カルチャー

第3話 い闇






 そういえば、ここは冬なんだったな、ということを改めて認識する。
 外に出た瞬間の雪景色に驚く。空から舞い降りる白い妖精たち。本物の雪を見たのはアーリグリフが初めてだったのだ。
 既に装備は整えてある。防寒着もしっかりと装着し、準備は万全だった。
 まずは、カルサアへ。
 街の外でファリン、タイネーブと出会い、挨拶をしてすぐに出発する。
 御者はファリン──今考えると、とんでもない人選じゃないんだろうか、と不安になった。
 そして馬車の中に自分たち、そしてネルとタイネーブ。総勢五名。
「さて、何から話せばいいんだろうね。どうもあんたはこっちの事情にも詳しいようだし……反対に私の方がいろいろと聞きたいんだけどね」
「確かにネルさんの方が分からないことだらけでしょうけどね」
 久しぶりに『さん』とつけて話した。思わず苦笑してしまう。
 だが、その様子にネルが不審な目を向ける。
「……私、そういえば自分の名前を言ったかい?」
 まずい、と一瞬冷や汗をかくが、表情はいたって冷静なまま答えた。
「結構有名ですよ、シーハーツが誇るクリムゾンブレイドのネル・ゼルファーという名前は。隠密なのに素性がばれてるのは少々問題あるような気がしますが」
「全くだね。それにしても随分あんたたちはこっちの事情に詳しいようだけど、えっと……」
「僕はフェイト・ラインゴッド。こっちはクリフ・フィッターです」
「よろしくな」
「ああ。改めて言うけど、私はネル・ゼルファー。こっちは部下のタイネーブ」
「よろしくお願いします」
「御者をやってるのがファリン。二人とも私の部下だよ」
「よろしくおねがいしますぅ〜」
 間の抜けた声は相変わらずだった。フェイトは笑いを外に出さないように必死だった。
「推測はついているかもしれませんが、僕たちは隣のグリーテン大陸のものです」
「おい」
「クリフはとりあえず黙ってて。ここは僕に任せて」
 いったいどういうつもりだ、というクリフを黙らせてフェイトは説明を続ける。
「実は僕たちの対抗勢力に、僕の父さんが連れ去られてしまったんだ。だから──」
 言いながら思い返した。
 ……そうだ、父さん。父さんもこの戦いの中で亡くなったのだ。ビウィグのライフルによって。
 それも助けることができるだろうか。それまで僕はきちんとこの世界にいられるのだろうか。
「だから?」
 突然話を止めたフェイトに、ネルが続きを促す。
「すみません。だから、僕たちは父さんを取り戻すために新型の飛空挺に乗って追いかけたんですが、逆撃を受けてしまい緊急にあんな場所に落ちてしまったんです」
「なるほどね。やっぱりグリーテンだったんだね。あんな兵器はこっちのゲート大陸じゃ作る技術がないからね」
「閉鎖国家とはいえ、こっちの大陸の様子はけっこう聞こえてくるんですよ。アーリグリフがシーハーツに攻め込むつもりだっていうのも知っています。シーハーツはそれに対抗して施術兵器を作っているということも。その切り札が完成間近だっていうことも」
「やれやれ。ここまで機密が筒抜けとはね」
 筒抜けなのではない。単に後から知った知識であるにすぎない。
 彼はこの先の未来を知っているのだから。
 ──とはいえ、当然のことながらクリフは厳しい視線を自分に送ってくるが。
「まず向かっているのはカルサアですね?」
 これは確認だ。アーリグリフからエリクールへ向かうのなら、絶対にカルサアを経由しなければならない。
「ああ。カルサアまで行けばあとはアリアスまで逃げ込むだけだからね。どうとでもなるんだが、このあたりは【疾風】や【漆黒】がまだうようよしている。無事に逃げ切れるか……」
「ネル様ぁ!」
 早かったな、とフェイトは思う。
「どうやら気づかれたみたいだね」
「ここは、私たちが囮になります」
 タイネーブが自分を省みずに言う。
「ああ。頼むよ」
 フェイトは何も言わなかった。
 ペターニへ最短時間で行くには──これが最もよいと判断したからだ。
「タイネーブさん、ファリンさん」
 二人をじっと見つめる。
 これから二人が待っているのは、おそらくは拷問。
 そしてこの二人は、その苦痛に耐える力がある。
 力があるだけに──その拷問には終わりがない。
「すみません」
「いいんです。ネル様をお願いいたします。アペリスの御加護がありますように」
「そうですぅ。私たちだって、簡単にやられたりしないんですからぁ! アペリスの御加護がありますようにっ!」
「いいんだな、フェイト」
 クリフが真剣な表情で言う。
「ああ」
 自分の瞳の中に決意を読み取ったのか、クリフは頷いただけでそれ以上何も言わなかった。
「よし。それじゃあ、行くよ」
 ネルが馬車から飛び降りる。そしてフェイトとクリフもそれに続いた。
 すぐに岩陰に隠れる。その直後、
(来たか……ヴォックスの【疾風】が)
 自分が倒さなければならないのはそれほど多くない。とにかくヴォックスさえ倒せばどうにかなる。ヴォックスに比べればアルベルもウォルターも穏健派だ。主戦派にはなりえない。
「さて……これからどうするんだ?」
 クリフが尋ねる。ネルが馬車と、そして【疾風】がいなくなった方向を見つめながら答えた。
「……とりあえずはカルサアへ行くよ。それが一番だからね」
 今のフェイトには分かる。
 このときのネルが、どれほど辛く苦しかったか。
 ネルにとってあの二人は、取替えがきくような部下じゃない。
 大切な仲間だということが。
「じゃあ、行きましょう。時間はあまり多くありません」
 フェイトが先頭に立って歩き出す。
 クリフとネルも、それに続いた。
(……そう。急がなきゃいけないんだ)
 アミーナを助けるために。
 ディオンを助けるために。
(一分、一秒だって無駄にできるものか)
 彼の決意は、何があっても揺らぐようなものではなかった。






 カルサアの宿屋に到着する。ファリンとタイネーブが時間を稼いでくれたおかげで、自分たちは無事にここまでたどりつくことができた。
 このまま真っ直ぐアリアスへ向かえば、間違いなく敵の待ち伏せにあう。だからカルサアの山道を抜けて、迂回してアリアスへ向かう。
 それがネルの考えになるはずだった。
「で、ここまで来りゃあ教えてもらえるんだろうな?」
 クリフが凄みをきかせて話しかけてくる。フェイトは肩をすくめてはぐらかした。
「おい、フェイト」
「悪いけどクリフ、その話はもう少しだけ待ってくれないか。これからちょっと行かなきゃいけないところがあるんだ」
「どこに行くってんだ、こんな未開惑星で知ってるところだってねえくせに」
「彼女の後を追うのさ」
 既にネルは『あたりを見てくる』と言って出払ってしまっている。
 記憶が確かなら、彼女は部下に情報を聞きにいったはずだ。
 その情報の内容は、敵軍の配置状況、部下たちの安否、その二点に絞られる。
 そして彼女は選ぶのだ。いや、選ぶのではない。決意するのだ。
 一人ででも、部下たちを助けに行くということに。
(今度はもうそんなことはさせない)
 ネルがカルサアに戻ってくることになれば、自分もまたそれを追いかけて戻ってこなければならない。そうなるとペターニへ着くのが遅れることになる。
 時間は無駄にできない。少しでも早くペターニに着くためには、ネルがアリアスからカルサアへ戻るということを防がなければならない。
 とにかく、早くペターニへ着くことだけを考えなければならない。
「後をつけるってのか?」
「考えてもみなよ。ネルたち、シーハーツは敵国の王都にまで隠密を放っているじゃないか。だとしたらこの街にもネルの部下がいたって不思議は何もない」
「そりゃそうだ」
「だから彼女はきっと情報を集めにいったんだ。それも、僕たちに悟られないように」
「……ま、いいか。夜になりゃ教えてくれるってんならな」
 クリフは諦めたようにベッドにごろりと横になった。
「俺は寝てるからよ、話がついたら戻ってきな」
「ありがとう。クリフはゆっくりしていてくれ」
「お前もあんまり無理すんじゃねえぞ。拷問にあったばかりなんだからな」
「そういえばそうだったね」
 苦笑を禁じえない。今は、肉体の痛みよりも焦りの方が強かった。
 自分は間に合うだろうか。
 自分は助けられるだろうか。
 こうしてじっとしているだけで、自分の心の中から競りあがってくるものを感じる。
「じゃ、行ってくる」
「ああ」






 予想どおり、ネルは部下と話し合っていた。
 あたりを見てくる、など真っ赤な嘘だというのは最初から分かっている。何しろ、フェイトは未来を知っているのだから。
 今のところ、歴史に大きな変化はない。
 だがこれから先は、少しずつ歴史に変化が生じてくるはずだ。
 自分の考えていることを実行に移すなら。
 かさり、とわざと足音を立てた。
 部下はそれに気づいて、その場を離れていく。
「なんだ、あんたかい」
 ネルがようやく気づいたというふうに振り返った。
「立ち聞きとは、あんまり褒められた趣味じゃないね」
「まあね。なにしろ、ネルさんは隠し事が多すぎるから」
「私が?」
「ああ。今手に入れた情報、きっと僕たちには全部教えてくれないでしょう?」
「当たり前じゃないか。なんで機密事項をあんたに教えなきゃいけないんだい?」
 こう見えても隠密なんだ、と言わんばかりにネルは自信たっぷりだった。
「だから盗み聞きさせていただきました。タイネーブさんとファリンさんが、カルサア修練場へ連れていかれて処刑される、ということも」
 ネルの表情が強張る。やはり、このときに聞いていたのだ。
「だからって、私たちにどうすることができるっていうんだい? 私の任務はあんたたちを陛下の下までお連れすることだ。助けに行くことなんかできやしない」
「嘘つきですね」
 フェイトはネルに近づく。
「何を……」
「ネルさんは今の話を聞いた瞬間に思ったはずです」
「だから、何を!」
「アリアスまで僕たちを連れていったら、自分一人で修練場まで二人を助けに行くことを、です」
 完全に表情が変わった。
「……仮にそうだとしても、あんたには関係のないことさ」
「あります。大ありです。僕はネルさんを──」
 ああもう、この言い方は自分には合わない。
「僕はネルを見殺しになんかできない」
「……あんた」
「考えてもみろ。どうしてネルがこの情報を手に入れることができたのか。罠だよ。僕たちをあぶりだそうとしているんだ」
「そんなことは分かってるさ」
「しかもヴォックスは僕たちを何がなんでも捕らえてやろうというつもりじゃない。それがさらに大きな問題だ」
「……どういうことだい?」
 ネルはどういうことなのか分からない、といった様子だった。
「ヴォックスはここで僕たちを逃がしたって、何も問題ないんだ。僕たちにできることは何もありはしないと高をくくっている。だから、捕まえても逃がしても自分に得になるように仕向けているんだ」
「言っている意味が分からない」
「いいかい。僕たちを捕まえればヴォックスはすぐに自分の力を強化するために僕たちの取り込みに入るだろう。それがヴォックスが僕らを捕まえようとする理由だ」
「ああ」
「でも、この段階に入ってヴォックスは僕らを捕らえる仕事をカルサア修練場の【漆黒】に移した。それは、ここで僕らに逃げ切られても、その失態を【漆黒】のせいにできるとふんだからだろうね」
「なるほどね」
「だから僕らが敵として考えなければいけないのは【漆黒】だ。そしてファリンさんとタイネーブさんはカルサア修練場へ連れていかれる。つまり【漆黒】の本拠地にだ。これは僕たちをここまでおびきだして、確実に殺そうという意思だよ」
「敵はヴォックスじゃなくて【漆黒】のアルベルか」
 正確にはアルベルではなくてシェルビーなのだが、それを言ったところでネルには通じないだろう。
 アルベルは正攻法が好きなタイプだ。だがシェルビーはヴォックスの息がかかっている。小細工や罠が好きなタイプだ。
「そんなことを私に説明してどうするつもりだっていうんだい?」
「敵が【漆黒】で、修練場に乗り込むなんていうのは自分から死にに行くようなものだ。僕はネルにそんなことをさせるわけにはいかない」
「そんなこと、あんたには関係のないことさ」
「だからあるんだ。大ありだよ」
 もう一度同じやり取りがされる。
「条件」
「……なんだって?」
「さっき言っただろう。僕が協力するには条件が二つあるって。一つは馬車を用意してもらうことだったけど、もう一つは言わなかったよね」
「……こんなときに、なんだって言うんだい」
「こんなときだから言うんだよ」
 フェイトの表情は真剣そのものだった。
「もう一つの条件は、ネルが一人で修練場へ行くなんていうことをやめること。それが条件だ」





不眠症

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