の高位の官僚であることには間違いないが、それ以上のことは全く分からなかった。
「いえ、ダール副宰相閣下。こちらも内密に動いていたのですから、当然のことです」
 なるほど副宰相か、と頷く。同時に、別の納得と疑問とをロイスダールは感じていた。
 まず、システィーナだ。わざわざ『ダール副宰相閣下』と呼びかけたのはおそらく、自分たちに対してこの人物が誰かということを教えたのであろう。全く、つくづく気の回る女性だ。
 そしてダールだ。普通、一国の王女を出迎える時に副宰相が出向いてくるものだろうか。
 国王、宰相、副宰相という位があったとすれば、国王の職務はまず主権を行使すること、つまり政治における最終的な決定を行うことだ。もちろん国賓を迎えることもするが、それも国王級の人物であればという条件がつく。普通、一国の王子王女を出迎えるのは宰相の役目だろう。宰相はそのような若干位が低く見られる相手をもてなすことと、国王の決定に助言を与えることがその職務だ。
 では副宰相の職務とは何か。行政事務一般を統括することがその主な職務であろう。下から持ち上がってくる争点をまとめ、国王に提出することが副宰相の役目だ。
 だとすれば、ここでシスティーナ王女を出迎えるのにダール副宰相が出てくる、というのはいかにもおかしい。
 それともやはり、パルス王子の件に何か関係があるのだろうか。
「長旅でお疲れでしょう。部屋が用意できております。今夜は王女が内密にエルフィアへいらしたということもあり、大々的にとはまいりませんが、晩餐会を開かせていただきます。それまでどうぞお休みください」
「ありがとうございます。その前に、一つお願いがあるのですがよろしいでしょうか」
「なんでしょうか」
「私の婚約者、パルス王太子殿下に、一目会わせていただきたいのです」
 ダールの顔が陰った。ロイスダールは直接それを見ていたわけではないが、それがはっきりと分かった。
「王女殿下。それは……」
「王太子殿下のご容態がよろしくないということは承知の上です。ですが私は何をおいてもまず、殿下に一目お会いしたいがためにここまで参ったのです。何とぞ、ご考慮くださいませ」
 少しの間をおいて、副宰相は答えた。
「王女殿下。残念ですが、それは不可能なのです」
「不可能、とおっしゃるのですか」
「さようです。ご存じの通り、王太子殿下は二年前より急激に容態を悪化されまして、今となっては父である国王陛下ですら会うことがかなわない状況なのです」
 システィーナは息をのんだ。
「それほどまで……」
「現在王太子殿下のお傍に行くことができるのは宮廷医師とその助手だけなのです。どうか、王太子殿下の恩為を思うのであれば、ご自重くださいませ」
 うまい、とロイスダールは感嘆した。
 この副宰相は、余計なことを言わずに正論を吐き、しかも相手の感情と思慮に訴えかけている。極めて直接的な言い方ではあるが、それが少しも厭味になっていない。
 外交戦術に長けているということか。もしかしたら、この才能ゆえに王女の出迎えを命じられたのかもしれない。
「……分かりました」
 システィーナの気持ちはいかばかりか。かなうなら確認したいところであったが、副宰相と王女との会話に平民が加わるわけにはいかない。
「それでは部屋に案内させますので」
「副宰相閣下。もう一つお願いがあるのですが」
「何でしょう」
「彼らにも、客人としての待遇をお願いしたいのです」
 そこで初めて、ダールはその場に跪いている三人を盗み見た。
「何者ですか?」
「ここまでの旅の途中、私の命を助けてくれた恩人なのです」
「それはそれは。私からも礼を言わせていただきましょう。未来の王妃殿下を救っていただき、ありがとうございました」
「かたじけのうございます」
 ロイスダールが代表して答えたが、心中は複雑であった。
 相手が本当に黒装束を操っているのだとすれば、とても礼を言う気になどなれないであろう。自分たちのせいで、王女の暗殺に失敗したのだから。
「三人にもそれぞれ一級の客室を用意いたしましょう」
 と、ダールが小者に目線で合図を送る。だがそれより早くシスティーナがそれを遮った。
「できましたら、この方たちは三人で一つの部屋にしていただきたいのですが」
 副宰相は不思議そうな表情を浮かべた。
「それはまた、何故」
「彼らは、こういう場所は不慣れなので、できれば一緒にいた方が何かと落ち着くと申しているのです」
 これはあらかじめ相談済のことであった。ばらばらの場所にいるよりも、一つ所にいた方が『なにかと』便利であろうと考えた結果である。
「分かりました。ではすぐに用意させましょう」
 副宰相は悩んだ様子もなくそれに応じた。
「それでは、案内させますので、どうぞ時間までおくつろぎください。それにしても」
 そこで副宰相は話題を転換させた。
「随分と遅い時間に到着されましたな。一つ前の都市から来たにしても、もう夕刻になります。途中、どこかへ行かれていたのですか?」
「いえ、ただ手紙を書いていたのです」
「手紙?」
「はい。国元に。無事にアルガへ来ることができたことと、アルガを出立する時にまた手紙を送ることを伝えなければならなかったので」
「なるほど」
 少しだけ、返答には間があったような気がした。





 三人は部屋へ入ると、誰ともなく大きく息をはいた。
「つっ……かれたあ……」
 先程の副宰相と王女との会話が、三人にかなりの緊張をしいていたのである。度胸の点においてはいずれも並々ならぬものを持ってはいるが、さすがに身分が違う者同士の会話に立ち会うなど、これが生涯最初で最後になるだろう。
「やっぱり、システィーナも王女だったんだね」
 ニーダが幾分寂しそうに言った。
「普通に話してたから。分かってはいたんだけど……」
「気にするな、ニーダ。俺も同じ気持ちだ」
 ロイスダールはそう言うと唇に人指し指をあてた。しばらく何も言うな、という合図だ。そして扉に耳をあてる。壁にも、床にも。
『どう?』
 ジャンヌが口だけを動かして尋ねてくる。
『全部で、四人』
『そんなにいるの?』
『二人は扉の外だ。まあ、やむをえないだろうな』
 扉の外にいる小者が見張りを兼ねていることは承知していたが、まさか両側の壁の向こうにそれぞれ一人ずつ、こちらをうかがっていることが分かると、さすがにロイスダールも苦笑を禁じえなかった。ここまで厳重に見張られているとなると、どうやらルファーの言っていることは正解だったようだ。
『じゃあやっぱり、黒装束の正体は』
『ルファーの言っていた通りだと考えるのが筋だな』
 ニーダも口を動かして尋ねてくる。
 読唇術。もともとはロイスダールもルファーから教わったのだが、いつの間にかこの二人も使えるようになっている。おかしなものだ。
「晩餐会って、僕たちも出られるのかな」
「それは無理だな。そのかわり、豪華な食事くらいはありつけるんじゃないか?」
「ひゅう。そいつは楽しみだね」
 簡単な軽口を言いおえると、再び三人は声に出さずに密談を始めた。
『副宰相にはおかしなとこはなかったみたいだけど?』
『それはそうだ。こちらが向こうを疑っていることくらいお見通しだろう。馬鹿しあいというやつだな。少しでも怪しい素振りを見せないように細心の注意を払ったつもりなのだろうが』
『案外、黒装束の件については副宰相は何も知らなかったりして』
 ニーダの意見は、充分検討に値するものであった。
『ありえない話じゃないな。黒装束に指示を出しているのが国王か宰相で、副宰相は何も知らずに王女に応対するように命じられただけなのかもしれない』
『それはともかくさ。この際問題なのは黒幕が誰かっていうことより、本当にエルフィアが王女を狙ったのか、だとすればこの先何を企んでいるのか、でしょ?』
『そうだな。いずれにしても、王女を狙ったのがエルフィアではないという希望を持つことはやめた方がいい。ここは敵地で、何がおきてもおかしくはないと考えよう』
『うん』
『そこで、敵が何を考えているかだが』
『やっぱり、王女の暗殺?』
『……王女は予防線をはってはいたが、効果があるかどうかは疑問だな』
『それって、手紙の事?』
 ロイスダールは頷いて答えた。
 王女は、国元へ手紙を送ったと言った。それ自体は事実で、ロイスダールも確認している。それを相手に伝えたことには、もう一度手紙を送ると内容にしたためていながら二通目が送られてこなければ、エルフィアが王女を謀殺したと疑われるだろう、ということを暗に示す意味があったのだ。
 だが、手紙などいくらでも複製はできるだろう。その時の対応策として、王女は一通目の手紙に暗号を用いている。二通目にも同様の暗号が用いられていなければ、それは王女自身が書いたものではないということが示されるのだ。
 おそらくはそれくらいのことも相手には分かっているだろう。この王宮につく前に手紙を送るという一事を持って身の安全を計るというほどの用心をしているのだ。手紙を複製したところでそれが明るみに出るのは間違いないと考えているはず。
 だとすれば、王女を抹殺するのであれば、もっとも効果的な方法がある。
『それは?』
 ジャンヌがロイスダールの唇に集中する。
『簡単だ。パルス王子暗殺の実行犯にまつりあげることだ』
 二人の目に、驚愕の色が走る。
『まず、エルフィアが王女の来訪にどのような意味があるのかということを考える時、導かれる解答は二つある』
『一つはクラヴィナが王子暗殺の実行犯なんかじゃなくて、王女が単に王子を見舞に来たっていうこと?』
『そうだ。そしてもう一つは、クラヴィナが王子暗殺の実行犯であり、それを明るみにするために王女を送り込んできた、ということだ』
『そっか。それが明るみになれば次の国王にクラヴィナの第二王子を、っていう声が出てくるもんね』
『ちょっと待って。王子が暗殺されてない可能性はないの?』
 ニーダの質問に、ロイスダールは首を振った。
『この際、王子が亡くなっていることは既成の事実と考えた方がよさそうだな』
『そうだね。でなければ、いくら面会謝絶とはいえ王女に一度も会わせないなんてことはないでしょ』
『ただ、わずかな可能性にすぎないが王子がまだ生きているということも言えなくはないんだ。これはルファーの受け売りだが』
『どういうこと?』
『例えばパルス王子が伝染病なんかにかかっていて隔離しなければならない、とか。でもそれにしても二年間も治癒せず隔離されたままなどということは考えにくい、とルファーは言っていたが』
『なるほどねえ……ほんと、あいつってよく頭が回るわ』
 そのルファーならば、現状をどう分析するだろうか。ロイスダールは苦笑しながらそんなことを考えていた。
『じゃあ、その選択肢のうちのどっちを取ったんだと思う?』
『後者だろう。そうでなければ、そもそも黒装束を送り込んだりはしないさ』
『なるほど』
『そうなるとエルフィアの考えとしては、王女は必ず単独行動をして王子の死を暴こうとするだろう、ということになる』
『そうか。そこでタイミングを計って王女が王子を謀殺したことにしてしまう、ってことか』
『多分、な』
『でも、王女が単独行動しなかったらどうなるの?』
『その時は強引に処刑してしまえばいい。死人に口なし、さ』
『……ちょっと、あたし、すごーくやな予感がするんだけど』
『やっぱり、分かるか?』
 ロイスダールは楽しそうに微笑む。
『どういうこと?』
『つまりあたしたちにも火の粉が降りかかってくる可能性がある、ってわけ』
 ニーダはまだ顔を顰めている。
『俺たちが王女の護衛をしていて、しかも大方の筋書きが読めていることも向こうは気がついているかもしれない。だとすれば、たかだか傭兵三人殺したところで誰からも文句は出ないだろうということさ。しかも俺たちの命を有効に活用するかもしれない』
『……例えば?』
『そうだな。俺たちをパルス王子とシスティーナ王女の暗殺を行った犯人にする、とか』
 さすがに二人は目を点にした。
『ここが敵地で、何がおきてもおかしくはないというのはそういうことさ』
『よく分かったよ。それで、あたしらは何をすればいいんだい?』
『うん。敵の出方を探る必要はないだろうし、それなら先に手を打った方がいい』
 三人は頷きあった。
『だがまあ、向こうは王女が単独行動をするのを待っているに違いない。それなら、少なくとも今日の夜までは俺たちの身も安全だろう。ということで、全ては夕食の後にしようか』
 ようやく、二人の顔にも微笑みが戻った。





 …………。
 ……暗い……暗い闇の中……。
 ……ここは……どこ……?
「……、…………」
 …………?
 ……誰かの、声が、聞こえる……。
「……だ……から……」
 な……に……?
 視界が、開ける。
 見えなかったはずの景色、暗かったはずの場所。それなのに、視える。
「……まだ、何も答える気にはならないのですか?」
 聞いたことのない声。ひどく、不気味な声。
 そして、
 ビシィッ!
 この音は知っている。人が、鞭で、打たれる音。
「リュート様」
 ……もう一人、いる。
 よく、見知った顔。
「……俺は、そんな名前じゃない……」
 よく知っている、声。
 ……ルファー……さん?
「では、あなたはいったい『誰』です?」
「知らない。記憶がない」
「そのようなでたらめを信じると思うのですか?」
「……お前たちが信じなくとも、それが真実だ」
 ビシィッ!
 赤い血が流れる。
 肉片が飛び散る。
 両手は鎖につながれ、体重の全てを支えているために充血している。髪は乱れ、いたるところから血が流れ、宙づりになったその体にはもはや力なく……。
(ルファーさん)
 これは、いったい何なのか。
 あのルファーが、どうしてこんな暗いところで、拷問にあわなければならないのか。
「言いなさい。あなたは何を知っているのですか。そして、何故システィーナ王女と同行していたのか」
「俺は何も知らない。システィーナ王女と同行することになったのは、偶然だ」
 三度、鞭打つ音が響く。
「クラヴィナに寝返った……ということですか」
「寝返るも何も、俺はどこの国にも所属していない」
「まだそのような戯れ言を」
「クラヴィナについたわけでもない。俺は王女に雇われた。だから護衛している。それだけだ」
「リュート様。いい加減に強情をはるのはおよしなさい」
「俺はルファーだ」
 リュート。それがルファーの失われた過去の名前?
 どこかで、どこかで聞いたことがあるのだけれど、思い出せない。
「教えてくれ」
 ルファーが、苦しそうに言う。
「リュートとは、何者だ?」
 それは、私も知りたい。
「……いい加減にしていただきましょうか」
「頼む。俺は本当に、記憶を失っているんだ。自分のルーツを知っておきたい」
「嘘もそこまでつきとおせればなかなかのものです。が」
 鞭が空を切る。二度、三度。
 目を閉じた。
 耳を塞いだ。
 それなのに、その光景はまだ目に焼き付けられ、音はこびりついて離れない。
「水」
 別の男が現れ、バケツにいっぱいの水を頭から浴びせる。
「さあ、教えていただけますか」
「何が、知りたい……」
「そうこなくては」
 男は嬉しそうに微笑んだ。
「では、クラヴィナが何を考えているか、教えていただきましょう」
「……知らないことは教えられない……」
「あなたが何故クラヴィナに与したのか、教えていただきましょう」
「……俺はクラヴィナの人間ではない……」
「王太子殿下を暗殺したのはいったいどこの国か、教えていただきましょう」
 パルス王子が、暗殺……?
「……知らないことは教えられない。だが、推測はできる」
「それで結構です」
「エオリアだ」
「そう言うと思いましたよっ」
 また、鞭の音が響く。
「……では、やはりパルス王子は亡くなっていたのだな」
「それを確認に来たのでしょう?」
「俺は……この国もクラヴィナも関係ない」
「おやおや……あれだけパルス殿下と仲のよかったあなたが……」
「過去は知らない。今の俺はルファーで、ただの傭兵だ」
「その強がりが、いつまで続くか楽しみですよ」
 そしてまた、拷問が続けられた。
 それは終わりなく、いつまでもいつまでも続いた。





 目覚めて、システィーナは自分の体が硬直していることに気づいた。
 ……夢?
……ただの夢にしては、できすぎている。そして随分とリアルだった。
 夢……じゃない。
 おそらくは、何らかの真実。
 何故あのような夢を見たのか、あの夢の正体がいったい何なのか、それは全く分からない。でも、それが誤ったものではないことは直観的に理解できた。
ある程度推測された内容も出てきていたが、全く知らない名前や情報も中には含まれていた。
 リュート。
 どこかで、その名前を聞いたことがある。たしかに。
 でもそれが何を意味するのかは覚えていない。
 男はパルス殿下とリュートの仲がよかったと言っていた。だとしたら、かなり高位の、王子に味方していた人物ということになる。
 だがそれほどの重要人物であれば、自分の耳に入ってきていてもおかしくはない。
 …………。
 それにしても。
 あの夢はいったい何だったのか。
 ルファーが拷問されていた、あの夢。
 あれは現実に起こっていることなのか。
 だとしたら今も、あの拷問を受けつづけているのだろうか。
 …………。
 助けなければ。
 何としても、助けなければ。
 私の、命の恩人を。










扉の向こうに

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