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第4話 SOW BLIND






「ミハエル子爵」
 あれから、どれくらいの月日が経ったのだろうか。
 日数は最初から数えてはいなかったが、あの青い髪の青年が現れた時から一ヶ月も経っただろうか。その時が来た。
「何だ。ついに、死刑執行の時間か」
 まだ減らず口を叩くくらいの余力はある。いや、このような状況にあっても彼は自分の体力を可能な限り落とさないようにしていた。いつ何があるか分からない。いざというときに体が動かないということだけは防ぎたかった。
「違います」
 現れた兵士は錠を外した。
「釈放です」
「釈放?」
「はい。ヴォックス公爵が亡くなりました。もう、子爵を拘束しようとする者は国王をはじめ、誰もおりません」
「ふむ」
 子爵は伸び放題になった顎髭をなでる。もう三ヶ月近くもの間風呂にも入っていないので、体中が垢まみれになっている。
 それでも、貴族としての立ち振る舞いは決して忘れてはいなかった。
「何があった?」
「シーハーツと戦争があり、異世界の人間が襲来したとのことです」
「異世界?」
「はい。空に巨大な船が現れ、多くの爆撃に巻き込まれて亡くなったと」
「いい気味だ」
 一つ言い残すと、彼はゆっくりと歩き始めた。三ヶ月牢にいたとは思えないほど、しっかりとした歩き方だった。
「どちらへ」
「決まってる。屋敷に帰って体を洗うのさ」
「国王陛下がお呼びなのですが」
「知るか。俺をここにつないだのは誰だと思っている」
 兵士が何を言うのもかまわず、彼は囚人の格好のまま牢から出ていく。
 城の中で彼を見て驚く者が多かったが、彼の気にするところではない。
 牢につながれてからというもの、自分を見にきたのは(国王の命令とはいえ)ノッペリン伯爵だけだったのだ。それだけヴォックスに目をつけられるのが怖かった者ばかりということだ。
 そして、自分と親交の深かった二人の友人は既にこの世にない。
(許さん)
 子爵の心の中は、こうして解き放たれた今こそ、より強く憎しみにたぎっていた。
(絶対に許さんぞ、王)
 自分だけならば良かった。だが、自分の友を殺したことは絶対に許さない。
 固い決意を持って、城の扉を開く。
 久しぶりに見る雪と日の光が、彼の目を焼いた。






「だ、だ、だ、旦那様!」
 ようやく屋敷に戻ってくると、外見が大きく変わってしまった自分を見て、執事が驚愕の声を上げる。
「そ、そのようなお姿に。なんと痛々しい」
「拷問は受けておらん。ただ身なりがむさくるしいだけだ。すぐに風呂を用意してくれ。三ヶ月も風呂に入っていないから、自分の体から異臭がするのが気に入らん」
「た、ただいま!」
 自分の姿があまりに酷いということは分かっていた。だが、一刻も早く帰ってきたかった。
 欺瞞と虚栄に包まれたあの城に、一秒たりとも長くいたくなかったのだ。
 彼は執事が風呂の用意をしている間に、すぐには屋敷には上がらず裏庭に回った。
 そこには、最愛の彼女が変わらない姿で自分を待っている。
 もうすぐ十年になる。
「春が来れば、俺も三十か……」
 今まで自分は何をしていたのだろうか。
 理想も夢もなく、ただ生きてきた。
 ミリアと同じような娘を一人も出したくないという一心で。
 だが、結果はどうだ。自分は何もできなかった。戦争を止められなかった。いったいこの戦争で、何人の『ミリア』を生み出してしまったのだろう。
 賢く動き回るべきだったのだ。ヴォックスの手の届かないところに逃げることも一つの選択肢だったはずだ。自分が動き回ることで、何人かの命を助けることは絶対にできたはずなのだ。
 だが、許せなかった。自分が戦争に加担するなど、どのような善行をしたところで自分が自分を許せない。
 戦争の肯定は、ミリアを失うことも肯定することになるのだ。
「どうしてだ」
 久しぶりに、自分の目の奥から熱いものがこみあげてきていた。
「どうして、お前はここにいない、ミリア」
 優しい彼女はもういない。
 自分は、いつになれば彼女の所へいけるのだろう。






 風呂に入り、伸びた髪と髭とを処理し、たっぷりと食事を取った上で、暖かい部屋で眠る。
 一日くらいの休養で完全に回復するというわけでもない。とはいえ、固く寒いベッドと、やわらかく暖かいベッドとでは回復の度合いが全く違う。
 大きく伸びをしてから着替える。貴族の服は今は着たくなかったが、そう言っているわけにもいかない。
 朝食を取った後で、執事から来客がある旨を伝えられた。
 相手は、国王アーリグリフ十三世であった。






「今さら、何の御用でしょうか。国王陛下」
 ミハエル子爵の声は冷たい。最初から相手を敬うという気持ちなどどこにも見られなかった。
「だいたい分かっているのだろう」
「出仕しろということならお断りいたします。私はこれから子爵領に戻らなければなりませんので」
「違う。お前に謝りに来たのだ。すまなかった」
 頭を下げる国王だが、そんなことで気が晴れるはずもない。
「それはいったい、何に対する謝罪ですか」
「お前を投獄したことと、お前の免罪を願った二人の貴族を処刑しなければならなかったことだ」
「しなければならない?」
 その言葉に彼の雰囲気が一層冷気を帯びた。
「それを決定したのは陛下のはずです。たとえ裏にヴォックスがいたとしても、陛下の力なら死刑にしない方法もあったでしょう。それとも陛下がヴォックスに逆らえないのだとしたら、この国の王は陛下ですか、それともヴォックスですか」
「お前の言うことはいちいちもっともだ。決定したのは余だ。そして、国益を考えた時に他に選択肢がなかったということもな」
「フレイアとラルスを処刑しなければならない理由など私は知りません。それに、春の段階で私は進言したはずです。それに耳を塞いで、戦争のために国力を浪費した責任は誰のものですか」
「全て余だ。だからこうして──」
「私に謝ってどうなるというのです! 陛下は陛下のやり方で責任をお取りになることが先でしょう! 私などにかまっている暇があるのなら、さっさと城に戻りなさい!」
 国王は険しい表情を見せる。
 言いたいことは分かるのだ。この戦いでヴォックスがいなくなり、国王は政治をやりやすくなるだろう。だが、それをカバーする人材が不足することとなった。だからこそ『有能』なミハエル子爵に傍にいてもらいたかったのだろうが。
「私は、二度とアーリグリフのためには働きません。二度と、会うこともないでしょう」
 それは臣下からの絶縁の言葉であった。
 アーリグリフ国王は、自らの愚行のために、臣下から見限られたのだ。






 ミハエル子爵は二日後、自分の領地へ戻った。
 領主が投獄されたという話は領地の住民たちにも知れ渡っており、領民から好かれている子爵は着くなり熱狂的な歓迎を受けた。
 とはいえ、今回彼がこの子爵領に戻ってきたのは、決して王都アーリグリフにいたくなかったからとか、そんな理由ではない。
 やらなければならないことがあったからだ。
(それほど先のことにはならないだろう)
 予想通り、これだけの大不作だったにも関わらず子爵領だけはただ一人の餓死者も出ていない。それどころかまだ余裕すらありそうだった。
 子爵の館に保管している食料はまだ手もつけられていなかった。それだけ、この十年で子爵の教育が領地に徹底されたことを意味している。
 彼はもう、十年前の時のような子供ではない。
 何が起きるか、何が予測されるか、全て頭の中で計算されつくしている。
 だからこそ、この後に何が起こるかも彼は全て分かっていた。
 人は、不測の事態に対応することはできない。だが、それすら予測さえできてしまえば、いくらでも対応策は取れるものなのだ。
 それを彼は、十年前に学んだ。

 盗賊の、夜襲。

 それはあっけないほど予想通りに起こり、そして対応策の通りに盗賊たちを捕らえることに成功した。
 子爵が帰ってきてからたったの二日後。空に雲がかかり、星の光が届かなくなった夜を狙って、盗賊たちはやってきた。
 だが、その日時すら子爵には予想通りの展開だった。あらかじめ仕掛けてあった罠、といっても騎馬を足止めするための落とし穴なのだが、それが見事にはまってしまい、先発隊の馬が次々と落とし穴に落ち、後から続く盗賊たちがその上に重なり、これだけで大打撃を与えることができたのだ。
 それから領民たちは一斉に弓矢を仕掛けた。近づいてくる者は片端から弓矢の餌食となった。そう、子爵領の領民は男ならば誰でも弓矢が使える。それは、いつ盗賊に襲われてもいいようにするための最低限の力として子爵が訓練するようにと命令を出していたのだ。
 そして騎士団が出る。既に力をなくしていた盗賊たちは、次々と斬り倒されるか、捕らえられていった。ミハエルの完全勝利だった。考えていた通りに盗賊たちを殲滅し、領地には何の被害も出さなかった。
 全てが終わり、その日は祝宴が開かれた。
 結果に満足した彼は、早々に祝宴を切り上げて館に戻った。
 屋敷はきちんと清掃が行き届いており、目に見えるような塵などは全く見当たらない。ほとんど帰ってくることのないこの屋敷を清掃してくれているのは領民たちだ。本当に頭が下がる。もちろん、それだけの見返りを子爵がしているからに他ならないが。
「ミリア」
 彼女の肖像画が置いてある個室に彼は入る。
 そして、持参したワインをグラスに注ぎ、彼女の画の前に捧げた。
「どうして俺は、十年前に今日と同じことができなかったんだろうな」
 それは無知が引き起こした悲劇だ。だが、無知であるということは罪なのだ。知識のないものは殺されてもやむをえないのだ。
 死にたくなければ、自分を鍛えなければならない。知識を手に入れなければならない。それが唯一にして絶対の真理だ。
(たとえ、戦争というものを目の前にしても)
 生き残りたいのであれば、生き残るための知恵を身につけるべきなのだ。
(星の船、か)
 だとすれば、戦場に現れたという船は、果たして予測が可能なものなのだろうか。
 不可能ではない。何しろ、アーリグリフに船が落ちている。同じものが来るということは想像できるはずなのだ。
 もっとも、あまりに桁はずれの攻撃は、さすがに予測することもできないだろうが。
「あの青年たちに関係があるのかもしれないな。いや、きっと関係があるのだろう。宇宙から来た青年か。そういえば、父親を探しているとか言っていたな」
 もう一度会ってみたいものだと、子爵はぼんやりと思った。






 領地での一件が終わると、彼は再び王都へ戻った。
 戻った理由はたいしたことではない。子爵領にいると、ミリアの影がどうしても頭から離れず、結局安らぐことはないのだということを悟ったためだ。
 非常に気に入らないことではあるが、王都の方がまだマシだということだ。
 彼は自分と同じように釈放されたというアペリス教の神官を訪ねてみた。無事なのを確認すると、挨拶だけをしてすぐに教会を出る。
 やることがない、と思った。
 別になくてもかまわないのだが、領地のことが片付いた以上、自分がしなければならないことというのは、もうどこにもなかったのだ。
 何もすることがなく、雪の積もる公園でベンチに座っていたときのことであった。
 近づいてくる一人の騎士の姿が目に入った。それは、彼にとってもっとも苦手とする相手であるということが分かった。
「久しいな、サイファ」
 近づいたところで自分から声をかける。だが、彼女の様子はいつもとは違っていた。
 冷静ではない。不安を全身に表しており、完全に混乱しきっていた。
「助けてください……」
 彼女らしからぬ、捨てられた子犬のような様子で話しかけてくる。
「どうした」
「団長が、投獄されているのです」
 アルベル・ノックス、投獄。
 その事実は初耳であった。もっとも、牢獄に入れられている間は全く情報が入ってこなかったし、釈放された後も情報は可能な限り集めていたが、さすがに三ヶ月近くの情報となるとさまざまなものがあり、アルベルの件はどうも漏れていたらしい。
「いつからだ?」
「もう十日になります。いくらアルベル様でも、体力的にもうもちません」
「おいおい、俺が三ヶ月耐えたのだから【漆黒】の騎士団長が十日でくたばるはずがないだろう」
 相手を励ますための言葉だったが、それは必ずしも真実ではない。自分は囚人として拷問を受けてはいなかった。それはアーリグリフ王の加護があったからだ。だが、どういう理由でアルベルが獄につながれたのかは知らないが、普通に考えれば拷問の一つや二つ、行われているだろう。
「だが助けるといったところで、俺ではどうすることもできん」
「あなたなら助けられます。あなたが国王陛下にお願いしてくださるのなら」
 確かに、と頷く。国王は自分の才能をほしがっている。自分が懇願すれば国王は首を縦に振るだろう。
「自分に都合のいいことを言っているという自覚はあるのだな」
「もちろんです。ですが、私には他に頼る方がいないのです。あなたが釈放されたと聞いて、いてもたってもいられなくなって」
「分かった。もう一つ教えてくれ。アルベルが投獄されたのはどういう理由だ?」
 事情はサイファもよく理解していなかったが『グリーテンの技術者』を故意に見逃したということからヴォックスの不振を買ったらしいとのことだった。
「なるほど。だとすれば、俺がわざわざ動くまでもない。ヴォックスがもういないのだ。国王も適当な口実をつけて釈放する動きを取るだろう」
「ですが」
「安心しろ。国王は馬鹿だが間抜けではない。ただでさえ人手が少ないこの時期に、アルベルほどの優秀な武将を獄死させるようでは国王になどなってはいない」
 その辺り、たとえ嫌いな相手だとはいえ、ミハエルの人物評価は間違いのないものだった。
 数日後、アルベル・ノックスは釈放されることが正式に決定する。
 そして、その代償として、アルベルはグリーテンの技術者たちと協力し、星の船と戦うということまでが決まっていたのだ。





Don’t Look Back

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