カルチャー

第19話 時間上のアリア






 ヴァン・ノックス。
 姓がアルベルと同じだということは以前からもよく話の種に上がってはいたが、本人はその件に関しては完全に沈黙を保っていた。いや、彼の静かで威厳のある物腰が、そのような不躾な質問をすることを阻んでいたのだ。何しろ、あのファリンとタイネーブですら質問をすることを控えたほどだ。
 だが、ここにアルベルとヴァンが出会った。関係があるのならば、いや間違いなくあるのだろう、それがどういう関係なのかが明らかにされようとしていた。
「ヴァン様ぁ!」
 そこへファリンとタイネーブが駆けつけてくる。その後ろにはクレアの姿もあった。
「下がっていなさい。これは私と彼との戦いだ」
 若いシーハーツ軍の中にあって、ヴァン・ノックスは三十歳とこちらも若いが、それでも年長組に入れられる。先代のネーベル・ゼルファー、アドレー・ラーズバードといった古参がいなくなったときにがらりと主要な人員は配置換えとなっていた。
 クレアが真っ先に光牙師団の副将として迎えたのがこのヴァン・ノックスであった。彼の能力には非凡なところがある。だが、その非凡さを常に隠そうとする。それはおそらく、出自に触れられたくないからあえて目立たないようにしていたのだろう。
 おそらく武術の腕前も真の実力を隠してはいるものの、タイネーブをはるかに上回る。
「久しいなアルベル……弟よ」

 弟!?

 さすがに誰もが耳を疑った。
「貴様が俺の兄だと?」
 だが、その言葉はアルベルに怒りを注ぎ込んだらしい。
「ふざけるな! 焔の継承の儀式を捨てて逃げ出した腰抜け野郎がっ!」
 焔の継承。
 国を捨てたエーデグリフ女王が持ち出したとされる神器、クリムゾンフレアの継承の儀式。もし儀式に失敗しようものならば、その儀式に望んだ者の命を奪うと言われる。
「そうだな。私は逃げ出した。戦いで死にたくなど、なかったからな」
 はっきりとヴァンはそう語る。だが、その姿は逆に堂々としていた。悪びれてなどいなかった。
「では、お前がしていることは何だ?」
「なんだと?」
「こんなものは、ただの弱い者苛めにすぎん。強く、誇り高きノックス家の魂はどこへ行った? 私が腰抜けなら、お前はただのゴロツキだ」
『僕は弱い者イジメはしない主義だから。彼と同じでね』
 その言葉が、あの青い髪の青年を思い出させる。
「うるせえっ! 戦争に強いも弱いもあるか! 殺すか殺されるかの違いだけだっ!」
「そんな考えだからこそ、お前はその左腕と父親を失ったのだ」
 くっ、とアルベルが怯む。それは禁忌だ。彼にとって、もっとも触れられたくない部分。
「剣は身を守るためにあるもの。その意味が分からない限り、お前は何度儀式に臨んでも成功することはないだろう」
「黙れ」
「お前の力で何ができるというのだ? 人一人の力などたかが知れている。強さのみを追い求めたところで、何も得るものはない。隣にいる綺麗なご婦人の信頼も、次第になくなってしまうだろう」
「黙れっ! ヴァン!」
 アルベルが駆ける。ヴァンはそれを見て剣を抜いた。
「お前にも見せたことのない私の真の力、見るがいい」
 アルベルの剣がヴァンを切り裂く。が、それは幻影だ。それよりも早くヴァンは動いていた。
「私はこの国に来て、初めて守りたいと思えるものを手に入れた。それを壊そうというのならば、アルベル。お前でも容赦はしない」
 ヴァンの剣閃がアルベルを切り裂く。高速剣が、アルベルの体に無数の傷痕をつけた。
「アルベル様!」
 サイファからの声が飛ぶ。だが、アルベルはその剣を受けてもなお笑っていた。
「これが貴様の実力か?」
「なに?」
「圧倒的な実力差を見せ付けたかったんだろうが、そうはいかねえ!」
 アルベルは再び突進した。
「本当の力ってものを見せてやる!」
 ヴァンは迫ってくるアルベルに対し、渾身の一撃を繰り出す。
 手ごたえはあった──が、人の肉を切り裂く感触ではない。
 機械を両断した、そんな手ごたえ。
「しまっ……」
 切り落としたのは、アルベルの義手だ。壊れた義手と鉄甲が落ち、火傷にただれた左腕が露出する。
 そしていっそう身軽になったアルベルが、外気にさらされた自分の左腕のことなどかまわずにヴァンの背後に回る。
「死ねっ!」
 その背に、深く剣を突き刺す。
 ヴァンの目が見開かれた。
「ヴァン様ぁっ!」
 タイネーブの悲痛な叫び。
 そして、ふん、と笑ったアルベルが剣を引き抜こうとした。
「うん?」
 だが、ヴァンはその筋肉でアルベルの剣を抜かせないようにする。
「貴様、何のつもりだ?」
「その剣がなければ、お前はもう戦えまい」
 ヴァンは体をひねる。それだけでアルベルは剣から手を離さざるをえなかった。
「クレア様! タイネーブ、ファリン! 奴を倒すなら今だ!」
 その声に素早く三人が反応する。ちっ、とアルベルが舌打ちするが、その三人の前にサイファが立ちはだかった。
「私が相手になりましょう」
 先ほど、ルージュを屠った腕前の剣士がそこに立つ。その技量はまだ誰も見ていたわけではないが、かなりのものであることは分かった。
「私の神速、あなたがたに見切れますか?」
 剣を構えながら、ファリンとタイネーブは間合いを一気に詰める。が、あと五歩といったところで【黒天使】は動いた。
 一瞬でゼロ距離に入り、細剣の柄でタイネーブの頭を殴り、空いた手でファリンの腹を打つ。
 この技量は、単なる副将レベルではない。アルベルとだって互角に戦えるのではないか。何しろシーハーツが誇るお笑いコンビ、ファリンとタイネーブの二人を倒せる者など、シーハーツには二人しかいない。
 その一人。
「私が相手になりましょう」
 クレア・ラーズバード。光牙師団『光』の長である。
「クリムゾンブレイド……私の相手としては役不足ではなさそうですね」
 そして、二人の間合いは一瞬で詰まる。
 甲高い音が鳴り響く。剣を一合交えた後、お互い円を描くように右手、反時計回りにステップを刻んでいく。
【黒天使】の鋭い突きがクレアの胸元に迫るが、紙一重でそれをかわしていく。
 一方クリムゾンブレイドの弧を描く剣閃がサイファの首筋に落ちていくが、それも紙一重でかわしていく。
 互角の勝負。二人とも久しぶりにその感覚を味わっていた。
「世界は広いですね」
 戦いの中、サイファは笑顔を見せていた。
「あなたほどの使い手がまだいるとは」
「その言葉、そっくりお返しいたします」
 クレアも笑っていた。この辺りはやはり軍人である。自分の力を十二分に出して、なおかつ五分の戦いができる。そんな相手は指折り数えるほどしかいない。
「ですが、私はあなた『よりも』負けるわけにはいきません」
 クレアの覚悟は、このとき誰よりも強かったといえるだろう。
 このシーハーツ軍の総指揮官として、自分だけは倒れるわけにはいかない。自分が倒れたならばそのときはシーハーツ全軍が崩壊するときだ。だから決して負けられない戦いなのだ。
 その意気込みの差が、わずかながら彼女を優勢に戦わせていた。
 とはいえ、すぐに決着がつくほどの差というわけではない。
「ふん」
 鼻を鳴らしたアルベルは、重傷を負いながらもまだ立って睨みつけてくるヴァンを逆に睨み返す。
「あてがはずれたようだな、ヴァン」
「そのようだ」
「貴様を助けられる奴は、もういねえ」
 アルベルは近づいて思い切りその顔を殴る。
 ぐらり、とよろめいたヴァンだったがそれでもなお立ち続けた。
「何故倒れない?」
「私の後ろには、シーハーツの国民がいる」
 ヴァンはすぐ傍に近づいていたアルベルの隙を見て彼に組み付いた。
「くっ?」
「お前と道連れなら、私の役目は果たせる!」
 アルベルが爆弾を懐に持っていたように、ヴァンもまた爆弾を所持していた。
「私とともに死ね、アルベル!」
 爆音と土煙が同時に生じる。
「アルベル様っ!」
 それを見たサイファがクレアに背を向けて爆発地点に駆け寄る。
 彼女の背は隙だらけだったが、それでもクレアは攻撃しなかった。
 大切な者に駆け寄る姿を見て、その気持ちを途中で止めたくなかったのかもしれない。
「ちっ……」
 土煙の中から舌打ちする音が聞こえた。
「こいつ、味な真似しやがって」
 そこに、無傷のアルベルがいた。
「アルベル様」
「なんだ、幽霊でも見たようなツラしやがって。俺がやられたとでも思ったのか」
「いえ」
 サイファは大きく首を振る。
「ですが、心配しました」
「阿呆。俺がこんなもんでやられるかよ」
 種は魔掌壁だ。等身大程度の気の壁をつくり、相手を巻き込むことでダメージを与えるものだが、それを応用して自分の身の回りに壁をつくり、爆発から身を守ったのだ。
「所詮、貴様は負け犬だ。儀式を逃げ出した腰抜け野郎が俺にかなうはずがねえんだよ。俺は常に自分を高めてきた。誰よりも強くなるためにだ。この結果は、その差だ」
「ある、べ……」
「さっさとくたばりやがれ! ノックス家の面汚しが!」
 アルベルの膝蹴りがヴァンのみぞおちに入る。
「ぐう……」
 ヴァンはついに力尽きて倒れた。その背に刺さっていた剣を、アルベルは力任せに引き抜く。
 ヴァンにクリフ、ファリン、タイネーブ、ルージュ。
 名だたる戦士たちが次々に倒れていく。
(このままでは)
 クレアは焦燥にかられる。
 このままでは──戦線を維持するための戦力すら奪われてしまう。
「殺す! どいつもこいつも、俺がまとめてぶち殺す!」
 キれた。完全にアルベルは常軌を逸していた。行き場のないやるせなさが、全ての破壊へと思考が飛んでしまっていた。
「まずはてめえからだ、クソ虫!」
 アルベルがクレアをターゲットに捕らえた。
(くっ)
 今のアルベルと戦って勝てる自信などクレアにはない。精神が肉体を凌駕し、通常以上の力量が発揮されている。
「双破斬!」
 下から繰り出される剣をなんとか回避するが、続いて上から振り下ろされる剣までは避けきれない。なんとか剣を合わせるが、一合でそれが弾き飛ばされる。
「……!」
 ──クレアは死を覚悟した。

「待てっ!」

 とどめの一撃を繰り出す前に、戦場にその声が響く。
「ふん……やっと現れやがったか、クソ虫」
 青い髪の青年が、赤い髪の女性に支えられる格好でそこにいた。
(フェイトさん)
 クレアはその満身創痍の姿を見て心を痛める。
「アルベル……」
 フェイトは戦場を見渡す。
 火傷を負って倒れているクリフ。
 心臓を貫かれているルージュ。
 うずくまっているタイネーブとファリン。
 瀕死の重傷のヴァン。
「どうして、こんなことをするんだ」
「どうしてだと?」
 何故だか、少しだけアルベルはばつの悪そうな様子だった。
「これが戦争だからに決まってんだろうが! それより貴様こそどういうつもりだ!」
「どういう?」
「俺を倒した実力がありながら、リオンごときになんだそのザマは!」
 どれだけヒーリングをかけても傷口が完全にふさがらず、巻かれた包帯からもう血がにじんでいる。顔は月明かりの下でも青ざめているのが分かるほどだ。
「それこそ、簡単なことだ」
「なに?」
「君の仲間だということを知っていたからだよ、アルベル」
 その場にいた者たちの視線が、全てフェイトに集中する。
「なんだと?」
「こう言ったらシーハーツのみんなには悪いと思うけど、僕は君を仲間だと思っている、アルベル。ヴォックスは何があっても倒さなければいけないけれど、君まで倒すつもりはないんだ。君とはきっと、仲良くなれると信じていた」
「何言ってやがる。寝ぼけたこと言ってんじゃねえ、クソ虫」
 だが、その言葉が激しくアルベルを動揺させていたことにサイファは気づいていた。
「リオンは君の大切な仲間だったんだろう? だから僕は戦えなかった。君の大切な仲間を殺したくなかったからだ。僕は君と憎みあうような仲にはなりたくなかった」
「……」
「でも」
 ぐっ、と歯を食いしばって、彼は叫んだ。
「僕が君を助けたのは、僕の仲間たちをこんな目に合わせるためじゃない」
 彼の背後に怒りのオーラが見える。
「君と力を合わせるためだったんだ。それなのに……」
「阿呆が! 敵に向かって何を言ってやがる」
「アルベル!」
 力ない、怪我人にすぎないフェイトのたった一言が、アルベルを怯ませた。
「これ以上、僕の大切な仲間を傷つけるというのなら」
 フェイトの額が、鈍く光り始める。
「許さない。君とは戦いたくないけど、そんな感情はもう捨てる。僕の命に代えても、君を殺す」
 相手は、怪我人のはずだった。
 今フェイトと戦えば、百回やって百回アルベルが勝つだろう。
 それなのに。
(なんだ、こいつは)
 アルベルは完全に気圧されていた。
 彼が放つ正体不明の圧迫感が正常な思考を奪っていた。
(こんな怪我人に、何故勝てる気がしない?)
 いや、違う。勝てない気がするのではない。
 敵だというのに自分のことを信じていたと平気で言う彼。
 別に自分から頼んだわけでもないというのに、何故かアルベルの心には彼を裏切ってしまったという後悔が生まれていた。
(くそっ)
 奥歯を強く噛みしめる。
「サイファ」
「はい」
「撤退だ。号令をかけろ」
「はい」
 サイファは指笛を吹く。すると、それまで各地でシーハーツ軍と戦っていた【漆黒】が次々に戦場を離脱していく。
「クソ虫」
 アルベルは今にも倒れそうなフェイトを見て言った。
「二度と、俺以外の奴に負けるんじゃねえ。分かったか」
 そして、アルベルとサイファも去っていった。
 後には、重傷を負ったシーハーツの兵たちだけが残された。
「フェイト……」
 その間、ずっと隣で彼を支えていたネルが、ようやく声をかける。
「フェイト?」
 だが、返事がかえってこないことに不安を覚えた彼女は、そっと彼の様子をうかがう。
 気を、失っている。あまりの失血で、脳に達する酸素が不足しているのだ。
「フェイトっ!」
 だが、ネルの呼びかけにも、彼は答えることができなかった。





菜食主義者の肉食動物

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