KISS IN THE SKY
第10話 果てなく続くストーリー
新宇宙基地は嘘のように静まりかえっていた。
はじめからマリアの洗脳で全てが片づくと思っていたのか、それともさらに罠が設けられているのか。到着した場所から一人の兵士にも会わないというのは逆に不気味だった。
長い通路の果てにある扉を抜けて、またひたすら走り抜ける。
この先にいったい何が待っているのか。
(フェイト)
この先にいるのは間違いない。
会えなくなってから、それほど時は経っていないはずだった。せいぜい十日、いやそれよりはずっと短い。
それなのに、どうしてこんなにも長く離れていたような気がするのか。
あのカルサアで再会した時も長く感じた。
(本当に、骨抜きにされてしまったね)
こんなのは自分らしくない。
そんなことを何度思い描いただろう。
クレアと一緒にいるのを見て、嫉妬したこともあった。
彼の優しさに甘えてしまうのを恐れて、拒絶したこともあった。
命を救ってもらったことも、命を救ったことも。
それなのに。
(私は、まだあんたに何も言っていない)
不器用な性格は、彼に素直な気持ちを伝えることすらできていない。
(うまく言葉にできないんだ)
愛しているというと、何かが足りないような気がする。
必要だというと、何かが違うような気がする。
これだけの溢れる想い。
伝えたい。
彼なしでは、もう生きる意味すら見つけられないほどの感情を。
「到着か」
クリフが言って立ち止まる。
そこは格納庫だろうか、非常に広い空間だった。
「やあ、待っていたよ。クォークの諸君」
その奥から聞こえてきたのは。
「ヘルメス司令長官か」
「ようこそ、と言いたいところだが、どうやらマリアは失敗したようだな」
それでもまだ余裕の表情を浮かべているあたり、やはり何らかの罠が仕掛けられていると見るべきか。
「そんな小賢しい罠にひっかかるかよ」
「そう。私もそう思っていたのだよ。あの娘は感情に走りすぎる。洗脳しても決してうまくはいかないだろうとな。だから、もう一つの駒を使わせてもらおう」
ヘルメスが指を鳴らすと、ヘルメスの背後のドアが開く。
(もう一つの駒)
それは、誰の脳裏にも容易に予想がついた。
だから、その人物が出てきたときに、誰も驚かなかった。
「フェイト」
うつろな瞳で、ゆっくりと歩いてくる。
外傷があるようには見えない。単に洗脳操作を受けてしまっているというだけのことだ。
「ふん、それが奥の手か」
アルベルが笑いながら言う。
「ちょうどいい。積年の決着、ここでつけてやる」
「待ちな、アルベル」
ネルは剣を抜いたアルベルを制する。
「フェイトにはディストラクションがある」
「知ったことか!」
アルベルが突進する。が、ネルがそのアルベルを体当たりで突き飛ばした。
直後、アルベルがいた空間が『破裂』し『消滅』した。
「なんだと?」
まっすぐ突進していたなら、きっと今の現象に巻き込まれ、命を落としていたに違いない。
「あれがディストラクションの力かよ」
クリフが顔をしかめてフェイトに向き直る。
「おいフェイト! なに操られてんだこの馬鹿! さっさとおきやがれ!」
だが、その瞬間にフェイトからの力が飛ぶ。クリフは飛び退いて回避するが、これでは近づくことすらできない。
「無駄だよ。この私が直接洗脳操作をしたのだからな。もはや私の命令以外、何も受け付けることはない。さあ、やれ。フェイト!」
「回避しろ!」
クリフの号令で全員が散らばる。空間に亀裂が走る。
「おい、ヘルメス! てめえ、なんだってこんなこと考えやがった。お前はもともとこんな真似をする奴じゃなかっただろうが!」
「そうとも。常に節度を保ち、正義と秩序をもって今の地位を築いた。それがこの私だ」
フェイトの攻撃が一度止む。
「だが、あのエクスキューショナーには正攻法の攻撃などまるで通用しなかった。お前たちだってわかっているだろう、あのアクアエリーですら、一矢報いることすらできずに滅び去った。あまりにも強大な敵に対して、我々の力は無力だ。だからこそ武装しなければならない。強い武器を手にしなければならないのだよ」
「洗脳操作をしてでもか? 対話することもなく、そんな非道があるもんかよ!」
「そうとも。私はあのエクスキューショナーと戦うにあたって、正面から戦う以外の道を知らなかった。結果があの惨敗だ。もっと狡猾に行動できれば、敵を殲滅することだって可能だったはずだ。全ては指揮官であるこの私が、平凡な人間だったことが間違いだったのだ」
「だがエクスキューショナーはもういない。こんなことをする必要はねえだろうが!」
「そうかな」
ヘルメスは何でも知っているという様子で、自分を睨みつける五人を見返した。
「お前たちは異世界まで行って創造主を倒したそうだな」
「それがどうしたってんだ」
「だが、創造主の部下たちは生き残っているというではないか。いまだに創造主の部下たちはこの世界を支配しているのだろう? いつでもエクスキューショナーを送り込めるのだろう?」
「そんなことはねえよ。確かに部下は部下かもしれねえが、俺たちと変わらねえぜ。裏切る部下もいれば忠実な部下もいる。今の体制でエクスキューショナーが送り込まれることは絶対にない」
「十年後は? 百年後は? 千年後は? 常に見張られている我々に、明日は必ず約束されているとでもいうのか? ありえん! 今はあくまでも今でしかない。未来は我々の手で勝ち取らなければならないのだ!」
「……だからどうしようってんだ?」
「知れたこと!」
ヘルメスは狂気の瞳をもって宣言した。
「このフェイトの力をもってFD世界へ攻め込むのだ!」
「馬鹿な! 無意味だ!」
「無意味でなどあるものか! 約束されていない未来を恐れながら生きろとでもいうのか! 人ならば! 自らの運命は自らで切り開いてみせるのが人であろう!」
「阿呆が」
アルベルが吐き捨てた。ネルもまったく同感であった。
「こんな奴がいるから……エクスキューショナーが来るんだ」
「そうですわね。お仕置きが必要でしょう」
エリクール人たちの決意は早い。
「一つだけ言っておくぜ、ヘルメス」
クリフが代表して言う。
「この世界はもうFD世界から完全に独立しちまってるんだ。奴らがエクスキューショナーを送り込んでくることはもうない」
「貴様などの約束に価値などあるものか」
「……だが、もしお前がそうやっていつまでもFD世界へ侵略しようと考えるなら、向こうの住人はこの世界そのものの消滅を考えるかもしれん」
プログラムの完全初期化。
そうしてしまえば、この世界に生まれたバグは全てがいなくなる。
「お前がやっていることが世界に破滅を導くことになるんだ。それを理解しろ、ヘルメス!」
「たわけ! ならばなおのこと、FD世界そのものを制圧しなければ我々に明日はないではないか!」
「この分からずや!」
もはや説得も会話も不要、とばかりにそれを聞いたヘルメスが片手を上げる。
「貴様らの話など聞いていられるか。さあフェイト、お前の仲間たちを殺してしまえ!」
再び、フェイトの虚ろな瞳がその言葉に反応する。
だらしなく半開きになった口から、うう、といううめき声のようなものが漏れて、フェイトの右腕が動いた。
「フェイト!」
ネルが叫ぶ。
「あんたは、私のことすら忘れたっていうのかい!?」
フェイトの手がネルへと向けられる。
「くっ」
飛び退る。直後、自分がいた空間が破裂する。
(フェイト……)
自分の声が届かない。
相手の意識に触れられない。
たとえ洗脳されているとはいえ、自分のことは心の奥底に必ず覚えているはずなのに。
それほど、強く洗脳されているというのか。
完全に意識を奪われているというのか。
(フェイト、フェイト、フェイト)
そこに、愛しい人がいるのに。
ほんの十歩先にあなたがいるのに。
触れることもできない。
キスすることもできない。
(フェイト、フェイト、フェイト、フェイト)
涙腺が緩む。
どうしようもない想いに縛られる。
「フェイト!!」
彼女は突進した。
どんなことがあっても、彼に仲間殺しなどさせるわけにはいかない。
こんなところで……。
見ず知らずの人間にいいようにされる理由はない!
すう、と無機的にフェイトの手が上がる。
まっすぐに、ネルの体を捕らえる。
殺される?
そんなことを考えて、彼の顔を見た。
その、虚ろな瞳から。
涙が流れていた。
(……そうかい)
忘れていない。
たとえ、洗脳されていても。
届いている。
たとえ、洗脳されていても。
自分の気持ちと、想いは、しっかりと。
(死ぬわけにはいかないね)
死にたくないと思う。
彼のために。
彼が苦しむことがないようにするために。
だが、容赦なく彼の体は動く。
力が発動される前に、一瞬彼の額に蒼い輝きがともり、衝撃が彼女へと放たれる。
回避できない。
(死ねない)
想いは、現実には及ばない。
(でも)
これが最後だろうか、とそんなことを考えた。
死ぬわけにはいかないと思う。
だが、それがかなわないのなら。
せめて、その気持ちだけは届けたい。
だから精一杯に、微笑んだ。
(愛してる)
その波動を、彼女は正面から受けた──
Shining Star
もどる