カルチャー
第17話 ゆめはまたゆめ
ネルがグリーテンの技術者三人を率いてアリアスに着いたのは翌日の夜であった。
そのときアリアスは既に戦争の直前という状態で、明日の朝には戦争が始まるという状況だった。
先に出発していたディオンは当然もう到着していて、施術兵器の配置と人員の設定を行っている。主として兵器を使うのは幽静師団のメンバーが行うことになったらしい。
「あんたまで駆り出されてるとは、思わなかったよ。幽静師団はたしかうちの封魔師団の配下だと思っていたんだけどね」
領主屋敷の近くで指揮をとっていた大柄な男に向かってネルが話しかけていく。
「これはこれはネル様、そうあんまりいじめないでくださいや。今回のことは私から直接陛下に上申して戦争に参加させてもらったんですから。『風』の連中だって来たがってたって話ですぜ? ま、グリーテンの方はサンマイトと違ってほったらかしにはできないですから認められなかったそうですが」
「やれやれ、相変わらずだね。ま、あんたの戦力は期待しているよ、ブラウン」
幽静師団『水』の団長、ブラウン・ローディス。何故この大柄な男が諜報部隊の長などしているのかと、最初に出会ったときはフェイトも思ったものだった。だが、この男の最大の能力は情報整理と分析能力にある。小さな情報から多くの物事が見えるその能力があったからこそ、サンマイト方面を任せるに足る人物だと判断されたのだ。
「それで、そちらが噂のフェイト・ラインゴッド氏ですな」
思わず彼も苦笑していた。今の台詞は、初めてブラウンと出会ったときと全く同じものだった。おそらくは自分に会ったときのことをシミュレートしていたのだろう。
「はじめまして、フェイト・ラインゴッドです」
フェイトが手を差し出す。その手をブラウンが取ろうとする──
瞬間、フェイトの体は大きく引き寄せられていた。そしてブラウンの別の手には既にナイフが握られている。
「フェイ……!」
ネルが思わず目を見開く。が、フェイトはそれすらも予想のうちにあった。何しろこれも、前の世界で経験していたことだったからだ。
彼が引き寄せられるよりも早く彼はブラウンの背後を取るために動いていた。その俊敏さにブラウンも戸惑う。
彼は逆にブラウンの手をひねって背後を完全に取る。そして彼も懐に収めていたナイフをブラウンの首筋にあてた。
「残念でしたね、ブラウンさん」
「こりゃあ……一本取られましたな」
ははは、とブラウンは笑った。
「気づいてたんですか? 仕掛けるってことを」
「まあ、そんな予感がしたんですよ」
「こりゃ頼もしい方が来てくださったってもんだ。ネル様のこと、よろしく頼みますぜ」
「ありがとう」
「待ちなよ」
そのやり取りを冷や汗をかきながら見ていたネルはそこで口を挟んだ。
「どうしてそこで私の名前が出てくるんだい?」
逆にブラウンは驚いたような顔をした。
「へ? 違うんですかい? グリーテンの技術者とネル様が恋仲になってるっていうのは──」
後ろにひかえていたクリフが吹き出していた。ミラージュも苦笑する。
「……で、どこの誰がそんなデマを流してるんだい?」
「ちっと怖いですぜ、ネル様」
じり、とネルが詰め寄る。じり、とブラウンが一歩下がる。
「逃げるんじゃないよ!」
「殺されるの分かってて逃げないやつはいませんって!」
そんな二人を見てクリフたちは笑っていたが、フェイトは苦笑しかできなかった。
何しろ、まだ彼女とは和解できていなかったのだから。
「あらあら、何だか楽しそうなことしてるわねえ」
と、そこへ別の人物がやってくる。ネルと同じ赤毛の髪の女性だった。
「はじめまして。ルージュさんですね」
フェイトは微笑みながら声をかける。彼女は驚いたように肩をすくめた。
「ありゃ? 私、キミに名前教えてたっけ?」
抗魔師団『炎』の長、ルージュ・ルイーズは愛くるしい顔を傾けて彼を見つめてきた。
「ま、いっか。いちお、はじめまして、だよね。私はルージュ・ルイーズ。フェイト・ラインゴッドくんね?」
「はい。前衛を務められるんですよね。激戦になるかと思いますけど、命を大切にしてください」
「あはは、そりゃ無理ってやつだよ。何しろこの戦場で安全なところなんてないもん。それにね、フェイトくん」
びしっ、と彼女は自分に指を差してくる。
「私より、キミの方が辛い任務になると思うよ?」
「分かってますよ」
フェイトもその挑戦的な視線に受けてたった。
「できるだけ、早めに戦闘は終わらせられるようにします。だから、ルージュさんも無茶はしないでくださいね」
「キミみたいな可愛い子に言われると、素直にうなずきたくなるけどね。でも、ま、ネルに怒られるからあんまり言わないでおこうかな」
どうやらネルと仲がいいというのは既成事実のようであった。だが、幸いなのか残念なのか、現在仲たがいしているということは伝わっていないようだったが。
「僕とネルは、何でもありませんよ」
「でももう──」
「あんたもか、ルージュ」
気づけば、二人の傍にジト目のネルが戻ってきていた。
「やほやほ〜。久しぶりね、ネル」
「全くあんたも相変わらずだね。あることないこと、あんまり吹聴しないでくれよ」
「あることあること、の間違いでしょ?」
「……怒るよ」
かなり真剣な声に、ルージュは肩をすくめた。
「ま、いいわ。それよりクレアが待ってるけど」
「ああ、今いく。フェイト、クリフ、ミラージュ。行くよ」
と、二人の師団長と話をした後で、一行は領主屋敷に入っていった。
(ここの人たちは、どんなときでもゆとりと希望を忘れないんだよな)
常に前向きで、悲観的になることなく歩み続ける。ブラウンもルージュも、本当に頭が下がる。
そして。
「待ってたわ、ネル」
──この女性もだ。
「ああ、クレア。なんとか戦争直前で間に合ったみたいだね」
「ええ。こちらに来てちょうだい」
会議室にクレアとネル、そしてフェイトたちが入り、それぞれ椅子に腰かけていく。
(前回もここで作戦会議をしたんだよな)
そしてヴォックス公を倒すという指示を受けたのだ。そして今回もどうやら話はその方向で進みそうだった。
「じゃあ、私がフェイトたちと一緒にヴォックスを倒せばいいんだね」
「ええ。これはあなたにしか頼めないし、ヴォックスを倒せるほどの実力者は、あの漆黒のアルベルを倒したフェイトさんたちにしかできないわ。いかがでしょうか、フェイトさん」
「僕はかまわないよ。クリフとミラージュさんはどう?」
「私はどちらでも。クリフは?」
「俺も別にどうだっていいぜ。ま、俺とミラージュがいりゃどんな奴だって倒せるだろうさ」
自信たっぷりに言うクリフに、やれやれとフェイトは肩をすくめた。
「いずれにしてもヴォックスは倒さなければなりません。アーリグリフを裏で動かしているのはヴォックスだ。あいつさえ倒してしまえば、主戦派はいなくなる。あとはアーリグリフ王は話の分かる人物ですから、きっと和平の話には応じてくれると思います」
フェイトがそう言うとクレアは頷いて納得するが、顔をしかめたのはネルであった。
「……あんた、アーリグリフ王のことを知っているのかい?」
「あ、うん。まあね」
しまった、と冷や汗をかく。
「でもそれが真実だろう? ヴォックスを倒さなければシーハーツに未来はないよ」
「ま、確かにそうなんだけどね」
ネルは納得いかなかった様子だったが追及はされなかった。とりあえず一息つく。
「僕たちは四人で行動すればいいですか?」
「ええ。申し訳ありませんけれど、この一番危険な任務をお任せしてよろしいでしょうか」
「任せてください。そのためにこの戦争に参加してるんですから」
そう。ヴォックスを倒す。まずはそれからだ。
戦争さえ終われば、バンデーン艦の対策を練ることもできる。まずは明日、ヴォックスを倒してからだ。
翌日。クレアの『全軍出撃』の号令と共に、戦争が開始される。
ルージュ率いる抗魔師団『炎』とアルベル率いる【漆黒】が最初の戦火を交え、戦場が一気に拡大する。
その隙をついて、フェイトたちは山の裏手をぬけ、アーリグリフ本陣に近づいていた。
「もうすぐ本陣だよ」
さすがにネルの情報網は精密だった。アーリグリフ三軍の位置、その兵力まで全て完璧に調べ上げていた。このあたりはシーハーツが誇る隠密部隊の本領発揮というところであった。
(ヴォックスか)
強い相手だった。言うだけのことはあって、死力を尽くして戦った。
おそらく今回も、辛い戦いになるだろう。
「待ちな」
四人が移動している途中、足を止めたのはクリフだった。
「どうした、クリフ?」
「……何かいやがるぜ」
その言葉で、四人は戦闘態勢をとって密集する。
「囲まれている?」
ネルが言うと同時に、周囲に現れた多数の【漆黒】たち。
「馬鹿な、こちらの動きがばれている?」
(いや、違う)
フェイトは現状を分析していた。前回は待ち伏せがなく今回はあった。その差はただ一つ。アルベルが参加していることだ。
(アルベルがここにいるのか)
だがフェイトの考えもまた正確ではなかった。ここにいたのはアルベルではない。
「待ってたぜ、あんたがフェイト・ラインゴッドか!」
(──あの人は!?)
その漆黒を率いていたのはなんと【疾風】の鎧を着た男だった。そして、
(まさか)
その姿には確かに見覚えがあった。あれは、アーリグリフとの和平が成立した後の話だ。
『よう! アルベルの旦那に頼まれたんだけど、ベクレル鉱山まで送ってやろうか!?』
(あのときの……)
まさかこんなところで、たとえわずかとはいえども知っている相手に会うとは思ってもいなかった。
「オレは【黒風】のリオン・レグラス! アルベルの旦那を倒したっていうその腕前、じっくりと見せてもらうぜぇっ!」
その声と同時に漆黒たちが一斉に動く。その動き方は──フェイトと、その他の三人とを分断するようなものだった。
「なっ」
「お前さんの相手はオレだ!」
竜から飛び降りた騎士、リオンが大地を疾走してフェイトに迫る。
「くっ」
フェイトも剣を抜いてリオンの剣にあわせる。鈍い衝撃が両肩にかかる。
「フェイト!」
ネルの声が聞こえる。だが、答える余裕はない。この騎士は、アルベルほどとは言わずともそれと同じくらいには強い。剣をあわせただけでもそれが分かる。
「一対一でアルベルの旦那を倒した実力を見せてもらうぜ」
「ああ、たっぷりと見ろ!」
フェイトは剣を振るうが、リオンはそれを軽くかわすと背後に回り込む。
「遅いぜ!」
リオンの足がフェイトの背を蹴る。すぐに体勢を立て直して剣を繰り出すが、それよりも早くリオンは動いていた。
「遅い遅い!」
繰り出される剣が、フェイトの左肩を掠めていく。
(くっ)
追い込まれているということをフェイトは感じていた。そして、その理由も分かっている。
アルベルの時ほど、戦いに集中できていない。これがヴォックスが相手だとしたら自分はもっと集中できていただろう。集中できていない理由は分かりきっている。
『ははっ、あのアルベルの旦那の相手は大変だろう? オレらもいっつも苦労してんだよなあ!』
思い出されるのは竜の背で話したこと。
気さくな人物で、こんな人がアーリグリフにもいるのかと正直意外に思ったものだった。
「なんだ、その程度か? 旦那を倒した実力、見せてみろよ!」
それが原因だ。
この人とは戦いたくない。倒したくない。
冒険の中で、ほんの少しでも心を通わせた相手だったから。
命のやり取りは、したくない。
『アルベルの旦那のこと、よろしく頼むぜ。旦那はあんたに会ってから、いい方向に変わってるんだからよ』
そう言って、仮面の下の口が微笑んでいた。
あのときは、名前すら名乗ることもできなかったが──
「本当に、その程度なのか?」
興ざめ、という感じでリオンの口調が変わる。
「その程度でアルベルの旦那を倒したなんてことはないだろうがっ!」
鋭く打ち込まれた剣に、フェイトの剣が弾かれる。
(戦えない──)
「死になっ!」
大きく踏み込んでくるリオン。
完全に動きを封じ込まれたフェイト。
そして──
「フェイトっ!!」
──繰り出された剣が、フェイトの腹部を貫いていた。
月の素顔
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