Family
第1話 喜びの家
元の世界に戻ってきたフェイト・ラインゴッドが最初に行なった事は何かといえば、彼の目の前で亡くなった人たち、つまりルージュとマユの生存確認であった。
墓前で突然様子が変わった彼から事情を聞きだし、たった一瞬でそんなことが起こりうるものだろうかと半信半疑だったネル・ゼルファーであったが、これだけショックを受けている相手を見て放っておくこともできなかった。
結局、次の日には許可を得て二人でペターニへと移動しているあたり、自分も彼には随分甘いなと苦笑せざるをえない。
現在マユはペターニの工房で働いている。フェイトを見て顔をほころばせたマユであったが、その彼に抱きしめられて「よかった、本当に」と泣きながら迫られては、慌てればいいのか喜べばいいのか、完全にパニックに陥ってしまっていた。
その場はなんとかごまかして事情を説明することは伏せ、二人はそのままアリアスへと向かった。
突然彼女を抱きしめたことはネルにとっては甚だ不快であった。あとで彼から謝られたとはいえ、またその事情を心得ているとはいえ、それでも嬉しくないことには変わりない。
ルージュにはそんなことはするんじゃないよ、と釘をさしておくことは忘れない。
この村も随分と復興してきた。もちろん復興しているのは建物ばかりで、人々の心の中まで回復できているわけではない。恋人を、家族を失ったという悲しみは一年や二年で消え去るようなものではない。
だが、ここにきてようやく一級警戒態勢を解くことがシーハーツでも決定していた。アーリグリフとの休戦が成立してからもう一年半になる。監視の目を緩めるようなことはしないが、もはや戦時体制を続ける必要はないと判断されたのだ。
すなわち、光牙師団の長であるクレア・ラーズバードもようやくこの最前線からシランドに戻ることができるということなのだ。
「あら、二人して珍しいわね、こんなところまで来るなんて」
先に連絡をしていたわけではなかったので、突然の来訪という形になる。それでもクレアは笑顔で二人を出迎えてくれた。
少なくともこんなところまでフェイトの気を静めるためだけに来た二人に比べれば、クレアの方がはるかに多忙であったのは間違いない。これまでの最前線勤務と光牙師団の統括を行いながら、後任との引き継ぎ作業が始まっていたのである。
この村は改めて抗魔師団『炎』の直轄に戻ることが決定していた。その長がルージュ・ルイーズである。淡いピンク色の髪と小柄な体をした彼女は、クレアやネルと全くの同年齢である。ラーズバード家、ゼルファー家には及ばぬものの、ルイーズ家も国の重鎮である。クレアとネルの仲が良いのは誰から見ても一目瞭然であったが、さらにルージュまで加わると天下無敵のかしましトリオが誕生することになる。
しかもこれで三人とも実力が伴っているから、文句のつけようもない。かつてフェイトがこの国では女性が要職についている割合が高いと評したことがあったが、それは女王制をしいているのも多分にあるだろうが、それよりもこのかしまし三人娘が存在することの方が理由としては大きいに違いない。何しろ先代のクリムゾンブレイド、ネーベル・ゼルファーとアドレー・ラーズバードはいずれも男性だったのだから。
「ルージュはいないのかい?」
挨拶もそこそこに、ネルは本題に入った。とにかく彼女の無事をフェイト本人が確認できればそれで今回の目的は達せられるのだ。
「あの子なら村の中でまたいろいろやってると思うけど? どうしたの、ネル。あの子に用なんて珍しいんじゃない?」
正直、ネルにとってルージュ・ルイーズという存在はやや苦手な部類に入る。もちろん嫌いというわけではない。むしろ友人としては頼りになるし好感が持てる。ただ、彼女がフェイトのことを気に入っているということに、多少なりとも引け目を感じるだけだ。
だからアーリグリフ戦が終わってからというもの、あまり彼女とよく話すことがなくなってしまった。きちんと話したいとは思うのだが、体は正直なものであまり会いたくないという気持ちも同時に存在しているのだ。
「緊急というほどでもなんですけど、大事な用事なんです」
フェイトが真剣な様子で居場所を尋ねると、クレアは人差し指を顎にあてて二秒だけ考えた。
「少しだけ待っていてください」
クレアが廊下に出て部下にルージュを呼んでくるように命令し、また戻ってきた。
「今呼びましたので、少しすればくると思います」
それだけでもフェイトの様子が安心したのが見てとれる。
(実感がわかないね。正直、ルージュが死ぬだなんて)
現実には死んでいるわけではない。だが、彼が体感してきた『別の世界』ではまぎれもなくルージュは死んでいて、その『別の世界』は今なお存続しているというのだ。
あのアーリグリフとの戦いのころを、今も継続して進んでいるのだ。
「ただいまー」
明るい声が屋敷の中に響く。
その声が聞こえた瞬間、フェイトは立ち上がった。
「フェイト」
じろり、とネルから睨まれて彼も正気に戻る。マユの時は全く考えなしに彼女に抱きついてしまったのだ。それで危うくネルに首を絞められるところだったのだ。
「ありゃ? 珍しい二人組だね。どしたの?」
きょとーんとした目でルージュがネルとフェイトを交互に見る。
「別に、たいした用事じゃないよ」
ネルは顔を背けて言う。用があるのは自分ではない。フェイトの方だ。
「ルージュさんが元気でいるか、見に来たんです」
「へ?」
素でそんなことを言われればさすがのルージュでも戸惑う。
それに。
(馬鹿だね。ルージュだってアンタに気があるってのにさ)
マユといい、ルージュといい、どうしてフェイトに気がある人物ばかりが『向こう』では亡くなってしまったのか。何かの嫌がらせではないのか。
「うーん、それって告白?」
ネルの凍気がさらに強まる。
「いや、そういうわけじゃないんですけど」
「ふーん。でも、もしネルに飽きたらいつでも言ってよね。私でよければいつでもおっけ〜だからさ」
「ルージュ」
じろり、と殺気をこめた視線を放つ。ジョークよジョーク、とぱたぱた手を振る。
「それにしても、ホントにどしたの? 理由もなくここまで来たってわけでもないんでしょ?」
う、と二人とも言葉に詰まる。ある意味全く理由などない。ただ単にフェイトがルージュの無事を確認したかったというだけのことだ。
「ま、ちょっとこっちの方に用事があってね。せっかく来たんだから寄っていかないと不義理ってもんだろ」
ネルが助け舟をだすと、そうなんです、とフェイトも力強く言った。
「さっきの様子はそんなものじゃないと思ったんだけれど」
クレアが追撃する。さすがに困り果てた二人を見て、これ以上は苛めない方がいいと判断したのか、クレアは部下に命じて紅茶を持ってこさせる。
「それで、最近聖都の方はどう? 開発の方はエレナ博士がいなくなって大変だと思うけど」
「なんとかやってます。さすがにエレナさんの穴を埋められるほどじゃないですけど。それにもともとエレナさんは実務には携わってなかったこともあって、大きな混乱は起こってないです」
「なるほどねー。それにもう少ししたらクレアも聖都戻るっしねー。あーあ、私もゆっくりできなくなるなー」
そういうことを上司の前で平気で言えるあたり、なかなかの女傑である。
「ルージュさんはずっとここの警備ですか?」
フェイトが尋ねると「まあねー」と気楽に答える。
「ま、その前にちょっち久しぶりにあちこち見て回ってくるつもりだけど。引継ぎの大体は済んでるし、クレアがいなくなると滅多に休暇取れないからさ。久しぶりにペターニまで行ってたっぷり買い物してやろうかとか思ってるんだ」
ペターニまで行く。
それが二人の脳裏に同時に結論が見えた。
「二人ともペターニからシランドに戻るんでしょ? それなら一緒してもいいかなあ?」
嫌だ、とネルは言いたかった。
動機は不純だったが、それでも二人旅は二人旅だ。せっかくの旅行を台無しにはされたくない。
「僕は別にかまいませんけど」
──この鈍感。
はあ、とため息をついたネルをクレアが楽しそうに見ていた。
「何見てるのさ」
「別に。あなたもたまには正直になった方がいいんじゃないかと思っただけ。フェイトさん、それじゃあルージュをよろしくお願いします」
「ええ。別に何かするというわけじゃないですけど」
こうしてとんとん拍子に話が決まってしまって、ネルとしては不快千万であったが、それもこうなってしまってはもう流れを断ち切ることはできないだろう。
「あ、それならルージュ、一つお願いがあるんだけど。ここ、せっかくだから回ってきてくれないかしら。この間新しくできた村、申請通ったから」
「らじゃー。へえ、随分ペターニの近くなんだね。そしたらペターニの前に立ち寄った方がいいかな?」
地図を見てルージュが言う。
「ねえねえフェイトくん、一緒に付き合ってくれるよね?」
「え? まあ、はい」
何も抵抗せず頷くフェイト。
「かまわないよね?」
それでも一応ネルの確認を取るあたり、防衛策を知っているというところか。
「あんたの好きにしなよ」
もうこれは、諦めるほかはないのだろう。
鈍さ爆発の彼を少しは許容しないと、この先もやっていけない。ある程度は大目に見ることも必要だった。
「ところでクレア。せっかくだから聞いておきたいことがあるんだ。その、カルサアのことなんだけれど」
ええ、とクレアが頷く。
「ウォルター老が襲撃されたってのは本当なのかい?」
「ウォルターさんが襲撃!?」
寝耳に水だったのか、フェイトは驚いて声を張り上げていた。
「なんだ、知らなかったのかい」
「知らないよ、そんなこと。それで、ウォルターさんは」
「大丈夫です、フェイトさん。無事ですから。ウォルター老が暗殺者にやられるはずがありません。逆にやり返すくらいの豪傑ですから」
といっても、ウォルターの戦ったところを見たことがないフェイトにとってはそんな言葉もあまり不安を解消する種にはならない。何しろマユとルージュの生存確認をしにここまで来ているくらいなのだから。
「なかなかの手練れだったみたいね。ウォルター老の屋敷に忍び込んで出てくるなんて、うちの隠密部隊にほしいくらいね。そんなことができるのはネルくらいじゃないかしら」
「買いかぶりだよ。私だってあそこの屋敷に乗り込むのは無理さ。アーリグリフ城の方がはるかにやりやすいね」
フェイトは首をかしげる。隠密という仕事が具体的にどんなものなのか分からないので、ただ話を聞くばかりだ。
「暗殺者か。まさかシーハーツに来るってことはないよね」
「そればっかりは分からないですね。私は暗殺者ではありませんから」
クレアは至極まっとうな答を返した。
「そうだね。ここならアーリグリフにも近いし、もっと情報があるのかと思ったけど」
「そうでもないわね。やっぱりアストールがアーリグリフの諜報を指揮するようになってから、微妙に諜報のレベルが落ちてるのよ。あなたほどの実力者はいないから仕方のないことだとは思うけれど。一応目撃証言はあるみたいよ。白い服を着ていた、ですって。それだけじゃどうにもならないものね」
だが下は育てなければならない。ネルもクレアも戦場でいつ命を落とすか分からない。そのためには有能な人材を育てあげなければならないのだ。
「話が終わったならそろそろ行こうか? 日が暮れる前にペターニに着きたいしね」
ルージュが立ち上がる。
「そうですね。それじゃあクレアさん、シランドでまた」
「悪かったね、突然押しかけてさ」
二人も立ち上がるとそれぞれクレアに声をかける。
「ええ、あなたならいつでも歓迎よ、ネル。それにフェイトさん。またお会いできる日を楽しみにしています」
そうして三人はペターニを出た。
アリアス近辺にはいくつか村が点在する。
そのほとんどはアーリグリフとの戦争のためにペターニへ避難していたり、滅ぼされたりしてしまっていた。
それがこの一年、戦争が終わってからゆっくりと順調に復興してきていた。復興したのはアリアスだけではない。その近辺もなのだ。
クレアがその指揮を取っているようには見えたが、実際のところ活動していたのはルージュである。アリアスはもともとルージュの管轄であり、いつまでもクレアが活動していてはその後の活動に影響する。そう考えたクレアは実務にはあまり携わらなくなった。前線とシランドとの中継にのみ全力を注ぐようになった。
新しい村ができるといったときにクレアがルージュに命令して行かせるような形となったが、そうでなくてもルージュが直接視察に行くのは間違いのないことであったし、それ以上にルージュ本人が直接見に行くつもりだった。
破天荒な性格で有名なルージュではあるが、その裏で誰よりも強い責任感と使命感を持っている人物だということはあまり知られていない。フェイトでもそこまで分かっていない。彼女のことを分かっているのは、幼馴染でもあるクレアとネルだけであった。
「あの村かい?」
しばらく進んでいくと向こうにいくつかの家が見え始める。ちょうど夕飯時とあって、あちこちで水煙が上がっている。
「前線に近い割りにはのどかな感じだね」
「ま、そんなもんでしょ。なにしろ戦争が終わって一年以上、アリアスの周りも随分落ち着いたもんよー」
ルージュが両手を頭の後ろで組みながら歩く。その仕草のいちいちが魅惑的で色っぽい。
「とうちゃーく!」
意味もなく嬉しそうに笑う。その頃になってからようやくネルの顔にも笑みが出てきていた。
「まったく、あんたはいつまでたっても子供だね」
「そういうキミは昔みたいにお転婆じゃなくなったよね。フェイトくんだって、キミのすました顔より笑ってる顔の方が見たいんじゃないの?」
「なっ」
そうしてからかわれるあたり、どちらが子供なんだろうかとフェイトは苦笑する。
そのときだった。
「フェイト?」
ネルでも、ルージュでもない女の子の声。
振り返って、彼の目が見開いた。
「ダッ」
その体が硬直する。
「フェーイィトッ!!」
その小柄な体が突進してくる。逃げようと思ってももう遅い。彼女は勢いよく彼に抱きつく。
「久しぶり、久しぶりだね、フェイト! 本当に私たちの村に来てくれたんだね!」
「だだだ、ダリア、まさか君がここにいるなんて」
「えー? 私に会いに来てくれたんでしょ?」
「ダリアがどこにいるのかなんて知らないのに来れるわけないだろっ! 偶然だよ偶然っ!」
完全に慌てているフェイトを見て、やれやれ、とネルは前髪を掻きあげる。
「知り合い?」
ルージュが尋ねる。
「ああ、戦争前にこの辺りで盗賊をやっていた連中の一人だよ。盗賊業から足を洗って町づくりをするってことになってたんだけど、まさかこことはね」
「ふーん。フェイトくんもあっちこっちで女の子口説いてるんだね」
ネルの神経を逆撫ですることを平気で言う。その口にのせられてまんまと苛々させられる。
「人聞きの悪いこと言うんじゃないよ」
「あれ、図星?」
にひひ、とさらに怒らせるように笑う。
結局、どこまでいってもこの二人は仲がいいらしい。
再会の抱擁も終わり、新しい村の手続きも終わり、その日はダリアの家に泊まることとなった。
初対面だというのにルージュとダリアは急速に仲良くなり、フェイトとネルについてあることないこと、話題に花を咲かせていた。
「ええっ、二人はもうそんな仲に!?」
「そりゃもう、いつもいつも大変なんだから」
何の話をしてるんだよとネルは終始苛々しているし、フェイトは困ったように苦笑するばかりだ。
「それにしてもこうして村を作りあげるまで、随分大変だったんじゃないのか?」
「そりゃーもう! だいたい、女の子の数が少ないでしょ? もうほとんど私がみんなの食事作ってるみたいな感じ。村っていうより、家族よね、これって」
「前途多難だな。これから村を発展させていかなきゃいけないのに」
「まあね。ま、あの甲斐性なしたちが結婚相手を他の町から連れてきてくれればいいんだけど。それより先に、アタシが外に行くことになるのかなー。ね、フェイトっ♪」
ネルという恋人がいることを知っていてそう牽制してくる辺り、このダリアという少女もなかなか挑戦的だ。
「私も久しぶりに一緒にペターニについていっちゃおうかな。ね、いいでしょ、フェイト」
「いや、それはちょっと困るかな」
「なんでよー。迷惑はかけないからさ」
話が進めば進むほどネルがカリカリしていくのが分かるようだった。
「ところでさ」
フェイトが話を切り替えようとしたときだった。
勢いよく、玄関の扉が開く。
「ネル様、ルージュ様、こちらでしたか!」
聞きなれた声。ネルの腹心、タイネーブの声であった。
「タイネーブ? どうしてこんなところに」
「はい。クレア様からこちらの村に来られたと聞いて、急いで駆けつけたんです」
「何があったんだい?」
その様子からただごとではないことが生じたのは間違いない。
「ペターニで、シャロム夫人が暗殺されました」
「なんだって?」
ネルが顔をしかめる。そして頭の中で考える素振りを見せた。
「妙だね、どうして夫人が」
ぽつり、とつぶやく。
「何がだい?」
「シャロム夫人は──ああ、そうか」
ネルは気がついたようにここに揃ったメンバーの顔を見る。フェイト、タイネーブ、ルージュ、ダリア。
「あんたたちが知ってるはずがなかったね。実はシャロム夫人には、嫌疑がかけられていたんだ」
「嫌疑って、何の」
フェイトが尋ね返すと、ネルは頷いて答えた。
「反乱の、だよ」
影二つ
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