カルチャー
第2話 ego
「なんだあ? 随分と幅のない二択だな、オイ」
クリフが自分たちの立場を考えずに噛み付く。だが、ネルは苦笑するだけだった。そして、その口を開く──
「もちろんあなたの言うことを了承します」
だが、ネルが何か言うよりも早くフェイトがその言い分を了承した。
「おい、フェイト」
「へえ。随分と物分りがいいんだね」
驚くクリフと、満足げなネル。だが、フェイトの顔は真剣そのものだった。
「美人のお誘いは受けることにしていますので。ですが、条件があります」
「条件?」
ネルはマフラーに顔を半分埋めて、上目づかいでこちらを見分する。
「美人と評価してくれたことには感謝するけどね、そんなものを出せる立場だと思ってるのかい?」
「ええ。今のあなたたちの状況を考えれば、僕たちを殺すことはできませんよ。何しろこのアーリグリフに今にも攻め込まれるところですからね。あなたがたシーハーツにできることといえば、僕たちの力を借りて『秘密兵器』を完成させることだけだ」
ネルの眉がぴくりと動く。クリフは何も言わない方がいいと判断したのか、完全に押し黙った。
「あなたへの条件は二つ。一つは……」
とにかく急いでペターニまで行かなければならない。一分、一秒でも早くたどりついてアミーナに無理をさせないようにすることが一番だ。
そして自分で動けるうちにシランドまで連れていく。もちろん歩いてシランドまで行くとなると体に負担をかけることになる。だとすれば。
「ペターニからシランドの間で馬車の利用をお願いします」
「馬車?」
「ええ。それが最初の条件です。聞き入れていただけますか?」
拘束具に捕らわれていながらも、フェイトは堂々とネルに向かい合っていた。それに圧されたわけではないだろうが、ネルは少し考えるようにしてから答える。
「安心していいよ。馬車はもうこの街の外に用意させてある。それでペターニまででもシランドまででも行けるさ」
「馬車──ああ、そうか」
フェイトは自分の間違いを認めざるをえなかった。そのとおり、確かに最初、フェイトたちは馬車に乗って移動したのだ。
そして──
(しまった……)
重大なことを忘れていることに気づいた。
そう、自分がもしもペターニへ急行するということになるのなら、この後捕まるはずのタイネーブとファリンを助けに行くことを放棄することになる。
そしてそれはすなわち──
「どうかしたのかい?」
突然表情が変わったことに、ネルが気遣うような視線で聞いてくる。
──そう、すなわち、ネルが助けに行くことを止められない、ということだ。
結論として、ネルも、タイネーブも、ファリンも、助けられないということになる。
(駄目だ)
アミーナを助けてもネルが助からないのでは意味がない。
誰も犠牲にすることなく、全員が助かる道を探さなければならない。
必ず、どこかにあるはずだ。
(落ち着け)
突如、心の中に焦燥が生まれる。
何か方法はあるはずだ。自分は知っている、この後に起こる全てのことを。それならば必ず全員を助ける方法を見つけ出せるはずだ。
自分にはできる──これはうぬぼれではない。自分は『そのために』ここにいるのだ。そう思いたい。
「条件のもう一つは、後に取っておきます」
「……そんなことを言って、無理難題をふっかけるつもりじゃないだろうね」
もちろんそんなつもりはない。もともとはアミーナを連れていき、王宮でディオンとあわせたあと、ディプロが来るまで王宮で治療を受けさせてもらうということを要求するつもりだったのだ。
だが、そんなことはネルとの信頼を築くことがこの後にできれば、彼女は何も言わなくてもそうしてくれるだろう。
だとするならば、もう一つの条件はいざというときにネルを強制的に従わせるための枷として使う。
自分で『条件が二つ』と言ってしまったのだ。ならば有効的に利用しなければだめだ。
「そういうつもりではなくて、今はここの脱出が先だろうと思っただけです。おそらく、今日の見張りの交代はいつもより早いですよ」
「どうしてそう言えるんだい?」
「簡単です。僕たちがいるからですよ。通常とはカリキュラムを別に組むんです」
ようやく色々なことを思い出す。そしてこれから自分たちは地下水路を抜けて地上に出るのだ。
「なるほどね。じゃあ、とりあえずここを脱出しようか」
「ええ、じゃあお願いします」
「少し離れてな」
言われておとなしく鉄格子から離れる。その間にクリフが小声で話しかけてきた。
「おい、どういうつもりだ」
当然、ずっと自分と一緒にいたクリフは不審に思うだろう。
「色々聞きたいことはあると思うけど、そういうことは全部ここを脱出してからにしよう」
だがその質問を現状で棚上げにする。もっともこの男の性格からして自分を追及することをやめるとは思えない。ある程度安全だと思えるところまで行けば、必ず話を切り出してくることだろう。
自分が未来を知っているということを言う必要はない。言えば必ず混乱が起きる。
実際、自分たちがプログラムだと知って動揺を見せていたのは他ならぬクリフであり、マリアだった。自分やソフィアは案外平然としていたものだ。
とにかく今は、脱出が先だ。前回のように戦いながら逃げるのは勘弁したい。少しでも楽をしておきたい。
これからペターニまで、休むつもりは少しもないのだから。
アミーナとディオンを助けるというのは、自分のエゴだろうか。
自分がかつてできなかったことをする。それは二人のためというのももちろんあるが、何よりも自分が犯した後悔を繰り返したくない、その罪を贖いたい、その理由の方がはるかに大きい気がする。偽善、と言われても仕方のないことだ。
でも、今生きている二人を助けることが悪いことだとは思えない。その目的がたとえ自分なのだとしても、二人にとっては死ぬよりは生きることの方がいいことのはずだ。
偽善でも、善には違いない。
だが、そのせいでファリンとタイネーブを失うつもりはない。それどころかネルまで失うなど真っ平御免だ。
自分にとって最も必要なのはネル・ゼルファーという存在だ。愛しい女性を亡くしてまで他の誰も助けたいとは思わない。
だが同時に、彼女が籠の中で飼われる小鳥ではないことを、自分は知っている。
自分が何を言っても、こうと決めたら梃子でも動かない性格だ。ファリンとタイネーブが捕まったらアペリス神に誓ってネルは一人で助けに行こうとするだろう。
だとすれば、手段は二つ。
ネルに二人を見捨てさせるか、それとも最初から二人を犠牲にしないか、そのどちらかだ。
もしネルが二人を見捨てたとしたら、どんな理由があれ彼女はそれを一生後悔して生きるだろう。そんなネルは見たくない。
だからといって、二人を犠牲にせずに逃げ出すというのは至難の業だ。いや、それとも全員で逃げ切る方法があったのだろうか。
(待てよ……)
自分たちが捕まってからネルが助けに来るまで、おそらく一日も時間はなかったはずだ。それなのにネルはどうして自分たちの居場所を正確に把握していたのか。
(──泳がされたのか?)
冷静になってよく考えてみる。
ファリンとタイネーブを捕らえて修練場にネルたちをおびき出したのは漆黒のシェルビーだ。
だが、そのシェルビーの背後にはヴォックスがいた。ヴォックスが現時点で自分たちの生殺与奪を握っていたのかもしれない。
と、なると……。
(ネルをあぶりだすことが目的か)
ヴォックスは王都に敵のクリムゾンブレイドが侵入していることを掴んでいた。だが正確な居場所を掴みきれていなかった。だからわざと自分たちの居場所を流し、ネルがやってきたところを捕らえようとした。
ただ、ヴォックスが考えていたよりもずっと早く行動された結果として、自分たちを逃してしまうということになった。だから圧倒的な兵数をもって馬車の進行を止め、ファリンとタイネーブだけを捕らえることになった。
その後シェルビーに二人を任せたのは、仮にシェルビーが失敗したとしても痛むのは【漆黒】であってヴォックスではない。
そう考えたのかもしれない。
つまり、馬車で逃げようとするのなら必ず足がつく。
安全に逃げるのなら、しばらく王都の中で身を潜めているのが一番なのだ。
(だが、それでは遅い)
ペターニではいつアミーナが倒れるか分からないのだ。
(落ち着いてよく考えるんだ……)
きっと何か方法がある。
初めから馬車を使わないというのはどうだろう──無理だ。最初に馬車を使ったからこそ、圧倒的な兵数の中をある程度突っ切ることができたのだ。徒歩で逃げたのなら袋叩きにあって終わりだ。
馬車を使う。その場合はファリンとタイネーブを犠牲にしなければならない。
(前回はどうだった……?)
タイネーブとファリンが捕まり、修練場へ連れて行かれるということになった。確かネルはそれをカルサアで確認している。
自分たちはカルサア山道を抜けて、一旦アリアスへ入った。そこでネルが一人カルサアへ向かい、自分たちはそれを追いかけて修練場を目指した。
そこでシェルビーを倒し、タイネーブとファリンを救出し、アルベルに見逃され、そして再びアリアスへ戻ってきた。
(待てよ)
一つだけある。
確かに時間は少しかかるかもしれない。だが、前回よりもはるかに時間を短縮してペターニまで向かう方法がたった一つだけある。
(それでいこう)
決めたならば、あとは実行するだけだ。
とにかく、ファリンとタイネーブの件はそれでいい。
だが、まだ問題はいろいろと残る。
アミーナについては早急にペターニにつけば、無理をさせることはなくなる。花摘みにも花売りにも行かせず、馬車でシランドまで連れていってディオンに会わせる。あとはディプロが来るのを待てばいい。
問題は、ディプロが来るまでだ。その前に必ずバンデーンがやってくる。
もし戦争中にバンデーン艦がやってきたなら、ディオンはその砲火に巻き込まれる。助かる見込みのない重傷を負う。
だとすれば、考えなければならないことは、どうやってディオンを助けるかということ。
もしもディオンに戦場に出てくるなというのなら、膨大な数の施術兵器を使いこなすことはおそらくできないだろう。そうなれば戦線は崩壊する。自分たちがヴォックスを倒すより早くシーハーツは負けるだろう。
ディオンの存在はあの戦いにおいて不可欠だった。それは認めなければならない。
だとすれば手段は二つ。
一つは戦争を回避するという方法だ。アーリグリフはサンダーアローの完成を妨害しようとして戦いを早めてきた。だとすれば、自分がシーハーツに協力しなければバンデーン艦が来るまで戦端が開かれることはないだろう。
だがその場合、さらに大きな問題が発生する。バンデーンが狙っているのは自分だ。すなわち、バンデーン艦は直接シランドを襲撃するだろう。
となればシランドの崩壊は避けられない。ここぞとばかりにヴォックスがシーハーツに向けて進撃してくるだろう。
バンデーンが来るまでにヴォックスを倒す。そうでなければシーハーツは生き残ることができない。
だとすればもう一つの手段だ。
先にヴォックスを倒してしまう。そうして主戦派を倒しておいて、アーリグリフとシーハーツが協力してバンデーンに立ち向かう体制を作り上げる。
それが理想的だ。
そう、絶対条件として存在しているのは『バンデーンが来るまでにヴォックスを倒す』という一点につきる。
それさえクリアできれば、どうにでもなるはずだ。
そして次の問題。バンデーン艦を倒すことが今の自分にできるか、ということだ。
前回はディストラクションが無意識に発動してくれたから良かったようなものの、今の自分にそれと同じことができるとは思えない。
ディストラクションの力は操ることができるようになってきている。だが、バンデーン艦を消滅できるほどの力があるかとなると、当然結論は決まっている──不可能だ。
だが、ヘルメスに操られていたときの自分ならばできた。覚えている。ディストラクションの力を自由自在に使えたあの時の感覚は。
それを意識的に使いこなすことができるだろうか。
無理だとは言わない。その力は自分の中にある。
だがこの短期間でそれだけの力を身につけることは不可能に近い。
それとも意識的に自分をそこまで追い込めば、それだけの力を出すことができるだろうか?
無論、そんな奇跡に期待するようなことは今の自分にはできない。
とにかく、ディストラクションの力がどれほど使えるか、これは訓練しなければいけないのは確かだ。手が空いた時にでも実行していく必要がある。
最後の問題。
果たして自分は、いつまで『ここ』にいるのだろうか。
そして、本来いたはずの『僕』はどこへ行ってしまったのだろうか。
こればかりは──いくら考えても答が出るようなものではなかった。
(いずれにしても僕は)
アミーナとディオンを助ける。
それが自分のエゴなのだとしても。
白い闇
もどる