Singles-β

第3話 ever 【lue】






 ──寒い。
 もうすぐ冬になる。暖房が全く入らない地下の牢獄は気温が氷点下まで達していた。これから寒気はますます厳しくなるだろう。
 牢獄の中ではすることもない。寒さを紛らわせるために体を動かすか、毛布を頭までかぶって寝るかのどちらかだけだ。
 食事も満足なものは出てこない。当たり前のことだが。
「ふむ。まだ元気があるようだな」
 そこへ、牢獄へやってきた一人の男性。
「おやおや。珍しいお方がおいでのようだ。久しいな、ノッペリン伯」
 貴族の格好をしていたその人物は、文官としての才を認められてこの城に残ることになったノッペリン伯爵であった。相変わらず尊大な態度で、相変わらずつまらなさそうな顔をしている。
「お主ももう少し利口に立ち回ればよかったものを。相変わらず頑固なことだな」
「お前はもう少し節操を持った方がいい。相変わらず部下に命令して作品を作らせているのか?」
「優秀な部下を雇うことも才能の一つということだよ。さて、それはともかくとしてだ」
「翻意を促しに来たというのなら聞く耳はない。しばらくはここで頭を冷やすつもりだからな」
 ミハエルは先手を打って言うが、ノッペリンは肩をすくめて「そうではない」と答える。
「いくらワシでも国王に反したお主をかばい立てなどするものか。まずはこれだ」
 牢獄の外から、小袋が投げ込まれる。ベッドに腰掛けていた彼の手元にちょうど落ちてきた。ほんのりと暖かい。
「これから先、寒さはいっそう厳しくなる。お守りがわりに持っておくがよい」
「これはこれは。なんとありがたい差し入れだ」
 それは雪国では必需品ともいえる、携帯用の保温剤であった。それも一つで半年はもつという超高級品だ。これでなんとか今年の冬は凍傷にならなくてすむかもしれない。
「あいにくと食糧の類は監視が厳しいのでな。持ち合わせがこれしかない」
 逆に冷え切ったチーズと硬いパンを出される。さすがにパンはスープがないと飲めそうになかったが、チーズはありがたくその場でいただくことにした。
「なに、暖かいスープなんかをここでもらえるとは思っていないよ。これだけでも充分だ。ありがたい」
「お主に恩を売っておけば、後でいろいろと返してもらえそうだからな」
 にやり、とノッペリン伯が笑う。
「おいおい。俺は牢に入れられているんだぞ?」
「なに、ワシの予想は外れんよ。お主ほどの力量のある男がここで朽ちてゆくなど、それは歴史が許さんだろうて」
「力量があればこんなところにはいないだろうさ」
「そう卑下するものでもない。お主に力量があるからこそ、王もお主だけは処刑せぬのだからな」
 ふと、その言葉には引っかかりを覚えた。
「どういう意味だ?」
「フレイアとラルスが処刑されたよ」
 その名前が出てくると彼の表情が明らかに変化した。
「あの二人が? 何故!」
「一つはお主の延命を願い出たこと、もう一つは戦争に反対したことが原因だな」
「馬鹿な! 俺と違って、あの二人は国への功績も厚い、信頼のおける人物のはずだ!」
「そんなものは問題にならぬよ。古くからの友人であればこそ、あの二人の力量がどの程度かもお主には分かるはずだ。決して今のアーリグリフに必要な存在ではないということもな」
 ミハエルは頭を押さえた。
「何故そんなことを俺に教える?」
「さあ。だが、いずれにしてもお主の立場は非常に微妙だよ。アーリグリフ王もお前を頼みにしているところがあるようだしな」
「ありがたいことだ。お礼に呪いの言葉でも返しておこう」
「そう言うな。ヴォックス公の進言を退けてまで、お主の処刑だけはさせまいと王も苦労しておるのだぞ」
「俺の知ったことではない。所詮お前とて、それを善意で伝えに来たと見せかけておいて、その実は国王からの命令で俺のところに来ているのだろうが」
 ノッペリン伯は肩をすくめた。
「やれやれ。もう少し人の善意を信じればよいものを。もっとも、それに気づくからこそお主は敏いのだがな」
「お前のことは昔からよく知っている。利己主義が服を着て歩いているような奴だったからな」
 そう。あまりこの目の前にいる人物は好きではなかった。だが、アクの強いもの同士、何故か話が合うことが多かった。城でパーティがあるときにこの人物と話さなかったことは今までになかったと言っていい。
「お主は逆に頑固が服を着たような男だったな。こうなったのもうなずける」
「言っていろ。話は終わりか?」
「うむ。では、また近いうちに来ることにするよ。今度はワシの善意でな」
「なら、二度と会うことはあるまい」
 最後にノッペリン伯は喉の奥で笑い、そして立ち去っていった。






 フレイア伯爵とラルス男爵。
 幼い頃から三人でよく話をした。遊んだ、といってもいい。家柄や身分を越えて気軽に話せる友人というものはなかなかいないものだ。
 フレイアは素直で優しい男だった。自分のことよりも相手のことをまず念頭に置くタイプだ。権謀術数が渦巻く宮廷で生きられるような男ではなかった。それはよく分かっている。だが、実力もあり、誠実で信頼が置ける人物であった。彼と話していて不快になったことはただの一度もない。
 ラルスはひねくれ者だった。自分と同じように頑固なところがあったが、自分との大きな違いは保身の術を心得ていたということだろう。どうすればこの宮廷で自分が生き残ることができるか、それを実行することは彼にとってたいして難しいことではない。
 実力はないわけではないが、二人とも決して高いわけでもない。それは友人をずっと続けてきて分かっているつもりだった。
 少なくとも追放された貴族たちは何の実力もなかった。あれと比べれば天と地ほどの差がある。人手不足のアーリグリフにおいて、あの二人は重宝されていたはずだった。
(死んだのか)
 死ぬ理由などどこにもなかった。二人が国から重く用いられ、それに二人はしっかりと答えてきたはずだった。
 戦争に反対しただけで、その二人まで殺した。
(王よ)
 奥歯をかみしめる。
(いくらヴォックス公のいいなりとはいえ、罪なき者を殺することがどうしてできるというのか。あなたは──)
 怒りで我を忘れそうになる。
(この件は高くつくぞ、国王よ)
 復讐の炎が彼の目に灯った。
(たとえどれだけ俺を求めたとしても、絶対にアーリグリフに協力などせぬ)
 改めて、彼はそう誓った。






 しばらくして、ついにその日がやってくる。
 それは初冬。雪が積もり始めた頃。
 彼が投獄されて、一ヶ月ほども経った頃。
「ってーな! あんまり小突くんじゃねぇよ!」
 乱暴な声が地下の牢獄に響いた。
(誰だ?)
 頭までかぶっていた毛布をめくり、新たにつれてこられた囚人を見る。
 それは、金色の髪をした男と、それよりも一回り小さい青い髪をした男の二人組であった。
 拷問をする音が聞こえる。
 この牢獄の一番奥が拷問部屋だ。扉で閉ざされていてもなお、鞭打つ音は聞こえてくる。
 それは他の囚人たちに対する威嚇の意味が含まれている。こうなりたくなければおとなしくしていろ、と。
(見ない顔だったな)
 毛布を頭までかぶった中でつれてこられた二人の男を思い浮かべる。
 一人は体格のいい戦士風の男。ぎらぎらとした目と反抗的な態度。あれでは拷問官もやる気が出るだろうという様子だった。
 そしてもう一人。控えめというか、諦めているというか、そんな様子のある青い髪の青年。だが、何とはなしに目を引かれる青年だった。まだ二十になるかならないかといった若者だった。
 いずれも服装が妙だった。この地域では見られない服装、いや、あんな服はシーハーツにだってない。
 だとすると、グリーテンだろうか。未知の文化ならばそれしか考えられないが。
 しばらくして、拷問部屋から気絶した男が連れ出されてきた。そして近くの牢屋に入れられる。
 どうやら一通りは終わったらしい。だが、拷問吏の様子では、まだほしい情報は手に入っていないようだ。
 鉄格子の傍の壁に背を預け、引き上げる拷問吏を見る。
「よう」
 と、中から声をかけた。
「ミハエル子爵」
「何者だい、あの連中」
「国王陛下からあなたに拷問せよという命令は出ていないが、言動は謹んでください。ヴォックス公が目を光らせておりますゆえ」
 拷問吏とは別に顔なじみというわけではない。ただ、ミハイル子爵のことを知っている者は多い。
「教えてくれてもいいだろう? ここは刺激が少ないんだ」
 少し拷問吏は考えたようだったが、やがてその重い口を開いた。
「どうも、グリーテンの技術者らしいんです」
「へえ」
「空飛ぶ船でアーリグリフの街中に落ちてきたんですが、それがどういう技術なのかを吐かせろとヴォックス公から命令されてるんです。ただどうにも口が固くて」
「なるほど」
 空飛ぶ船、とは面白いことを聞いた。いったい何が外では起こっているのだろう。
 だが、これは大きなうねりになるということを感じた。そのうねりは、これから始まるアーリグリフとシーハーツとの戦争に大きな波紋となって浮かび上がるだろう。
 それはアーリグリフに吉とでるか、凶と出るか。
(まあ、この国がどうなろうと関係ないが)
 せめて、シーハーツもアーリグリフも、民間人に被害が出なければいいと思う。
 ミリアのような悲劇を起こすことだけは、ごめんだ。






 しばらくして、遠くから何か声が聞こえてきた。
(起きたのか)
 鉄格子しかないのだから、話し声はそのまま筒抜けだ。じっと耳を傾ける。
 拘束具を脱ごうとしているようだったが、それは無理だろう。あの拷問吏がその点で甘くするはずがない。それが仕事なのだから。
(グリーテンの技術者)
 長く大陸同士の付き合いがなくなってしまったが、そこには科学の進んだ国がいくつもあるという。そのグリーテンの技術者がいったいここに何の用だというのだろう。
「仕方ないだろ。『僕たちは宇宙から来ました』なんて言ったって誰も信じてくれないよ」
 宇宙から──来た?
 どうも、ありきたりのことを話しているというわけではないようだ。
 グリーテンの技術者というわけではないようだ。宇宙から来た。あの星々の大海から。
(何者だ?)
 話が見えない。そういえば拷問吏は空飛ぶ船が落ちてきたと言っていた。
(宇宙……宇宙、か)
 この星が丸く、そして宇宙にはこの星と同じような星々からなることは当然知っている。
 その中に自分たちと同じように人がいて、国を作っているということだろうか。
(突拍子も無い話だ)
 にわかには信じられない。というか、自分の想像が飛躍しすぎていて思わず笑ってしまう。
「こんなんで父さんを助けるなんてできるのか?」
 父親?
 どうも、ただこの国に遊びに来たというわけではないようだが。いずれにしてもこんなところで捕まってしまっていては何もできまい。
「こんな所に誰が来るっていうんだ?」
「来たぜ」
 その瞬間、見張りの兵士が倒される。
 向こうの話に集中していたとはいえ、こんなに近くまで来ているのに全く気づかないとは。
 赤毛の、隠密。
「あんたたちには、二つの選択肢がある。私の言うことを了承し、ここから生きて出るか。私の言うことを了承せず、ここで死ぬか。さあ、好きな方を選びな」
 あれは、シーハーツのクリムゾンブレイド。
 アーリグリフに潜入しているという噂だったが、まさかこんなところにいるとは。
(見つかったら騒ぎになるだろうな)
 だが、状況を知りたい。いったい、シーハーツが、そして彼らが何を考えているのかが知りたい。
 こんな刺激は、なかなかない。
(宇宙から来た二人組と、敵国のクリムゾンブレイドか。面白そうだな。ついていくことができればいいんだが)
 そういうわけにもいかない。体力が落ちた今の自分では足手まといになる。
(残念だ。ま、貴重な経験をさせてもらったよ)
 この三人がこれからこの星をどうしていくのか、見ることができないのは残念だった。
 だが、この三人が初めて出会ったのがこの場所だったということが、いつか振り返る時がきっと来るに違いない。その場所に居合わせた人物はきっと他にいないだろう。
(名誉なことになるといいけどな)
 そして二人が牢屋から出て、拘束が解かれる。用意していた新しい服と武器を装備しなおす。
「行くよ」
 そして彼女が歩き始めた。
(クリムゾンブレイド。ネル・ゼルファーか)
 凛々しい女性だった。
 敵でありながら惹かれるほどに。
(うん?)
 その通路の影。
 そこに──アーリグリフ兵の姿。
「危ない! そこに敵が潜んでいる!」
 思わず声を出していた。だが、それと同時に金髪の男が動いた。
 通路に飛び出し、一瞬で三人のアーリグリフ兵を倒す。
 神業、であった。
(これは、すごいな)
 今の行動が人間離れしているのは分かった。
 アーリグリフにとって恐るべき敵が今逃げようとしている。
 だが、それを止めるつもりはミハエルにはなかった。
「あなたは?」
 傷だらけの、青い髪の青年が尋ねてきた。
「私のことなどどうでもいいですから、早くお逃げなさい。ここの異変に気づいて兵士たちが来てしまいますよ」
 そして笑った。
「助けていただいて、ありがとうございます」
 そして彼らは去っていった。
 面白い、貴重な経験だった。
(明日からはまた、つまらなくなるな)
 戦いが終わった地下牢から音が消え、彼はまたベッドに戻る。
(いつになったら出られることやら)
 毛布を頭までかぶって、興奮を落ち着かせるようにして、眠った。





SNOW BLIND

もどる