FRIENDS 2

第2話 






 意識が戻った時、回りは薄暗く、どこかじめじめとしていた。
 両手を後ろで縛られているのが分かる。目隠しはされていない。
 目を閉じたまま、じっと辺りの気配をうかがう。
 人のいるような気配はない。それを確認した上で、そっと目を開く。
 その目の前に、絶世の美女がいた。
 思わず息をのむ。が、その女性はそれを見てにこにこと笑っていた。
「おはよ〜」
 心臓に悪い。
 おそらく彼女は自分が目覚める頃を見計らって気配を消してじっと自分の目の前にいたのだ。
「ここは?」
「捕虜に質問権はないって知らない?」
 石づくりの壁、広さはだいたい四メートル四方といったところか。その角にベッドがあり、その上に自分が寝かされている。
 窓はないが、握りこぶしほどの穴が部屋の上にいくつかある。おそらくは通気孔のつもりだろう。そこからかすかに光がこぼれてきている。
(ここは……)
 部屋の中にうっすらと積もった埃、いや、砂。
(モーゼルの古代遺跡か)
 こんなところに自分を連れてきていったいどうするつもりなのか。
 だが、目の前の女性はきっと何も話さない。
 そういう女だ。
「拘束を解いてほしい」
「捕虜に要望する権利がないのも知らない?」
「逃げないと約束しよう。だから、拘束を解いてくれ」
「どうして?」
「そうでなければ、お前を抱きしめることができん」
 彼女は眠たそうな目を丸くして、次にぷっと吹き出した。






「なるほど。そなたの言うことはよく分かりました」
 シーハート27世の前に、フェイトとネル、マリア、クレアが揃っていた。
 聖地カナンから現れたエクスキューショナー、そしてアーリグリフ13世の誘拐事件。あの『星の船』事件以来の騒動となったものの、さすがに女王は落ち着いたものだった。
 だが、その心中を考えるとフェイトは気が重くなる。なにしろセフィラを破壊することになってしまったのは自分のせいだし、エレナを失って一番ショックを受けているのはこの女王なのだ。
 エレナが幼い頃からずっと面倒を見、その知識に全面の信頼を置き。
 そのエレナがいなくなったショックはいかほどだろうか。
「エレナは友人に会うと言ったのですね?」
「はい。どうすればいいのか分からないと言っていましたが」
「そうでしょう。彼女はこの世界の人間ではありませんから」
 その言葉に、ラッセルを含め、その場にいた全員の目が見開かれる。
「ご存知だったのですか」
 ネルが驚きの声を上げる。
「無論です。彼女のことはある程度把握しておりました。もっとも、この世界の人間ではないというのは、そなたたちに会ってから確信したことでしたが」
 フェイトやマリアにしてもエリクール人というわけではない。女王はエレナがこの星の人間ではないということが推測できていたのだろう。
「彼女は孤独でした。この世界で誰にも頼らず、誰からも愛されることなく育ちました」
「そんな」
「本当のことです。いえ、たった一人だけいましたね。アルゼイだけはエレナを愛していました。アルゼイは彼女の孤独を癒したかったはずです。少なくとも彼がこの宮殿にいるときは、ほとんどつききりでエレナの傍におりました」
 アーリグリフ国王。
 彼が本当に求めていたものは玉座ではない。権力闘争など彼はもともと興味の対象外だった。
 だが、国を治める者が次々に暗殺され、彼のもとに継承権が舞い込んで来たとき、彼は変貌した。それまで愛していたエレナを捨てて、自分の国へと帰り、そこで大規模な改革を行っていった。
 確かにそれだけみれば、自分勝手な男と見えるだろう。
 だが、彼は国王の地位などには興味がなかった。このシーハーツにいるときから彼がずっと考えていたのは、アーリグリフの国民が安らかに暮らせること。あの不毛の地で領民たちが餓えることのないようにと、そればかりを考えていた。シーハーツに来たのも、自分が存在することで混乱が長引くことをおそれたためだ。
 だが国がどんどん乱れていくのを見て、政局をこれ以上混乱させないためにも、王位を継ぐことを決心した。
 それは崇高な理想だ。だが、捨てられたエレナにとってはそんなことがいったい何の慰めになるだろう。
「エレナさんは、そのときのことを何か話しておられたのですか?」
 フェイトは思わず尋ねていた。だが、女王は首を横に振るばかりだった。
「エレナはそれまでも人付き合いをする方ではありませんでしたが、アルゼイが国に戻った後はそれがさらにひどくなっていました。他者を寄せ付けず、誰とも話をしようとすらしませんでした。そんな状態が何年も続いたのです」
 それだけエレナにとってアーリグリフ王が大事だったということだ。
「今となっては彼女が何を考えていたのかなど分かりません。ですが、他者のぬくもりを知ってしまった者は、それを失ったときに何らかの変化がおきます。それは誰であれ、避けられないことです。エレナも例外ではないでしょう」
 他者を信頼して裏切られた者は、もう他者を信頼しようとはしない。
 エレナがまさにそうだとでもいうのだろうか。
「エレナさんは、それほどまでにアーリグリフ王を」
 普段の彼女からは、とうてい考えられないことだ。
 それに、それほどまでの熱情があるのならば、どうしてアーリグリフ王からの求婚を断ったりしたのか。
(そうだ。アミーナ。彼女をディオンのところに連れていったときも、エレナさんは……)
 ごめんね、と。
 確かに彼女はアミーナにそう言ったのだ。
 愛する人と引き裂かれることを誰よりも知っている彼女だからこそ。
「それよりも、今はそのエレナさんをどうするかが問題よ。それに、どこにいるかということも含めてね」
 マリアが軌道を修正する。そう、この謁見の間に集まっているのは、エレナの過去話をするためではない。
「でも、博士はいったいどこにいるっていうんだい?」
 尋ねられたフェイトが少し考える。
「ジェミティ市へ行くならカルサア丘陵だけど」
 だが、問題がある。マリアのアルティネイションがなければFD空間へ行くことはできない。もしカルサア丘陵からFD空間を目指すのなら、マリアの誘拐を同時に行っているだろう。彼女にはきっと別の方法があるのだ。
「エレナさんが本当にFD空間に戻りたいと思っていると思う?」
 マリアは視点を変えて発言した。
「違うっていうのかい」
「ええ。もし本当にFD空間に戻りたいと思っているのなら、今になってからアクションを起こすのはおかしいわ。彼女の一番理想的な状態っていうのは、FD空間のブレアたちと連絡が取れて、自分はエリクールにいる、その状況じゃないかしら」
 確かにその通りだ。だが、それはもう不可能だ。
「じゃあ、エレナさんはどうするっていうんだ?」
「それは分からない。でもね、一つ思い出したことがあるのよ。これが彼女の居場所を特定する手がかりになるかは分からないけれど……」
 マリアは真剣な表情だ。
「フェイト。あなた、エリクールの神々の名前はもう覚えた?」
「ごめん」
「だと思ったわ。私ね、エリクールの神々について、この間少し考えたの。ネル、大地の神って何ていったかしら」
「アイレ。闇の神はオレアス。水の女神はシャールで、時の女神はレイリアだよ」
「ネルは分かってたみたいね」
 マリアとネルの間でアイコンタクトが取られる。そして苦しげな表情でネルが言う。
「そのことについてはあのスフィア社とかいうところについたときに気づいてたよ。正直、ショックだったさ」
 フェイトの表情も次第に変化してきた。
 アイレ。オレアス。シャール。レイリア。そしてスフィア社。
 これだけの単語がそろえば、さすがのフェイトも気がつくというものだ。
「スフィア社の人たちの名前が、エリクールの神々の名前?」
「そうよ。あなただって変に思ったでしょう。スフィア者のトップのメンバーの名前。ルシファー、ベルゼブル、ベリアル、アザゼル。全部堕天使の名前よ」
「それはなんとなく分かってたけど……」
「それにね。エレナさんは言ってたでしょう。この星を作ったのはもともと自分だ、と。ネル、光の女神の名前、何て言ったっけ」
 フェイトの視線が、信じられないというようにネルに向けられる。
 だが、ネルは最初から全て分かっていたというように、はっきりと答えた。
「エレナ」
 光の女神、エレナ。
 かつて、聖殿カナンにて、後のシーハート1世であるクレスティア・ダインの兄、聖者ロナルド・ダインに10則の石版を与えたとされる女神。
「エレナが、エレナ神だというのですか」
 女王が驚いたように立ち上がる。あまりの内容にラッセルはもう言葉もない。
「エレナのことは幼少の頃より知っております。そのようなことがあるとは思えぬのですが」
「女王陛下。おそらくエレナさんは、その子供の体の中に入り込んでしまったときに、何らかのトラブルでその体と一体化してしまったのだと思われます。失礼ですが、陛下がエレナさんにお会いしたときは、どのような状況でいらっしゃいましたか?」
「ある日、街中に優れた学者がいるというので、顧問として招いたのです。直接会いました。それがまだ幼い少女だったので、よく覚えています」
「そのとき、エレナ・フライヤと名乗ったのですね」
「ええ……」
「もうそのとき、エレナさんはおそらくもう一体化してしまった後だと思われます」
 正確に言うのなら、天才少女という設定でキャラクターを一つ作ったのだろう。それが『事故が起こって』FD世界に戻ることができなくなった。エレナの言葉を正確に追いかけていくとそういうことになる。火災が起こったと彼女は言っていた。おそらくは精神投影をするためのカプセルみたいなものがあるのだろう。それが壊れてしまったのと同時に、エレナの本体が生命活動を停止してしまった。そのとき精神だけがこのエリクールに取り残されてしまった。
 だから、もう彼女はFD世界に戻ることができない。エレナが作った天才少女というキャラクターの中で一生を過ごすしかないのだ。
(いったい、どんな気持ちだったんだろうか)
 突然、異郷の地に放り込まれて、知人もなく、自分のいる場所は他にあるのにそこで生涯を終えなければならない孤独。
「フェイト」
 マリアが声をかけてきた。
「あなたの考えていること、少しは分かるつもりよ。でも、さっきも言った通り、エレナさんはこのエリクールで暮らすことをそこまで嫌だったとは思っていなかったんじゃないかしら」
「私もそう思う」
 マリアに続けてネルも言った。
「エレナ博士はこの世界のことを好きだと言っていた。多分この世界にずっといることを嫌だと思ったことはないと思う」
 そうかもしれない。
 だが、フェイトには納得できなかった。どれだけこの世界に愛着があって、好きだったからといって、友人ともう会えないということがどれほど辛いか。
 あのヴァンガード3号星に不時着したときの心細さを、自分は忘れたことはない。
 異郷の地に一人でいる孤独、寂しさ。
 しかも、それをエレナは長い間ずっと一人で抱えてきたのだ。誰に相談することができるわけでもなく。
 話すことができるのは、セフィラを通じたときのみ。
 しかも、そのセフィラすらなくなってしまったのなら。
(そう、か!)
 唐突にフェイトは閃く。
 そう。彼女の目的はマリアやネルがずっと言っていたことだ。この世界で暮らし、なおかつFD世界と連絡が取れれば理想的な状態なのだ。
「オーパーツだ!」
 フェイトが突然叫びだし、傍にいたネルが驚いて一歩下がる。
「オーパーツがどうしたの」
「セフィラのある状態が理想的だっていうんなら、簡単なことだよ、別の『通信装置』をエレナさんは手に入れようとしているんだ」
「それでオーパーツ……なるほどね」
 Out of place artifacts──略してオーパーツ。
 その正体は、スフィア社の人間が利用するデバッグツールだ。使い方さえ心得ていれば、無限の力を手にすることができる。
 たとえばセフィラはバックアップ機能を備えていた。だからこの間のシランド消滅も『なかったこと』にすることができた。同時に通信機能を備えていたため、ソフィアが触ればブレアと話すことができた。もちろん使い方が分かっているエレナもブレアと話すことができたはずだ。
 それと同じような通信機能を備えているオーパーツがあるなら、何も問題はなくなるのだ。
「問題はそれがいったいどこにあるかということね」
 少なくともこのエリクール2号星にあるとは考えがたい。もしあるとすれば、別にエレナが悩む必要はないのだ。取りにいけばいいのだから。
 だがこの星にはない。だから彼女は宇宙に出なければならないと考える。そのためには宇宙船が必要だ。だが、この星で調達はできない。だとすれば方法は二つ。
 一つは、今から作ってしまうという方法。もしもエレナがその準備をあらかじめしていたというのなら、ありえないことではない。
 だが、現実的にはもう一つの方法が有効的といえるだろう。それは、この星に来る宇宙船を奪うという方法だ。
「ディプロを奪うっていうの?」
 その考えを伝えると、さすがにマリアは嫌そうな表情を浮かべる。
「でも、それが一番手っ取り早い方法じゃないかな」
「確かにそうね。でも、それなら今隠れる必要があるの? あらかじめあなたに、今度いつクリフたちが来るのか聞けばいいだけのことじゃない」
 マリアの言う通りだ。だとすれば、もう片方の方法しかなくなるが。
「でも星の船を作るなんていうことが、この国の技術で可能なのかい?」
 単純な疑問をネルが口にする。
「無理ね。石油産業すらままなっていないこの状態で、燃料の問題をクリアすることはできないわ。だとしたら、別の動力を考えているのかもしれないわね」
「別の?」
 だがそれ以上はさすがにマリアにも想像がつかない。
「フェイトの考えは私も間違ってないと思うわ。そして、彼女の知識力ならきっと自分で機体を作ると思う。問題はその動力に何を使うか。多分、彼女にはそのアテがあるんでしょうね」
「心当たりといっていいかは分かりませんが」
 そこで口を挟んだのは女王陛下だった。
「エレナがエレナ神だったとすれば、彼女は必ずここへ戻ってくるでしょう」
「シランドへ?」
「そうです。ここには彼女が残したものがまだ眠っていますから」
 残したもの──
「それは、いったい」
 フェイトが代表して聞く。
「10則の石版。数百年の時を経ていますが、まだそれはこのシランドにあります」





BABY MOON

もどる