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第3話 Tiny alm






 昼近くになって戻ってきたネルと共に、その殺害現場に出向く。既に連鎖師団が現場検証に来ており、被害者には白いシーツが被せられていた。
「死因と殺害時刻は分かったのかい?」
 ネルが尋ねると、ちょうど日付が変わるころだという。それを聞いてフェイトがダリアに小さく尋ねた。
「ダリアが出歩いていたのは何時ごろ?」
「多分同じくらい。帰ってきたのは日が変わったころだったから」
 ということは、ダリアが声をかけた相手が本当に『白い暗殺者』である可能性は高い。
「ちょっと見てもいいかい?」
 ネルは親指でシーツの方を指す。了承を得てから彼女はシーツをめくった。
「コイツ……!」
 ネルが動揺したのを見て、フェイトも傍に近づく。
「知っているのかい?」
「知るも知らないもない。こいつの顔に見覚えがないっていうのかい、フェイト!?」
 と言われても、普通の二十代そこそこの青年であった。見覚えなどない。
 いや、かすかに一度どこかで見たことがあったような気もするが。
「どこで見たっけ」
「ああ、あんたは一度二度しか会ってなかったね。こいつは、アーリグリフのスパイだよ。サンダーアローのことをアーリグリフに伝えた奴さ! あの戦争以来、どこにもいなくなったと思っていたのに、まさかこの街にいたとはね。不覚だったよ」
 いずれにしても、どうやらまたネルの知る人物が襲われたということになる。
「三人ともそうなのかい?」
「多分ね……確認してみるよ」
 次々にネルは身元を確認する。
「こいつは光牙師団にいた奴だ。覚えている。クレアがいなくなったと言ってたけど、多分コイツのことだろうね。それからこっちは分からない。多分、私やクレアのことをかぎまわってたのがその二人で、こっちはそれをアーリグリフに伝える役目だったんじゃないかな」
「なるほどね。確かに諜報活動は一人じゃ意味ないもんな」
 戦争からずっとこの街にいたのか、それとも戦争が終わってからこの街にやってきたのか。
 いずれにしても、三人揃ってここにいたということは、何かを企んでいたに違いない。
「私なら生かして捕らえたんだけどね」
 それだけの実力がネルにはある。間違いなくそうするだろう。たとえ二人を殺したとしても、情報収集のために一人だけは絶対に生かしておくはずだ。
「気になっていることがあるんだ、ネル」
「言わなくたって分かるよ。なんでこんなことをしているのか、これをやった奴の動機、だろう?」
 さすがに彼女は自分の言いたいことをよく分かってくれている。だが、このときの質問は少々彼女にとってはきついものだと言えるだろう。
「なにしろ、動機だけを追いかけていけば、一番怪しいのは私だからね。まるで私のかわりに、私にとって害悪となるものを排除してくれてるのかって思うくらいだよ」
「ネル、それは」
「気にしなくてもいいよ。別に私がやったわけでも、私が誰かに命令したわけでもないんだ。ようは犯人さえ捕まえてしまえばいいんだからね」
「その犯人がこの街から逃げる可能性は?」
「あるだろうね。でも、だからって門を塞ぐなんてのは無駄さ」
「どうして」
「それならもうとっくに逃げている。それに、門を塞いだって別のところからきっと逃げてるよ。それくらいなら門を開け放しにしておいて、注意深く監視した方が罠にかかりやすい。その指示は私たちがこの街に来る前からタイネーブが出してくれてるよ」
 さすがにその辺りの行動は早い。フェイトは感心するばかりだ。
「そういや、ネルの方は昨日収穫はあったのかい?」
 シーツを元に戻してフェイトが尋ねる。
「まあね。本当にこの犯人は私と考えることが同じだよ。何から何までね。犯行のルートは分かったけど、証拠を残すようなヘマはしてないだろうね。一応指示は出しておいたけど」
 天上裏の徹底捜索を部下に命じたものの、はかばかしい成果は上げられなかった。痕跡はあっても証拠は残さない。徹底されている。
「熟練者のしわざだよ。それもかなりのね」
 彼女がそう言うのだから、かなりの腕前であるのは間違いないことだ。
「じゃあネルは昨日、こっちの方には来てないんだよね」
「ああ。ずっと屋敷の調査さ。おかげで徹夜だよ」
 フェイトはとりあえず胸をなでおろす。まさかネルが暗殺、いや、それも仕事なのだから命令があればやるのだろうが、暗殺を自分に隠してまでやるとは思いたくない。
 それに、ウォルター老の襲撃やシャロム夫人の暗殺は彼女には不可能だ。ずっと自分と一緒にいたのだから。
「白い隠密服の暗殺者、か」
 長い事件になりそうだな、と彼は思った。
 だが、それほどの時間をかけずして、この問題は解決を見ることになる。






 彼は考えた。
 もしネルにとって邪魔となる人間を次々に襲っているのだとしたら、次は誰を狙うのだろうか、と。
 何のためにそんなことをしているのかは分からない。だが、今のところ手がかりはそれしかない。
 夜になってから彼は一人、ペターニの西地区を歩き回っていた。
 こんなことをしていても何か手がかりが得られるとは思わない。だが、何もしないでいるよりはいいのではないか、と。
 ネルにとって邪魔なのは、公的にも私的にもだ。
 その相手が誰になるかということに、私的な感情が入ることもあるのではないだろうか。
 最近、ネルは機嫌が悪い。
 その理由は、自分がネルよりも他の女性のことを心配していたから。
 だとすれば。
 まさかね、と思いながらも彼はファクトリーに足を向けた。

 だが、意外にもその思惑は的中していた。

 ファクトリーの扉を開いた瞬間、実験器具が壊れる音が彼の耳に届く。
 考えるより早くファクトリーの中に飛び込む。そこには、
「マユ!」
 襲われているマユと、そして襲いかかる白い隠密服。
「やめろ!」
 カウンターを飛び越えて、その白い隠密服に飛びかかり、体当たりでその隠密服を弾き飛ばす。
 壁にたたきつけられた隠密服の顔が明らかとなった。
(……確かに、ダリアの言ったとおりだ)
 その顔は。
 あまりに、ネルに瓜二つだった。
 ただ、
「うーっ!」
 大きさが違った。
 黒髪で白装束。そして何よりも、あまりに『若い』。外見年齢が七、八歳といったところだろうか。そのネルもどきは感情豊かに唸りながら怒りの表情をこちらに向けてくる。
 が、自分の姿を見た彼女は、きょとん、と目を丸くした。
「ふぇーと?」
 その口から、幼子のような言葉使いで尋ねられる。
「何者だ?」
「ふぇーと、ふぇーと!」
 彼女は喜色満面に、彼に抱きついてきた。
 さすがに襲われているというのとは違う。彼女を剣で威嚇しようかと思ったが、なすがままにされる。
「えっと」
 彼女は本当に嬉しいらしく、彼に抱きついたまま「ふぇーと、ふぇーと」と自分の名前を連呼する。
「ふぇ、フェイト……さん」
 襲われていたマユも、何がおきたのかと呆然とこちらを見つめてくる。
「あ、えーと……大丈夫?」
 どうすればいいものかとマユに尋ねたところ、その瞬間、抱きついたままのネルもどきがマユに向かって「ふーっ!」とうなりつけた。
「怪我は?」
「ありません」
「うーんと、それじゃあとりあえずこの子、連れていくよ。僕にもよく分からないけど、どうも僕のことは好いてくれてるみたいだから」
「は、はい」
「それじゃ!」
 何かを詮索されるより早く、フェイトはその抱きつく彼女を逆に抱き上げてファクトリーを飛び出していった。






 とりあえずそのまま街のはずれの公園にまでやってくる。さすがに大通りから外れた夜の公園には誰もいなかった。
「ええっと、君は?」
 フェイトは優しく尋ねる。
「ねる」
 にっこりと笑って、子供ネルが答える。
「いや、ネルの姿にそっくりなのは分かるんだけど、でもネルじゃないだろ?」
「ねるはねるだよ。そして、ふぇーとはふぇーと」
 子供が無邪気に抱きつくように、幼児姿の白ネルはフェイトを抱きしめてくる。
 髪の色が違い、あまりに幼いとはいえ、彼女の容貌は明らかにネルであった。
「いや、だから……」
「ふぇーとは、ねるのこと、きらい?」
 じわり、と涙を目に浮かべて尋ねてくる。
「そんなことはないよ」
「よかった」
 また、ごろん、と頭を預けてくる。
(困ったな)
 これでは話にならない。彼女にペースを握られっぱなしだ。
「とにかく、いろいろと聞きたいことがあるんだ」
「なあに?」
「ウォルターさんやシャロム夫人、それにアーリグリフのスパイたちを襲ったのは君のしわざなのかい?」
「うぉるた? しゃろむ?」
 人差し指を顎にあてて、うに? と首を傾ける。
「違うのか?」
「わかんない」
「分からないって……君は誰も襲ってないっていうのかい?」
「ううん。はちにん」
 八人。
 おそらくそれが、彼女が襲いかかった人数ということなのだろう。
「他に誰がいるんだ!」
「やっ。こわい……」
 泣きそうな顔で、彼女はぷるぷると震えだす。
「いや、ごめん。怒鳴るつもりはなかったんだ」
「おこらない?」
「怒らないよ。だから、何があったのかだけは教えてほしいんだ」
 泣きそうな顔はそのままに、白ネルは小さく頷いた。
 聞いたところによると、アーリグリフでウォルターを襲ってから【漆黒】の兵士を三人、そしてシャロム夫人と昨夜のスパイが三人。それで全てだという。
「どうして襲ったんだい?」
「きらいだったから」
 素直な返事。
 まるでネルを子供にしたらこんな風になるのではないかというくらいの。
「嫌いって」
「だって、ねる、あのひとたち、きらい」
「でもね。世の中には嫌いでも、していいことと悪いことがあるんだよ」
「だって」
「ネルは、僕のことが好き?」
「ふぇーとはだいすき」
 満面の笑顔で答える。可愛いなあ、と思うのはやむをえないだろう。
「ありがとう。でも、もしかしたら僕のことを嫌いな人がいて、僕のことを殺したら、ネルはどう思う?」
「ふぇーとがいないと、かなしい。ころしたひと、ゆるさない」
 やはり思ったとおりのことを口にする。
 これは、ネルの深層心理と言って過言ではない。
「そういう悲しい思いを、ネルは他の誰かにしてしまったんだよ」
「ねる、わるいことしたの?」
「うん」
「……」
 ここにきてようやく、彼女は自分の罪というものに気づいたらしい。
(何も知らないで、殺していたんだ)
 見たとおり、本当に子供の考えで、嫌いなものをその場で排除してきた。おそらくはその技量もネルと同じレベルなのだろう。
「いずれにしても、君のことはみんなに紹介しないといけないね」
「?」
「僕が今泊まっているところに行くから、ついてきてくれるかい?」
「うん、いく」
 ネルはさっきの神妙な顔をどこへやったのか、また笑顔になって答えた。
(やれやれ。ネルが彼女と会ったら、何て言うかなあ)
 気が重いフェイトであった。
「ね、ね、ふぇーと」
 彼女が見上げながら笑顔で尋ねてくる。
「おてて、つないでいい?」
「え、ああ。かまわないけど」
「わーい!」
 彼女は嬉しそうに左手を上げてフェイトの手を取る。
「えへへ」
 そして無邪気に笑うのだから、たまらない。
(こんなふうにしてるネルか。もしも普段のネルがこうだったらものすごく可愛いんだろうけど)
 もちろん今のネルが可愛くないというわけではない。だが、こうして素直に笑顔を浮かべているネルは子供らしく、とても可愛い。
(いけないいけない)
 たとえこの子供がネルの昔の姿だったとしても、自分は彼女を好きなわけではない。自分が好きなネルは──
(僕の好きなネル……?)
 ふと考える。
 確かに今までは、ネルがネルだったからこそ好きだとはっきり言うことができた。
 だが、例えばそれこそフラッドの世界で出会ったネルと、今までエターナルスフィアで暮らしてきたネルとでは、同じネルではあっても違うネルだ。その二人のうちどちらかを選べと言われたら自分は間違いなくこの世界のネルを選択するに違いない。
 それは、今まで同じ時間を共有してきた相手だからだ。
 ネルが笑っていようが怒っていようが、それでネルのことを好きになったり嫌いになったりするわけではない。ただ、好きになった相手だから、ずっと一緒に過ごしてきた相手だからこそ、一番大切なのだ。

 つないだ彼女の手は、ひどく小さかった。





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