祈り

第1話 前






 聖都に戻ってきたフェイトとネル、そしてアミーナはしばらくの間特別な仕事もなく、日常を淡々と過ごしていた。
 アミーナの立場はこのシランドでは『フェイトの客』という位置づけだった。従って城下にあるフェイトの自宅に一緒に住んでいる。
 ネルに似ているのだから当然何か関係があるのだろうと誰もが思ったに違いない。だが、あえてそれを追及する者はいなかった。フェイトとネルが全力で女王を説得し、その件については誰も何も言う必要はないという姿勢を取っていただいたからである。
 問題はネルの顔は多くの人間に知れ渡っているということである。城内・城外を問わずだ。ただ髪の色が全く違う漆黒であるし、何より子供の姿であるため、フェイトの自宅にいる限りはほとんど問題らしい問題はなかったし、ネルにそっくりだと騒がれることもなかった。
 もちろんフェイトが城に行くときはアミーナも一緒に行きたがったのだが、仕事は仕事だとはっきりフェイトが言い聞かせた。不満げにしながらも彼女は毎日フェイトの帰宅を待つような形だ。
 アミーナと出会ってからもう五日になる。アミーナも最初の頃よりはネルに対する敵意がなくなってきていたが、逆にネルの方が常に彼の周りにいるアミーナに対してイライラを募らせている状態であった。何しろ家に帰ればアミーナはフェイトを独占しているのだ。
 従ってネルは城内にある自分の私室に泊まるようなことはしなくなった。一緒にフェイトの家まで行って、そこに泊まる。ある意味、完全な同居生活だ。むしろ城内ではそちらの方が大きな噂になっているくらいであった。不本意なことに、アミーナが二人の隠し子じゃないのかという噂まであったが、これは子供の年齢からみても単なる冗談にすぎなかった。
 そういうわけで、たまの休みの日なのだからみんなで食事にでも行こうかと彼が言い出した時は、ネルはイライラをさらに溜めることとなり、アミーナはようやく一緒にいられる時間ができると大喜びであった。
 ただ、いくら痴話喧嘩をしたとしても、それが喧嘩のレベルなのだから世の中は平和であった。別に今はペターニが壊滅しただとか、新たにエクスキューショナーが出たとか、あちこちで暗殺が起こっているとか、そんなことは一切ない。
 ただ、今までの経験上、決して『何もない』などということはない。そのことを彼はよく分かっていた。だいたい、アミーナがここにいることからして、いったい何が起こっているのか不明なのだから。
 近いうちに何かが起こる。そう感じていたのはフェイトも、そしてネルも一緒であった。






「ちょこれーとぱふぇ!」
 だがまあ、そういう未来の話は置いておくとして、まずは食事である。人気のレストランで店外の四人がけの丸テーブルに向かい合う形でフェイトとネルが座り、その間にアミーナが座る。
 アミーナが元気よくメニューからその選択をしたとき、彼は笑いをかみ殺した。ネルが明らかに嫌そうな顔をする。
 そう、アミーナはネルの本心をそのまま口にする。つまり、アミーナがパフェを食べたいというのなら、それはネルが食べたいということの表れなのだ。
「何がおかしいんだい、フェイト?」
 殺意のこもったまなざしを受けて、何も、と答える。
「アミーナ、パフェは食事の後にしよう。まずはきちんと食べるものを食べないと」
「はーい」
 そうしてメニューにあるものを注文し、最後にフェイトがつけ加えた。
「食後にチョコレートパフェを二つ、お願いします」
 真っ赤になって怒りそうなネルの表情を見て、心の中で笑った。






 さて、食事が終わってデザートタイムとなる。アミーナは嬉しそうにパフェを食べ、ネルは不満げにそれを食べる。内心で嬉しいと感じているのはアミーナを見れば一目瞭然だ。そしてフェイトは一人コーヒーなどを飲んでいる。
「ところでさ、ルージュさんとダリアがあれからこっちに居ついてるって聞いたんだけど」
「ん、ああ」
 アミーナに会ってから五日。ルージュは「休み」を口実にシランドまで来て、そのまま仕事をしたり遊んだりと、かなり優雅な生活を送っている。ダリアもルージュの客として一緒に行動しているらしい。
「あのダリアって子、薬剤師の才能があるっていうんで、色々とやらせてるみたいだね。本気で軍に引き抜くつもりらしいよ」
「ダリアが軍に? 似合わないなあ」
「あんたほどじゃないよ」
「それは傷つく」
 二人が苦笑する。その仲良さげな様子を見て、アミーナが少し膨れた。
「そういうあんたの方は、最近見ないね」
「見ないって?」
「あんたの──ああ、気にしないでくれ」
「?」
 彼は理解できないという顔をするが、彼女はただ苦笑する。
「いや、噂をしようと思ったところに現れた。ほら、あんたの後ろだよ」
 振り返る。するとそこには、
「久しぶりね、二人とも。相席いいかしら」
「マリア」
 何故か不機嫌そうな彼の姉がそこにいた。
 そういえば五日前にペターニに行ったときは、すっかりマリアの家に寄るのを忘れていた。いつもエリクールのあちこちを出歩いているらしく、立ち寄ってもいないことが多いのだが。
 丸テーブルの空いていた最後の椅子にマリアは座って、正面に座る白服黒髪の子供を見てため息をついた。
「噂は本当だったみたいね」
「噂?」
「ええ。あなたとネルの隠し子がいるって。確かにネルに瓜二つね」
「かくっ……!」
 その言葉に、さすがの二人も動揺を隠せなかった。
「そんなわけないだろうっ! だいたいアミーナは六歳だぞ、まだネルと会う前……っていうか僕まだその頃」
「分かってるわよ、性質の悪い噂だっていうことは。でも、そういう噂を私に人づてに聞かせる前に、一つ紹介してくれてもよかったんじゃないかしら」
 どうやらアミーナの件に関して、完全にマリアを除け者にしていたことがご立腹の理由らしい。
 それも仕方のないことだろう。フェイトの姉でありながら、何の相談もなく六歳の子供を引き取って、しかも何の連絡もなしというのであれば、一つおしおきをするくらいのことは許されてしかるべきだろう。
「ごめん、マリア。きちんと紹介するよ。彼女はアミーナ。ちょっと理由があって僕が預かってる。ほら、アミーナ。ご挨拶」
 きょとんとした目で、アミーナが目の前に座る女性を見る。
 何も言わないのでまた「嫌いだ」とか言い始めるのではないかと考えていたフェイトであったが、今回に限りそれは杞憂に終わった。
「ふぇーとにそっくり」
「そう、ありがと」
「わたし、アミーナです。よろしくおねがいします」
「礼儀正しいのね。私はマリア。よろしく」
「へえ」
 感心してフェイトはうんうんと頷く。
「何よ」
 少し照れたようにマリアが弟を流し見る。
「いや、アミーナが「嫌い」って言わなかったのは珍しいなと思ってさ。何しろ彼女、独占欲が強いらしくて、僕のことを好きな人を殺そうとするくらいだったから」
「ネル? なんかあなたの恋人さんが、あなたをさしおいて別の女のことで惚気てるけど、どうすればいいの?」
「遠慮なくやってしまってかまわないよ」
「ちょ、ちょっと」
 さすがに慌てるフェイト。その様子を見てクールビューティ二人が可笑しそうに笑った。
「多分、マリアを敬遠しないのはマリアがあんたの姉だからさ。血がつながっていることを直感で悟ったんだよ。私にとってマリアは『お義姉さん』なんだから、気に入られようとするのは当然さ」
「ねぇ〜るぅ〜? いい加減にそのふざけた言い方やめないと、この場で百回絞め殺すわよ?」
 物騒な会話だ。笑っていいのか困ればいいのか、判断に迷う。
「それで、話は戻るけど、彼女はあなたのいったい何?」
 マリアがネルを見て尋ねる。
「さあ、私にもよく分からないよ。ただ、私と同じ感情、そしてほんの一部の記憶を持った、六歳時のときの私だっていうことくらいだね」
「ほんの一部? ああ、フェイトだけってことね。お熱いわね、相変わらず」
「それだけじゃないよ。父上のことと、それからクレアのこと、それに女王陛下くらいだね。母上のことは覚えていなかった」
 色々と試してみたところ、覚えていたのはその四人だけで、それ以外は全く記憶の片隅にもなかった。
 シーハーツ女王こと、シーハート二十七世には状況を伝えるために、一度だけ直接城へ連れていった。その際、女王の前でアミーナはきちんと膝をついて臣下としての礼を取ったのだ。
 その間、何もアミーナは口にしなかったが、戻ってから女王こそ自分が命を捧げる相手だということは理解していた。クリムゾンブレイドとしての使命感、それは確実にネルからアミーナへ伝わっていたのだ。
「不思議な現象ね。まあ、もともとプログラムだったこの世界を考えれば何が起きても問題ないんでしょうけど」
 セフィラがあってソフィアがいればブレアとだって連絡を取ることができる。だが、通信手段がない以上はこの世界に何が起きているのかを知る術はない。
 タイムゲートまで行けば話は別だろうが、さすがにそこまで行く時間と労力を考えると不可能な話だ。
「ところで、最近はいつもあちこち出歩いているみたいだけど、マリアは何をしているんだい?」
 唐突に彼が近況を尋ねる。マリアは、ふう、と息をついて答えた。
「特には何もしてないわね。色々な街で色々な人に出会って、そうしたことの繰り返しよ。サンマイト方面は何回行っても飽きないわね。いろんな種族がいて、いろんな考え方がある。どれも新鮮で私にはないものばかりだったわ。もちろんそれを自分で取り入れるかどうかは別だけど、考え方がたくさんあるということを知るのは悪いことではないわ。将来宇宙に戻ることがあれば、大きな財産になると思ってる」
 彼女も色々と考えながら活動しているようだ。姉のこうした積極的な姿を見るのは弟としても嬉しい限りだった。
「それはそうと、私からも尋ねていいかい?」
 ネルがまた、少しからかうような顔で尋ねる。
「何よ」
「最近アーリグリフまでよく行って、アルベルにちょっかいかけてるみたいじゃないか。脈はありそうなのかい?」
「ちょっ!」
 マリアが立ち上がりかけ、少し怒ったような拗ねたような顔をしてまた座る。
「アルベル?」
 そういえばクリスマスの時もアルベルに会いに行ってたよな、と思い返す。マリアが大きく息を吐いてから答えた。
「ええ、たまに会いに行ってたわよ。だからって誤解はしないでよね。からかい相手にちょうどいいくらいにしか考えてないし、それに向こうには彼女さんがいるみたいだしね」
『アルベルに彼女!?』
 フェイトとネルが同時に声を張り上げる。それを聞いたアミーナが、うに? と三人の様子を見る。
「ええ。その女にこの間追い返されてきたところよ。それからネル、だいたい私があんな雪国のプリンのことをどうこう思うわけがないでしょう?」
 雪国のプリンとはまた随分な言われようである。だが、明らかにそれで機嫌が悪くなっているところを見ると、彼女の方にこそアルベルへの脈があるようにしか見えない。
 だが、こうしてマリアもフェイトにこだわらず自分の道を歩みはじめている。これはこれでいい傾向であった。
「アルベルなんかを気に入るヤツか。見てみたいもんだね」
 ネルがやや挑発気味に言う。
「まあ、確かに」
「あの真性サディストと付き合っていくっていったら、菩薩じゃなきゃやってられないだろうね。戦うことしか考えてなくて、無鉄砲で無茶で自分勝手で」
「ちょっとそこまで言うことないでしょう!?」
 と、マリアが反撃した瞬間、
「おや、アルベルの肩を持つんだね」
 マフラーに顔を埋めて、からかうようにマリアを見つめる。
(ネルも案外、いじめっ子だな)
 フェイトは苦笑した。
「何笑ってるのよ、フェイト!」
「いや、なんでも」
 ふと視線を横に向けると、すっかりパフェを食べ終わったアミーナが陽射しの中でうたた寝モードに入っていた。こういうところはやっぱり子供だ。
「可愛い子ね」
 話が切れたところでマリアが彼女を見て言う。
「ああ。ただ、自分が何者かも分からない状況っていうのは可哀相だね」
「何かが起こる前触れ。そう考えてる?」
 マリアがズバリ尋ねてくる。
「まあね。普通にはありえないことだし、多分そんなに遠い未来じゃないと思うんだ。もしかしたらアミーナと一緒にいられなくなるかもしれない。だから、今のうちに彼女には幸せな思い出を持っていてもらいたいと思う」
 フェイトが手を伸ばして彼女の髪を優しく撫でる。 
 うん、とアミーナは声を漏らし、幸せそうな笑顔を浮かべた。
「おっ、ご一行様発見発見!」
 と、そこへ聞き覚えのある声が響く。言わずとしれた、抗魔師団長ルージュ・ルイーズだ。そして隣にはいつものようにダリアの姿もある。
「やっほ〜、フェイト♪」
「なんだ、二人も食事かい?」
「ううん、もう終わらせたとこ。今は楽しくショッピング中〜。にしても、クリムゾンブレイド様がこんな回り中から視線を集めるような場所で食事しててもいいの?」
 気が付いてみると、確かに回りにはこちらをうかがっている人がたくさんいた。ほとんどは男だ。つまり、ネルの自称親衛隊の人たちだろう。
「かまわないさ。食事をしているだけだからね」
「ということは、ネルがチョコレートパフェを食べていたところも、たくさんの人に見られたわけか」
 フェイトがぽつりと呟くと、途端にネルは真っ赤に染まった。
「フェイト!」
 またいつもの痴話喧嘩が始まる。やれやれ、とルージュは肩をすくめ、マリアは笑った。
「随分仲がいいんですね」
 ダリアがルージュに尋ねる。まあね、とルージュは自分のことのように答えた。





約束の地

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