カルチャー

第12話 望






 彼は身動ぎしなかった。目すら閉じなかった。
 そして、短刀がフェイトの額に落ちた。

 静寂。

 たらり、と額から一筋の紅。
 ネルの手は、フェイトの皮膚を一枚切ったところで止まっていた。
「どうして逃げないんだい?」
 彼は汗がにじみ出るのをこらえながら答えた。
「ネルに殺されるのならそれでもいい。ネルには僕を殺す権利がある」
 二人はナイフを挟んで見詰めあう──いや、睨みあう。
「私があんたを殺せないと思っているのかい?」
「正直、思っている。でも、ネルが僕を本気で殺そうと思っているのなら、それでも僕はかまわない」
「私にはあんたが分からない」
 ネルは短刀を引く。
「あんたが何を考えているのかが分からない。私を待ってた、だって? あんたは私に近づいて、何をするつもりだったんだい? それとも、あんたはグリーテンのスパイだとでもいうのかい?」
「僕がグリーテンの人間なんかじゃないっていうことは、とっくに気づいていたんじゃないのかい?」
 逆にフェイトは尋ねる。
「僕の願いは、ただアミーナとディオンの無事、そして君の傍にいることだけだよ、ネル」
「初めて会った人間に、そんなことを言われて信用されるとでも思っているのかい?」
「でもネルはもう、僕がネルのことを好きだっていうことを、感覚で悟ってしまっているだろう?」
「ふざけたことを言うんじゃないよ」
「僕は本気だ」
 やはり、時間をかけずにきてしまったことが、相手に不信感を抱かせてしまっている。
 前回は、ネルが勝手に一人で修練場へ行ってしまった。だから自分はネルを追いかけた。
 自分が何も知らず、ただがむしゃらに行動して、命がけでネルを助けた。
(知ってるっていうのは、人に好かれないことなのかな)
 ふとそんなことを考える。
 だが、これ以上何を言っても、もう相手には届かない。それだけは分かった。
「私は、あんたが分からないよ」
 それは拒絶の言葉。
「そうだね。今は、何も話さない方がよさそうだ」
 フェイトは立ち上がった。流れる血が顎から床に落ちた。
(このまま歩いていったら周りの人たちに卒倒されるな)
 服を血で汚すのは嫌だったが、それもこの際だ。
 左腕で血をぬぐうと、フェイトは大聖堂を出た。
 ネルを振り向くことは一度もなかった。






「ただいま」
「おう……って、どうした、それ」
 客間に戻ってくると、クリフが心配そうに見つめてくる。
「ああ、まだ止まってないかい?」
「そうみてえだな。ちょっとこっち来て座れ。手当てしてやっからよ」
 フェイトは言われた通りベッドに腰かける。クリフはその間にも消毒液とガーゼを持ち出してくる。
「クリフ、手当てなんかできるんだ」
「当たり前だろ。ま、ミラージュの奴に比べりゃ児戯みたいなもんだけどな」
「そのミラージュさんとは連絡はついた?」
「いや。どうも電波の状況が悪いみたいだな。なかなかうまい具合につながらねえ──」
 ふと、手当てしていた手が止まる。
「俺、お前にミラージュのこと、言ったか?」
「いいや。カマをかけただけ」
「やれやれ。なんでもお見通しって感じだな」
 クリフは肩をすくめ、再び手当てを続ける。
「……そんなに、僕は知ったかぶりかな」
「いいや? 実際に俺でも知らねえようなこと知ってるんだから、問題はねえだろ」
「すまないな、クリフ」
「気にすんな。お前が話したいときに話せばいいさ」
 やはり、この男こそ全て承知の上なのだ。
 自分が話せないと思っていることを、全て思いやってくれている。
 だが、真実をこの男に話すわけにはいかない。この男の精神は、それを認めることをしないだろうから。
「相談はしたいんだよ。でも、これは僕が解決する問題だと思うから」
「そっか。ま、相談ならいつでものるから、好きにやってみるんだな」
「ありがとう」
 そうして手当てが終わった。
 フェイトは血で汚れたシャツを脱ぎ、シランドで支給してくれた着替えをありがたく使わせてもらう。
(クリフに相談した方がよかったかな)
 ばったりとベッドに仰向けになる。
(いや、やめた方がいい)
 結局、未来は自分にしか見えていない。
 それならば自分ひとりで悩んだ方がいいだろう。






 翌日。フェイトとクリフは女王陛下と謁見を行うこととなった。
 ネルは現れなかった。歴史が変わったな、とフェイトは実感する。
 二人は女王の前だったが膝をつかなかった。フェイトはそうするつもりは最初からなかった。隣にいるラッセル執政官が早く膝をつけとせかすように睨んでくるが、決してフェイトは屈しなかった。
 これから行うことは、契約を結ぶことなのだ。
 だから、契約相手とは対等に交渉しなければならない。
「グリーテンの技術者ですか」
「フェイト・ラインゴッドといいます、陛下」
「クリフ・フィッターです」
「フェイト殿、クリフ殿」
 女王は立ち上がると大きな階段を一段ずつ下りてくる。
「陛下」
 ラッセルが止めようとしたが、女王は全く耳を貸さない。
 グリーテンの技術者というものがどれほど大切な存在であるか、この女王は分かっているからだ。体面よりも、今は行動をするべき時なのだということを分かっているのだ。
「どうか──」
「陛下、僕たちは最初からこの国に協力するつもりでやってきました。別に請われなければ協力しないなどというつもりはありません。ただ、陛下には二つだけお願いがあります」
「なんなりと」
「一つはネルのことです」
 カルサア修練場にフェイトとクリフを連れていったこと、クレアから陛下に伝わっているはずだった。
「聞いております。ネルはクリムゾンブレイドとして、余の代行する権限のあるもの。彼女が判断したことに対して、何の咎がありましょうか」
「では、罰はありませんか」
「ありません。シーハート27世の名にかけて、ありません」
「ありがとうございます、陛下」
「一つ、逆にうかがってよろしいですか?」
 女王はたおやかに微笑む。
「何故、そこまでしてネルをかばうのですか?」
 こういう質問を女王から受けるとは正直思っていなかった。フェイトも苦笑で答えた。
「ネルが好きだからです、陛下」
 くす、と女王は息をもらした。
「もう一つの頼みとは?」
「はい。実は僕が連れてきた女の子がいるのです。その子が病弱で、今のシーハーツの治療技術では治らない不治の病なのです。ですが、グリーテンの技術を使えば治すことができるのです。それまで、この王宮で体を休ませてほしいのです」
「容易いことです。そのくらいのことでよろしいのですか?」
「僕にとっては、何よりも大切なことです」
「失礼を申しました。グリーテンの技術者殿。あなたの同行者を大切に扱わせていただきます」
「僕の同行者ですけど、実際には彼女を大切にしているのはディオンの方なのです」
「ディオン?」
「彼の幼馴染で、彼の想い人なんです」
「そうですか」
 女王はしばし目を閉じて、何事かを考えていた。
「分かりました。そういうことでしたらなおさら、全力でその女性を治療しましょう」
「実際、安静にしているだけで病状は落ち着くはずなんです。ですから、無理だけはさせないようにしてください」
「伝えておきましょう」
 女王はしっかりと頷いた。
「他には何かないのですか?」
「他にですか?」
 ふと、フェイトは思う。
 この二年間のことを考えると陛下にはいろいろとお世話になったことが多い。この王宮で仕事をさせてもらえたのも、全ては陛下が許可してくれたからだ。
 そして、あの一ヶ月前のエレナの時も。
「そうですね……一つだけ」
「なんなりと」
「お礼を言わせてください」
「お礼?」
「はい。いろいろと、ありがとうございました──」
 フェイトは深く、礼をする。
「特別、何かをしたというわけではありませんが」
「それでもです、陛下」
 確かに、突然お礼を言われても女王には何のことだか分かるはずがない。
 だが、普段あまりに女王と接することが普通になりすぎていて、こんなことを今さら言うとなると照れてしまって言いにくい。
 そんな気持ちが言わせた感謝の言葉だった。
「サンダーアローは必ず完成させてみせます」
「お願いします。あなたたちだけが頼りです」






 そしていよいよ、二人は問題の兵器を見た。
 ディオンに連れられてきた兵器開発研究所の開発室。サンダーアローの試作品がそこに鎮座している。
 この兵器についてはフェイトも研究を進めている。研究をすればするほど、不備が多く見つかっていた。
 おそらくそれは、エレナがかけた保険だ。
 危険な兵器にストッパーをかけようとしているのだ。
(だが)
 この兵器を使うときは、バンデーンと戦うときだ。
(ストッパーなんてつけてるような相手じゃない)
 確かに相手がアーリグリフなら手加減もしなければならないだろう。だが、航宙艦を相手に手加減などしている場合ではない。
 とはいえ。
(どこまでエレナさんの協力を仰げるかが勝負だ)
 全てのことを知っているもの同士ならば、ある程度のことは話しても問題にならないだろう。
 それこそ、エレナが開発したエクスキューショナーを制御しつつ使うことだってきっとできるはずだ。
(結局、銅が必要になることにはかわりないんだよな)
 ベクレル鉱山には行かなければならない。いくら天才エレナとはいえ、原料がなければできるものもできない。
「どうですか?」
 ディオンが尋ねてくる。だが、正直フェイトではこのサンダーアローに課せられた制限がどれほどあるのか、ある程度は分かっていても全てが分かっているわけではない。
 対バンデーンということで、そのリミットをエレナに外してもらえるかどうかが問題なのだが。
「そうだね。まあ、現状のバージョンアップはいくらでも可能だけれど、材料があればの話だね」
「材料ですか」
「銅はないだろう?」
「ええ。シーハーツに銅鉱はありませんので」
「だったら、アーリグリフまで取りに行ってくるしかないよね」
「ちょっと待ってください。それは我々も考えました。ですが、無理です」
 ディオンが慌ててフェイトを止める。
「どう無理なんだ?」
 クリフが不思議そうに尋ねてくる。
「ベクレル鉱山なら確かに銅は取れます。ですが、あそこは【疾風】の支配下であるばかりか、エアードラゴンの住家になってるんです」
「大丈夫だよ」
 フェイトは事も無げに言う。
「そうだろう、クリフ?」
「人使いあらいぜ、お前」
「まあ、クリフがいやだって言うなら僕が一人でも行ってくるよ。まあ、銅を運ぶのに少し人員がいるから、それはシーハーツ側から出してもらうけど」
「意地悪いぜお前。だからネルにも嫌われるんじゃねえのか?」
 フェイトは苦笑した。確かに、自分は随分と気が焦っているのかもしれない。
(なにしろ、戦争の後はバンデーンだ)
 目の前にいるほんわかした青年、ディオン。
(君の命を救うのが、僕の目的なのだから)
 焦りもする。未来を知ったものは、現在では生きられないのかもしれない。
「とにかく、現状でできるバージョンアップはこれ」
 さらさらと紙に指示を細かく与える。自分がこのサンダーアローについて知りうる限りの知識をそこに記入した。
 ディオンは目を丸くして驚く。
「こ、これは……こんなことが」
「その通りにやれば、現状で二倍から三倍の出力が得られるはずだ。銅を使うことでそれはさらに効率が高まる。だからそこまでの作業はよろしく頼むよ」
「分かりました。全力で実行します」
「頼むよ。それから──」
「はい」
「出発前に、エレナさんと話をしていってもいいかな?」





Promise

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