KISS IN THE SKY
第5話 恋唄
シーハーツへ。
シーハーツへ。
彼女は、足を速めていた。アーリグリフ軍に先行して出てきた彼女は、少なくとも自分のことくらいは先に片付けてしまおうと考えていた。
シランド壊滅の話は、各地で耳に聞こえてきた。
王都アーリグリフでは既にその話で持ちきりだった。
そしてここ、カルサア。
シランドのことがどのように伝わっているのか、簡単に諜報活動を行おうと考えていたのだが、そんなことをするまでもなく、街の中はその話しかされていなかった。
新聞には『聖都を襲った悪夢の出来事』と見出しがついて、廃墟となったシランドの風刺画が描かれている。
だが、実際にシランドがどうなっているのかを知っている者は一人もいないようだった。何しろ、風聞で『壊滅』という結果だけが伝わっているのだ。何が起こったのか、確かめた者がいるはずもない。
(まいったね)
それならば、さっさとこの街を出て、アリアスへ向かった方がいい。
そう判断し、彼女は次の町へ向かおうとした。
だが、それは一人の人物に止められた。
「お久しぶりですね、ネル殿。よかった、あなたが無事でいてくれて」
聞き覚えるのある声に振り返ると、そこにいたのは。
「ああ、あんたか。久しぶりだね、ライアス」
フェイトが契約したクリエイター、ライアスであった。
彼はこのカルサア工房を建て直すことを夢見て、この地で武具の開発にいそしんでいた。
彼の作る武具に助けられたこともしばしばだ。その能力は仲間内でも高く評価されていた。
彼は余計なことは話さず、ずばり核心だけを尋ねてきた。
「シランドで何があったんですか?」
だが、それに答えられるほど、彼女にも情報が集まっていたわけではない。
「詳しいことは分からないよ。私はさっきまでアーリグリフにいたからね。それをこれから調べにシランドへ戻るところさ」
「そうでしたか。この風聞は事実なのですか?」
ライアスは新聞の風刺画を指して言う。
「おそらくね。アーリグリフにも疾風からの連絡が来たよ。廃墟になったことには違いないらしい」
「そうですか……」
彼女より頭一つ高い背がかすかにうなだれる。
「あの方は、無事ですか?」
あの方=フェイト。
「私も、それが知りたい」
「そうでしたか。いえ、そうですね」
ライアスは衣服のポケットからテレグラフを取り出す。
「フェイト殿と、完全に連絡が取れなくなってしまいました。呼び出しが向こうにつながらないのです」
「それはつまり、フェイトのテレグラフが壊れてしまっている、ということだね」
「はい。少し前から応答はなかったのですが、昨日から回線すらつながらなくなりました」
つまり、フェイトが苦しみ出したときからライアスの呼び出しに答えることができなくなり、昨日の壊滅時から完全につながらなくなった、ということだ。
だが、フェイトが原因不明でうなされていることなど、ライアスに伝えても仕方のないことだ。
「分かった。用があるならあいつに言っておくよ」
「いえ、正確には用があったのはあの方ではなくて、あなたなのです、ネル殿」
「私?」
ライアスはうなずくと、腰に差していた短刀を鞘ごと外してネルに渡す。
「新作です」
「へえ」
ネルはその短刀を受け取った。不思議と軽い。
「ダマスクスを使っています。それほど重さはないかと思いますが、使い勝手はどうでしょうか」
「いや、こうした短刀は速さが一番だからね。軽ければ軽いほどいいよ」
「それはよかった」
もちろんそんな基本的なことは言われずとも分かっているという様子だった。
「そして、この短刀には特殊機能がついているのです」
「特殊機能?」
「はい。施術を蓄えておくことができるのです。塚の部分の蒼い宝石に触れて施術を唱えてください。そうすれば剣に施術が蓄えられます。それを放つときは、同じように宝石に触れて剣を一振りしてください」
「なるほど」
彼女は言われるままに施術を一度短刀にこめる。
「こうかい?」
近くにあった木をめがけて、施術を解放する。
魔力の塊が幹にぶつかり、拳大ほどの穴を穿った
「へえ。使い勝手がいいね」
「ええ。設計は以前からしていたのですが、鉱物がなかなか手に入らなくて。今回急いで作り上げたのです」
「急いで? どうしてだい?」
「ネル殿にも、色々とおありのように見受けられましたので」
知っている。
ライアスは、自分が追われていること、またその理由も、おそらくは知っているのだ。
だが同時に、自分のことを考えてくれてもいる。
「そうかい。悪いね」
「いえ。それでは、フェイト殿のこと、よろしくお願いいたします」
「ああ。任せておいてくれ」
そうして、ライアスは再び工房へ戻っていった。
(陛下やマリアに諮られて、人を信じることができなくなりそうだったけど)
クレアやファリン、タイネーブ。それにロザリア。ライアス。
自分を信じてくれる人たちが、こんなにもいる。
(よし、行こう)
新しい武器を装備すると、彼女は今度こそカルサアを出た。
アリアスに着く前に夜になる。今日は野宿になりそうだった。
その夜。
卑汚の風の影響がなくなったとはいえ、モンスター自体がいなくなったというわけでもない。
相変わらずアイレの丘は見晴らしがいい。自分が休んでいるときにモンスターに襲われたらさすがに命に関わる。
慎重に場所を選び、自分の身を隠す。
大きな木の下で、彼女は背を幹にもたれさせた。
「ふう」
一息ついて、固形食糧と水を取り出す。
簡単な食事を終えて、一眠りしようとした。
見上げると、空には一面の星。
(フェイト)
無事でいるだろうか。
テレグラフにも応じなかったということは、おそらくシランド壊滅に巻き込まれたということになる。
だが、テレグラフが壊れたからといって、彼自身も命を落としたということにはつながらない。何故なら、彼は具合が悪かったのだから。マリアが彼の身柄を確保し、別の場所へ移したかもしれない。
とはいえ、いくら考えてもそれは憶測になる。
無事でさえいてくれれば、それでかまわない。
自分にとって、もはや生きる意味にまで昇華した彼の存在。彼なしの未来などありえない。
(フェイト)
マリアは、ディストラクションの力が暴走している、と言った。
では、アルティネイションの力はどうなるのだろう。
そのことは前にも少し考えた。もっとも、考えたところでどうにもならないことではあるのだが。
そもそもディストラクションが暴走しているかどうかすら、今のマリアからではそれが正しいことなのかそうでないのか、判断がつきかねる。
もし嘘ならば、それはかまわない。マリアを捕らえて、何のためにこんなことをしたのかを聞くだけだ。
だが、本当だったなら?
(そうさ)
彼女は身震いした。
(私が一番恐れているのは、自分が判断ミスをしていないかどうか。そのことなんだ)
もし、マリアの言っていることが本当だとしたら。
ディストラクションが暴走。セフィラもなく、彼の暴走を止める手段もなく。
結果として、シランドは消滅にいたった。
その可能性は、ゼロではないのだ。
だがそれならば、マリアの様子がおかしいことの説明にはならない。
(待てよ)
自分の考えが、変な方向へ流れていくことを彼女は自覚していた。
だが、一度考えはじめた思考は止まることを知らなかった。
(マリアの様子がおかしいと言ったのは、誰だ?)
それは、たった一人しかいなかった。
(クレア)
陛下とマリアがクレアに状況を説明する。だが、クレアの方こそが狂っていて、シランドを消滅させるために仕組んだのだとしたら。
考えられることはいくつもある。普段はアリアスにいるのに、フェイトの帰還と同時にシランドへやってきていた。フェイトの暴走が始まったと同時に、彼を治す唯一の手段であるセフィラをネルに持たせ、タイネーブ・ファリンと共に国外へ持ち出させたのだとしたら。
(馬鹿な)
まさしく馬鹿な考えだ。
(いったい何を考えているんだ、ネル・ゼルファー!)
変な憶測をするのは、自分に情報が足りないからだ。
アリアスに行って、シランドの状況を確認する。クレアはまだそこにいるはずだ。どうすればいいのか、今後のことを検討しなければならない。
(眠ろう)
疲れているのだ。
(朝になれば、少しは何かが分かる……)
幹の冷たさが心地よい。
星屑の瞬きが思考を奪う。
(無事でいてくれ、フェイト)
彼に伝えたいことがある。
何度も言葉にしてきても、それでも伝えきれない想いがある。
(あんたじゃないと駄目なんだ)
風の音が、彼女の耳に届く。
(会いたい。会いたいよ、フェイト)
胸の前で、右手を軽く握った。
朝日が差し込み、彼女はゆっくりと目を開く。
新しい今日が始まる。
彼を助けるための一日が始まる。
(よし)
気合を入れて立ち上がった。
その時だった。
「ようやっと目が覚めたか、クソ虫」
大木の裏側から、声が聞こえた。
もちろん、誰の声かなど確かめるまでもない。
「あんた……なんでこんなところにいるんだい?」
「ふん」
木の裏から姿を見せたのは、アーリグリフ【漆黒】の団長アルベル・ノックス。
「国王に頼まれたんでな。別にお前らなんぞどうなってもかまいやしねえんだがな」
アーリグリフ13世の手配のようだ。自分が勝手に行動を始めたので、協力兼監視という名目でアルベルを派遣したのだ。
だが、ネルはこの人物が実は悩み深く、繊細な心を持っているということを知っている。
潔癖なのだ。
だからこそ、自分にも他人にも厳しい。
「フェイトが心配かい?」
「阿呆。この俺が心配なんぞするかよ。起きたんならさっさと行くぞクソ虫」
「待ちなよ。あんた、現在の状況が分かっているのかい?」
「ああ? お前がセフィラを盗んだことなら聞いてるぜ。奴を助けるためなんだろう」
「それを信じるのかい?」
「そんなことはどうだっていいんだよ、阿呆。俺は俺の思う通りに行動するだけだ」
分かりやすい行動基準だった。
だが要するに、フェイトがどうなっているのか、気になって仕方がないというところなのだろう。
宿命のライバル、とアルベルの方が勝手に思っているにすぎないのだが。
(あの甘いお坊ちゃんが、剣のライバルなんて持つはずないからね)
つまりはアルベルの一方的な片思いにすぎないのだが、そんなことを言おうものならまた機嫌が悪くなるに違いない。
かといって、素直に感謝を言っても、そんなものは必要ないと両断するに違いない。
(やれやれ)
頼もしいのか厄介なのか、よく分からない同行者だった。
アリアスの街は、混乱をきわめていた。
シランド壊滅から二日が経過した今でも、いや、経過したからこそ波紋は確実に大きくなっていた。デマが飛び交い、何が正しくてなにが正しくないのか、誰も判断ができない状況になっていた。
こんな状況なのだから、ネルが戻ってきても門番も何も言わなかった。一度は逮捕礼状が出ていたはずなのだが、それすら何かの間違いではないか、とデマの多さに思い込まされていたのだ。
それに、ネルには今回アルベルがついていた。漆黒の団長の目つきの悪さに誰も逆らおうとはしなかった、というのも一つの要因だろう。
二人はまっすぐに、クレアの屋敷に行った。
「ネル!」
徹夜だったのか、クレアの様子は少し憔悴しているようだった。
「三日ぶりだね、クレア。ただいま」
「よかった、無事で。それに」
クレアはアルベルを見る。
「久しぶりですね、アルベルさん」
「ふん」
彼は軽く鼻を鳴らしただけで答えなかった。
「あなたが戻ってきたことは理解しているつもりよ、ネル。シランドの件でしょう」
「ああ。いったい何が起こったのか、アーリグリフじゃ全く分からない。直接動いた方が早かったからね」
「ええ。私たちもすぐに調査隊をシランドに送ったわ。でも」
クレアの表情が翳る。
「何があったんだい?」
「帰ってこないのよ。随時伝令ができるように、十人も派遣したのよ」
執行者や断罪者がいるわけではない。このあたりのモンスターにやられるようなシーハーツ兵ではない。
だとしたら、何かトラブルがあったと考えるのが自然だろう。
「私が行くよ。もともと、そのために帰ってきたんだからね」
こいつもいるしね、と後ろのアルベルを指す。
「あなたね、自分が追われているっていう自覚があるの?」
「ないね。この街にだって正門からまっすぐ入ってきたよ。何も言われなかった」
クレアは溜め息をついた。
「私も一緒にいくわ」
「クレア?」
「今は状況を判断するのが先よ。人づてで聞いたら自然といつかはデマに変わってしまう。自分の目で見るのが一番確かだもの」
「その通りだと思うけど、でも、ここはどうするんだい?」
「暴動を起こさせないくらいだったら、誰が指揮しても同じよ」
だが、今後の方針を決めることはクレアにしかできないのだ。
そのためには正確な情報がいる。
だから、自分が行く。
それだけのことだ。
「オーケイ。それじゃあ、私たちはこれからすぐにでも向かうつもりだけど、どうする?」
「急ぎましょう。時間は金よりも貴重よ」
クレアはすぐに支度をするから、少しだけ待っていてと言い残して自分の部屋へと向かった。
Don’t stop music!
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