KISS IN THE SKY

第7話 Fy away






 ゆっくりと落ちていく石像。
 何もかもがスローモーションで、自分の体だけが動かなくて。
 部下の頭が、石の大地に落ちる。
「ああああああああああああああああっ!」
 彼女は叫んでいた。
 部下を助けるつもりが、このままでは粉々に砕けてしまう。
 タイネーブがこの地上から、永遠に失われてしまう。
「タイネーブッ!」
 彼女の体は、最後まで動かなかった。
 だが。
 石像と地面との間に割って入った一つの影。
 左手でその頭を支え、体ごとその石像を受け止める。
「アルベル!」
 がはっ、と息が吐き出される音が聞こえた。まさか、彼が助けるなどとはネルはつゆほども思っていなかった。
 タイネーブは、どこも壊れていなかった。無事だ。
「やってくれたわね」
 マリアが左肩を押さえながら、屋根の下に落ちたタイネーブとアルベルを見下ろす。
「あらあら。歪のアルベルともあろうものが、まさか仲間を助けるだなんてね。あなたは孤高の戦士ではなかったの? それとも、あなたの安っぽいプライドはもうなくなってしまったの? それともフェイトの物真似かしら? いずれにしても、弱くなってしまったものね」
「うるせえんだよ、クソ虫が」
 タイネーブを寝かせると、アルベルは立ち上がった。
「強い奴ってのは、仲間を助けてなお勝つことができる奴のことだ。他の連中がくたばっても自分だけが生き残る奴なんてのは強くもなんともねえ。それこそあの阿呆のように、仲間を助けて自分勝つ。そうしないと俺はあいつに追いつけないんでな」
「……そう。あなた、本当に変わったのね。残念だわ」
 マリアは興味をなくしたかのように表情を消すと、そのまま右手の銃をアルベルに向けた。
 そして容赦なく引き金を引く。
「アルベル!」
 ネルが叫ぶ。アルベルは回避しようと一瞬身構えるが、下にいるタイネーブの石像に気を取られ、行動することができなかった。
 銀色に輝く光の矢が、アルベルの体を貫く。
 だが、それでもアルベルはその場に立ちとどまった。
 貫かれた部分は、腹だ。内臓が丸ごと持っていかれている。
 致命傷だ。
「まだ倒れないなんて、さすがはアルベルね」
「うる、せえ、クソ虫……」
 さすがに声にも力がない。
「悪いけど、あなたにかまっている暇はないのよ。私の目的は、彼女だけなんだから」
 マリアはさらに一撃、また一撃とアルベルの体を撃った。
 アルベルの左肩と右足が打ち抜かれ、今度こそアルベルは倒れた。
「マリア……!」
 心から。
 ネルは、怒っていた。
 タイネーブ、そしてアルベル。
 自分の力を誇示するかのごとく、圧倒的な力で痛めつける。
 そんなやり方が。
 マリアが。
「許さない!」
 ネルは駆け出した。そして飛び上がり、マリアに襲い掛かる。
「そんな技で、私を倒すつもり?」
 マリアは迎撃しようとレーザーガンを構える。
 だが。
「凍牙!」
 もう一人のクリムゾンブレイドから放たれた技で、そのレーザーガンが一瞬凍りつく。
「なっ」
「くらえっ!」
 その隙をついて、ネルの飛び蹴りがマリアにきまった。
 マリアは屋根の上から転げ落ち、なんとか身をひねって着地する。
「やってくれるわね」
 マリアの目にも怒りの炎がともる。
「あなたなんかに、フェイトは渡さない!」
 マリアの右手が振りかぶられる。
 完全に、彼女の目は常軌を逸していた。
 何を彼女がしようとしているのか、ネルには分からなかった。
「ネル、避けて!」
 クレアがネルを突き飛ばす。そして、ぐぅっ、といううめき声が最後に聞こえた。
「クレア!」
 石化していた。
 冗談でも脅しでもなく、マリアは本気で全てのものを石に変えることができるのだ。
「くっ」
 アルベルも既に虫の息、クレアは石化。
 一対一。
「ここまでよ、ネル」
 マリアは凍結が解けた銃をまっすぐネルの頭に向けていた。
「マリア」
「フェイトの傍にさえいなければ、こうはならなかったのにね、ネル」
「最後に一つだけ聞きたい」
「なにかしら。いいわよ、一つくらいなら」
「どうして、こんなことをした?」
 色々な意味で、尋ねたいことはある。
 だが、マリアがいったい何を考えてこんなことをしたのか、それが分からない。
「そうね、何から話せばいいかしら。フェイト、そう、フェイトを手に入れるためにどうすればいいのか、考えたのよ。そうしたらまず邪魔者がいるからこれを排除しなければならない。でも、私が排除したのなら、当然フェイトは私を憎んでしまうわ。それは駄目。だから、考えたの」
「……」
「もう分かったでしょう? フェイトのディストラクションの力を操ってシランドを滅ぼそうとした一人の女がいる。私はそれを倒して、フェイトを助けるっていう筋書きなのよ。これならフェイトは私に感謝こそすれ、憎むことはありえないわ」
「フェイトがそんなことを信じるはずがない」
「死人に口なし、よ。だいたい、あなたはフェイトを操るためにセフィラを奪い、逃走した。これはまぎれもない事実。その状況証拠だけで十分よ」
 フェイトは、そんなことで惑わされるような奴じゃない。
 だが、このときネルの脳裏に浮かんだことは全く別のことだった。
 マリアは二重、三重に自分を追い詰めるように手を打っていたということだ。
 そこまでしなければならないほど、マリア『が』追い詰められていたということだ。
 それほどフェイトに固執する理由が分からない。いや、固執することは問題はない。それが何故『今』だったのか、ということだ。
 考えられることは、たったの一つ。
「ムーンベースで、何があった?」
 マリアの表情が変わった。
 手が震え、ネルを睨みつける。
「あなたには関係ないわ」
「やっぱり、ムーンベースで何かがあったんだね。そして、」
「うるさい」
 マリアから、完全に冷静さが失われていた。
「うるさい、うるさい、うるさいっ! なんで、どうしてなのよ!」
 マリアは銃を捨て、両手で頭を抱えた。
「ムーンベースで何があったんだ、マリア」
「うるさいっ!」
 そのまま素手で突進してくるマリア。
 やむなく、ネルも素手で応戦する。
 さすがに飛び道具さえなければ、マリアはネルの相手ではない。マリアの攻撃を軽く回避すると、その腕を取ってひねり、地面にねじ伏せる。
「ぐうっ!」
「ムーンベースで、あんたは何を知ったっていうんだい」
「私は、違う、私は、こんな、こんなこと……あああああっ! どうして、なんで私は彼を好きになってはいけないというの、違う、違う違う! 私は、ただ……来るな! 私は私よ! 誰のものでもないっ!」
 ぼぎっ、と鈍い音がした。
 マリアはつかまれた左腕の骨が折れるのも無視して、強引にネルを払いのけたのだ。
 そのあまりの力にネルは弾き飛ばされる。
「あなたさえいなければ!」
 マリアの右手には短刀。
 それが、ネルの脇腹に突き刺さった。
 決して致命傷ではない。急所は外れている。そのことを確認してネルは目の前の女性を見る。
「マリア!」
 その手を取ろうとするが、マリアは一瞬早く身を引く。
 そして、彼女の動きが止まった。

「いや……」

 マリアの表情が。
 何か、憑き物でも落ちたかのように、元に戻っていた。
「こんな、こんなことを望んでいたわけじゃないっ!」
 直後。
 石と化していた街が、一瞬で色を取り戻す。
(石化が解けた?)
 理由は分からないが、マリアの様子は明らかにおかしい。アルティネイションの力で石化していた街が時間を取り戻し、突然活動を始める。
「マリア!」
 マリアは落ちていた銃に飛びついた。
 そして。
「やめろ!」
 彼女はその銃身を自らのこめかみにあて──
「やめなさい!」
 引き金が引かれる前に、石化が解けたクレアによって、その腕をつかまれた。
「離しなさい!」
「何が起こっているのかは分からないけれど、死なせるわけにはいかないわ。あなたには色々と事情を説明してもらう必要がありますから」
 クレアは彼女に当身をあてがい、意識を失ったマリアの体を抱きとめた。
「ネル様、ご無事ですか」
 そして同じように石化の解けたタイネーブがネルに近寄って介抱する。
「正直、無事とは言いがたいね。でも……」
 致命傷ではない。
 それよりも、もう一人。
「アルベルは?」
 もはや死ぬ直前で息も絶え絶えといった様子だった。
「これでは助けるのは無理よ」
 クレアの言葉に顔をゆがめながら、ネルはアルベルの前にひざまずく。
「アルベル」
「……なんだ、無事だったのか、クソ虫」
 まだ、意識はある。
 だが、もう長くはない。
「あんたは馬鹿だよ」
 ネルは正直な気持ちを言った。
「タイネーブを助けるために、自分の体を盾にしたね」
「阿呆。この俺が、そんなことをすると思っているのか」
 もはや死を覚悟したのか、苦痛に耐えながらアルベルは流暢に話す。
「でも、感謝するよ。ありがとう。あんたのおかげでタイネーブは助かった」
「ふざけるな。俺は俺の、思うがままに行動しただけだ」
「それでも、感謝する」
「ふん……」
 アルベルはそう言って、最後に微笑んだ。
 そして、力を無くした。
「アルベルッ!」
 だが、もう彼は答えない。
 そして、同時に。
 ぐらり、とネルの体がよろめく。
(あれ……?)
 体に力が入らない。
 そんなに出血はなかったはず。
 それなのに、これは──
(毒……?)
 気付くのが遅かった。
 全身に毒が回り、体中から力が抜けていく。
(まずいね、これは……)
 アルベルに覆いかぶさるようにして、ネルは力を失う。
「ネルッ!」
 クレアの声が聞こえたが、答えるだけの力すら、彼女には残されていなかった。





Always

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