カルチャー

第7話 






「やめてくれ、フェイト」
 ネルが立ち上がり、フェイトの傍に近づく。
「あんなに一生懸命にファリンやタイネーブまで助けてくれたっていうのに、それを全部壊してしまおうっていうのかい?」
「ああ。僕は自分勝手だから、自分のやりたいようにやるよ。だいたい、僕がいなければこの国の秘密兵器は完成しない。別に急がなくたって、アーリグリフは攻めてくるんだ」
「フェイトさん」
 クレアが立ち上がって、鋭い視線で言った。
「その前に、この屋敷──いえ、この部屋から出られると思っているんですか?」
 それは脅しだ。クレアが逆にこうした威嚇をしてくることも予想していた。逆にネルの方がこの状況に困っている。クリフは、相変わらずのほほんとしていた。自分がこの程度の連中に殺されるとは思っていないのだろう。
「出られますよ」
「私を含め、ここにいるのは皆手練れのものばかりですよ?」
「僕を脅すつもりならやめた方がいい」
 彼は再び額に集中した。次の瞬間、豪快な音を立ててこの部屋の扉が粉々に砕けた。
「な!?」
「今のは手加減しました」
 まさに文字通り、何十もの木屑に変わってしまった扉を見て、フェイトは静かに言う。
「あまり疲れるからこんなことは何回もしたくはないのですが、抵抗するというのならこの屋敷ごと消してみましょうか? 試してみろなんて挑発しないでくださいね。本気でやりますから」
 フェイトの顔には生気がなかった。仮にもう一回やったとしたら、今度こそ過労で倒れてしまうだろう。
「何をそんなに意地になることがあるんですか? 僕が言っているのはそんなに実行不可能なことですか? 国を守るために手段を選んでいる場合ですか? 僕だって別に好きでこの国を滅ぼそうなんて考えませんよ。条件なんてそんなに乱発するつもりだってありません。僕が望んでいるのは、ごくありふれた何でもないようなこと。今までと同じ日常。それだけです。別に実現不可能なこと、それこそ土地や爵位をよこせなんて言ってるわけじゃない。あなたたちが僕に対して協力してほしいというのならそれなりの誠意を見せるべきだし、その誠意は僕はネルの処分を白紙にするということ、それだけしか望んでいないんです。それを聞き入れるつもりがないほど、この国の女王陛下は狭量な人物ですか?」
 逆にフェイトは挑発した。陛下が狭量かと言われれば、NOと答えるしかない。
「私だって、別にネルを処罰したいわけじゃない」
「だったら僕の条件を呑んでいただきたい」
「ですが組織管理において処罰しないわけにはいきません。減俸などの処罰に振り返ることでは──」
「行くよ、クリフ」
 歩き出そうとしたフェイトをネルが肩を掴んで止める。
「待ちな、フェイト」
「なんだい?」
「あんたの気持ちは嬉しい。でも、それは私にとって少し、いや、かなり迷惑だ」
 フェイトは何も言わない。表情も変えない。だが、ネルは困ったように話す。
「私は自分が任務を遂行しなかったということを知っている。これが罰せられるべきことで、クリムゾンブレイドにふさわしくないということも知っているんだ。逆にここで私が罰せられなければ、私が私ではなくなってしまう」
「ネルは僕を殺したかったのかい?」
「そんなことは!」
「そりゃそうだよね。罪もない、それこそ場合によっては一般人を殺せっていう命令に唯々諾々と従えるようなネルだったら、僕もここまではかばわないよ」
 フェイトは鋭い視線でクレアを睨んだ。
「最悪の場合、一般人だとしても殺さなければならないという任務を課した人の責任は、どういう形で償われるんだろうね。それとも、やっぱり王族や貴族っていうのは一般市民が死んだって別に何とも思わないものなのかな。仕方が無いか、王様だからね」
「それ以上、陛下を侮辱するのはやめてください」
「やめないよ。少なくとも、僕に批判されるようなことを君たちはしているんだから。何しろ僕はその当の殺される相手だからね」
「分かりました」
 クレアは諦めたように息をついた。
「今回のことは処罰が与えられないように陛下に進言します。それに、結果的に誰一人犠牲者を出すことなく、任務をこうして果たしてきたことには変わりないわけだし」
「最初から素直にそう言えば僕もあなたも不愉快な思いをしなくてよかったのに」
 フェイトはようやくにっこりと笑ってクレアに近づいた。
「契約成立ですね。この件、間違いなく陛下に伝えてくださいね」
「一度約束したことを裏切ることはありません。クリムゾンブレイドの名にかけて」
「その約束には価値がありますね」
 フェイトは微笑みながら手を差し出す。
 クレアは触る程度にその手を取った。
「よし。それじゃあこれで僕のここでの用事は終わった。クリフ、行くよ」
「ああ?」
「今日中にペターニへ行くんだ。明日の朝にはついてなきゃいけない」
 西日が既に落ちてきている。まだ沈むとかいう時間帯ではないが、落ちる陽は早い。あっという間に夜になるだろう。
「お前のその体じゃ無理だ」
「無理でも行くんだ。最悪の場合はお前におぶってもらう」
「誰が男をおぶったりするか!」
 クリフの大声に、一瞬よろめく。
(確かに体力的には辛いかもしれないな)
 だが、アミーナはこんな自分よりもずっと長い時間を、たった一人で戦ってきたのだ。
 自分がこれくらいのことをできなくてどうする。
「とにかく急ごう。僕の体力も確かに限界が近いのは認めるよ。だから一刻も早くペターニに着いて休みたいんだ」
 フェイトは壊れた扉から部屋の外に出る。
「待ちなよ」
 だが、そのすぐ後ろから出てきたのはクリフではなくネルだった。
「ああ、ネルにも一緒に来てもらわないとね。陛下に取り次いでもらわないと」
「そうだけど、あんた、本気かい? もしそのままペターニまで向かうとしたら、途中で間違いなく倒れるよ?」
 フェイトの体についている怪我はまだ生々しい。それは当然のことだ。拷問を受けたのはたった一日半前のことなのだから。
「倒れたとしてもやることがあるんだ」
「倒れたら何にもならないじゃないか──って、そうじゃない。私はあんたと言い争いたかったわけじゃないんだ」
 はあ、とネルはため息をついた。
「ありがとう」
「……」
「あんたが私をかばってくれたことが嬉しかった。こう見えてもクリムゾンブレイドは私の誇りなんだ」
「僕に感謝しても何もないよ。僕は自分のやりたいようにやっただけなんだから」
「一つ聞きたいんだけど、いいかい?」
「ああ」
「どうして、私にそこまでしてくれるんだい?」
 ついにその質問が来たか、とフェイトは感慨深く思った。
 ほんの数日前まで一緒に暮らしていた相手からの質問。
 もう、言ってもいいだろうか。
 この世界の歴史を不必要にゆがめたりはしないだろうか。
 だが、もういい。
 自分は欲張りなのだ。わがままなのだ。自分勝手なのだ。
 だから、欲しいものは力ずくででも手に入れる。
 アミーナが死ぬというのなら、絶対に助けてみせる。
 ファリンやタイネーブが捕まるというのなら、絶対に助けてみせる。
 そして──
「僕は、ネルが好きなんだ」
「……」
「ずっと好きだった。それこそ、初めて会ったときから」
 もう、二年になる。
 アーリグリフの牢獄へ助けにきた彼女。そして、その後しばらく一緒に旅をし、この世界で一緒に暮らすようになった女性。
「自分にとって、これほどの熱情を覚えて、それが全く冷めないなんていうことがあるとは、ずっと考えてもみなかったんだ。ネルに会って、それが初めて分かった。僕はネルが好きで好きで、仕方がないんだ」
「……」
「クリムゾンブレイドなんて肩肘はって、でも任務のために非常になりきれない君が好きだ。普段滅多に見せることはないけど、案外嫉妬深い君が好きだ。照れてそのマフラーに顔を埋めて上目遣いで見てくるその視線が好きだ。堂々としているけれど、いつも誰かに頼りたがっている、そのがんばっている姿勢が好きだ。実は料理が得意で鮮やかに包丁を使うその家庭的なところが好きだ。戦っているときの凛々しい姿が好きだ。その髪も、目も、肌も、何もかもが好きだ。世界で一番、愛している」
「ば……馬鹿、言ってるんじゃないよ」
「本気だよ」
 フェイトはゆっくりとネルに近づく。
 そして、息がかかるくらい彼女に接近して、囁いた。
「目を……閉じてもらってもいい?」
 ネルは言われたままに目を閉じた。
 その唇をついばむようにキスする。
「好きだよ、ネル。僕はずっと、君だけが好きだった」
「あんたは卑怯だよ」
 ため息をつく。それ以外にネルにできることはなかった。
「どうすればいいか、分からないじゃないか」
「思った通りに行動していいと思うよ」
「あんたはそう簡単に言うけどね……」
 ネルはどうしたものかと悩み、とにかく話題を変えることにした。
「受け取ってもらいたいものがあるんだ」
「受け取って?」
「ああ」
 ネルは軽く咳払いをした。
「馬車。用意するからそれに乗っていくといい」
「……」
「私がクリムゾンブレイドじゃなくて、貴族として使う時の馬車さ。だから軍のじゃないけど、軍のよりもはるかに楽に移動できるはずだよ」
「でも、それはペターニからシランドの間で馬車を用意してもらうって……」
「その前から馬車があったって、契約違反にはならないだろう?」
 ネルは優しく微笑む。
「今のあんたにこれ以上無理させるわけにはいかないんだよ。でもあんたはペターニに行きたい。それなら、お互いの要求が通るような形を取ればいいんだ」
「ネル」
 真剣な表情でフェイトは言った。
「ありがとう」
「それこそ、お礼を言われるようなことじゃないさ。私の方がはるかにあんたに助けてもらっている」
「いや、それもそうなんだけど、ネルが僕の心配をしてくれたのが嬉しくて」
「今まで、少しも心配してなかったとでも考えていたのかい?」
 かなり不満そうな様子が見て取れた。
「いや、そういうわけじゃないけど、でも──」
 フェイトはそのまま前に倒れこんだ。
「フェイト!」
「もう、限界」
 抱きとめたネルに、自分から腕を回してネルのぬくもりを感じ取る。
「久しぶり」
「あ、あのときは……それに、久しぶりってほどでもないだろう!」
 ネルはきっと、カルサアでのことを言っているのだろう。自分は全く違う。シーハーツで彼女の温もりをいつも感じていたときのことを思い返していたのだ。
「とにかく、急いでペターニへ。あとは、よろしく……」
 がくり、とネルにさらに体重がかかった。完全に眠りについたらしい。
「フェイト、フェイト!」
「起こすんじゃねえよ、そっとしておいてやりな」
 いつの間にか、クリフが後ろに立っていた。考えてみれば、この男もほとんど休まずここまで来ていたのだ。
「クリフ」
「なんだ?」
「あんたたち、いったい何者なんだい?」
 クリフは肩をすくめた。
「そりゃ俺もフェイトに聞きたいところだな。お前は何者だって」
 彼は思い描いていたことをそのまま口にした。
「俺もこいつのことは知らないことだらけだぜ。でもな、ファリンやタイネーブ、それにお前さんを助けようとしているこいつを見てると、一つ分かることがあるんだ」
「なんだい?」
「こいつは、そのペターニとかいう街に助けたい奴がいるんだ」
「助ける?」
「ああ。十中八九間違いないだろ。人を助けるのに理由は必要ないって言ってたろ? こいつの意識じゃ多分、他の誰もが自分が助ける対象として映るんだろうな」
 少し間があく。
 布ごしに、彼の体温を感じる。生きている温もり。
「私は、どんなことをしてでもフェイトを行かせたくないんだけどね。せっかく寝たんだったらこのまま朝までここで寝かせてやりたい」
「でもそうしたら起きた瞬間に『約束が違う!』って怒りだすぜ? 単に怒るだけならともかく、こいつの場合はさっきの扉壊したような、とんでもない力があるからな。俺ならこいつの言うこと聞いて、とにかく馬車に乗せて出発するぜ」
 この場合は、クリフの方が言っていることが正論だろうか。
 だがどちらにせよ、自分に選択肢はないということをネルは悟らざるをえなかった。
 既に心ごと彼に捕らわれている自分には、抵抗することなどできないのだということを。





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