カルチャー

第20話 菜食主義者の食動物






 あまりにも無理をしすぎたフェイトは、翌日の戦いには参加できなかった。できるはずもない。彼は一日中意識を取り戻すことはなかった。
 傍らではネルが自分の疲労もこえてヒーリングをかけ続けている。だが傷口は完全にふさがったというのに、それでも目覚める様子はない。ただ死んだように眠り続けている。
 ネルとフェイトを欠いたシーハーツ軍であったが、それでもアーリグリフ軍の侵攻はなんとか押さえ込んでいた。前衛を務めていたルージュは昨夜の襲撃で戦死していたため、かわりに後を引き継いだファリンが彼女に勝る働きで部隊を指揮していた。ヴァンの怪我がまだ治りきっていないため、本隊はクレアが同時に率いている。タイネーブがその補佐についた。そして、戦場に立ったミラージュが孤軍奮闘していた。この女性は一対一の戦いでも強いが、多対多の戦いでもいかんなくその力を発揮していた。彼女の拳で沈んだアーリグリフ兵は数えて二桁にのぼる。
 とはいえ、フェイトにネルのみならず、ルージュ、クリフ、ヴァンといったメンバーが抜けたシーハーツ軍である。この日の戦いは凌ぎきれないかと思われたが、それでもシーハーツ軍はアーリグリフ軍を押し返した。それにはもう一つ理由があった。

【漆黒】が、その日の戦いには参加していなかったのだ。






「暇っすねー」
 そう話しかけてくるのは【黒風】のリオン。だがアルベルはそれに答えずただ苛々した様子を浮かべるばかりであった。
「あーもう、オレんとこの部隊だけでも攻め込みてえなあ」
「処罰されますよ、リオン」
 苦笑するのは【黒天使】のサイファだ。
「昨夜の件で、漆黒は出陣を止められているのですから」
 漆黒が戦場に出ない理由。それは、昨夜の襲撃についてヴォックスから命令違反の咎を受け、謹慎を言い渡されたためだ。
 たとえアルベルといえども、今回の総大将はヴォックスである。逆らうわけにはいかない。
「やっぱ旦那のせいっすか」
「黙れ」
 アルベルは立ち上がると、近くにあった机を蹴り飛ばす。
「どのみち、奴がいないんなら戦うだけ無駄だ」
 アルベルが出ていくと、やれやれとリオンは肩をすくめた。
「オレと戦ったときは手加減っていうか、全力出せなかったって話だが?」
 尋ねた内容はフェイトに関するものだ。【黒天使】が頷いて答える。
「あの方、フェイトさんと言いましたか。どうもアルベル様のことを──仲間、と思っていらっしゃるようですね」
「旦那を?」
「ええ。そのようなことをおっしゃられていました。そしてアルベル様もどうやら、それに心を動かされたご様子です」
「オイオイ」
「いえ、良いことだと思いますよ。アルベル様はいつ焼ききれてもおかしくないほど、神経を常に張り詰めておられましたから。少しゆとりを持つことが必要です」
「お前さん、本当に旦那のことが好きなんだな」
「ええ」
 サイファはこの上ない笑顔で答えた。
「あなたもでしょう?」
「オレがか? 冗談はよしてくれよ」
「そうでなければ【疾風】をやめて【漆黒】に入るなんていう離れ技ができるわけがありません」
「へっ」
 そう答えるリオンは、少し嬉しそうであった。






「首尾はどうだった?」
 一日の休養でなんとか体力が回復したクリフが、戦争から戻ってきたミラージュに尋ねた。
「漆黒が出陣されていませんでした。相手が疾風だけなら今のシーハーツでもなんとか五分の戦いはできるでしょう」
「そうか。悪いな、お前に迷惑をかける」
「いえ。私が言い出したことですから」
 ミラージュはこの戦争で自分が死ぬなどとは少しも考えていない。どれほど油断していたとしても、後ろさえとられなければ一対一で自分が負けることはないと信じて疑っていない。
 戦争中、単独で敵将ヴォックスを倒しに行こうかとも考えたが、残念ながら戦場が広く、相手の居場所をつかむことができないまま一日が過ぎてしまっていた。
「それより、クリフ。まさかあなた、明日の戦いに出るなんて言い出すつもりじゃないでしょうね」
「あ?」
「駄目ですよ。あなただって昨夜の怪我、普通ならとっくに死んでいるところなんですからね」
「それがよ、ここの医療班のレベルが高いもんだからもう完全に──」
 ミラージュが両拳の骨を鳴らしたため、クリフはそれ以上何も言うことができなくなった。
「完全に、なんですか?」
「完全に回復するまでもう一日寝ていようかなあ、なんて」
「賢明ですね」
 それは怪我を案じたから懸命なのか、それともミラージュに逆らわなかったから懸命なのか。おそらく(いや間違いなく)後者だろう。
「だがな、ミラージュ。こっからはマジな話だ」
「はい」
「一日何もすることがないんで、じっくりあいつのことを考えてた。そうしたらだいぶ物事が見えてきたぜ」
 ミラージュの顔が険しくなる。
「フェイトさんの正体が分かったのですか?」
「おぼろげながらな。理由は分からないが、おそらく、あいつは──未来を知っている」
「未来を……」
 クリフは言葉の通り、フェイトと出会ってからのことをひたすら思い返していた。
 カルサア修練場では、どこに爆弾を仕掛けるのか、初めて行く場所だというのに全てフェイトからの指示で設置し、また予測どおりに混乱に陥り、場内では迷うこともなくシェルビーのもとまでたどりついていた。
 アミーナの件にしても、あれほど急いだ理由は彼女の病気のことをあらかじめ知っていたからに他ならない。
 そして何より、この間の言葉。
『君の仲間だということを知っていたからだよ、アルベル』
 知る機会はなかったはずだ。少なくともあの【疾風】とは面識はなかったはず。実際、あの【疾風】はフェイトのことを知らなかった。だが、フェイトは知っている。
「タイムゲートを使ったんじゃねえか、と思っている」
「ですが、フェイトさんの経歴に惑星ストリームへ行ったという記録はありません」
「だが、あいつの父親は行っている。何かそのあたりに原因があるんじゃねえかと思ったんだが……全ては推測だがな」
 この時点でクリフの方向性が正しくないとしても彼は責められるべきではない。むしろ、時間を移動するという観点にたどりつけば、誰でもまずはタイムゲートから考えるのが普通というものだろう。ましてやフェイトの父親は惑星ストリームへ行った経験がある。それを考えればクリフの思考はしごく当然であった。
「ま、いずれにしてもあいつが起きなきゃなんにもならねえんだがな」
 そう。結論はいずれにしても、彼は守るべき対象だということだ。
 そしてその対象は──

 ──この事象を引き起こした張本人と、夢の中で出会っていた。






(ここは?)
 フェイトの意識は暗い空間を漂っていた。自分という存在自体が希薄だった。それは夢の中に特有の現象。全てが現実のものとして認識されながら、どこか現実感が薄い。
(僕はどうしてしまったんだろう……アルベルと会ったところまでは覚えているんだけれど)
 それともここが、死後の世界というところなのだろうか。
 いや、それはない。この世界には死後の世界などというものは存在しない。何しろ、この世界はもともとデータから生まれたものなのだ。死はすなわちデータの消滅ということにすぎない。
「誰か、いないのか?」
 誰もいない空間に呼びかけるが応えはない。
(不思議だな。こんな、不思議な状況だっていうのにあまりうろたえていない)
 それはあのルシファーとの戦いをくぐりぬけてきた経験がそうさせるのだろうか。いや、そうではない。
(きっと僕は知っているんだ、この感覚を)
 もう少し正確に言うのであれば。
(この世界を作り出している、張本人を──)
 視線が、一点に集中する。
 そこに、目に見えない存在がある。
「君は……誰だい?」
 その呼びかけに応えるとは思っていなかった。だが、自分が相手に気づいているということはとっくに向こうにも分かっているのだろう。これは確認だった。
『まさか、気づかれるとは思ってなかったよ』
 今までに聞いたことがない声だった。いや、違う。これは声ではない。思念だ。自分の頭の中に直接意味が叩き込まれている。だから聞いたことのない声として認識される。
「僕が今までに出会ってきた誰かだということは分かる。でも、誰がそうしているのかが分からなかったんだ。エレナさんかとも思ったんだけど」
 ここまでのことができる者はそうはいない。少なくとも今のフェイトにかかわりがあるとすれば、それはエレナしか考えが浮かばなかったという方が正しい。
『なんだ、もう忘れちゃったの?』
 そう言われても思い出せるはずもない。
『せっかくお兄ちゃんのためにいろいろ手伝ってあげたのに』
 ──なるほど、その言葉で思い出した。
「君だったのか」
 だが、正体が分かればまた新たな問題も出てくる。
「この世界は君が作り出したものなのか?」
『そうだよ。よくできてるでしょ。お兄ちゃんが世界を修復するためにセフィラを使用したときに、そのデータを全部コピーしたんだ。大変だったけど、とりあえずこのエリクール二号星のデータは僕のコンピュータだけで処理することができたんだよ』
「じゃあ、この世界は別に過去というわけじゃないのか」
『そう、ここはエターナルスフィアじゃない。全部セフィラに残っていたデータを全て僕が再起動しただけの、僕のコンピュータの中の世界だよ。もちろんエターナルスフィアみたいに莫大な容量を僕が持っているわけじゃない。だから今お兄ちゃんがいる世界は【エリクールだけで閉じてしまっている】んだ』
 その言葉の意味するところは彼に正確に伝わった。
 つまり、外の世界は存在しない。それはフェイトを含め、今エリクールにいる人々が宇宙へ出ることはかなわないということだ。
『でも、心配しなくてもいいよ。データの中にはエリクールで起こったことは全てインプットされていたから。だから、きちんとバンデーン艦も来るよ。ただ、ちょっとデータはいじらせてもらったけどね。それから、ディオンさんとアミーナさんが亡くなる予定まであと二日。それがタイムリミットだよ』
 タイムリミット──それは、自分がこの世界にいられる時間、ということだろうか。
 いや、違う。
 きっと、彼は。
「一つ聞く。どうして僕は未来を知っているんだ」
『それは簡単なことだよ。僕がお兄ちゃんのデータだけいじったんだ。もしお兄ちゃんが同じ条件の中でこれから起こる全てのことを知っていたとしたらどんな行動を取るのか、ディオンさんを助けられるのか興味があったからさ』
「興味?」
『そうだよ。だって、お兄ちゃんはディオンさんとアミーナさんを助けたかったんでしょ? だとしたらどういう行動を取るのが一番いいのか、そして実際にどう行動するのかが見たかったんだよ』
 不意に。
 彼の心の中に強大な怒りがわきあがった。
「たったそれだけの理由で、この世界を再起動したということか」
『うん、そうだよ』
「もしかして、エレナさんがいなくなったのは──」
『ああ、あの開発者さんね。そう、僕だよ。だって、セフィラがないことに彼女、気づいちゃったからね。お兄ちゃんの行動の妨げになると困るから、悪いけどデータを消させてもらったよ』
「ふざけるな!」
 急に怒鳴りつけたので、相手が一瞬怯んだのが伝わってくる。
「世界は君のオモチャなんかじゃない!」
『そんな……そんなつもりなんかじゃないよ。それにお兄ちゃんだって、ディオンさんとアミーナさんが生きている世界があったっていいと思ったんじゃないの?』
「責任を他人になすりつけるな! 君は……君が自分で何をしたかわかっているのか!」
 そして、彼の名を呼んだ。

「フラッド!」

 その声に導かれるように、徐々にその姿が虚無の空間に現れる。
 淡い緑白色の髪が闇の中に映える。そして、少し怯えたような、それでいてむっとしたような顔で少年は彼を睨んでいた。
「どうしてさ! だって、エターナルスフィアの人たちには何も迷惑かけてないよ? エターナルスフィアは今まで通り、世界が続いていくんだ。この世界は僕が再起動をかけただけなのに、何が悪いっていうのさ!」
「再起動をした時点で、君はたくさんの人を生み出したんだ。君はいわば、この世界の神様、創造主だ。そして、生み出された人たちは、そこで何も知らずに生きている。君のことなんか何も知らずに、ただ自分がそこに生きていると疑いもしないでだ!」
「そんなの当たり前じゃないか! だって、データはデータだよ。お兄ちゃんたちは独立した存在かもしれないけど、これは僕の中にあったデータを再起動しただけなんだもの!」
「僕たちはそのデータにすぎない存在から、創造主を倒すまでにいたった。そうしたらこの【新しいエリクール】はどうなんだ? 同じように君の支配から独立して自由な世界を望むんじゃないのか?」
「それは……」
「君はルシファーと同じことをしている。君にとってはただのゲームかもしれないけど、そこにいる僕たちには心があるんだ!」
「データにすぎないのに!」
「僕たちはデータなんかじゃない!」
 激昂したフェイトはさらに言い続ける。
「君はタイムリミットが二日後だと言ったな。それはまさか、この世界を──」
「そうだよ。消滅させる。だって、これは【ただのデータ】なんだもの!」
「ふざけるな!」
「ふざけてなんかない! もともとなかったものがあったように見えていただけで、なかったことに戻るだけだよ! それとも、お兄ちゃんはこの世界『も』存在したままにした方がいいっていうの!?」
 その発言に。
 フェイトは、はっきりと答えた。
「当たり前だ」
 その答は予想外だったらしく、フラッドは沈黙した。
「この世界はこの世界の人たちのものだ。もう随分歴史は変わってしまっているみたいだけど、それは同じ世界じゃないということの証だ。誰もがそこで生きる権利を持っている。フラッド、君はただのゲーム感覚でやったことなんだろうけど、生み出された人たちにはきちんと心があるんだ。例えば君がそうして普通に今を生活していて、突然二日後に意味も分からず消されてしまう──そう、消されたという事実すら知らないままに消滅してしまう、そんなことが許せると思うのかい?」
「ぼ、僕はデータじゃない」
「君が生み出したエリクールの人たちも、そう思っているんだ」
「でもデータはデータだよっ!」
 フラッドの姿が消えた。
「フラッド!」
『もう一度だけ言うよ! タイムリミットは二日後。そのときまで無事にディオンさんを生かしておけるんだったら、世界を消滅させることはなかったことにしてもいいよ。僕のこのコンピューターの中で永遠の時間を続けていけばいいさ。でも、そうでなかったら、滅ぼす』
「何を」
『僕のラスボス──ヴォックスは強いよ? 気合を入れてかかってきてね、お兄ちゃん』

 ──そうして、思念は途切れた。





プロトタイプな凍えた雨と疵だらけの羊達

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