カルチャー

第8話 冷たい






 朝日が差し込んできて、ようやく意識が体に戻ってくる。
 冬を迎えようとしているシーハーツの朝は寒い。朝日も冷たさを伴って昇ってくる。
(今日は……何日だったっけ)
 まだ目が覚めないフェイトはそんなことを思い返す。
(確か今日は陛下からアーリグリフへ行く許可をもらって……昼からは少し時間があるから、ネルと久しぶりに食事でもしようと思って……そういえば、昨日はディオンとアミーナの墓参りをしたんだっけ──!)
「アミーナ!」
 声を上げて飛び起きる。そうだ。自分は過去の世界に戻ってきていて、そしてアミーナを助けるためにペターニへ向かって──
「どうした、フェイト?」
 クリフが突然飛び起きたフェイトに声をかける。
 気がつくと、クリフもネルも自分を心配そうに見つめていた。
 がたん、と馬車が揺れる。
(そうか、馬車でペターニへ向かっている途中だったのか……って、途中!?)
「クリフ!」
「だから、どうしたって」
「ここは!? もうペターニなのか!?」
「ああ」
 クリフはその剣幕におされるように外を見た。
「ちょうど朝日が昇ってきたところだな。あと少しでペターニとかいう街だ」
 既に城門は見えていた。門がちょうど開く時間に着いたということになる。まさに理想的な時間だった。
「そうか。ありがとう」
「なに、気にすんなって。それよりも、アミーナ、って誰だ?」
「え?」
「今言ったじゃねえか。アミーナって。いったい誰だ? お前のコレか?」
「……下品」
 むすっ、とした声でネルが吐き捨てる。
「そんなんじゃないよ」
 目覚めたときに叫んでしまっていたのは失態だった。特にクリフについては、この星に来るのが初めてだということを知られているだけに、あとでどのような追及がされるか分からない。
(ようやくペターニに着いた)
 ずっとここに来ることだけを考えていた。アミーナを助けることだけを考えていた。
(今すぐに行くから、もう少しだけ我慢していて、アミーナ)
 ここまで、ちょうど三日の節約。ほとんど休みなく動いてきただけに、まだ疲労の方は癒えていなかったし、拷問の痕も生々しい。
(こんな格好で行って、アミーナは気にしないかな。でも、そんなことを言っている場合じゃないか)
 アミーナが病気で倒れるのが今から四日後。少しでも楽をさせることができれば病気の進行は多少とどめられる。
(今はとにかく無理をしちゃ駄目だ、アミーナ)
 馬車が門の前で一旦止まる。
 直後に飛び降りたフェイトは、一目散に駆け出した。
「ちょっと、フェイト!」
 ネルが大きな声で呼び止めるが、フェイトは一度振り返り、
「中央広場で待ち合わせよう! 昼ごろには一度顔出すから!」
 そしてまた走り出す。まさかこんな朝早くから出かけるようなことはないと思うが、それでも彼女が朝からパルミラ摘みに行くことだって考えられる。
 とにかく、少しでも無理をさせてはならない。
(ディプロが来るまでは……)
 フェイトに出会ってからのアミーナの衰弱ぶりから考えると、おそらく既にアミーナの病気は末期にきている。少しの無理が病魔の進行につながるのだ。
 ディプロが来れば治療することだってできるだろう。だから、それまでは安静にしていることが大事だ。
 それに、万が一のことを考えて、ディプロが来る前にディオンに会ってもらうのだ。まだ少しでも元気な今のうちにシランドまでは来てもらうことになるが、結局無理をさせることには変わりないのだ。
(アミーナ)
 何よりも後悔したこと。それは、ディオンとアミーナを死なせてしまったこと。
(今なら、なんとなく分かる)
 自分がこの世界に来たのは、きっと二人を助けるためなのだ。
 だから、二人が助かったと確認するまでは、この現象は続く。
(絶対に助けてみせる)
 息が切れかけたころ、ようやくアミーナの家が見えてくる。
 あたりに人通りはまだ見かけられない。どうやら、間に合ったようだ。
 家の扉の前で膝に手をあてて呼吸を整える。汗が吹き出していたが、呼吸を整えている間に自然と引いていくのを感じる。
(なんか、久しぶりに走ったような気がする)
 何も考えずに走るのは、バスケットの練習以来だった。
(やっぱり、こういうのはいいな)
 基本的に体育会系で、バスケではポイントガードで優秀選手に選ばれるくらいだ。体を動かすのはもともと好きなのだ。それはファイトシミュレータにはまってしまうところで分かるものではあるが。
(よし)
 一度深呼吸して、完全に体調を整える。
 冷たい空気が心地よかった。
 その時だった。

 アミーナの家の扉が、自動的に開いた。

「あ……」
 アミーナ、と思わず叫びそうになった。
 ソフィア似の、色白の少女。
 一年半前に会ったときと変わらない少女が、そのままの姿でそこにいた。
(まだ生きている)
 当たり前のことだが、それを実感したとき、フェイトは思わず涙がこみあげてきた。
 自分の失敗の象徴。アミーナの死。
 それを取り戻すことができる。その時が来た。
(そう)
 これはアミーナのためには違いない。だが、最初に考えたとおり、あくまでもこれは偽善だ。
 自分が救われたいから。後悔をもうしたくないから。
 だが、それでも彼女を救うということには変わりない。
「あ、あの……何か、御用ですか?」
 線の細い声が投げかけられる。よく見ると花かごを持っている。中に何も入ってないところを見ると、これから花摘みに行くところだったようだ。
(けっこう、間一髪だったんだな)
 花売りに出る時間を考えると、花摘みはこれくらいの時間でなければならないということだろう。ぎりぎりで間に合ったのは、馬車を動かしてくれたネルとクリフのおかげだろう。心の中で感謝する。
「ああ。大事な用事なんだ」
 アミーナは首をかしげた。だが悪意が全くないことに少し安心した様子を見せた。
「アミーナ・レッフェルドさん、だよね」
「は、はい……」
「迎えに来た。君を探している人がいるんだ」
「私を、ですか?」
「ああ。今、真っ先に君が思い描いた人物だ」
 ぱっ、と表情が変わる。
 だが、少女はまだ目の前の人物を信用していないのだろう。うかつに話をしようとはしなかった。
「その名前を、僕の方から言ってもいいかな」
 アミーナは何も答えない。そしてフェイトはゆっくりとその名を告げた。
「ディオン……ディオン・ランダース」
「ディオンが!」
 それからフェイトはあたりを見回した。ちらほらと人影が見え始める。
「もしよければ、家の中で話をさせてもらえないかな。その……君の体の問題もあるから」
 が、その喜びの表情は一瞬で陰りを見せた。
「でも……」
 アミーナは花かごを見る。これから花摘みに行こうとしていたのだから、当然のことではあるだろうが。
「君も、ディオンに会うために毎日がんばってきたんだろう? それが報われる日が、来たんだよ。だからどうか、僕の話を聞いてほしい」
「一つだけ、確認させてください」
「ああ」
「どうして、そのことを知っているんですか?」
 病気のことだろうか。フェイトは、急ぎすぎたか、と後悔した。少なくとも昔のディオンは病気のことを正確には知らなかったはずだ。
「あまりに知りすぎている人のことは信頼できないかい?」
「そういうわけじゃないですけど……」
「君からしてみると、突然押しかけられて、本当に信頼できるかどうか怪しいと思う。でも、僕はディオンのためにも君を彼の下へ連れていかなければならない」
「……」
「なんだったら、信頼できる人物を連れてくるよ。この国のクリムゾンブレイド、ネル・ゼルファーは知っているだろう?」
「ええ、もちろんです」
「ネルは今、僕と共に行動している。ディオンの所へ行くことになったら、ネルとも一緒に行動することになるよ。それとも、ネルを今ここで連れてきた方が信頼を得られたかな」
「いえ、いいんです」
 アミーナは、ほう、と一息ついた。
「申し訳ありません。私のためにここまでしていただいているのに、疑うようなことを言ってしまって」
「疑うのも無理ないことだよ。でも、可能な限り納得のできる説明はするつもりだから」
「はい。では、おあがりください」
 アミーナは再び家へと戻った。
 そしてゆっくりと息を整える。
(さあ、ここからだ)
 彼女を説得してシランドまで連れていく。
 だが、見ず知らずの男についてきてくれるだろうか。
(ディオンの名前で動いてくれると助かるんだけど)
 フェイトは家の中に入った。
 以前来たときと変わりない、小奇麗な部屋だった。
「どうぞ、お掛けください」
「いや、悪いけどアミーナが座ってくれないかな。その……僕は気が気じゃないんだ。君の病状を知って、ここに駆けつけたから」
「あ……」
 さすがにそこまで言われると憮然とした様子を見せた。
「気を悪くしたら謝るよ。でも、君にはもう少しも無理をしてほしくないんだ」
「あなたは──あ、えっと……」
「僕はフェイト。フェイト・ラインゴッド」
「フェイトさんは、どうしてそのことを知っているんですか?」
「話はするよ。だから、今は座ってくれないかな。君は病人なんだ。放っておけば取り返しのつかないことになる。でも……」
 ゆっくりと、そして力を込めて言った。
「君の病気は治るんだ」
 アミーナの表情には変化がなかった。
「治るんだ。少なくとも、治すことができる場所がある。君をそこまで連れていかなければいけない。だから、今は少しも無理をしてほしくないんだ。これから、無理をしてもらわなければいけないから。だからとにかく、座ってくれないかな。お茶くらいなら僕が自分で入れるよ」
 フェイトはアミーナの肩を押して、椅子に座らせる。そして自らお茶を入れ始めた。
「すみません。お客様にそんなことをしていただいて」
「気を使わなくていいよ。僕にとって君は、その……」
 どうしても、一緒にいるとソフィアを思い出す。
 こんなにも性格は違うのに。
「幼馴染の妹みたいなものだから」
「そう……ですか」
「というか、本当に僕には幼馴染の、君そっくりな子がいてね。今は会えないんだけど、君を見ているとその子のことを思い出すんだ」
「私はその方の代わりですか?」
「まさか。外見はそっくりでも、ソフィア──その子は、君ほど女の子らしくはなかったよ」
 ひどい言い様だと自分でも思う。だが、フェイトはソフィアに対して女性というものを感じたことはない。本当に、単なる妹、家族程度にしか思ったことはないのだ。
 逆に、ソフィアが自分をどう思っているかということになると、また違うのだが。
(ソフィアは僕のことが好き、か)
 それはある程度確信を持って言える。今までソフィアは他の誰とも付き合ったことがない。常に自分の傍にぴったりとくっついている。そのおかげで、自分も他の誰とも付き合ったことがなかったので、迷惑といえば迷惑だったのだが。
「さあ、お茶が入ったよ」
「すみません。いただきます」
 立場が逆になったことに、二人とも思わず苦笑する。そして一口ずつお茶をすすった。
「今日はこれから、花摘みに行くところだったの?」
「はい。その……」
「パルミラの千本花。やっぱり、集めてるんだね」
「そこまでご存知なんですか」
「ディオンも集めていたよ。君に、再会できることを願って」
「ディオンが……」
「ああ。今、ディオンは君に会うために努力している。まだ君がアーリグリフにいるのだと思っている。だから、シーハーツの施術兵器研究所に所属して、この戦争を終わらせようとしている」
「兵器、研究所」
「そう。それじゃ、話をしようか。僕がどうして、君のことを知っているのかということを。そして、僕は君に何をしようとしているのか、ということを」
 アミーナは強く頷いていた。





ever【blue】

もどる