カルチャー

第5話 アモネ






「ほんとにやっちまいやがったか」
 気がつけば、あと残りの【漆黒】のほとんどが倒れており、この部屋の中に立っているのは黒い鎧を着た者が三人と、給仕のマユだけという状態だった。
「お前、人殺すの初めてじゃなかったのか?」
【漆黒】の一人──クリフが近寄ってきてネルに聞こえないように囁く。
「大丈夫」
 確かに『この世界の』フェイトは人を殺したのは初めてだ。だが『自分』は初めてではない。
 慣れているとはいわない。生きている肉に突き刺す感触は、相変わらずおぞましいものに違いはない。だが、今はそんなことを言っている場合ではないのだ。
「急ぐよ。こっちの異変に気づかれたら厄介だ」
「そうだね」
 フェイトは外れた仮面を拾うと、部屋の隅で震えているマユに視線を向けた。
(ああ、そうか)
 そういえば前の戦いの時には色々な料理を作ってくれた少女。
 好意があるのは分かっていたが、自分にはネルがいたからあえて期待させるようなことは何もしなかったのだが。
「ちょっと、ごめん」
 クリフとネルに断って、彼女のもとに足を運ぶ。それだけでマユは、ひっ、と身をすくませた。
「ああ、安心して。大丈夫。君に危害は加えない」
 その言葉に安心したという様子はなかった。当然のことだ。自分の手は血に濡れていたのだから。
「一つだけ、言いたかったことがあるんだ」
「わ、わたしに、ですか……?」
「うん」
 フェイトは微笑んだ。
「ありがとう。君のおかげで、僕は随分助けられたんだ」
「え……」
「君に言っても仕方のないことかもしれないけど、それでも、ありがとう。それだけ言いたかった」
 苦しくて辛かったときに作ってくれた料理の味を今でも覚えている。
 その優しさにどれだけ心を救われたことか。
(今回は、もう会うこともないだろうけど)
 前回のように戦場以外で出会ったのなら、自分たちの関係は悪いものにはならなかっただろう。
 だが今は、目の前で人を殺す場面を見られたのだ。
 普通の少女には衝撃が強すぎるだろう。
「それじゃ、また」
 フェイトは仮面を被り、二人の【漆黒】ことクリフ、ネルとその場を後にした。
 あとに残されたマユは──
(かっこいい……)
 こんな状況でもやはり、ドリームに陥っていた。






「あの娘に気があったのか、フェイト」
 怪しまれないために、ことさらゆっくりと歩く三人。
「まさか」
 軽く受け流したフェイトは、気づかれないように横を歩くネルを見る。
 自分が好きな相手は、一人しかいないのだ。
「それにしても、よくここまでうまくいったよな」
 クリフが大きく息をつく。
「全く同感だね。あんたの行動力にはおそれいるよ」
 ネルが苦笑しながら言った。
「僕はたいしたことをしたつもりはないんだけど……」



 まずカルサアでフェイトたちは幾つかの爆弾を手に入れ、それをカルサア修練場まで持ち込んだ。
 手早く爆弾をセットし、いくつかの場所で爆破させる。そして修練場内を混乱させた。
 人気のないところに来た【漆黒】を倒し、三人分の鎧を手に入れ、場内に侵入する。
 あとは報告しに来たと見せかけて、人数が少なくなったところでシェルビーを倒した。
 たったそれだけのことだった。
 幸運もいくつかフェイトに味方していた。まずシェルビーが勝利を確信して酒を飲んでいたこと。頭が回らない状況で冷静な判断も俊敏な対応もできるはずがない。
 さらには、見回りに多くの兵が駆り出されたこと。そのおかげでシェルビーのもとまで全く苦労することなく近づくことができた。
 そして何より、シェルビーの後を受け継いで指示を出せるだけの力のある人間がいないこと。それが最大の幸運だろう。
 もしシェルビーが死んだ後を自分が受け継ぐとしたら、まずは全ての門を封鎖し、通行を禁止する。侵入者がいるのなら、必ず脱出するはずだからだ。その上で兵を分散させずにいくつかの小隊ごとにわけて点呼を取って自分の兵力を確認してから、しらみつぶしに一箇所ずつ探していく。
 侵入者が多いはずはないのだ。何しろ、この場内でまだ戦いが起こっていない──当たり前だが──のなら、ほんとにわずか数名だけが侵入してどこかに身を潜めていると考えるのが普通というものだろう。
 逆にその心理の裏をついたフェイトの方が一枚上手だった、ということだ。



「ちょうどいいカモがいたな」
 しばらく歩いていると、正面から一人の【漆黒】が走って近づいてきた。
「お前たち、所属部署と氏名は!」
 だが、回りに誰もいないことを確認した上で、ネルとクリフが囲むようにしてその【漆黒】の後ろにつく。さすがにその様子に相手もあわてたらしい。
「静かに」
 正面のフェイトがナイフをちらつかせる。
「死にたくなかったら、ね?」
 つとめて可愛らしい声を出したつもりだったが、充分脅しにはなったらしい。
「それじゃあ聞きたいことがあるんだけど、君の所属部署と氏名は?」
「ひ、飛燕第4小隊、ルウ」
「飛燕って?」
「【漆黒】の中の伝令部隊の名前だよ」
 ネルが簡単に説明する。
「それは好都合」
 フェイトは嬉しそうに言った。
「伝令さんなら知ってるよね。ここにシーハーツの隠密が運ばれて来るだろう? いったいどういう計画なのか、教えてもらえるかな」
「それは──」
 目の前のナイフ、そして背後から二つの殺気。
【漆黒】は自分の命を優先した。彼にとっては幸運な選択だったといえる。
「今夜既にカルサアを発ち、街道を通って修練場へ。到着予定時刻は明朝六時」
「護送の隊長は?」
「鳳凰第二中隊長、シェイクス」
「ありがとう。いいよ、クリフ」
「OK」
 がつん、と一発。もちろん意識を奪っただけで、命を取ったりはしない。
 無駄に殺しても意味はないのだ。アーリグリフの兵はあとでバンデーンと戦うための大事な戦力になるのだから。
 倒さなければならないのは主戦派の連中だけだ。
「というわけで場所も分かったことだし、急ごうか」
 倒れた【漆黒】には見向きもせず、フェイトは二人に言った。
 はあ、と同時にため息をつく二人。
「え、何?」
「行くか」
「そうだね」
 クリフとネルは何か悟ったかのように言葉を交わし、フェイトの言葉に答えず歩き出した。
「ちょ、ちょっと」
 フェイトは珍しく焦ったような声を上げて二人の後を追った。
 もちろん、二人がため息をついたのはフェイトの天然な行動の結果に対してのことだが、今のフェイトにとってそれはあまりにも無自覚すぎた。



 ──しかし、これだけ急いで修練場を攻略したことについて、それを後で後悔するときが来るのだが、それはまだ当分先の話になる。







 月夜の中、捕虜を二人檻の中に入れた行軍が、カルサア街道を南へと移動していた。
 速度はさほど速くはないとはいえ、徒歩の者がおらず、皆ルムに乗っている。
 その行軍に、カルサア修練場から報告が来たのは、行軍を開始して割と早い段階だった。
「報告いたします!」
【漆黒】の三人が徒歩で街道を北上してくる。
「待て。所属と氏名を答えよ」
「はっ。飛燕第四小隊、ルウにございます。シェイクス隊長でいらっしゃいますか」
「おお、ルウか。お前のルムはどうした?」
「はっ。それがただいま、修練場に襲撃をかけてきたものがいるのです」
「なんだと?」
「シェルビー様が指揮を取っていらっしゃいますが、現在修練場には兵数が足りません。そこで隊長にはここの護送兵を率いて迅速に修練場へ戻れとのことです」
「ほう」
 隊長格の男は少し考えるふうだった。
「それほど苦戦されているか。分かった。我々は急げばいいのだな?」
「はい」
「ならば私の判断で動かせてもらおう。ビッグス、ウェッジ!」
「はっ!」
「お前たちはルウと共に捕虜を率いてカルサアへ引き返せ! 私は残りの者を率いて修練場へ向かう!」
「はっ!」
「ではルウ、また後でな」
「はっ」
 シェイクスは部隊のほとんどを連れて修練場へ急行した。
「では参りましょう」
 ウェッジ、と呼ばれた男が近づいてきた。
「ああ」
 ルウ、と名乗った男はシェイクス隊が完全に見えなくなったのを確認してから、一緒に連れてきた【漆黒】に合図する。
「え──」
【漆黒】たちは俊敏に動き、あっという間にウェッジとビッグスをねじ伏せ、その意識を奪う。
「やれやれ。本当にうまくいっちまった」
 片方を眠らせた【漆黒】が兜を脱ぐ。
「本当だね、全く」
 もう一人の【漆黒】は女の声だった。
「……ネル、様?」
 檻につながれていたタイネーブが弱弱しい声を上げた。
「大丈夫かい、タイネーブ、ファリン」
「本当に、本当にネル様ですか?」
「ふええええぇ」
 タイネーブはあまりのことに涙を浮かべており、ファリンは既に声にもならないらしい。
 そして、ルウと名乗った【漆黒】が二人がつながれている檻に近づいた。
「大変、ご苦労をおかけしました」
 兜を脱いだその顔は、無論。
「フェイトさん」
「僕を助けるためにこんなことになってしまって、申し訳ありません」
「……いいえ、いいんです。助けていただきましたから」
「本当ですぅ」
「それでも僕のせいです。僕が……」
 アミーナを助けるという急ぐ理由さえなければ、タイネーブとファリンを犠牲にするなんていう方法を使わなくてもよかったのだ。
「クリフ。【漆黒】が戻ってこないかどうか、見張っててくれないか」
「ああ、かまわないぜ」
 ふい、とクリフが【漆黒】の消えた先を見た。
 その一瞬の間を、フェイトは無駄にしなかった。
(ちょうどいい機会だな)
 フェイトは額のあたりに集中する。
(んっ!)
 クリフの目の届かないところで、ディストラクションを発動させる。
 檻にかけられていた鍵が、音を立てて壊れた。
「ん、どうした?」
「いや、鍵を壊しただけだよ」
 どうやったか、ということは言わずに、フェイトは檻を開く。
 そしてナイフで拘束を解き、二人を解放した。
「ネル様」
 タイネーブとファリンはよろめきながら、自分たちの上司に近づいていった。
「迷惑かけたね」
「とんでもございません」
「助けていただいただけで、充分ですぅ」
「その礼は悪いけど、私よりもその男に言ってくれ。私は……こんなに早く助けに来られるとは思っていなかったんだ」
 僕? とフェイトは自分を指さす。
「お前以外に誰がいるんだよ」
「僕は別に何もしてないじゃないか」
「【漆黒】の副将を倒したやつが何言ってんだ」
「あれは不意打ちで……」
「シェルビーを倒したんですか?」
 タイネーブが驚いた声を上げる。それはそうだろう、アーリグリフ三軍の副将ということは、まさに国で十指に入る宿将だ。
「だから、それは不意打ちなんだって……」
 タイネーブとファリンがゆっくりとフェイトに近づく。
「ありがとうございます」
「ありがとうございますぅ」
「いや、だから……」
「もともと、これは私たちの任務だったんです。フェイトさんは私たちを見捨ててしかるべきだったんです。それで誰もフェイトさんを非難する人はいません。でもフェイトさんは私たちを助けてくれた。これほど感謝しなきゃいけないことはありません。フェイトさんは命の恩人です」
「……」
 もう返す言葉もないらしい。
「でも、そういうことなら、二人には一つお願いがあるんだ」
「なんですかぁ?」
 まだ元気だという感じでファリンが言う。
「これから大急ぎでアリアスまで向かうんだ。だから、休む間もなく二人にはアリアスまで来てもらうことになるけど、大丈夫かな」





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