KISS IN THE SKY
第3話 Destiy’s Rule
最初、彼女は何を言われたのか、全く分からなかった。
陛下にはマリアから話がいっているはずだ。ということは、命令が行き違いになってしまったのかもしれない。
「逮捕とは大げさだね。陛下には状況は伝わっているはずだよ?」
「その陛下のご命令なのです」
光牙師団『光』の二級構成員、グレイ・ローディアスが先頭に立って言う。
彼は、このシランドでフェイトとも仲良くしている人物の一人だ。フェイトはこの一年でシランドの主要人物のほとんどと顔なじみとなっている。まだ顔合わせをしていないのは、グリーテンにつきっきりの『風』の師団長くらいだろうか。
その中でも仲が良かったのがこのグレイだ。よく二人で剣の稽古をしているところを見かけることもある。フェイトはあのような優男風ではあるが、剣の腕前は隣国のアルベル・ノックスを凌駕するほど。そのフェイトから剣を習うという形でグレイが稽古をつけてもらっている、というようなものだ。
そして、その後ろには武装した光牙師団の団員たちが──五人。いずれも階級を持つ者たちばかり。
「陛下の命令って、いったいどういうことだい?」
「それは私が聞きたいところです。ですが、陛下の命令です。あなたを捕らえよとの」
「悪いけど、フェイトの命がかかっている。必ず陛下の下にうかがうから、先に用事を片付けさせてくれないかい?」
「なりません。陛下は『ただちに』とのご命令です」
この人数なら自分なら蹴散らせるという自負はある。だが、単なる命令の行き違いなら、事を荒立てる必要はない。
だいたい、陛下がそのような命令を出されるはずがない。彼を助けるためにセフィラが必要であるということは、マリアから直接陛下へ話がいったはずなのだ。
「ふう、仕方がないね」
だとすれば、自分から直接陛下に申し上げるしかない。
「なら、急ごう。人の命がかかっているんだ。私の罪はすぐにでも罰してくれてかまわない」
「お分かりいただけて助かります。では、セフィラをこちらへ渡していただきます」
「セフィラを」
確かに、自分が疑われているというのであれば、セフィラは渡さなければならない。
だがそれで、もしもフェイトを助けるのが遅れたなら、どうなる。
渡さなければ、誤解は解けないだろう。だが、渡せばフェイトを助けることができなくなるかもしれない。
「渡したら、どうするんだい?」
「まずは陛下にお渡しします。その後は陛下のご判断によります」
(それならば問題ないか)
陛下に直接話ができれば、それで事は足りる。
彼女はそう判断して、懐から宝珠、セフィラを取り出した。
「我が国の至宝だ。傷つけるんじゃないよ」
グレイは頷いて手を伸ばしてくる。
そのとき。
「ネル様!」
疾風のごとく現れた二人の女性隠密が、瞬く間に兵士たちを打ちのめす。
「な」
「御免!」
そして、ネルに向かって手を伸ばしていたグレイにタイネーブが打ちかかる。完全に油断していたグレイは弾き飛ばされ、壁に叩きつけられる。見事な早業だった。
「タイネーブ、ファリン。どうしてここに」
兵士たちを倒してしまえば、陛下への申し開きが難しくなるな、と考えながら彼女は尋ねる。
「ネル様。話は後です。まずはお逃げください」
「そうですぅ。陛下は、クレア様にネル様の逮捕を命じられたんですぅ」
「なんだって?」
確かに今クレアはシランドへ来ている。
だが、どうして急にそんな事態になってしまっているのか。
「ちょっと待ってくれないか。話が見えない」
「それは私たちも同じです。ただ一つ言えることは、ネル様の立場が非常に危ういということです」
「いきなり処刑されるというわけでもないだろうに、まずは陛下に申し開きをした方が早いじゃないか」
「それが……」
タイネーブが言いにくそうにしていると、ファリンが横から説明した。
「陛下はぁ、ネル様を捕らえることができるなら、生死は問わないとおっしゃったんですぅ」
やけに間延びした口調が、現実感を損なわせていた。
「信じられないね……あの陛下が」
「それより私はネル様の行動がまだ理解できていません。どうしてここへ? それに、何故セフィラを?」
だがそこで、頭を押さえながらグレイが立ち上がった。
「これが、ネル様のお考えですか」
グレイの視線に敵意が混じる。やれやれ、とネルはため息をついた。
「ゆっくりと説明したいところだけど、そうもいかないみたいだね」
さらには新たな光牙師団の兵が、さらに封印洞の方からたくさん来ているのを見て、彼女は冷静に言う。
「まずは、ここを離れよう。全てはそれからだ」
「はい!」
三人は陣形を整えて、カナンから脱出する。
「ネル様を捕らえよ! 陛下のご命令だ!」
グレイの指示で、兵士たちが一気に襲い掛かってくる。
フェイトの突然の発作。
マリアの突然の来訪。
そして、突然の自分への逮捕命令。
いったい、今ここで何が起こっているのか。
(フェイト……)
そして。
彼はこのセフィラなくして無事にいられるのだろうかという大きな不安が、彼女の心の中を占めていた。
シランドから離れた森の中にある一軒のうらぶれた小屋に、三人は避難していた。
どうやら追手は振り切れたようで、どうにか一息つけるようだった。
追手を倒すことができれば早かったのだが、あくまでも追手は味方なのだ。打ち倒すわけにはいかない。
なんとか逃げ続け、ようやくここまで逃げて来たときには既に日が暮れていた。
「おそらく、明日の朝には、いえ、もう今日のうちにこの近辺は封鎖されているでしょう」
「そうだろうね。クレアのやることに手抜かりがあるはずもないさ」
「足がぱんぱんですぅ〜」
ファリンが言うと、ネルもタイネーブも苦笑した。この娘は意識しているのかしていないのか、回りの雰囲気を和ませる力を持っている。
「さてと、それじゃあお互い情報交換といこうか」
疲れてはいるが、それよりも先に状況が知りたいのは三人とも同じであった。
「そうですね。では私から。まず、私がクレア様に呼ばれたのは朝方、まだ日が昇って間もないころです」
おそらくネルが封印洞をぬけて、カナンに入った頃だろう。
「クレア様がおっしゃるには、陛下の隣にはマリアさんがいたそうです」
「それで?」
「陛下がクレア様に有無を言わさず命令なさったそうです。ネル様がカナンに侵入し、セフィラを盗もうとしている。生死は問わないから必ず捕らえて、セフィラをここまで持ってくるように、と」
「馬鹿な」
あの優しい陛下が、何も自分の言うことを聞かずにいきなり処刑命令を出すなんてありえない。
それに、マリアが傍にいたというのに、どうしてそんなことになっているのか。
「クレア様はすぐにネル様逮捕の命令を部下たちに命じました」
「クレアまで!? クレアが私のことを信頼してくれてないっていうのかい!?」
「違いますぅ!」
ファリンが大声でネルの言葉をさえぎる。
「私たちにネル様を助けるようにっておっしゃったのは、クレア様なんですぅ!」
「助ける?」
「はい。陛下の命令がある以上、クレア様がじきじきにネル様を助けるわけにはいかないと。ですから、ご自分の光牙師団にはネル様の逮捕を命令され、内密に私たちにネル様の救出をお命じになったのです」
「そうか……すまない」
マリアに陛下。
いろいろなことがあって、自分を信頼してくれている者はどこにいるのか、分からなくなってしまっている。
自分の方が、周りを疑いすぎているのかもしれない。
「でも、なんだってクレアは私を助けるようにって言ったんだい?」
「それが、あのマリアさんに何か問題があるようです」
「マリアに?」
「はい。陛下は命令する際に、これでいいのかというような表情をマリアさんに向けていたように見えた、とのことでした。つまり、陛下がマリアさんに操られているのではないか、と」
「マリアが陛下を? だが、私にカナンへ行くようにって言ったのはマリアの方だよ」
そうしてネルは自分の方の説明を始めた。
突然フェイトが苦しみ始めたこと。
マリアが現れ、助けるためにはセフィラが必要だと言ったこと。
マリアが陛下に説明し、自分がセフィラを取りにいくことになったこと。
「それは妙ですね」
タイネーブは腕を組んで顔をしかめる。
「そのマリアさんっていう人が一番怪しいですぅ」
確かにそのとおりだ。
マリアの言うとおりに事が運んだから、危うく逮捕されるところだった。
クレアが機転をきかせてくれたからこそ、今こうして自由の身でいられるのだ。
(マリアの目的は何だ?)
もし、考えたくないことだが、陛下がマリアの言いなりだったとしたら、まず最初に目的として考えられるのは、このセフィラ。
考えてみれば、フェイトが苦しみだしたときに都合よくマリアが現れたのもおかしい。
あらかじめフェイトに薬でも盛っておいて、自分がフェイトの部屋に入ったのを見計らってやってきたのかもしれない。
(そういえば)
マリアはムーンベースで何かを調べていた。
そこでセフィラを狙ってここにきた。
(何かをつかんだってことだね。でも、それが何なのかは分からないか)
マリアの情報は全て人聞きだ。信頼できる情報は何一つない。
だとしたら、方法は一つ。
直接、本人ともう一度会って確かめる。それが一番早い。
「どうにかしてシランドに戻らないといけないね」
「それは危険です、ネル様」
「だが、シランドにはフェイトもいる。あいつをこのままにしておくわけにはいかない。せめて無事だけでも確認しないと」
「なら、それは私が行います」
タイネーブが言う。
「私がフェイトさんの無事を確認して、ネル様にお伝えいたします。とにかく今は、ネル様の御身と宝珠セフィラの無事が優先です」
「だが」
「ネル様はファリンと共に、アーリグリフへ逃れてください。私が状況を確認して、必ずネル様にお伝えいたしますから」
「アーリグリフ……ロザリアのところに行けってことだね」
国内では陛下の命令で、誰もがネルを捕まえようとするだろう。だが、アーリグリフならばそうはいかない。そして、アーリグリフ王に嫁いだロザリアが、自分のことを追い返すはずがない──大きな迷惑をかけることにはなるが。
だが正直、フェイトの傍からは離れたくはない。それに、本当にフェイトを助けるためにこのセフィラが必要なのだとすれば、一刻を争うことになるのだ。少なくともこのセフィラはフェイトの傍にあったほうがいいのではないか。
分からない。
どうすればいいのか、何も分からない。
「ネル様ぁ」
ファリンが、そっと水を手渡す。
心配をかけている。タイネーブにも、ファリンにも。
「ありがとう」
その水を飲み干して、決心する。
今は、この気持ちは心の奥に閉じ込めておく必要がある。
マリアの言うとおりにしたらこうなったのだ。それならば、マリア以外のものの言うとおりに行動するべきだ。
「アーリグリフに行く」
「はい」
「タイネーブ。危険な役目だけど、頼めるかい?」
「もちろんです。私だって、フェイトさんのことは心配ですから」
「もうフェイトさんなしじゃ、私たちもつまらないですぅ」
(やれやれ)
フェイト人気がここまで高まっているのかと苦笑するしかない。
「さて、そうなると後はどうやってこの国を出るかってことだね」
クレアが近辺を封鎖しないはずがない。だとすれば、逃げ道を探さなければいけない。
(待てよ、そうか)
前にクレアと二人だけで見つけた、ペターニを通過せずにシランドからアリアスまで行く方法。
イリスの野を西に抜けて、獣道を通ってサンマイト平原、パルミラ平原と抜けて、アリアスまで行くことはできる。
「クレアは味方だと思っていいんだね」
「はい。そうでなければ私達を使わせる理由がありません」
「じゃあ、アリアスからアーリグリフ領内へは手引きしてもらうことにしよう。おおっぴらに抜けていくわけにはいかないからね」
「ですが、いくらクレア様と仲がよろしいからといって」
「一度、クレアとは話しておきたいんだ。今後のことをね」
きっと彼女ならアリアスで待っているに違いない。
自分と彼女だけが知る、抜け道を使っていけばアリアスまではたどりつけるのだから。
「よし、夜のうちに動くよ。少し仮眠をとったらすぐに動こう」
「了解!」
そうしてファリンを伴い、ネルはアリアスへと到着した。
ファリンがうまく動いてくれた結果、クレアとは無事に再会することができた。やはり、最初からクレアはここに自分が来ると推測して先回りしていたのだ。
「無事でよかったわ、ネル」
「心配をかけたね、すまない」
「いいのよ。あなたが無事ならそれで」
月夜、二人は簡単に情報を交換しあった。
「それで、フェイトの様子は?」
「今は眠っているみたいよ。特別命に別状はないと思うけれど」
「そうか、よかった」
ほっと一安心する。何といっても、彼の命が最優先だ。このまま自分が離れても問題ないのであれば、自分の身を守るためにもいったんアーリグリフへ抜けるのが一番だ。
「あなたはこれからどうするの?」
「まずはロザリアの所に身を寄せるさ。古くからのなじみが向こうの国にいるってのはこういうとき便利だね」
「正直、陛下のお考えが私には分からないわ。今まではこんな無法な命令をなさる方ではなかったのだけれど」
「陛下には陛下のお考えがあるのさ」
だが、その背後でマリアの考えがどれほど影響力を持っているのか、気になるところではある。
「タイネーブはシランドに残してきた。何かあったら彼女に伝言を頼んでくれ」
「分かったわ、ネル。必ず無事でいてね」
「もちろんさ。あいつにもう一度会うまで、くたばるわけにはいかないよ」
クレアはネルに近づくと、その体を抱きしめる。
「……カルサアで無茶したとき以来だね」
「あなたはいつでも無茶をするのよ。お願いだから、あまり危険な真似はしないで」
「考慮しておくよ。でも、私にはこうした生き方しかできないからね」
それが運命の法則とでもいうものなのだろうか。
だが、逃れられないのだとしても、流れに立ち向かうことはできるはずだ。
「すぐに戻ってくるよ。これからどうするか、ゆっくりと考えてみるさ」
「ええ。向こうは寒いから、体に気をつけて」
「ああ」
そうして、二人は別れた。
ネルはアリアスを抜け、ファリンと共にアーリグリフ領内へと入る。
(やれやれ。随分と遠くまで来たね)
彼の居場所からは、もう随分と離れてしまった。
だが、きっと自分はすぐに戻ってくるだろう。
彼に会うために。
(セフィラ、フェイトのディストラクション、それにマリア)
立て続けに起こったことを、自分の中で整理する。
(そうか、一つ考えていなかったことがあったね)
そう。
マリアの力、アルティネイション。
(あの力は暴走しないのか)
フェイトと同じように。
それともやはり、フェイトが苦しみ出したのはマリアのせいなのだろうか。
(とにかく今は無事なんだ。それでよしとしよう)
きっとすぐに会える。
そう信じて、今はフェイトから離れることを選んだ。
Laila
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