Singles-β

第2話 Way of ifference






 それから一週間ばかり、ミハエル子爵は王城に行くこともなく、アーリグリフにある屋敷ですごしていた。
 もともと城勤めは好きではない。一週間どころか一ヶ月参勤しないことも彼にとっては別段珍しいことではない。実際、城に行ったところで自分の仕事があるわけでもない。それに、今の時点で城に近づくのは問題がある。
 それは、アーリグリフ王の様子がおかしかったということだ。
 今考えればあの謁見はおかしい。自分を呼べばどのような話をするか、あの王は分かるはずだ。あの王は馬鹿だが間抜けではない。
『不作を乗り切る手段がもしあるのなら、教えてはくれまいか』
 そう、国王は言った。
(そういえば、王から何かを自分に尋ねてきたのは初めてのことだったな)
 それだけ切羽詰まっているのかというと、おそらくそうではあるまい。何かを自分に伝えたかったか、自分との会話から何か別のことを見つけたかったか。
 いずれにしても、自分には分からない。
 だとすれば君子危うきに近寄らず、だ。戦争をするにしても不作を脱するにしても、今の自分はアーリグリフ国民の全てを助けなければならない立場にはない。まずは自分を慕ってくれている自分の領民を助けなければならないのだから。
「旦那様」
 と、そこへ執事がやってくる。
「どうした」
「漆黒の方が見えられております」
「漆黒?」
 自分の家を訪ねてくるような相手は一人しか思い浮かばない。
「俺の部屋に通しておけ」
「かしこまりました」
 会いたくないと言えば会いたくない相手だった。自分の全てを見透かすようなあの瞳、あれが非常に苦手だった。それに、自分とミリアの共通の知人という理由もある。
(あいつがこの時期に俺を訪ねてくる理由か)
 アーリグリフ三軍の長は現在王都にそろっている。だとすれば漆黒の長についてこの王都まで来ていても不思議はない。歪のアルベルの『両翼』と目される人物。その片翼を務めるのが──
「久しぶりだな、サイファ」
 黒い服を来たスレンダーな格好をした人物がそこにいた。かすかに胸があることから女性であることが分かるが、男性とも女性とも言いがたい、中性的な雰囲気を持つ人物であった。
 漆黒の参謀こと『黒天使』のサイファ・ランベール。その明晰な頭脳はまさに漆黒の全てを熟知し、さらに彼女自身がすさまじい細剣の使い手だ。
 少なくとも自分より、はるかに強い。
「お久しぶりでございます、ミハエル子爵」
「その他人行儀な話し方を今すぐやめろ」
 一つ舌打ちをしてサイファの向かいのソファに座る。
「相変わらずですね、ルーク。あなたは何も変わらない」
「お前もだ。余計な世話を焼くことまで、昔から何も変わらん」
 子爵家の跡取りである自分のところに、ある日サイファが一人の女性を連れて現れた。サイファは男爵家の次女で、もとは自分の婚約者になる予定だった女性であった。
 当時から彼女には苦手意識を持っていたし、彼女も自分と結婚ということは考えていないようだった。気の合う話し相手、くらいにしかお互い思っていなかった。
 その彼女が連れてきた女性がミリアであった。
 ミリアは爵位を持たない名ばかりの貴族の一人娘だった。領地があるわけでもない、そこまで伝統のある家名でもない。できれば彼女くらいは優しい旦那様のもとに嫁がせたいというのがサイファの希望だった。
 どうしてその相手として自分を選んだのかは謎だったが、自分とミリアは確かに愛し合うようになった。ミリアとサイファがどうして知り合ったのかは知らないが、サイファは自分とミリアを引き合わせてくれた恩人であった。
「そうですね。確かに余計なお世話でした──彼女のことは」
 その話をすることが自分の神経を逆撫ですることを知っていて、平気で口にする。やはり苦手だった。
「彼女をあなたに引き合わせたりしなければ、あなたは今頃後悔という感情に縛られることはなかった」
「分かっていてお前は平気に口にする」
「ええ。過去は変えられない。そのことを私は知っていますから」
 強い女だ、と思う。
「それはそうと、お前の想い人を放ったらかしにしておいていいのか?」
「反撃ですか? ご心配なく。そもそもあの方は私を女と思ってくれているわけではありませんから」
「歪のアルベルか。お前も難物を好むな」
「好きになってしまったものは仕方がありません。私はあの方のために全力を尽くすだけです」
 このような会話は単なる日常会話にすぎない。腹の探り合いをしているわけでもなければ、お互いに険悪になっているわけでもない。
「さて、本題に入ってもよろしいでしょうか」
「話を始めたのはお前の方だろう?」
「そうでしたね。とにかく、その余計なお世話を焼きにきました。可能なら、あなたは今すぐにでも子爵領に戻るべきです」
 それはまた随分と大事になった、と冷静に思う。
「それは、この間の謁見が原因か?」
「ええ。話には聞きました。現状のアーリグリフの政策と完全に反対の意見を述べたあなたのことを、ヴォックス公が投獄せよとおっしゃっているそうです」
「おやおや」
 やはりヴォックスが裏で手を引いているのか、と納得した。そしてあの謁見はどうやら、自分を天秤にかける目的で召喚されたのだということを理解した。
「だからといって、罪状もなしに投獄するというのか? あの無能な貴族どもですら投獄まではいたっていないぞ?」
「国王陛下の暗殺未遂事件の首班に祭り上げられるかもしれません」
 思わず目を見張った。そして笑う。
(なるほど。案外自分が被害者になるということは思い浮かばないものだ)
 架空の暗殺未遂事件を起こすことは予期していた。だがその首班に自分が選ばれるとは全くもって予想外だった。
「なるほどな。ためになった。ありがとう、サイファ」
「どういたしまして。ですが、私の話は無駄になったようですね」
「どういうことだ?」
「あなたは子爵領に戻るつもりはない。そうでしょう?」
「よく分かったな」
 彼は苦笑した。やはりこの女性は人の心を見る能力があるらしい。
「あなたのことならよく分かるつもりです。分かるからこそ、私はあなたに惹かれなかった。あなたが私のことを女性としては見てくださらなかったから」
 ほう、と彼は相槌を打つ。
「それは、漆黒の団長も同じではないのか?」
「ええ。ですが、私は彼を愛すると同時に隊長として敬愛しておりますから」
 決して恋愛感情だけが傍にいる理由ではない、ということだ。
「なるほどな。お前は充実した生活を送っているらしい」
「おかげさまで」
「ふん」
 彼は立ち上がると、窓に近づいて外を眺める。
「戦争は起こるのか?」
 彼女の顔を見ないようにして話を振る。
「間違いないでしょう。ヴォックス公がそう仕向けます」
「そうか。罪のない命が失われるのだな」
 ヴォックスさえいなければ、この国はもう少し平和になるだろうに。
 だが、今のアーリグリフではヴォックスを止められるだけの力を持つ者はいない。あの国王ですら。
「漆黒は、ヴォックスをどうするつもりだ?」
「どうもしません。アルベル様はヴォックス公がどうされようと全く気にされていません。ただ」
「ただ?」
「現在のアーリグリフでもっとも強い騎士はまぎれもなくヴォックス公。その公を一騎打ちで倒したいとは考えられているようです」
 ふっ、と鼻で笑った。
(それは現実になるわけではないだろう)
 結局、アーリグリフは、そしてシーハーツは戦争という魔の手から逃れることはできない。
 そういうことらしい。






「旦那様、旦那様!」
 執事が自分を二度呼ぶときは、緊急事態に他ならなかった。もちろんそんなことは滅多にあるわけではない。
「どうした」
「国王陛下が」
 国王がどうした、と尋ねると執事はさらに答えた。
「国王陛下が、ここにお見えになりました!」
 黒天使がミハエル子爵の屋敷を訪れてから二日後、今度は国王アーリグリフ十三世が自ら子爵を訪ねてきた。どうやら自分を捕らえる決断をしてくれたようだ。
(さて、どのような罪状をでっちあげてくれるのやら)
 賓客室に自ら赴き、国王陛下を待つ。
 そして、アーリグリフ十三世が堂々とした態度で入ってきた。
 確かに、この国王には国王としての気品も威厳もある。一国の王としては何の不足もあるまい。だが、それだけに自分の意見が容れられないのであれば、これほどの強敵はいない。
「このようなところに足をお運びいただき、恐縮でございます、国王陛下」
「改まった挨拶などいらん。今日は重要な話があってきたのだ」
 そんなことは分かっている。そうでなければわざわざ国王自らこのようなところまで来たりはしまい。
「まあ、どうぞおかけください。王城のような豪華なものが用意できず、大変申し訳ありませんが」
 王は勧められた椅子に座り、その場にかしこまるミハエルを見つめる。
「お前に頼みがある」
「先日の件ならば、私にはそれ以外の方策はありませんが」
「そうではない。いや、それに近いことではあるが」
(頼み、ときたか)
 嫌な予感がする。自分にとって意の沿わぬ任務であることが容易に推測できた。
「サンマイトへ行ってくれ」
 その理由をすぐに検討する。援助、ではない。おそらくは、これからおこる戦争に関する話だ。
「サンマイト共和国でございますか。はたして、そのご真意はいかなるものでしょうか」
「このたび、アーリグリフはシーハーツへ侵攻することが正式に決定した」
 やはり、と心の中でつぶやく。
「そのため、サンマイトには此度の戦争には加わらないでほしいと使者に立ってほしいのだ」
「なるほど。ですが、必要ありますまい。あの亜人の国には他国の状況に応じて侵攻を企てるほど野心的な者はおりません」
「シーハーツがもし助力をサンマイトに求めたらどうする」
 その場合は確かにシーハーツの援軍に立つおそれはある。だが、それすらも杞憂にすぎない。なにしろあの国には他国へ進軍するほどの部隊は存在しないのだから。
「残念ですが、その役は私には務まりません」
「ほう? その理由は?」
 言うべきではない。
 そのことはよく分かっている。自分の身が可愛ければ何も言わないのがいいのだ。
 ──おそらく、国王がこのようなことを言ってくるのは、自分へ温情をかけているからだ。能力のある自分をヴォックスの手にかけさせず、国外へ追いやってその命を守るつもりなのだ。
 だが、自分にはできない。
「戦争に加担することを、私が潔しとしないからです」
 素直に言う。これが国王に対する反逆であるということは充分に承知の上だ。
「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「充分に承知しているつもりです」
 これを断るということは、自分が投獄されるということだ。
「この間、俺がお前を城に呼び寄せたのは何のためだと思う?」
「私の推測なら、私自身が国王陛下に協力的であるか否かの選別をするためだと思いますが」
「その通りだ。それが分かっていて、俺に逆らうのか?」
 そう。自分は逆らわなければならない。
 戦いで苦しむのは王でも貴族でもない。いつの日も、力ない民衆なのだ。
 そのことを上に立つものは知らなければならない。
 だからこそ、自分は何があっても戦争にわずかなりとも参加するつもりはない。
「私の意見は、常に国王陛下には伝えていたと思います。今年の春から、この状況は予見できていた。それを私は再三、ご忠告申し上げました。ですが、国王陛下は私の意見を一向に聞き入れてくださらなかった。アーリグリフは軍備に予算をつぎこめるほど余裕のある国ではない。それが国王陛下は分かっていながら、ずっとその政策を取られてきた。それは、シーハーツに侵攻することが当初の路線だったからです。だから私の意見を聞き入れてはくださらなかった。そのことは充分に分かっているつもりです。ですが、私はあえて言わなければなりません。この国の未来のために。陛下、侵攻はおやめください。あえて修羅の道に踏み込まなければならない理由はありません。侵攻をやめて私にシーハーツから援助を受けるように命じられるのであれば、私は全身全霊をかけてそれを達成いたしましょう。ですが、戦争はいけません。戦争をしてもアーリグリフには何も得るものはありません」
 一気に言う。国王はそれを自分の中で完全に消化してから、なんとか反撃の台詞を言う。
「領土は増える」
「増えません。何故なら、アーリグリフ軍ではシーハーツを侵略することはできないからです」
「何故できない?」
「歴史が証明しております。どれほどの強い軍であったとしても、何の揺らぎもない国家を責め滅ぼした例はただの一度もございません。軍の力は問題になりません。外圧によって国が滅びることはありません。国が滅びるときは、内側から滅ぶものです。それに、領土が増える、減るは問題になりません」
「どういうことだ?」
「領土の奪いあいをするということは、そこで人が死ぬということです。その片棒を担ぐつもりは私にはありません」
「……なるほど。よく分かった」
 国王は立ち上がった。
「お前の力量は非常に惜しいと思う。なんとかしたかったのだが」
「かまいません。私のような我の強い人間は、国家にとっては逆に害悪です。そのことを私自身が一番よく心得ておりますので」
 そのときだった。
 扉が勢いよく開けられ、兵士たちが一斉に入ってくる。
(疾風か)
 つまり、それを率いているのは当然──
「話は済んだようですな、陛下」
 ヴォックス公。
「ああ」
「では、この男を投獄してかまいませんな」
「かまわん」
「それでは」
 子爵は一切の抵抗をしなかった。最初からこうなることは分かっていた。
 だから何も言い残すこともない。
(ミリア)
 最後にもう一度だけ、彼女の墓に行きたかった。それだけが残念だった。





ever 【Blue】

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