カルチャー
第1話 Queen
春。小川のせせらぎが美しく聞こえる季節がやってきた。
彼、フェイト・ラインゴッドはこのエリクールで二度目の季節を迎えた。二度目の春。最初の春はここにやってきたばかりだったので、とにかく忙しかった印象しかない。エレナにさんざんこきつかわれ、大陸のあちこちを回り、そしてネルと幸せな日々を過ごした。
そして、彼がこの星に住むようになってからほとんど毎月のように行っていることがあった。
それは、ディオンとアミーナの月命日に墓を掃除すること。
「今日は随分、暖かくなったね」
散歩日和ということで、執務室でひたすら書類と格闘していたネルを強引に墓参りに連れ出す。その強引さがどうやらネルを不機嫌にしていたらしい。
「ああ、そうだね」
「久しぶりの陽気なんだから、篭もってばかりいるのもよくないよね」
「……あんた、喧嘩売ってるのかい」
ドスの利いた声がフェイトの後ろから突き刺さる。
「そんなことないよ。ネルにだって休憩が必要だと思えばこそさ」
「だいたいね──」
「それに、エレナさんのことはディオンにも報告しなきゃいけないだろ?」
「……」
それを言われるとさすがに黙らざるをえないネルであった。
結局、エレナの行方は分かっていない。宇宙へ飛び立ったのは明らかなので、クリフにも連絡を取って捜索を依頼している。だがあれから一ヶ月、全く音沙汰はない。
「ディオンはエレナさんのことを尊敬してたしね」
「それで墓参りかい」
「こうみえても月命日はきちんと来てるんだよ」
それはネルも知っていた。なにしろ、何度かこうして強引に付き合わせたことがあるくらいなのだから。
「だったら、あらかじめ言っておくれよ。私だって時間くらい作ろうと思えば作れるんだから」
「この一ヶ月休みなしで働いている人の言葉とも思えないね」
「仕方がないだろう。今は……」
「そうやってネルが何でも一人でやってると、下が育たないんだよ。もう少しネルは自分の仕事を他人に任せるようにした方がいい。ネルじゃなきゃできないことは、いくらでもあるんだから」
完全な正論だ。上に立つ者は下を育てなければいけない義務がある。
だが、今のネルにはその論法は通じない。何しろ今は、自分が働きたくて仕方がないのだから。
それほどにエレナという存在を失ったネルは何かに追われているようだった。
「たまにはゆっくりと羽根を伸ばさないとね。それとも、僕の傍じゃゆっくりできないかい?」
「そんなことはないさ。あんたの傍が一番──」
と言いかけて口ごもる。フェイトは思わず吹き出した。
その後ろ頭を、ネルはぽかりと一回殴った。
アミーナとディオンは幸せだったのだろうか。
最期は同時に亡くなった二人。失う、という悲劇を味わうことなく、二人とも半ば置いていかれるということを意識することはなかった。
偶然、と片付けられるものなのだろうか。まるで運命がそう仕向けたかのように、プログラムに操られるままにそうなったようにしか見えなかった。
彼が唯一後悔していることがあるとすれば、それだけだ。
アミーナとディオンは、死ななくてもすんだのではないか。
父はある意味自分の信念を貫いて亡くなった。もちろん死んだことは辛く悲しいが、息子を守って死ぬことができて、ある意味父は幸福な最期だったのではないかとも思う。
それに比べ、アミーナとディオンはこれからの人生があったのだ。二人はこれから幸せな家庭を築いて、次代を生み育てていく。その義務と責任と希望があった。
もしあの時、自分が全てのことを知っていたら、自分の運命についてもっと知ろうとしていたら、二人の悲劇はなかったかもしれない。
全ては自分の弱さが招いた結末。
だからこそ、自分は毎月こうして墓参りをしている。
その弱さを忘れないために。自分の行動の責任をしっかりと果たすために。
(今年は水が少なくて、生活が苦しくなるよ)
彼はアミーナの墓を丁寧に拭きながら心の中で話しかける。
(君の大好きな花も、あまり育たなくなるかもしれないね……パルミラの花をせめて幾つか、また秋になったら持ってくるよ)
語りかけながら彼は花束をその墓前に捧げる。
(ディオン……エレナさんのことを報告に来たよ)
それから隣の墓を丹念に洗う。
(エレナさんも、心の弱い普通の人だったんだね。僕が抱いていたイメージとはかけ離れてたよ。人を愛して、友人を亡くすことに苦しんで、今はどうしているか分からないけれど……でも、きっとエレナさんは生きているはずだから。だから、ディオンもエレナさんのことを見守ってあげてくれよな)
何故だか、謙遜して苦笑するようなディオンの姿が思い描かれた。
(自分には無理だって? お前がエレナさんの世話しなきゃ、誰が世話するっていうんだよ……僕だってエレナさんの部屋を片付けるのはお手上げだったんだからな。お前が責任持って世話しないと駄目だろ?)
そしてアミーナと同じ花束を墓前に捧げる。
その間、ずっとネルは彼の行動をじっと見つめていた。
こうして連れてこられるのはこれで何回目だろう。五回ではきかないはずだ。その全てを彼は一人で墓を掃除していた。自分には何もさせてくれなかった。
彼は自分に、ただそこにいてくれるだけでいいから、と二度目の時に言った。
多分、辛いのだろう。決して彼のせいばかりとはいえないが、二人が亡くなった原因の一つに彼の存在があることは否定のできない事実だ。
私は、彼の支えになってあげられればそれでいい。
だから墓参りの時はできる限り一緒に来るようにしていた。
全てが終わった彼のことを、
「フェイト」
振り返ったその顔に涙を浮かべている彼を──抱きしめるために。
「今日は、もうしばらくここにいるよ」
墓前で少しの間寄り添っていた二人だったが、さすがにいつまでもネルを独占しているわけにはいかない。彼女にも仕事がある。
「でも」
「いいんだ。今日は暖かいから、少しここにいたいだけだから。この一ヶ月いろいろあったし、少し頭の中も整理したいから」
「……」
「心配するなよ、ネル」
彼女の頬に、軽く口付ける。
「そんな顔してたら、美人が台無しだよ」
「あんたってやつは」
はあ、とため息をつく。
「分かったよ。でも夕方までには戻ってきておくれよ。あんたにもやってもらうことが結構あるんだから」
「ああ、分かってる」
そう言ってネルは歩き出す。
「ああ、それから──」
三歩ほど歩いてから思い出したようにネルは振り返った。
「フェイト?」
意識が朦朧としていた。
寒い──春だとはいえ、さすがに薄着では凍えてしまう。
全身が何故だか痛む。
(おかしいな……)
徐々に意識がはっきりとしてくる。
いくらなんでもシャツ一枚なんてことはなかったはずだ。それにどうしてこんなに体が痛んでいるんだろう。
「お、目が覚めたか」
隣から聞きなれた男の声。
何故だ?
「ここは……」
急な冷え込みに体が大きく震える。
吐く息が白い。
拘束具によって身動きのきかない体。
そして、このふてぶてしい男。
「あ、どうした?」
クリフ・フィッター。
「どうしてこんなところにいるんだ」
クリフは現在政治家として宇宙で活躍しているはずだったが。まさか、エレナさんが見つかったというのだろうか。
「どうしてもこうしても。捕まっちまったもんは仕方ねえじゃねえか」
捕まった。
言われてからはじめて回りを見る。固い壁と床、そしてこの拘束具。
かつて自分は、こんな経験をしたことがあった。
(夢か……?)
あまりにリアルだが、それ以外考えられない。
そう、ここは──
「アーリグリフの地下牢か」
そしてこの状況。考えられるのはただ一つ。自分が拷問を受けた、あの時のことを夢に見ているということだ。
「アーリグリフ? ああ、この国の名前か」
「クリフ。一つだけ確認してもいいか?」
「なんだ?」
目の前の男は平然としていた。だが、自分は彼ほど平然とはしていられなかった。声が震えなかったのが不思議なくらいだ。
「今は宇宙暦──何年だったっけ」
「はあ? 突然何言いやがる」
「いいから答えてくれ」
クリフは顔をしかめた。
「七七二年だぜ」
──やはり。
「そうか。ありがとう」
フェイトは身を起こして後ろのベッドに背を預ける。
さて。
心臓がばくばくと動いている。何がおこったのかが理解できずに動揺しているのが分かる。
落ち着け自分。
何故こういう状況になっているのか、整理しなければならない。
時期は理解した。いずれにしても自分が初めてエリクールに来た時期を今体感している。
では、その理由は何故だろうか。
一つは先ほど思いついた、夢、ということ。だが、このリアルさかげんを考えると夢で終わらせるわけにはいかない。これは明らかな現実。それに変わりはない。
もう一つは、逆に今までの二年近くの期間が全て夢だった、というもの。拷問で熱に浮かされてそんな夢を見てしまっていたのかもしれない。おそろしく長い夢で、明確に記憶に残っていることを無視すれば、だが。もっとも、それならばこの先の展開が自分の知っている通りになったとしたら、それは予知夢だということになる。
どちらも、おかしい。今も、今までも、夢ということは考えがたい。
だとすれば──結論は一つ。
それは、時間の逆行。
(タイムゲートのように、時間を戻ってしまったということか)
それが一番納得のいく答。
だが、それが何故起こったのかと言われたら全く理解できない。
だいたい、この世界はFD空間から独立した完全な世界となったはずだ。時間は一定にプラス方向にのみ動く。逆行するのはあくまでも四次元時間軸が存在する場合のみだ。
それに自分がここにいるということは、今までここにいたはずのフェイト・ラインゴッドはいったいどうなってしまったのだろう。
そしてタイム・パラドックスはどうなるのだろう。自分がここにいるせいで歴史や未来が変わってしまうことにならないだろうか。変わったならば、今まで自分がいた世界はどうなってしまうのだろうか。それぞれの世界がパラレル・ワールドとして独立するのか、それとも未来が歪んでしまって、元の世界に戻ったときに知らない未来へ行くことになってしまうのか。
だが。
そう、世界が仮に変わってしまうのだとしても、そのことに気づいてしまった自分はおそらくここで引き返すことはできないだろう。
つまり、たとえ世界を変えることになったとしても、自分にはやりたいことがある。
それは。
(アミーナとディオン)
二人を死なせず、幸せに暮らしてもらうこと。
この世界でフェイトが唯一後悔していること。二人を死なせてしまったという事実。
(変えられる)
歴史が大きく変わってしまうかもしれない。だが。
(僕はわがままなんだ)
この状況を利用してでも、もし二人が助かる未来があるのなら、それを実現させたい。
そんな願いは、通じないだろうか?
歴史を歪めることは人間には許されないだろうか?
だが、許されないのだとしても自分は絶対に二人を助ける。
あの悲劇を、もう目の前で繰り返されるのは御免だ。
ただ怖いのは、ネルと過ごした日々はどうなってしまうのだろうか、ということ。
ネル──そうだ。
以前なら、このタイミングでネルがやってきた。ここまで自分は全く前回と同じ行動しかしていないはずだから、ネルも前回と同じタイミングでここに到着するだろう。
自分が黙っている間、クリフは何も話さなかった。前回は自分からあれこれ質問したのだが、今回は自分がじっと考えていたから、あえて邪魔はしなかったのだろう。
そして、その時は訪れた。
通路の向こう側で、兵士が倒れるのが分かった。クリフが立ち上がり、フェイトもまたそれに倣う。
──来た。
ゆっくりと近づいてきて、静かにその赤毛の女性は話し出した。
「あんたたちには、二つの選択肢がある」
フェイトは苦笑した。
そういえば、最初の頃のネルは、感情をあまり見せない女性だったっけ。
ego
もどる