KISS IN THE SKY

第4話 Lila






 二日後。ネルとファリンは無事にアーリグリフの王城までやってきていた。
 さすがにアーリグリフに入ってからはシーハーツからの追手がかかることもなかったので道中は楽になったのだが、それでもここ数日の疲労がこたえたのか、それともこの年中寒いこの気候のせいか、着いた途端にファリンが熱を出して倒れてしまった。
 客間にファリンを寝かせ、彼女はアーリグリフ十三世への謁見を行うこととなった。
「久しぶりだな、クリムゾンブレイド」
 相変わらず威厳に満ちた王だ。国内の反対派を根こそぎ弾圧し、こうして君臨していられるのはひとえに彼の巧みな政治手腕によるものだ。
 決してこの人物を軽んじたことはない。それどころか、またいつシーハーツに攻め込んでくるのか、常に疑っている。
 だが今は、この人物を頼るしか術はなかった。
「は。陛下もご壮健そうで何よりです」
「話は聞いている。宝珠セフィラを奪って逃亡したと」
 なるほど、もう既に女王陛下から、いやマリアからだろうか、既にアーリグリフへと手が伸びていたらしい。
「私をシーハーツへ差し出すおつもりですか」
「それはお前次第だな。お前に正当性があるならこの国で保護するが、今回の場合は明らかにロメリアの方がおかしい」
 ロメリア=ジン=エリュミール。それがシーハーツ女王の正式名称だ。
「と、申しますと」
「簡単なことだ。生死は問わず。そんなことをロメリアが言うとはとうてい思えんな。ロザリアがそれを見て卒倒していたぞ」
 それが客観的に見るということだろうか。アーリグリフ王が冷静に状況を分析してくれて助かる。
「それで、いったい何故セフィラを奪うなどということになったのだ? それより、そのセフィラは本当にここにあるのか?」
「はい」
 彼女はこれまでの状況を説明する。それを聞いて、国王は右手で顎鬚をしごいた。
「そのマリアというのは、この間の異世界の……」
「はい。理由は分かりませんが、こちらの世界にまたやってきております」
「なるほどな。状況的に見てその女が怪しいことには違いあるまい」
「ですが、私は彼女とずっと旅をしていたのです」
 そう。
 彼女がずっとひっかかっているのはそこなのだ。以前のマリアなら、自分を罠に陥れるとか、そんなことをするような人間ではなかった。
 だからこれが何かの間違いではないか、とずっと迷っていたのだ。
 だがタイネーブやファリン、クレアらから話を聞くかぎり、常に陛下の後ろにはマリアがいる。
 マリアが陛下を操っているのだと。
 自分を罠にはめたのだと。
 そんな、信じられないことを告げられて、彼女もまた困惑しているのだ。
「だが、状況を鑑みるに、他に理由はないのではないか? そのマリアとやらがまず、何の目的でここに来たのか、それが分かれば話も前進するだろう」
「おっしゃるとおりです」
「それならば話は早い。俺が仲介役になってやろう。心ゆくまで話をすればいい」
「よろしいのですか。アーリグリフには迷惑をかけてしまうことになりますが」
「かまうものか。もし向こうが拒否するというのであれば、実力行使に出るだけのことよ。【疾風】のエアードラゴン部隊を失ったとはいえ、【漆黒】も【風雷】もいまだ万全の状態、シーハーツに負けはせん」
 さすがにそれを聞くといい顔はできない。彼女は決して戦争を望んでいるわけではないのだから。
「こちらとしても、ロメリアの心変わりは素直に受け入れられんのだ」
「と、申しますと」
「今はシーハーツの援助があって、この冬を乗り越えようとしている。かわりにこちらからも技術提供は行っているがな。だが、ロメリアが心変わりして、その援助を行わなくなったらこの冬を越すことができるのは、おそらく国民の半数だろう。それはなんとしても避けたい」
「はい」
「それにな、ロザリアが言うのだよ。お前を助けてくれとな」
「ロザリアが」
「よい友人を持ったようだな。この国で発言することがどれだけ自分の首をしめることになるか、アレはよく知っている。それでも友人のために、なんとかしようと自分を省みず、はっきりと言いおった。アレも昔のままではないということだな」
 アーリグリフ王とロザリアの馴れ初めはもう、飽きるほど聞いている。もちろん、その国王が本当は好きだったのがエレナであったということもだ。
「後で、ロザリアに会わせていただけますか」
「無論だ。アレも話相手がいなくて、暇を持て余している。遠慮なく話していくがいい」
「ご厚意、感謝いたします」
 その時。
 緊急を告げる伝令が、国王の間に届いた。
 その報を聞いて、ネルは衝撃のあまり立ちすくみ、国王もまた驚愕の色を隠せずにいた。

「大変です! 隣国シーハートの、聖都シランドが壊滅いたしました!」

 シランドが滅びた、という言葉の意味が瞬時に理解できたものはこの場に誰もいなかった。
「壊滅だと?」
 国王が立ち上がって伝令に問い直す。
「はい。シランドが壊滅したのです。伝令によりますと、完全な廃墟になっているとのこと」
「国民はどうした。それに、かの国の女王は」
「シーハート二七世は生死不明、国民も廃墟の下敷きとなったものが多く、多数の犠牲者が出たもようです」
 ぐらり、と彼女の体が揺れた。
(ばかな)
 壊滅とは、どういうことだろう。
 シランドには、今。
 陛下にタイネーブ、大切な人たちがそこにいる。
 そして、そして何より大切な。
「フェイト!」
 そこが国王の前であるということも忘れ、彼女は叫んでいた。
 そして駆け出す。すぐにでもシランドへ駆けつける。
 大丈夫だ、たとえここからでも寝ずにルムを飛ばせば一日で着くことができる──
「落ち着け、馬鹿者!」
 だが、背にした国王の一括で彼女の動きが止まった。
「お前が動いてどうなるというのだ。ただでさえお前はかの国で指名手配を受けているのだろうが。行くだけ無駄死にになるぞ」
「ですが、国王陛下」
「安心しろ。まず俺が行く」
 国王は立ち上がった。
「すぐに兵の準備を! シランドの救援に向かう。食料、資材、その他必要なものは全て用意せよ。隣国の危機だ。手をこまねいていては、大切な隣人を失うぞ。急げ!」
「はっ!」
 部下たちが一斉に動き出す。それを見送った国王は、再び椅子に座りなおした。
「陛下」
 彼女は再び国王に近づいて膝を折った。
「ふん、あまり気にするな。ここで救援を出さなければ、妻に叱られるのでな」
「ありがとうございます」
「だが、これでお前の方は少し問題が難しくなったな。ロメリアが無事に生きていれば問題ないが」
「はい。それに」
「お前の想い人、だろう」
 彼女は顔を赤らめた。
「安心しろ、大丈夫だ」
「何を根拠に、そのようなことを言われるのですか」
「根拠か、ふむ」
 国王は少し考えてから答えた。
「俺はこれまで他人に『大丈夫だ』と言ったことは三度しかない。だがいずれも大丈夫だった。それが根拠だな。俺のこういうときの予感はよくあたる」
 これは、自分を励ましているのだろうか。
「ご厚意、感謝いたします」
「気にするな。援助を行うと同時に、お前のことも調べておく。それから、あの異世界の者もな。だからお前はしばらくこの王城でゆっくりしているといい。隣国の誇るクリムゾンブレイドだ。賓客としてもてなそう」
「いえ。ただでさえ厳しい経済状況なのです。お気遣いは無用に願います。それより、無茶を承知で一つだけお願いがございます」
「連れて行け、というのなら無理だぞ。お前が来ると邪魔になる。アーリグリフにとっても、そしてシーハーツにとってもな」
 機先を制され、彼女は何も言えなくなってしまった。だが、確かに国王の言うことには一理あった。
 もし自分がアーリグリフについていったなら、シーハーツはアーリグリフの非を並べるだろう。結果としてアーリグリフの動きは鈍る。そしてアーリグリフの動きが鈍れば、シーハーツの復興はその分だけ遅れる。
 自分がついていくことで、何もいいことは生まれないのだ。
「承知……いたしました」
「聞き分けてくれて助かる。安心せよ。復興・援助を行っている間にお前のことはカタがつくだろう。そうすればすぐにでも呼び寄せてやる。だからしばらく待っているがいい」
「はい」
 何もできない。
 彼女は国王の前を辞すると、あてがわれた部屋に戻り、そのままベッドに横になった。
 自分は、何もできない。
 仰向けのまま右腕で自分の目を隠す。
 国が壊滅状態にあるというのに、自分はこんなところで何故横になっているのだろう。壊滅したとはいったい何が起きたのか。グリーテンからの攻撃だろうか。それとも他の原因だろうか。エレナは危険な開発はしていなかったはずだ。伝令は廃墟となったと言っていた。いったい何がシランドに襲い掛かったのか。タイネーブは無事でいるだろうか。フェイトとは会えただろうか。陛下。陛下はご存命でいらっしゃるだろうか。マリアはどうしているのだろう。駄目だ。ここからでは何も分からない。何一つ情報が入ってこない。
 フェイトは、無事だろうか。
 ぶるり、と彼女は震えた。
 彼はずっとあの城の中で寝ていたはずだ。城が崩壊したとなると、当然城の中にいた人間はその下敷きになってしまっているはずだ。フェイトが、あの城で生き埋めになっているかもしれない。すぐにいかないと、助けられないかもしれない。それなのに、自分は助けに行くことすらできない! いったい自分は何なのか。大切な人が苦しんでいるというときに何もできない自分など、何の価値があるというのか。そして何より、彼の無事を確認することすらできないこの状況! あまりにもじれったくて、落ち着かなくて。
 ただ、彼の声が聞きたくて。
 ただ、彼に逢いたくて。
 気が狂いそうになる……。
 自分が、自分でいられなくなる!
(フェイト!)
 どんなに渇望しても、彼はここにいなくて。
 今どうしているのか、知ることすらできなくて。
 コン、コン。
 不意に、扉を叩く音が響く。
(誰だ?)
 ファリンはまだしばらくは安静にしていなければならないだろう。ここに尋ねてくる人物がいるとすれば、それは。
 扉が、勝手に開く。
「久しぶりね、ネル」
 その女性は、たおやかに微笑んだ。
「ロザリア!」
 思わず駆け寄って抱きしめたくなる。
 だが、相手はもはや一国の王妃。誰に見られるか分からないところで、そんなことをするわけにもいかない。
 本来なら呼び捨てにすることすら、許されないのだから。
「久しぶり。元気ではないみたいだけど、無事でよかった」
 ロザリアは優しく笑い、部屋の中に入ってきて扉を閉める。
「あなたのことは色々と聞いているわ。宝珠セフィラを盗んだ大罪人、と」
「ロザリア」
「もちろん、私はそんなことは信じていないわ。あなたのことだもの、たとえそれが本当だったとしても、理由があってのことだと思うし。本当にセフィラを?」
「ああ。これさ」
 彼女は懐から光る宝珠、セフィラを取り出す。
「これがセフィラ」
「ああそうか、ロザリアは見たこともなかったのか」
「ええ。神々しい……伝説のセフィラをこの目で見られるなんて、思わなかったわ」
 しばしうっとりとそれを眺めていたロザリアであったが、すぐに気をひきしめて真剣な表情に変わった。
「あなたがこれを持ち出したのは、フェイトさんのためね?」
「どうしてそう思うんだい?」
「あなたが任務以上に大切なものがあるとすれば、それはクレアじゃないわ。あなたにとって、何にもかえられない存在、その人だけよ」
「クレアのためだって、命はかけるさ」
「そう、あなたは私でも、タイネーブやファリンでも、命を助けるために自分の命をかけられる人よ。あなたは大切なもののために自分を犠牲にすることができる強い人。でも、そのために別の何かを犠牲にすることができるほど、無常な人ではないわ。あなたが国や、部下、親友の命をかけてでも助ける人がいるとすれば、それはフェイトさん以外にありえないもの」
 結婚して余裕が出たのか、ロザリアは随分と流暢に話す。
 そして、彼女が言っていることは自分でも理解していた。きわめて正確な評価だと思う。
「やれやれ。まさかあんたにそこまで言われるとは思わなかったよ、ロザリア」
「ごめんなさい、ネル。でも、あなたとフェイトさんは本当にお似合いだと思うわ。お互いがお互いを支えあい、どちらかが見劣りするわけでもない。すばらしい関係だと思うのよ」
 言外に『私たちとは違って』という言葉が聞こえてくる台詞だった。
 アーリグリフ国王の妻は、決して国王から望まれて結婚したというわけではない。国王が望んでいたのは、開発部長のエレナだ。
 ロザリアは全てを承知で、政略結婚ともいえるこの婚姻を承諾した。
 それは、彼女が国王を愛していたから。傍にいられるだけで幸せだと思っているから。
 だが。
 あくまでも、国王はエレナと互いに思いあっているのだ。
「あんたたちだって、いい関係じゃないか。アーリグリフ王が言ってたよ、ロザリアの故郷を助けにいかなければならないって」
 国王の言質を取って話すが、ロザリアは首を横に振った。
「それは言葉だけです。確かに国王陛下は私によくしてくださいます。ですが、あの方が今回シランドへ救援に向かうと言ったのは、陛下にとって大切なお方がそこにいらっしゃるからでしょう。ネル、あなたもそのことは知っているのでしょう?」
 ロザリアは強く笑った。
「ロザリア」
「安心して、ネル。嫉妬は確かに私もしているのよ。でも、陛下は私を疎んじられない。私を大切にしてくださるし、私のことを考えてくださっている。私はそのご厚意に甘えることも許される。私は幸せよ、ネル」
「ああ、それならよかった」
「それに、私の中には、もう陛下の御子がいるのよ」
 ロザリアの微笑みは、今度こそ心からのものだった。
「子供が……」
「ええ。もう二ヶ月。ちょうど、結婚してすぐに授かったのよ。愛しい方の御子を授かったというだけで、私はもう何も言葉にできないくらい、幸せなのよ」
 また、のろけ話が始まった。
 ロザリアはアーリグリフ国王のこととなると、すぐに周りを気にせずひたすら話をし始める。そして必ずその話は、かつて自分が命の危機にあったときに颯爽と現れた『かっこいい王子様』の話になるのだ。
「でもね、ネル」
 だが、今日はその話にはならなかった。
「私はこの幸せは自分で掴み取った、と思っているわ。結婚する前から、この国に来ることはもちろん期待もあったけれど、怖かった。知らない人ばかりのところで暮らしていけるのかどうか、と。幸い、いい人たちに囲まれて今は不自由なく暮らしている。けれど、それを選んだのはやっぱり、自分なのよ」
「何が言いたいんだい?」
「ネルも、自分の幸せは自分で掴み取らなければ駄目だということよ」
 ロザリアは右手をそっと彼女の頬に触れさせる。
「私はあなたがシランドで何をして、これから何をしようとしているのかは知らないわ。でも、ここでじっとしているのはきっと、違うと思う。あなたは常に行動をしてきた人。行動しなくなったら、それはもういつものあなたじゃないもの」
「いつもの私?」
「そうよ。大切な人を守るために命をもかける。それがあなたのいつものやり方でしょう?」
 そうだ。
 確かにロザリアの言うとおりだ。タイネーブやファリンの時もそう、フェイトたちの時だってそうだ。自分が倒れてでも仲間が助かるならそれでいいと思った。
(たとえ自分が死んでも、フェイトが無事なら……)
 それはよくない、と思う。きっと自分が死んだらフェイトが悲しむ。
 それに自分も、フェイトと一緒にいたい。死んだら一緒にいることはできない。
 だから、命にかえてということはもう、自分にはできない。
 そのかわり。
「そうだね。私らしく、か」
 フェイトのことも助けて、自分も決して死なない。
 今の自分の望みは、それだけ。
「決めた」
 アーリグリフ軍についていくと両国ともにまずいというのなら、自分ひとりで行けばいいのだ。
「シランドに戻るよ」
「ええ。フェイトさんによろしく伝えてね。二人の子供ができたら、必ず私に見せに来るようにと」
「……ロザリア?」
 ジト目で睨む。くすっ、とロザリアは笑った。
「やっぱりあなたは、からかうと面白いわね。クレアからもからかわれてばっかりじゃないの?」
「うるさいよ」
 彼女はむすっとしたまま立ち上がった。
「ファリンは置いていく。熱があるからね。あの子のこと、よろしく頼むよ」
「ええ。あとはあなたの好きなように。応援してるわ、ネル」
「ありがとう、ロザリア」
 彼女はうなずくと、武器を手にする。
 これから行く場所は戦場。
 フェイトのもとにたどり着くまでは、決して怯んではならない。
(無事でいてくれ、フェイト)
 彼女は戦士の表情に変わると、王城を出た。





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