カルチャー
第16話 endless loop
ディオンと素早く情報を交換したフェイトであったが、正直焦燥は隠し切れなかった。
エレナが消えた。その理由は分からない。だが、この間彼が話したことが理由になっているのは間違いないことだった。何故ならエレナにとって前回と今回で決定的に違うのは、自分がスフィア社のことを彼女に告げた、その一点につきるのだから。
問題は、その理由だ。
彼女が自分の意思で姿を消したのか、それとも彼女の意思によらずここに戻ってくることができないのか。
いずれにしても、彼は現在の自分について知る手がかりを失った。カナンまで行ければいいのだが、戦争直前のこの状況でそんな余裕があるはずもない。
彼は気を落ち着けて、次にアミーナのいるディオンの部屋に向かった。
彼女はどうしているだろうか、というのは気にかかっていた。前回であれば、既に今日の時点で一度倒れているはずだった。
ディオンの部屋に入ったとき、アミーナはまだ元気がよく、笑顔で彼を出迎えてくれた。
──よかった。
と思った次の瞬間だった。
「……コホッ」
彼女の咳の音が聞こえた。
「アミーナ」
「あ、いえ、大丈夫です。いつものことですから」
だが、未来を知っている彼にとって、その咳は危険の兆候であるということは自明の理だ。
「駄目だ。少しでも体調が悪いのなら、無理は絶対にしちゃ駄目だ。いいかい、絶対に僕が治してあげるから、それまでゆっくりとここで休むんだ。この戦争はそんなに長くならない。戦争が終われば、君の病気を治すこともできるから」
「はい」
「くれぐれも、無理だけはしちゃ駄目だ。どんなに退屈で歩き回りたくても、絶対に外を出歩いたりしたら駄目だよ」
くすくす、とアミーナはベッドの中で笑う。
「なに?」
「いえ、優しくされるのがくすぐったいんです」
「アミーナ」
少し真面目な顔で、フェイトは睨むような仕草をする。
「冗談じゃないんだ。君の病気は治療しない限り危険なんだよ。だから、絶対に今は無理をしちゃいけない。病気が治るまではね」
「はい」
それでもやはり、彼女はくすくす笑いをやめなかった。
「それじゃ、僕ももう行くから」
「フェイトさん」
呼び止めた彼女の顔は、真剣なものに戻っていた。
「ディオンのこと、よろしくお願いします」
「ああ」
彼は頷く。
そう、彼の目的は、ディオンとアミーナ。二人が幸せにいつまでも暮らせるようにすることなのだ。
ディオンの部屋を出ると、彼は大聖堂へと向かった。
考え事があるとここに来るのはもう、癖のようなものだった。大聖堂は広くて落ち着くし、考え事をするにはうってつけの場所だ。
これからのアーリグリフ戦、バンデーン戦にむけて、考えることは山積みだった。しかも助言をくれるはずのエレナまでいなくなってしまっている。
エレナがいないということは、炉壁はおそらく完成していないのだろう。サンダーアローのリミットを外すことはできないということだ。もちろんそれがなくてもアーリグリフを相手にするのならば何も問題はない。問題は、バンデーンの航宙艦だ。
鍵は、自分自身にある。
(バンデーン艦を消滅させるだけの力を意識的に発動させることはできるだろうか?)
唯一の問題はそこだ。無意識で発動した前回のことを彼は覚えていない。消滅させたという事実しか知らない。ヘルメスの事件である程度意識的に使いこなすことができるようになったとはいえ、その力は微々たるもの、それこそ扉を破壊するくらいがせいぜいなのだ。屋敷を一つ壊すなどしたことは一度もない。
やはり、どこかで練習をしておくべきだろうか。いや、この戦争直前になって力を使えば、回復するまでに時間がかかるだろう。
だからといって、一発勝負の賭けに出るわけにもいかない。
(くそ……まだ考えが足りないのか)
アーリグリフ戦など、ある意味ではどうでもいいのだ。あの戦は一日で終わる。ヴォックスさえ倒せばそれで充分なのだ。だがバンデーンはそうもいかない。
未来さえ知っていればいくらでもやりようはあると思った。だがこの段階にいたってもどうすることもできないとは。
(分からない。僕は、この星を救うことができるんだろうか?)
最後の段階でディストラクションが通用しませんでした、ではどうにもならないのだ。
(やっぱり多少辛くても、一回試してみないと駄目かな)
とはいえ、試す方法もなかなかないというのが現実だ。さすがに練習台にとあちこちの山を消滅させたりするわけにもいかない。
八方手詰まり、とはこういうことを言うのだろうか。
ここで『いざそのときになればなんとかなる』と投げ出すわけにはいかない。未来を知ったものは考えに考え抜いて最善を尽くさなければならないのだから。
「ここにいたのかい」
びくっ、と彼の体が反応した。
当然、この声には聞き覚えがあった。
考えてみれば、彼女に会わずにここで考え込んだのは、半ば意識的に彼女を避けていたというのもあったのだ。
「ああ」
彼は立ち上がって振り向く。そこにいたのは無論、赤毛のクリムゾンブレイドだった。
自分が身構えていたせいだろうか、相手も意を決して話しかけてきたのだろうか、いずれにしてもその奇妙な最初のやり取りで二人の間にさらに溝が深まったような気がした。
沈黙がしばらく続く。
ネルはどうしたものかとマフラーに顔をうずめ、次の言葉を探しているようだった。
(彼女に何を言えばいいんだろうな)
クレアはもっと自分に自信を持てと言った。だが、それは虐げられた者が言うべき台詞であって、自分がその言葉に甘えるわけにはいかない。
「そういえば」
結局彼の方から切り出した。
「アーリグリフに動きはあったのかい?」
銅が運び込まれてほぼ一日。アーリグリフ軍はそれこそ今日、明日にでも進軍を始めるはずだった。
「ん、ああ。そうみたいだね」
彼女は腕を組んで応えた。
「アーリグリフ三軍が全て出陣している。報告が入っているよ。総大将は疾風のヴォックスで、前衛は漆黒のアルベル」
(──え?)
意表をつかれた。
だが、そんなフェイトの様子に気づくこともなく彼女は話を続ける。
「明後日にもアリアスの前に陣を展開するだろうね。勝負は明後日というところかな。それから風雷についてはウォルターは出てきてないみたいだね。ま、厄介な相手が一人少ないっていうだけでも少しは助かるよ」
「待って」
彼は汗をかいていた。嫌な汗だ。
この状況は、彼が知っている未来と違う──
「アルベルが、前衛?」
前回の戦争では、アルベルは参加しなかった。
その理由は──
(しまった)
完全に、見落としをしていた。
前回アルベルが戦争に参加しなかったのは、自分に負けたときに『カルサア修練場で見逃した罪』を問われたからだった。
今回カルサア修練場でアルベルとは出会っていない。ということは、彼が罪に問われるようなことはどこにもない、ということだ。
だとすれば、アルベルがベクレル鉱山の復讐戦とばかりに挑んできたとして、何の不思議があろうか。
(ヴォックスだけでも厄介だっていうのに、アルベルまで)
当然ながら指揮官が入った漆黒は強い。前回の戦いで劣勢のシーハーツが五分に戦えたのは、漆黒の動きが鈍かったという理由がある。
だとすれば今度の漆黒は言わばベストメンバーだ。しかも反アルベル派の副団長シェルビーがいない以上、まさに一枚岩となって挑んでくるのは明白だ。
(まずい)
無事にヴォックスを倒せるだろうか。前衛にアルベルがいるアーリグリフ軍など、まさに無敵ではないか。隙を見つけてヴォックスの元までたどりつけるのか。アルベルはそれこそ自分を見つけ出すために全力を尽くすのではないか。
(カルサア修練場を急いで攻略したのが、こんな形で顕れてくるなんて)
完全に彼の思考はフリーズしていた。
一方、そのころ。
「今回は随分とやる気ですねえ、アルベルの旦那」
進軍途中のカルサア。ウォルターの屋敷に軍を入れたアルベルは、ウォルター老との話の後で彼の【両翼】と称される二人と話し込んでいた。
「フン、あの阿呆に借りを返さねえと気がすまねえだけだ」
一人はこの【漆黒】の陣営に関わらず【疾風】の鎧を着ていた。ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて、その反応を楽しんでいるかのようだった。
そして、もう一人。
「アルベル様は、はじめて自分が倒すべき相手を見つけられたのです」
中性体、といえばいいだろうか。男とも女ともつかない均整の取れた顔立ち、そして雪国育ちだということが一目で分かるほど白い肌、そして華奢な体。
「くだらねえこと言ってんじゃねえ、阿呆」
「お、旦那が反応したっていうことはよほど本気みたいですな」
「てめえ……」
アーリグリフ広しといえども、アルベルに向かってこのような不逞な言い様をするのは二人といない。
「じゃ、旦那よりも先にオレがそのフェイト・ラインゴッドとかいう奴と戦わせてもらいますかね」
「なんだと?」
「かまわないですよね? だって借りを返すんならオレが倒そうが旦那が倒そうが一緒じゃないですか」
挑発するような言い方だ。そうしてアルベルの気を逆撫でることがこの男の楽しみなのだろう。
「フン……好きにしろ。【黒風】のリオン」
リオン、と呼ばれた竜騎士はマスクの下で笑った。
クリムゾンブレイドのクレアは来るべき戦争の陣営を組みなおしていた。
敵前衛は漆黒が務める。こちらも前衛として出せるのは抗魔師団『炎』のルージュ・ルイーズしかいない。
時間を稼いで乱戦状態を作り、敵の頭をたたく。それしかシーハーツ軍にとっての勝利はない。
だとすれば、ヴォックスを倒すことができるメンバーをそろえ、特攻させるしかない。
それができるのは──
(私かネルのどちらか、しかいないわね)
そして当然、その危険な任務に携わるのはおのずとネルしかいないことになる。何故なら、クレアしか総大将を務めるものがいないからだ。
副将にはヴァン・ノックス、そしてペターニから連鎖師団『土』とサンマイト方面から幽静師団『水』もこの戦いに参加する。
それでも、アーリグリフ三軍の数にはかなわない。
(フェイトさん)
ふと、彼の顔が頭に浮かぶ。
彼の力を借りることはできないだろうか。
ネルを副将とし、フェイトたちがヴォックスとの戦いに赴いてくれれば。
(駄目ね)
その考えを、彼女は自分の頭で打ち消す。
(これ以上、彼に頼るわけにはいかない。これは、私たちの戦いなのだから)
彼女はそう考えてペンを置いた。
そう。この戦いはシーハーツの戦いなのだ。部外者が出てくるようなものではない。
「クレア様」
と、そこへ入ってくる一人の男。長身に長い金色の髪がよく映えていた。肌もかなり白い。
ヴァン・ノックス。この戦いのために王都から呼び寄せたクレアの副将であった。
「どうしたの、ヴァン。こんな時間に」
「ネル様から報告が入りました」
「ネルから?」
「はい。此度の戦い、かのグリーテンの技術者の方たちもご参加くださる、とのことです」
彼女は表情を変えなかった。
あの三人を戦力として抱え込むことができるのは助かる。
だがそれは、彼らにもっとも激戦地を任せるという意味でもあるのだ。
(人柱になっていただくしかないのかしらね)
それすらも、彼の望みだというのなら。
(いいわ。だったら協力してもらいます、フェイトさん)
一方、漆黒陣営。
夕食の片づけが終わって、ようやく一息ついたマユは夜空を見上げた。
カルサアを過ぎて、アリアスが近づくにつれて少しずつ気温は高くなってくる。
シーハーツが恵まれているということが彼女にも徐々に実感できつつあった。冬なのに雪が積もらないなど、彼女にとっては考えが及ばない。
彼女がこの戦いに参加したのには理由があった。
(あの人)
修練場で見たあの顔。
『ありがとう』
あの感謝の言葉。
彼は当然、アーリグリフの人間ではなかったはずだ。だとすれば、シーハーツの人間に違いない。
シーハーツの人間として、アーリグリフと戦うために、きっとこの戦いに参加しているはずだ。
(どうして、感謝なんかしたんだろう)
まっすぐに自分を見つめてきた瞳を思い出す。
あんなに真摯な目を見たのは、生まれて初めてだった。
(会えるかな)
会えたら、いろいろなことを尋ねたい。
とはいえ、うまく会えるような機会はきっとないのだろうが。
ゆめはまたゆめ
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