カルチャー

第10話 ry for the Moon






 馬車は夕刻にシランドについた。
 幸い、ここまでアミーナは不調を訴えたりするようなことはなかった。それもそのはず、特別無理をしなければ、アミーナが倒れるのはこれから四日後のことなのだ。
 それだけの時間を稼ぐことができたのは大きな成果だ。少しでも休める時間が多ければ、ディプロが到着するまで彼女も持ちこたえることができるだろう。
 発熱と衰弱は起こるかもしれない。だが、無理をして倒れることはなくなるはずだ。
「早く、ディオンに会いたいです」
 彼女はそう言う。そして彼女の病状を考えると、王宮で治療を受けることが一番望ましいということも分かる。
 そのあたりはネルが便宜を図ってくれることになった。一度信頼関係を築くとネルはこういうところでしっかりと動いてくれる。
 ネルは部下にベッドの確保を命令すると同時に、シランド城に入って客室まで自分たちを案内した。
「ネル」
 アミーナをその部屋に残してフェイトはネルを呼んで外に出る。
「一つお願いがあるんだ」
「なんだい。この際だ、もうまとめて面倒みるよ」
「ありがとう。できれば、ディオンが彼女と会う前に彼自身と会っておきたいんだけど」
「……」
 何も説明をしない、それでいて要求だけはしてくる相手を、彼女はそれでも信頼してくれる。
「ああ、分かったよ」
 それは、後でしっかりと説明をしてくれると信じているからだろう。その時間は一度しっかりと持たなければならない。
(まあ、納得のいく説明なんてできないだろうな)
 どう言いくるめるかというのも無理な話のように思えてきた。
(とりあえず今日の夜に、これからのことを考えないとな)
 だが、それも今日のディオンとアミーナの会見がうまく終わり、アミーナの体調を確認してからのことだ。
 フェイトはネルに連れられて兵器開発研究所まで来る。そしてその部屋に入る。
 そう。
 このときまで、すっかりとフェイトは記憶から抜けていることがあった。あまりにもアミーナとディオンのことで頭が一杯で、もう一人の人物に思い至らなかった。
 この部屋には、エレナがいるのだ。

「あら、お客さん?」

 その声を聞いた瞬間に、体中から血の気が引く。
(エレナさん……)
 思い出されるのは、カナンでのこと、そして古代遺跡でのこと。
 どんなに説得しても振り向いてくれなかった、絶世の美女。
 現実を受け入れることを諦め、友人に会うために宇宙へと旅立っていった女性。
「はい。こちらはアーリグリフから連れてきました、グリーテンの技術者です」
「グリーテン? ふ〜ん」
 興味があるのかないのか、真摯に見つめてくるが、どこかぼうっとしているようでもある。
「あたしに何か用?」
「いえ、用があるのはディオンの方なのですが」
「ディオンなら隣の部屋にいるわよ。勝手に入ってっていいから」
「はい」
「ちょっと待って」
 フェイトは奥に行こうとするネルを止めて、エレナに見入った。
「ネル。先に行って、ディオンに僕のことを伝えておいてくれないかな。アミーナのことは僕から説明するから」
「あ、ああ……」
「僕は少し、エレナさんに話があるから」
 また、ネルは不審な顔を見せた。だが、もはや何を言っても無駄かと頷き、隣の部屋へ入っていく。
「何か用なの?」
「ええ。大切な用事です」
 そう。色々と聞きたいことがある。
 だが、何から聞けばいいのだろうか。
「エレナさんは、僕のことをご存知ですか」
「君のこと?」
 きょとん、とエレナはフェイトを見つめる。
「僕は、フェイト・ラインゴッドです」
「フェイト君ね。あたし、物覚えが悪いから、何回か聞きなおすかもしれないけど」
「ええ。でも忘れられない名前もあるはずです」
「?」
「たとえば、ブレア、とか」
 ぱたん、とエレナはその本を閉じた。
 そして微笑を止めてフェイトを見つめてくる。
「君、何者?」
「僕はフェイト・ラインゴッドです」
「グリーテンの技術者じゃないんでしょ?」
「はい。エレナさんが、本当はこの世界の人間じゃないのとは少し違う意味で、僕はこの星の人間じゃありません」
 ん〜、とエレナは首をひねった。
「なるほどね。地球人か」
「推察の通りです」
「あたしの正体も分かってるの?」
「僕の父さんは、エレナさんたちのことをFD人と呼んでいました。時間を操ることができるので、フォーディメンジョン人、四次元人、と」
 ふむふむ、と彼女はうなずく。
「それが本当だと、君は知っているの?」
「この世界がエターナルスフィアと呼ばれていることも知っています」
「なるほどね。全部知ってるってわけだ」
 これはお互いに必要な作業だった。どちらがどれだけの情報を持っているか、まずはお互い確認しなければならない。
 そして同時に、フェイトは見極めなければならないことがあった。
 この世界は、自分にとっては過去の世界だ。
 だが、エターナルスフィアが完全に独立し、理屈として時間を遡ることはできなくなったはずだ。
 いや、タイムゲートの作動を確かめたというわけではない。時間を遡ることは可能なのだろうか。
「ねえ、フェイト君」
「はい」
「この話、少し長くなると思うんだ」
「そうですね」
「だからさ、今日でも明日でもいいけど、ゆっくりと時間があるときにしないかな」
 ちらり、とエレナは視線をずらした。そこにはネルとディオンが入っていいものかとこちらをうかがっているのが見える。
「そうですね」
「あたしは、いつでも暇だから〜」
「開発部長がそんなことを言っていいんですか?」
「いいのいいの。面倒なことは全部ディオンに押し付けてるから」
 それは知っている。彼女が一切の開発作業に入っていないということは。もし彼女が開発に参加したら、この世界では考えられないほどの高度な技術を使うことになるだろう。それはこの星の歴史を歪めることにつながる。
「では明日にでも。僕も色々と考えたいことがありますから」
「おっけ〜。じゃ、朝でも昼でも夜でもかまわないから」
「はい。よろしくお願いいたします」
 話が一区切りついたところを見計らって、二人が中に入ってくる。
「連れてきたよ」
 ネルがディオンを伴ってくる。
(ディオン)
 まだ生きている──当たり前だが。
 この世界では、全ての者がまだ生きているのだ。
「始めまして。グリーテンの技術者さんだとおうかがいしましたが」
「ああ。僕はフェイト・ラインゴッド」
「ディオン・ランダースです。グリーテンの技術をお貸し願えるのですか?」
「その話は明日にしましょう」
 フェイトは真剣な表情で言う。
「はあ……」
「それより、今、時間はあるのかい?」
「今ですか? まあ、仕事は一段落ついたところですし、何もないといえばないですけど」
「ちょうどよかった」
 フェイトはほっと胸をなでおろす。
「アミーナを知っていますね。アミーナ・レッフェルド」
「え……ああ、ご存知なんですか」
 ディオンは苦笑した。そして、ふとそのことに気づく。
「まさか」
 そう。
 初めて会う人物から、突然アミーナの名前を出されたなら、たいがいの人間はそう思うだろう。
「ああ。アミーナをここに連れてきた」
「アミーナを!」
「ただ、一つだけ気をつけてほしいことがあるんだ」
 色々と話をしておかなければならないことがある。特に、アミーナから矛盾点を突かれると困るのだ。
「アミーナは今、重い病気にかかっている」
「病気に……」
「僕たちの技術があれば、彼女を助けられるのは間違いない。でも、それには少し時間がかかるんだ。だからその間、彼女には少しも負担をかけたくはない」
「……それで、僕にどうしてほしいんだい」
 話が分かる人間だと、説明が楽でいい。
「実は、アミーナをここに連れてくるために、僕がディオンからアミーナの捜索を依頼された、っていうことになっているんだ」
「口裏を合わせればいいんですね?」
「そう。君が兵器開発をしていることも伝えてある。ある程度状況は分かっているはずだ。ただ、僕のことは今初めて会ったというわけじゃなく、以前から知り合いだったということにしておいてほしいんだ」
「分かった。嘘をつかれたのだとアミーナに思わせないようにすればいいんですね」
「ありがとう」
 フェイトは頭を下げた。
「やめてください。アミーナを連れてきてくださって、心から感謝しているんですから」
「そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ」
 フェイトも微笑んで応えた。
「それじゃあ、案内する」
「ええ」
 そしてフェイトはディオンを連れてアミーナの部屋まで行く。
 連れていった段階で、自分の仕事は半分が終わる。
 無事に再会させるという、半分。
 そして残りの半分。
(二人とも、助けてみせる)
 アミーナの病気を治し、バンデーン艦からディオンを守る。
 それをこれから、じっくりと考えなければならない。
「ここだ」
 フェイトはアミーナの部屋の前に立つ。
「僕が先に入る。いきなり会ったら、負担が大きいと思うから」
「分かった」
「それじゃ、少しだけ待っていて」
 そしてフェイトが中に入る。
 アミーナは一人、椅子に座って待っていた。
「フェイトさん」
「お待たせ、アミーナ」
 そして力強く頷く。
「連れてきたよ」
「……」
 アミーナは扉の方を見る。
「心の準備はいい?」
「はい」
「じゃあ……」
 フェイトは扉をゆっくりと開いた。
 そして、ディオンが入ってくる。
「アミーナ」
「ディオン」
 二人の視線が絡み合い、お互いの瞳から、涙がにじんだ。
「ディオン……本当に、ディオンなの?」
「ああ。アミーナ……よく、よく来てくれたね」
 ディオンがゆっくりと近づき、そして彼女を優しく抱きしめる。
 それを目にして、フェイトはその部屋を静かに出た。
(よかった)
 こういう再会の仕方をさせたかった。
 少なくとも、ベッドの上でなんとか会えるなどということは避けたかった。
(ようやく、ここまできたんだ)
 たった二日のことなのに、随分と長かった気がする。
「お疲れさん」
 優しい声がかけられる。
 そこにいたのは、当然。
「ネル」
「よくやったよ、あんたは」
 ネルは微笑みながら、フェイトの頭を両手で抱え、抱きしめる。
「最初から、ずっと二人のことだけを考えてたんだね。ディオンとアミーナを会わせるためにずっと急いでたんだね」
「ま、そんなところかな」
「あれだけ急いでいたのは、アミーナの体調が問題だったからだね」
「ああ」
「全く……先に言ってくれてたら、部下だけでもペターニに派遣することができたのに」
 それは考えなかったとは言わない。ネルの力を使って、アミーナの身柄を拘束することはできたのだ。
 だが、それでは自分が過去に戻ってきた意味がない。
「ネル」
「なんだい?」
「君は、僕のことをどう思う?」
「どうって?」
「好きか嫌いか……ってことは後でもいいんだけど、信頼できるかどうか、ってところで」
「信頼してなかったら、協力はしてないさ。あんたは何も説明してくれないから、不審だらけだよ」
「だろうね」
「でも、信頼している」
 ネルは自分を抱きしめる手に力をこめた。
「あんたを信頼している。命をかけてタイネーブとファリンを助けてくれた。自分の体調も省みずにディオンとアミーナを再会させた。あんたは他人のために命をかけられる人間だ」
「褒めすぎだよ」
「でも、そうじゃないか」
「僕からしてみれば、ネルの方がずっと凄いよ。普通、自分の部下を助けるために自分の命はかけられない」
「あんたは見ず知らずの他人じゃないか」
「他人、か」
 フェイトは反対にネルを抱きしめた。
「あ、こら」
「僕は、ネルの他人ではいたくないな」
 そのぬくもりを楽しむ。相手は迷惑がっているようだったが。
「フェイト!」
「僕は、ネルの特別になりたい」
 そして顔を上げた。
「立候補することは、許されてないのかな?」
「……」
 大きく、ネルはため息をついた。
「あんた、得な性格してるね」
「だと思うよ」
「でも、私はグリーテンに行くことはできないよ」
 それは問題にならない。問題になるのは、別のことだ。
「約束をしよう、ネル」
「約束?」
「ああ」
 一つだけ、フェイトはネルのことで後悔していることがある。
 それは、この後の修練場の件だ。
「僕が対抗勢力と戦っている話はしたよね」
「ああ」
「その相手と、僕はこれから戦いに行かなければならない。そのときに──ネルは、決して参加しないでほしいんだ。少しも無茶をしてはいけない。僕を助けようなんて思ってはいけない……それだけ、守ってほしいんだ」





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