カルチャー
第18話 月の素顔
初日の戦いは、大掛かりなものになることなく、様子見のままその日を終えた。
長期戦になれば不利なのはどちらか。補給に時間がかかるアーリグリフ軍と、絶対的な兵数が少ないシーハーツ軍。どちらも長期戦は避けたいファクターがある。
(不利なのは──こっちね)
目だった戦死者は出ていない。だが消耗戦になれば戦線を維持できなくなるのはシーハーツの方だ。
(それに……)
クレアは緊急に設置された医療テントの方を見る。
(こちらは、戦意が下がってきている。彼の怪我によって)
医療テントではフェイトの緊急治療が続けられていた。
【漆黒】たちからなんとかフェイトを連れ帰ってきたネルたちであったが、その影響たるやクレアの予想をはるかに超えていた。
ネルは完全に我を見失っていたし、引き上げてきたファリンやタイネーブたちも動揺を隠すことはできていなかった。
(いずれにしても、これで私たちはヴォックスを倒す方法をもう一度考え直さなければならなくなった)
彼はこの戦いに参加することはもうできないだろう。
(まいったわね)
まいっているのは自分だ。
彼に──期待しすぎていた。
(どうしたものかしら……)
最初の策に全てをかけて、第二弾の策を練っておくことを怠った。
早く修正案を築かなければならない。
(眠れない日々が続くわね)
心労は絶えなかった。
「ヒーリング!」
これでもう何度目になるだろう。ネルは気力がつきてもひたすら回復術を唱えていた。
ブラックベリィはわずかではあるが精神を回復する効果があるという。ネルはそれを食べては続けざまにヒーリングをフェイトに施していく。
それでも、失われた血液が返ってくるというわけではない。
今夜が峠だ。
「フェイト、フェイト……」
がくがくと体が震えているのが分かる。
彼の苦しげな表情、荒い呼吸、青ざめていく色。
いやだ。
失いたくない。
「あんたはバカだ……!」
戦場で何に気を取られていたのかは分からないが、全くといっていいほどあのときのフェイトは集中できていなかった。普段の半分も実力を出せていなかった。
「私も、バカだっ……!」
こんなことになるのなら、喧嘩などするのではなかった。このまま何も言えず、何も伝えられずに──
「い、やだ……っ」
彼の手を握る。ひどく、冷たい。
「フェイトっ……!」
涙が、彼の手に落ちた。
「困ったことになりましたね」
テントの外で、中の様子をうかがっていたミラージュは隣の男に話しかける。
その男はひどく苛立っているようだった。彼にしては珍しいことだった。どんなときでもふてぶてしかったいつもの様子はどこにもない。
「クリフ」
「ああ、すまねえ」
クリフもまた、随分とまいっているようだった。彼の保護、および護衛が最重要の任務だった。その任務を果たすことができなかった自分を悔やんでいるのだ。
「あの戦いでは仕方がありません。それに、まだ亡くなったというわけではありませんよ」
「ああ。しっかし、お前は強いな」
「そうでもありません」
それは、単にフェイトとの距離が彼女の方が近くなかったというだけのことだ。まだ自分はショックを受けるほど、フェイトと共にいたわけではない。それに対してあの青年とずっと一緒にいたクリフはショックを隠せなくても不思議はないのだ。
「どうしますか?」
「どうするもこうするもねえ。あいつがここを動けないのに、俺らが勝手に動くわけにもいかんだろうが」
「そうですね。早くマリアが来てくれるといいのですが」
自分たちの医療技術ならば、輸血でも治療でもなんでも可能なのだ。そしてフェイトもその医療施設を使ってアミーナを治そうとしているのだ。
だが、フェイトが治るも治らないも、今夜が全てだ。
どちらにしてもマリアの到着を期待するわけにはいかない。全てはフェイトの生命力次第だ。
ぎりっ、と奥歯が鳴った。
一方【漆黒】陣営。五体満足で帰ってきた【黒風】にアルベルは顔をしかめて尋ねた。
「ただいま戻りましたぜ、旦那」
「ふん」
機嫌が悪そうにアルベルが答え、隣で端正な顔立ちの騎士がくすっと笑う。
「何が面白えんだ」
「いいえ。それより、首尾を聞かなくてよろしいのですか?」
ちっ、と舌打ちして「で?」と尋ねる。
「どうもこうも、期待はずれでしたぜ」
「なにぃ?」
「旦那を倒したっていうからどれだけ強いのかと思って楽しみにしてたんですけどねえ、ありゃたいした奴じゃないですぜ」
「ふざけるな」
「ふざけちゃいませんよ。ま、致命傷とまではいかなかったですが、今夜が峠ってところでしょうな」
「……」
アルベルは義手を動かす。
(あの阿呆が、やられただと)
信じられない。もし仮にやられたとしても、リオンに全く歯が立たないなどということはありえない。なにしろ、あの男は自分を倒し、あまつさえ弱者扱いしたのだから。
「どう、なされますか?」
優しく尋ねてくる。かえってくる答を分かっていて尋ねているのが嫌なところだ。
「夜襲だ」
月が銀色の光を戦場に下ろす。昼間のうちに大量の血を吸った大地に寒風が吹く。
だが、戦いはまだ終わっていない。
闇の中、黒い鎧を着た部隊が動く。全軍ではない。アルベル配下の親衛隊のみだ。その数ざっと、二百。
シーハーツ本陣は、フェイトの一件があって完全に動揺していた。見張りは立てていたが、完全に機能していなかった。指示命令系統も完全に統一を失っていた。
戦いは、一方的に始まる。
「空破斬!」
アルベルの一撃が見張りの兵を一撃で倒す。
そして、号令をかけた。
「行きやがれっ!」
そして、一斉に【漆黒】たちが動く。
夜襲に気づいたシーハーツ兵たちが動き出す、が遅い。
【漆黒】の兵たちはさすがに選りすぐりだった。準備不足なシーハーツ兵などたいした敵でもなかった。
だが。
「スピキュール!」
大技が【漆黒】の三人を吹き飛ばす。
「やれやれ、まさか夜襲までしてくるとは思ってもみなかったわね」
それは、抗魔師団の長ルージュ・ルイーズであった。
戦闘能力も血統限界値も非凡な彼女は昼間の戦闘の疲れも見せず、小柄な体で【漆黒】たちを指さす。
「悪いけど、キミたちをここから先は行かせないわよ。フェイトくんの仇、取っちゃうんだからっ!」
伝説の奥義、スピキュールの七十二連発も今のルージュならできそうな勢いだった。少なくとも彼女は初めて会った青い髪の青年を気に入っていた。いい友達になれると思っていた。
それを、こいつらは奪ったのだ。
「許さないんだからっ!」
「それは、こちらの台詞ですよ」
ひどくクリアな声が【漆黒】たちの中から聞こえてきた。
「抗魔師団長ルージュ・ルイーズですね」
「そういうキミは?」
「私はアルベル様の片翼【黒天使】のサイファ・ランベール。申し訳ありませんが、恨み言は私たちではなく、あなた方のフェイト・ラインゴッドという方におっしゃってください」
言いながら、サイファは腰の細剣を抜く。
「アルベル様はお怒りです。フェイトさんが本気を出されていない、と」
「キミたちが言う台詞じゃないね」
「そうかもしれません。ですが、私にとってはアルベル様のご意思こそ至上ですから。言っておきますが、私は強いですよ?」
こう見えてもスピードと技だけでアルベルの片翼まで上り詰めた騎士である。たとえ力はなくとも、その強さは折り紙つきだ。
「私だって、強いんだからぁっ!」
そして、二人の戦士が火花を散らす──
「出てきやがれ、クソ虫っ!」
アルベルは四人目のシーハーツ兵を斬り倒して叫んだ。
「この俺を退屈させるなっ!」
今の彼は、ただ不満をぶちまけているだけだった。自分を圧倒的な実力で倒した彼が、自分の部下に負けたのだ。屈辱というわけではない。
何故、本気を出さずにやられたのか。
アルベルには分かっていた。フェイトという青年が本気を出せばリオンなど相手にならないということは。
別にリオンを過小評価しているわけではない。ただフェイトが強すぎるだけなのだ。
「それはこっちの台詞だぜ」
だが、現れたのはアルベルが求めていた相手ではなかった。
「なんだ……てめえなんかには用はない。消えろ、クソ虫」
「ざけんじゃねえよ。フェイトの恩情で命を助けられておきながら、こんな真似しやがって。あいつが許したって、俺が許さねえ」
クリフ・フィッター。
このときの彼は、かつてないほど怒りでたぎっていた。彼を傷つけた連中に、そして守れなかった自分に。
「阿呆が」
「無限にいくぜっ!」
クリフはその自慢のスピードで一気にアルベルとの距離を詰める。
「フラッシュ・チャリオッ──」
「貴様に用はない」
アルベルは手にしていた爆弾を接近してくるクリフに投げつけた。
「なっ」
その爆弾の直撃を受けて、クリフは吹き飛ばされる。
「用があるのはあの男だけだ! 出しやがれ!」
「ぐっ……」
さすがに爆弾の直撃を受けてはクリフもノーダメージというわけにはいかなかった。
(ちっ、ミラージュを連れてくるんだった)
ミラージュは念のためフェイトの護衛に残してある。そして自分がアルベルを足止めするつもりだったのだ。
(くそ、体が動かねえ……)
あまりにも頭に血が上りすぎていた。爆弾を使ってくるなどという頭がなかった。
こんな簡単に、あっけなく自分がやられるとは思わなかった。
(やべえな)
アルベルの意識は自分にはない。とどめをさされないのは助かるが、シーハーツ軍が壊滅するのはまずい。それにフェイトも安全な場所に移さなければならない。
「アルベル様」
血塗れの剣を持ったサイファが近づいてきた。
「敵将の一人を討ち取りました」
「んなもんはどうだっていい。俺の目的は、ヤツだけだ」
「はい」
サイファが歩いてきた方向に視線を向ける。そこには──
(ルージュ)
遠目にも、よく分かった。
左胸に、穴が開いていた。あれでは、助かるまい。
「ぐっ……」
止めなければならない。
自分が止めなければならない。
なんとか立ち上がろうとするクリフにアルベルが気づいた。
「なんだ、まだ意識があるのか、クソ虫」
「やられるわけには、いかねえんだよ」
「ふん」
アルベルは剣を構えると、クリフに接近する。
「クソ虫はクソ虫らしくしていろっ!」
裂傷が胸に刻まれる。
クリフはその勢いで大地に倒れた。
(くそ……っ!)
さすがにこのハンディでは戦えない。
分かっていたのに。
「出てきやがれ、クソ虫! この俺を退屈させるな!」
その声に導かれるように、一人の男がやってくる。
「貴様かっ!」
その気配を感じたアルベルは、ゆっくりと近づいてくる男をじっと見つめた。
「違う……お前は!」
アルベルの表情は、先ほどにも増して怒りに満ちていた。
「久しぶりだな、アルベル」
「てめえ……ヴァン!」
ヴァン・ノックス。
光牙師団『光』の副将であった。
時間軸上のアリア
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