KISS IN THE SKY

第8話 Alwys






 ピッ……ピッ……。

 どこかで聞いたことのある電子音。自然の匂いが全くしない澄んだ空気。
 この、どことなく嫌な感じに彼女は覚えがあった。
(ここは)
 ゆっくりと意識が覚醒する。
 ペターニでマリアと戦い、毒の短刀で刺され、そして。
 何故、ここにいるのだろう。
 見慣れた、見慣れない部屋。
 ここは、ディプロだ。
 前に傷ついたときも、自分はここで治療を受けた。
 あのときは、目覚めたらマリアがいた。
 マリアがいたのだ。
「あ、気がつかれましたか?」
 だが、今度は違う。
 目の前にいたのは。
「ああ……久しぶりだね。元気だったかい?」
「よかった。無事みたいですね」
 にっこりと笑ったのは、フェイトの幼馴染のソフィアであった。
「私がどうしてここにいるのか、教えてもらえるかい? それから、あんたがどうしてここにいるのかも」
「はい。でも、本当にお体大丈夫ですか?」
「心配してくれるのはありがたいけどね、こう見えても体は丈夫なんだよ」
 ゆっくりと起き上がる。
 傷口もまるで痛まない。毒も完全に抜けているようだ。さすがに異世界の技術は高い。
「はい。まず、現状ですけどここはディプロです。ネルさんの他、クレアさん、マリアさん、アルベルさんがこちらに乗船されています」
「アルベル? 無事なのかい?」
「はい。危ないところでしたけど、もう命に別状はありません。なんとか助かりました」
「そうか、よかった」
 よかった?
 憎んでいる相手が助かってよかったなどとは、自分も随分丸くなったものだと思う。
「クレアも乗ってるんだね?」
「はい。タイネーブさんに後のことを任せられて、こちらにこられました。今はエリクールから少し離れた宙域にいます。もちろん、エリクールにはすぐにでも戻れます」
「オーケイ。マリアも乗ってるんだって?」
「はい。そうなんですけど……」
 口ごもるソフィア。何か問題があるという様子だ。もっとも、あのマリアの様子からして、問題がないはずがないのだが。
「ここはディプロだったね?」
「はい。クリフさんとミラージュさんが責任者として行動しています」
「クリフか……一応、状況を確認しておく必要があるね。今どこにいるんだい?」
「あ、はい。でも、体の方は」
「大丈夫だよ」
 ネルはソフィアの頭を優しくなでた。
「あんたは優しいね、ソフィア」
「え、え、あの」
 何故か照れて顔を赤らめるソフィア。
「でも、今は私も分からないことが多すぎるんだ。知りたいことが山ほどある。だから、クリフのところに案内してくれないか」
「分かりました」
 手を差し伸べるソフィアに、苦笑しながらネルはその手を取って立ち上がった。
「艦橋に案内しますね」
 ソフィアはそう言って、先に立って歩いた。
「そういえば、あんたはどうしてここにいるんだい?」
 その後をついていきながら、ネルが尋ねる。
「私はクリフさんから連絡をもらって、一緒にここまで来たんです。マリアさんはおそらく、フェイトに会いにくるはずだからって」
「ふうん。そのフェイトがどうしているのかは分かるのかい?」
「それが……」
 フェイトが普段から身に着けていたコミュニケーターが全く反応しないというのだ。つまり、消息不明ということだ。
「でもシランドのどこかにはいるんだろう?」
「いいえ。シランドにはもう人の姿はありません。フェイトの力で、完全に消滅してしまったようです」
 舌打ちしそうになるのを、なんとかこらえた。
 もし自分があのままおとなしく捕まっていたら、シランドは救えたのかもしれないのだ。
 だが、そのときは自分の命もまたなかったのだろうが。
(難しい選択だね)
 今は自分の命を無駄にするつもりは全くない。
 だからといって、自分が守っている国が滅びてしまうというのは本末転倒だ。
(国民全体と一人の命。どちらが重いかなんて子供でも分かる)
 以前に言った自分の言葉が重くのしかかる。
(でも私は)
 たとえ、他の誰かを犠牲にしてでも生き残りたい。
 フェイトと、一緒の時を歩みたい。
 そう願うのは、罪だろうか。
 軍人としては許されない罪であるのは間違いない。
 だが、一人の人間としては……。
「こちらです」
 思考が膠着したところで、艦橋に着く。ソフィアが先に中に入っていく。
「よう、目が覚めたか」
 中からいつもの声が聞こえてきた。
「ああ。久しぶりだね」
「そうだな。相変わらず美人で嬉しいぜ」
「あんたも相変わらずだね。そんなことを始終言ってたら、ミラージュに愛想つかされるよ」
「んな」
 一瞬、クリフの視線がミラージュへ向く。彼女は妖しく笑うだけで、何も言わなかった。
「やれやれ。相変わらず手厳しい奴だな」
「お互い様だね。もう少し早く来てくれればこっちも楽だったんだけどね。クレアは?」
 姿の見えない自分の親友の居場所を尋ねる。
「今は寝てるぜ。何しろつい二、三時間前まではお前の看病で二日間起きっぱなしだったんだからな」
「二日? そんなに時間が経ってるのかい?」
 うかつだった。先にそのことをソフィアに確認しておくべきだった。
「まあな。でもよかったぜ。マリアがきっとこっちへ来るだろうと予測してたおかげで、最悪の事態は免れたからな。もっとも、シランドはもう最悪の事態になっちまってるが」
「シランドはどうなってしまったんだい?」
「知らねえ方がいいと思うぜ」
 さすがのクリフも顔をしかめていた。
「映像はあるんだろう? だったら見せてくれないか。あのシランドがどうなっているか、知りたい」
「おい、ミラージュ」
「はい、クリフ」
 言われるがまま、ミラージュはパネルを操作した。
 するとすぐに、画面にシランド付近の映像が流れ出る。
「これは」
 見事に、そこには何もなかった。
 かつてシランドのあった場所は、見晴らしのよい荒野と化している。
「フェイトのディストラクションの力が暴走したってことだけど」
「みてえだな。俺もそこんとこはよくわからねえ。マリアに聞こうとしても、全く口をわらねえからな。リーベルの野郎が今も説得を続けてるが、一言も口をきかねえ」
「そういえば、マリアがここに来るってことを予測できてたみたいだけど、マリアはムーンベースで何を調べていたんだい?」
 うーん、とクリフはうなった。
「それも実はよく分からねえんだ。ただ分かってるのは、フェイトとマリアのこと、つまりあの『力』のことだな。それを調べていたっていうのは間違いねえみてえだ」
「そう、なるほど。一つ、共有しておきたい情報がある。もうクレアから聞いてるかもしれないけれど」
 ネルは簡単に、ペターニでの事件の顛末を話した。ほとんどはクレアから聞いていたらしく、話の整合性を確かめる程度でしかなかったが。
「いずれにしても、問題はそんなに多いわけじゃねえな」
「そうだね。シランドのことはこれからのこととして、結局問題は一つだ」
 それは、フェイトがどこにいるのかということ。
「マリアが言うには、死んではいないが生きてもいない、ということだったけどね」
「そりゃまた不思議な謎かけだな。いったいどういう意味なんだ?」
「さあ。マリアしか分からないだろうね」
 ということは、やることは一つだ。
「私にマリアと話させてくれるかい?」
「あ? そりゃまあかまわねえが、いいのか?」
「マリアなら大丈夫だよ」
 きっと今は話しても大丈夫だという自信がネルにはあった。
 そう、気付いたのだ。
 マリアの身に何が起こっていたのか、ということに。
「私一人で話すよ。あんたらは別室で状況を確認してくれないか」
「ああ、それじゃ頼むぜ。おいミラージュ、ネルをマリアんとこまで案内してやってくれ」
「はい、クリフ」
 とりあえずディプロも特別何かをしなければいけないという目的もない。時間はある。
 ミラージュは立ち上がるとネルを案内した。
「あ、あの」
 その二人にソフィアが尋ねる。
「私も、ついていったら駄目ですか?」
 彼女はおそらくフェイトを心配しているから、直接マリアと話したいのだろう。
 いや、もう話した後なのかもしれない。
「悪いけど、二人きりで話したいんだ」
 ネルは少しためらった後に答えた。
 ソフィアは残念そうに「分かりました」と答える。
「では、行きましょう」
 ミラージュが先に立ち、ネルが後に続く。
「それにしても、ネルさんはここの医療施設に縁がありますね」
 廊下でそんな他愛もないことをミラージュが話し出す。
「そうだね。これで二度もこの船に命を救ってもらったよ」
「もう死なないでくださいね。フェイトさんが悲しみますから」
 微笑むその横顔は美しかったが、どこか悲しげでもあった。
「気をつけるよ」
「はい。こちらです」
 ミラージュの案内で連れてこられた部屋は、艦橋からそう遠くない所だった。
 ネルは一度ノックしてから、部屋の中に入る。
 部屋の中には、ベッドの上で膝を抱えている少女の姿があった。
「マリア」
 特別拘束されているというわけでもない。単にこの部屋には一切の通信設備がなく、ドアには鍵がかかっており、どこにも連絡を取ることができないというだけだ。
「……」
 マリアは一瞬視線をこちらに向けたが、すぐに腕の中に顔をうずめる。
「馬鹿だね、あんたは」
 ネルはゆっくりと近づいて、そのベッドに腰掛けた。
「なんとでもいいなさいよ。私をなじるために来たんでしょう?」
「まさか、あんたにそんなことをして何になるっていうのさ。私が知りたいのはフェイトの居場所、それだけさ」
「私が話すと思うの?」
「思ってるよ。何しろ、あんたの洗脳は解かれたんだからね」
 マリアの顔が上がった。
 その顔は涙に濡れている。
「どうして」
 何故自分が洗脳されたのだと分かったのか、という意味の問いかけだった。
「簡単なことだよ。あんたはフェイトを手に入れるために私の命を狙った。でも、プライドの高いあんたがそんなことを自分の意思でするとは思えないからね。誰かに操られているのでもない限り」
「そう、半分は正解」
 服の袖で、マリアは自分の涙を拭く。
「私はフェイトを手に入れるために、自分で自分の意思を手放したのよ」
「意思を手放す?」
「そう。つまり、洗脳されることを受け入れた、ということ。私が洗脳されることを望んだのよ」
 ネルは言葉を失った。
 あのプライドの高いマリアが、そんな屈辱的なことを自分から望んだというのか。
「……」
「信じられない、という表情ね。でも事実よ」
「マリア……ムーンベースで、何があったんだい?」
 彼女は少し返答に詰まった。
 洗脳を自分から受け入れるなど、よほどのことがなければ承諾する人間はいないだろう。
 しかも、それを行ったのがマリアだなど。
 信じられないのは当然のことだが、それ以上に彼女に何があったのかが気にかかる。
「この間の戦いでアールディオンもバンデーンも崩壊したわ。地球連邦もほとんど壊滅したようなもの。エリクールはもちろんそんなことが影響するはずもないけど、今の宇宙は混沌としているわ」
「それが──」
 突然話をそらしたマリアを止めようとしたが、マリアは首を振って話を続けた。
「関係あるのよ。混沌としているということは、この宇宙を統一するまたとない機会だということでもあるのよ。そしてそのためには、突出した科学力・技術力を持つ必要があるということ」
「それは、フェイトの力ということかい?」
 ふふ、とマリアは笑った。
「私の力も、よ。全てを壊すフェイトのディストラクションと、全てを守る私のアルティネイション。この二つの力を手に入れることができれば、宇宙に敵はいないわ」
 ぞくり、とネルの体が震えた。
 バンデーン艦を一瞬で沈めたあの力を利用しようとしている者がいる。
 しかも、洗脳という方法で。
 それがどれほど恐ろしい結果をもたらすかは、先のペターニ、シランドを見れば明らかだ。
「フェイトはどこにいるんだい?」
「私を洗脳した男の所よ」
 それは、いったい。
「誰だい?」
「地球連邦軍のヘルメス最高司令長官。覚えてないかしら、アクアエリーのヴィスコム提督の上官だった男よ」
 そういえばそんな人物がいたような気がする。あのときは自分も変わりすぎた環境になじめず、誰が誰なのか区別があまりつかなかったが。
(ヴィスコム提督か)
 立派な軍人だった。見習うべき点が多かった。課せられた任務と、果たすべき責任を全てまっとうした人物だった。
 その上官が。
「もう洗脳はされてしまっているんだね」
「そう。私の洗脳は中途半端だった。私は自分の意思を半分残して、フェイトを手に入れるために理性のタガを外すための洗脳だった。そのかわりにヘルメスに協力したんだけどね。でも、フェイトの場合は違うわ。ディストラクションがもう暴走状態に入ってしまっている。それを封じ込めるためにも、完全に彼の意識を奪うしかなかった。セフィラがなければ彼の力が暴走するというのは本当のことよ。シランドはそれで滅びたのだしね」
 ネルの表情がゆがむ。その原因の一端は自分の行動にあるのだ。
「ヘルメスはフェイトの意識を残しておきたかった?」
「そうよ。言いなりになる人形よりは、自分に逆らうことのない忠実な部下の方が便利ですもの。私の時のように自分の判断で行動できる方がいいのよ」
「どこで洗脳されたんだい?」
「私はムーンベースから連邦軍に移動して、その基地の中で。フェイトはシランドで。私が直接洗脳操作をしたわ」
「あんたが」
 マリアは座ったままの体勢で肩をすくめる。
「洗脳の仕方はヘルメスから仕込まれていたのよ。フェイトに会ったら洗脳するようにとね」
「セフィラを手に入れようとしたのは、ヘルメスの命令かい?」
「そう。あのセフィラはフェイトのディストラクションを抑えるためになんとしても必要だったし、それにもう一つ。あのセフィラの無尽蔵の力があればさらにヘルメスの力は強化される。それを見越してのことよ」
 なるほどね、とネルはうなずいた。
 結局、全ての黒幕は地球連邦のヘルメスという男。それがディストラクションとアルティネイション、そしてセフィラを手に入れようとしている。そしてディストラクションは既に彼の手の中ということだ。
「フェイトはどうやって連れられたんだい?」
 あのシランドの消滅までは、確かに彼はここにいたはずだ。
「分かっているとは思うけど、ディストラクションの暴走はとどまることを知らなかったわ。洗脳操作でなんとか押さえ込んでいたけど、ついに暴発してしまった。シランドは消滅した。私の力では手に負えなかったから、その後すぐに地球連邦軍に私が送ったの。今度はヘルメスがじきじきに、完全に洗脳するためにね。本当は私がフェイトとセフィラを持っていく予定だったんだけれど」
「そしてあんたはペターニに現れた。セフィラを手に入れるために」
「それが半分よ」
「半分?」
「もう半分は、あなたを殺すために。ネル」
 真剣な表情で二人は見つめあう。
「本気だったのかい?」
「そうね。少なくともその気持ちが今でもあるのは間違いないわよ。あなたはフェイトに愛されている。それがどれだけ私の心を駆り立てるか。きっと、愛されているあなたには分からない」
 そうだろうと思う。どれだけ自分が苦しんでいても、辛かったとしても、自分は愛されている。その一事で他の苦しみなどあってないようなものだ。
「だからといって、私を殺して解決するなんてこと、あるはずがないのに」
「そうよね。でも、そういったことを考えないようにするために、理性で自分の感情を押し殺したりしないようにするために、私は洗脳を受け入れたのよ」
 おろかなことだと、分かってはいたんだけれどね。
 そう小さく、マリアは呟いた。





 マリアを部屋に残し、ネルは別室で待機していたクリフたちのところへ戻る。
 既にクレア、アルベルも起き上がっていて、ソフィア、ミラージュと共に状況を確認していた。
「ネル、よかった」
 クレアが抱きついてくるので、ネルも優しく抱き返す。そのままアルベルを見やった。
「助かってよかったよ。あんたの力はこの後も必要だからね」
「俺があのくらいで死ぬか、阿呆」
 目線を合わせないのは、ペターニでの言葉が照れくさかったせいだろうか。ネルは心の中だけで笑った。
「それにしても地球連邦か。やれやれ、また話が大きくなってきやがったな」
「でも、フェイトを助けるためには行くしかありません」
 クリフの言葉にソフィアが力強く言う。
「そうだね。あいつの力が軍事的に利用されるなんて、真っ平だよ。私はあいつを助けに行きたい。あんたはどうなんだい、クリフ」
「おめえに言われるまでもねえよ。別に相手が誰だからって俺たちのやることに変わりがあるわけじゃねえ。すぐに出発できるぜ」
「目的地は判明しています」
 クリフの言葉に続けてミラージュが答えた。
「惑星ストリーム。地球連邦軍はその付近に基地を建設しています。セフィラを手に入れようとしたのは、もしかしたらFD世界との関係があるのかもしれませんね」
「向こうに攻め込むってことか? そりゃやめた方がいいな。いくらこの世界が独立したからって、向こうと接触することで何が起こるか分かったもんじゃねえ」
「でもそうしたら、ソフィアはどうなるんだい?」
 ネルが彼女を横目で見ながら尋ねる。
「はい? 私ですか?」
「何をとぼけてるんだい。あんただってコネクションの力を持ってるんだろう」
 あ、と口をあけてようやくソフィアはそれに気がついていた。完全に忘れてしまっていたらしい。
「もしかしたらソフィアも狙われてるかもしれねえな。まあいずれにしても、フェイトが向こうにいるって時点でどうにもならねえ状態なんだ。考えても仕方ねえ。とっとと行くしかねえな。ミラージュ、すぐに艦内放送だ。惑星ストリームへ行くぜ」
「はい、クリフ」
 そうして、にわかにディプロが活気づきだした。
 この混乱した宇宙が今後どうなっていくのか。
 それは、FD世界から独立したエターナルスフィアが迎える、最初の苦難にすぎないのだ。
(明日のことを気にしても仕方がない)
 いずれにしても、人は今を生きるしかない。
 だから。
(私は、あんたの傍にいたいよ。フェイト)
 心の中で、大切な人に優しく呼びかけた。





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