KISS IN THE SKY

第12話 太がいるから






 水の色。
 風の色。
 彼の精神世界は、全て自分たちの世界と同じ。
 それだけ、彼が素直な心を持っているということ。
「ここが、フェイトの世界か」
 エリクールとはいえないだろう。ここには彼女では分からない設備が整いすぎている。おそらくはエリクールと地球とが混ぜ合わさった世界なのだ。
「さて、あいつはどこにいるんだろうね」
 見慣れた、見慣れない町並み。
 ベースがエリクールだからこそ、彼がどれだけこの星のことが好きだったかということが分かる。
 だが、一人の姿も見えないのはどういうことだろう。
 彼の心の中にはたくさんの人がいるはずなのだ。
 自分も、マリアも、ソフィアも。亡くなった父も。
 ここは精神の世界。彼が望むべき世界なのだから。
「フェイト」
 会いたい。
 もう、しばらく会ってないような気がする。
 彼が倒れる前、猫のようにじゃれてきた頃が懐かしい。
 会えなくなると分かっていたなら、もっと甘えていた。
 だが、そうした考えが危険だということは分かっている。誰しも未来が予測できるのなら、おのずと行動は変わってくるはずなのだ。
「問題はマリアだね」
 彼女の束縛からどうやって解くか。
 だが、自分が不安になっているのなら、彼を助けることなどできはしない。
 たとえ彼女を傷つけてでも彼を取り返す。
 それだけだ。
「この町の見取り図があるといいんだけど」
 シランドに似ているが、微妙にシランドではない。
 どこかで見てきた町並みが重なり合っている。
(王城か……)
 見上げると城は遠くにある。
 フェイトがそんなところにいるだろうか。城はあくまでも彼が働く場所であって、滞在する場所ではない。だとしたら、民家や宿ということになるが。
 とはいえ、彼は城で過ごすことが多かった。一応、シーハーツから城下町に部屋を与えられてはいたが、そこで過ごすことは少なかった。
(民家か)
 一つだけ、イメージできる場所がある。
 彼にとって、そこは神聖な場所。
 というよりも、そこ以外に彼が居そうな場所というものが思い浮かばなかった。
 その場所は、それほど遠いところにはなかった。
 彼のイメージの世界なのだから、当然大切なものほどその世界の中心にあるはずなのだ。
(まったく……そんなに悩むことはないのにね)
 その家の前に立って、ふう、と息をつく。
 そこは、アミーナの家だった。






 扉を開けて中に入る。
 人の気配。奥の部屋から笑い声が聞こえてくる。
 子供の声だ。
 そんなことを考えていると、やがてその部屋から若い女性が現れ出た。
「まあ、ネル様!」
 そこにいたのはソフィア──いや、違う。
 アミーナだ。
 死んだはずのアミーナが、フェイトの精神世界で生きている。
「ああ……アミーナ、かい」
「はい。すみません散らかしていて……今すぐに片付けますので」
「いや、いいよ。それより、体はいいのかい?」
 しまった、と安易な発言を悔やむ。だが、アミーナは笑顔で「ええ」と答えた。
「ネル様に命を助けていただいてからは、本当に体調がいいんですよ。お医者様からも、もう大丈夫だと太鼓判を押されました。それも全てネル様のおかげです。本当にありがとうございました」
 ──どうやら、フェイトの世界で自分は『アミーナの命を救った相手』という役を与えられているらしい。
「それはそうと、奥がにぎやかみたいだけど?」
「ええ。子供たちが毎日大はしゃぎですから……すみません、今呼びますね」
「あ、いや」
「マリア! フェイト! あなたたちの大好きなネル様が来ていらっしゃるわよ!」
「えーっ、本当!?」
 ばたばた、とにぎやかな音を立てて奥から出てきたのは。
(フェイト?)
 そこにいたのは。
 ほんの四、五歳ほどの少年と少女。
 蒼い髪と緑色の瞳をもった双子の姉弟。
「ほんとだ、ネルだ!」
「フェイト! きちんとネル様って言わなきゃだめでしょう!」
「だって、ネルはネルだもん!」
 幼いフェイトは全力で抱きついてきた。そのフェイトを思わず抱きしめる。
「もう、フェイトはネルにぞっこんなんだから」
 幼いマリアが怒り気味に口をとがらせた。
「だって僕、世界で一番ネルが好きだもん!」
 涙腺が緩む。
 思わず、涙があふれそうになるのを彼女は必死でこらえた。
(フェイト……!)
 この子は、フェイトじゃない。
 でも、フェイトなのだ。
 フェイトの感情が、ここにある。
 それなのに──このフェイトは、自分と過ごした時も、かわした約束も、全てを忘れてしまっている。
 彼女は、幼子を強く抱きしめた。
「ネル……?」
 苦しそうに、幼いフェイトはネルを見ようとする。だが、彼女の顔が後ろにあるため見ることができない。
「あんたはバカだよ、フェイト。こんな……こんな世界を望むだなんて」
 マリアの望みをかなえるために、自分の望みを永遠に封じ込めるだなど。
「フェイト」
 その二人の様子に、ませた感じのマリアがため息をついて声をかけた。
「ちょっと向こうに行ってなさい、フェイト」
「え、でも」
「いいから。あなたのネルと引き離したりなんかしないわよ。アミーナお母さんも、ちょっとネルとお話させてくれる?」
 はいはい、とアミーナは応えてフェイトを連れて奥の部屋へいく。
「全く、まさかあなたがここまで来るとは思わなかったわ、ネル」
 その口調。
 その雰囲気。
 ──間違いない。
「マリア」
「どうせ、ソフィアのコネクションの力を使ったんでしょうけど。せっかく私とフェイトが幸せに暮らしてるっていうのにね」
 マリアの意識は、昔のままだ。
「あんたの幸せって、そんなものなのかい」
 ネルは負けじと言い返す。
「フェイトにとってあんたはただの姉なんだろう。それも、フェイトはこの世界ですら私のことを想っている。あんたはそれで、幸せだっていうのかい」
「でもここにあなたはいなかったわ。今の今まで」
 子供のマリアは女の目をして睨みつけてくる。
「……ここには私とフェイトしかいない。フェイトとずっと一緒にいられるのよ!」
「無意味だね。自分を想ってくれもしない男と一緒にいるなんてさ」
「そういうあなたはどうなの。奇麗事を言って、私からフェイトを取り上げようとしているだけなんでしょう!」
「そうだよ」
 悪びれもせず、感情を変えもせず、はっきりとした声でネルは答える。その強さにマリアの方が怯んだ。
「私はフェイトを愛している。だから、あんたに渡すわけにはいかないよ。不当にフェイトを独占しているあんたにはね」
 不当、という言葉が響いたのだろうか。悔しそうにマリアの顔がゆがむ。
「……私には、他に手がなかったのよ」
「そうかい? 姉弟としてなら、あんたもエリクールで一緒に暮らせばよかったんだ。あんたは自分の都合のいいように、自分の傍にいてくれるフェイトを望んだ。それはあんたの我侭だよ」
「あなただって! フェイトをエリクールへ連れて行ったじゃない!」
「私がフェイトを連れてきたんじゃない。フェイトがエリクールに残ることを自分で決めたんだ。ま、確かにバツの悪い思いは私もないわけじゃないけどね。ただね、決定的なことを言ってあげようか」
 その言葉は残酷かもしれない。
 だが、ネルは言わざるをえなかった。
 フェイトを取り戻すために。
「フェイトは自分から私の傍にいることを選んだんだ。情に訴えるでもなく、自分の意思でね。私が離れたくないから傍にいてほしいと言ったら、あいつは絶対にそうしてくれただろう。だから私はそれを言わなかった。それくらいなら、別れることを選んでいたよ。でもあいつは私の傍に来てくれたんだ。マリア、あんたの傍じゃない」
 マリアの表情が凍りつく。
「実の姉で弟を愛することができないっていう気持ちは私には分からないよ。でも、私は自分の立場を利用して相手を絡めとろうだなんて、考えたことはない」
「う……」
「私は確かにあいつに甘えているよ。自覚している。でもね……相手の弱みにつけこむ真似はできないよ。自分が自分でいるためにもね」
「だって!」
「だっても何もない。あんたのは、相手の立場を考えずにとった自己満足の代物にすぎないよ。自分だけが幸せになって、相手は何も幸せなんかじゃない。そんなことをしても誰も幸せになんてなれない。あんたも含めてね」
「……!」
「もう気づいているんだろう? フェイトをこんな世界に押し込めてしまった後悔に。どんなに望んでも自分のことを女性として見てくれない悲哀に。だったらこんな世界は、無意味だよ。他の誰でもない、あんたにとって無意味だ」
 マリアは、がくりと崩れ落ちた。
 ネルはこのとき、マリアの気持ちをほぼ洞察することができていた。だからこそ痛烈な言葉で責めることができた。自分が責められたときに一番苦しい言葉を選べばよかっただけのことなのだから。
「フェイトは連れ帰らせてもらうよ。それからマリア、あんたも一緒にだ」
「私も?」
「そうさ。あんたはフェイトの姉なんだろう。だったら私にとっては義理の姉だ」
 マリアが絶望的に顔を歪めた。
「私をお義姉さんだなんて呼んだら、一生許さないわよ」
「そうだね。嫌がらせ程度には面白いかもしれない」
「ネル!」
「冗談だよ。それじゃあ悪いけど、フェイトに会わせてもらうよ」
 はあー、とマリアはため息をついた。
 そして。
 マリアの形が変わっていく。
「……」
 それはもう、元通りの、二十歳になったばかりのマリアの姿だった。
「悪かったわね、ネル」
「別に気にしちゃいないよ。最終的にフェイトが戻ってくるならね」
「先に戻ってるわ。でも……彼を説得する方が大変よ」
「?」
 ネルは顔をしかめた。
 マリアという枷がなくなってしまえば、フェイト本人を連れ戻すことは可能だと考えていたからだ。
「彼はシランドを滅亡させたのよ。彼がここに来たのは私のためだけじゃない。その罪の意識から逃れるためなのよ」






 ネルはフェイトの部屋の前まで来ていた。
 自分を落ち着けるのに、五分は必要だった。
 そうだ。
 滅びたものは戻ってはこない。シランドは滅亡した。それは事実なのだ。
 そして、その事実の根源となったものは、フェイト・ラインゴッド。
 彼の力、ディストラクション。
(そうか……彼の母がアミーナだっていうのは)
 ロキシ・ラインゴッド博士がここにいないのは、彼がディストラクションの力を無意識に制限しているから。
 ロキシに会えば、その力のことを、そして罪もない何万、何十万という人間を消滅させたことを思い出してしまうから。
 この扉の向こうから、言いようのない哀しみが伝わってくる気がする。
 彼は今、何を考えているのか。
 一人で。
(あんたは一人なんかじゃないよ)
 ずっと、一緒にいたい。
 ずっと、笑い合いたい。
 それが、自分の絶対条件。
「フェイト」
 扉を開ける。
 だが、その向こうから強烈な波動が迸った。
 その衝撃に、彼女の体は反対側の壁に叩きつけられる。
(これは、ディストラクションの力?)
 部屋の中で、フェイトを中心に螺旋を描くようにして力が渦巻いている。
「ネル」
 幼いフェイトは泣きそうな顔で自分を見る。
「マリアはどこ?」
「マリアは……」
「マリアがいないと、僕の力が暴れだしちゃうよ」
 気づいている。
 彼は、自分の力が『危険』だということを知っている。
「もう、誰も殺したくないのに……!」
 荒野となったシランドの絵が彼女の脳裏に浮かぶ。
「フェイトッ!」
 だが、彼の意思に反して、ディストラクションの力は暴走を始めた。
 蒼い輝きが、額に生まれる。
「フェイ……」

 ──爆発した。





飛び方を忘れた小さな鳥

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