FRIENDS 2

第1話 SN






 冬のアーリグリフは陽が落ちるのが早い。
 雪こそ落ちていないものの、風は強く、身が切られるほどの寒さが町を覆う。
 城のバルコニーから見下ろす町並みは、相変わらず閑散としている。明かりは灯っているものの、寒い日は誰も出歩かない。みな、家の中で暖を取り、次の日に備えている。
 ──寒い。
 灰色の空を見上げながら、アーリグリフ国王アーリグリフ13世こと、アルゼイは白い息を吐き出す。
 ブラウンの瞳に、ようやく舞い降りてきた白い妖精たちの姿が映った。
「まだ降るか」
 雪。
 ようやく春になり、雪解けが近づいてきたというのに、まだこの町は白い闇に包まれている。
 今年の冬は、エリクールからの援助もあり、救援物資の到着が遅れた一部の地域を除いてほとんど餓死者は出なかった。
 もっとも、今さらこれ以上雪が降ったところで、施政になんら影響が出るというものではないが、それでも春が遅れるのは望ましいことではない。
「今日は寒いな」
 自分の肩に落ちてきた細かい雪の結晶を見て呟く。
 雪は気温が寒ければ寒いほど細かさを増す。これほど細かいのなら、気温は大体マイナス10℃といったところか。春も近づいているというのに、この寒さは滅多にないものだ。これが深夜になればさらに寒さが一段と増すだろう。
 とはいえ、それほどの寒さが毎年全くないかというと、そういうわけでもない。春が近づき、雪解けが始まってからでも気温は寒暖を繰り返す。寒い日もあれば、温かい日もある。
(最後の冬妖精、か)
 アーリグリフには一つの言い伝えがある。
 春が近づいてきた最後の厳寒の日には、予想もしなかった客が訪れる、という。
 それは決して単なる言い伝えというわけではない。長い冬が終わり、雪解けも始まり、ようやく遠方へ出かけられるという時期に達し、はるばる旅を始める者が出始める。だが、温かい日の後には寒い日がやってくる。出発したときには温かい気温でも、目的地に着いた日が寒いということはよくあることだ。
「陛下」
 バルコニーまで出てきたウォルターが声をかけた。
「雪が降り始めました。お体に障りますぞ」
「かまわん」
「ですが」
「何かが起こっている。こういうときの俺の勘はよく当たる」
 そう。この国の王位を継ぐことを決意した日。
 自分に協力することを誓ったウォルター伯、そしてアルベルの父親グラオ・ノックスがやってくることが、何となく感じられていた。
 あれも、春の直前、寒い雪の日だった。
(誰かが来る……)
 予想もできない、誰かが。
「ウォルター、下がれ」
「は。ですが……」
「少ししたら戻る。だから、今は一人にしておいてくれ」
「は」
 ウォルターは言われた通りに引き下がる。
 そして、アーリグリフ王はその白い闇を見つめた。
「誰だ?」
 誰もいない空間に呼びかける。
 だが、当然誰も答えるはずはない。
 気のせいかとも思ったが、そんなことはない。
 そこに、誰かがいる。
 するとようやく、くすり、と笑う声がした。
「久しぶりだね、アルちゃん」
 国王は顔をしかめた。
 ゲート大陸広しといえども、この自分を『アルちゃん』などと呼ぶ人間は、一人しかいない。
「お前か、エレナ」
 バルコニーの手すりに腰掛けた状態で、エレナが姿を現す。
 相変わらずの美貌がのほほんと微笑んでいる。
「こんなところまで、何をしに来た」
「せっかくここまで来たのに、そんなことしか言えないの?」
「お前が来たのだ。何かよからぬ企みごとがあるのだろう」
「あったり〜」
 白いため息が漏れる。
 何をしようとしているのかは分からない。だが、こんなときですら。
(未練だな)
 国王は苦笑いを噛み潰す。
「俺をどうするつもりだ?」
 単刀直入に尋ねる。
「とりあえず、攫って逃げてもいいかな?」
 そんなことは尋ねるものではない。
 今度こそ苦笑しながら、国王はさらに尋ねる。
「何故、今なのだ?」
 前にエレナは、自分の求婚を拒んだ。
 それなのに今さら、何故。
「話すと長いんだけどね。私も自分の思った通りに生きてみようかなと思っただけ」
「思い通りにか。その心変わりの理由はなんだ?」
「う〜ん」
 エレナは小首をかしげ、横目でアーリグリフの町を見下ろす。
「アルちゃんは、この国が好き?」
「当たり前だ」
「私と、どっちの方が好き?」
 そんなことを尋ねられても困る。
 目の前の女性は生涯で唯一愛した女性。だが、自分はもはや単なる一個人ではない。自分の感情のままに生きることは許されないし、そのつもりもない。
「選べないよね。だから、人攫いに来たの」
 エレナは指を鳴らした。
「何をした?」
「私の可愛いエクスキューショナーたちを、とりあえず20体ほど。大丈夫、アルちゃんの可愛いロザリアには指一本触れないようにって命令してあるから」
「お前がエクスキューショナーを……」
「悪いけどね、アルちゃん。国王が人質だなんて前代未聞かもしれないけど、そうなってもらうよ」
 手摺りから降りて、エレナは直立する国王に近づき、右手で彼の頬に触れる。
「歳取ったね」
「お互いさまだ」
 エレナは自分から彼に口付けた。
 国王の口に舌が入り込み、同時に薬をねじ込まれる。
 国王は、逆らわずにそれを飲み込んだ。
 そう。
 自分の感情のままに生きられないのなら、他人に自分の運命を任せてみるのもいい。
 そんなことを、ずっと思っていた。
 そして、自分の運命をたくすことができるとすれば、それはたった一人。
「……エレナ」
 気を失う瞬間、彼女の背に純白の翼が見えたような気がした。
 彼女は倒れかかってくる国王を抱きとめた。
「アルちゃん」
 もはや意識のない彼の耳元に囁く。
「好き」
 彼女は国王を抱きしめたまま、光となって消えた。






 なんとか大聖堂に戻ってきた三人は、まさに満身創痍といった様子だった。
 特に精神の疲労が著しいマリアにいたっては完全に気絶しており、フェイトに抱きかかえられて運ばれていた。
 そのフェイトにしても全身に裂傷を負い、足元もおぼつかない。
 ネルもまた全身汗だくで、今にも倒れそうな様子だ。
「ただいま、戻りました」
 かすれた声でフェイトが言う。
「ネルと、マリアの手当てを、どうか……」
 そこまで言って、フェイトもまた気を失った。
「フェイト!」
 同じくかすれた声でネルが倒れかかったフェイトを抱きとめる。だが、フェイトとマリアの二人を同時に抱きとめられるほどネルも体力が残っていたわけではなかった。
 二人の下敷きになって倒れる。
「くっ……」
 ここまで疲労したのはいったいいつ以来だっただろう。
 そう、あれはカルサア修練場。もう敵を倒す力など少しも残っていなかったあの時以来だ。
 自分を助けるために駆けつけた彼の勇姿を今でも覚えている。
 あの時は戦うことも今ほど苦痛ではなかった。何故なら、相手は『敵』だったからだ。
 今回は『敵』ではない。
 自分の尊敬する、エレナ・フライヤ博士。
(どうして)
 戦わなければならないのか。その理由は何だというのか。
 分からない。
 何もかもが混乱していて、思考することができない。

 何故──?

 彼女の意識もまた、闇に包まれていった。



「目が覚めましたか?」
 フェイトは自分の部屋で目覚めた。見慣れた顔が一つ、自分の顔をのぞきこんでいる。
「クレアさん?」
「よかった、無事で」
 何故だか彼女の瞳は少しうるんでいた。
 ゆっくりと体を起こそうとするが、全身が痛む。
「あれ……」
「まだ無理はなさらないでください。フェイトさんは、三日も寝てたんですよ」
「みっ……か?」
「ええ。さっきまでネルがずっと看病してたんですけど、ネルも倒れてしまったんです。今は隣の部屋で寝ています」
 フェイトはもう一度枕に頭を乗せて、今まで起こったことを思い返した。
 エレナが、この世界を壊そうとしている。
 それも、何の理由もなく、ただ自分の楽しみのためだけに。
 自分たちに対してエクスキューショナーをけしかけ、彼女は去った。
 いったいどこへ行ったのか。
(僕なら分かるって言ってたな)
 だが頭がまだ回らない。
 エレナのことで思い出せることはいろいろとある。
 ネルを追ってエリクールまで来たはいいものの、なんのツテもないのではたとえネルの口ぞえがあったとしても城で働くことなどできなかった。彼を引き立ててくれたのはエレナだ。
 ちょうどディオンがいなくなったこともあり、使い勝手のいい部下が欲しかったということ、フェイトの科学力が並外れていること、そうした理由からフェイトは客員として施術兵器開発研究所に配置された。
 それから何度もエレナと話し合った。
 仕事のことも多かったが、時にはプライベートなことも話した。
 自分のことも話したし、エレナのことも聞いた。
 エレナがこのシランドで初めてアーリグリフ国王と出会い、恋に落ちたことも。
 そして、戦争という大罪を犯した以上、幸せになる資格などないのだということも。
(……そうか)
 自分なら分かると、エレナは言った。
 それは、自分だけがエレナとたくさん話をしていたからだ。
(アーリグリフだ)
 エレナはそこにいる。
 罪も罰もない、ただの一人の女性となった彼女が何よりも欲しいもの。それは愛しい男性。
 彼女の生涯一度だけの恋人。
「クレアさん」
 あえて思考を邪魔せずにじっと黙っていたクレアに声をかける。
「はい」
「エレナさんは、アーリグリフです」
「アーリグリフ? 何故?」
「エレナさんはアーリグリフ国王陛下に会いに行ったんです。急がないと、今のエレナさんにはエクスキューショナーがある」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 クレアは起き上がろうとしたフェイトを介助してベッドの上に起き上がらせる。
「説明もなしにフェイトさんを行かせるわけには──」
「そうよフェイト。とりあえず理由は説明してもらわないとね」
 開いたままの扉の向こうから、姉の声が聞こえてきた。
「マリア」
「それに、今ここであなたが焦っても仕方がないわ。手遅れよ」
 フェイトが顔をしかめる。
「たった今、アーリグリフから早馬が届いたわ。王都アーリグリフがエクスキューショナーの襲撃を受け、国王アーリグリフ13世は行方不明」
「そんな」
「いったいどういうこと? アーリグリフ王を誘拐することに、いったい何の意味があるの? フェイト、何か知ってるんでしょう?」
 知っている。
 そう、エレナのことは自分だけが知っている。
 いつか来るこの日のために、エレナがあらかじめ自分にいろいろと教えていたのだ。
 これから何をしようとしているのか。
 これからどこへ行こうとしているのか。
 きっと、自分だけは全てを知っている。
(思い出すんだ)
 この一年間のことを。
 エレナと過ごしてきた、たくさんの時間を。
(絶対に、止めてみせる)
 フェイトは強く手を握りしめた。





傷心

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