祈り

第2話 約束の






 ダリアとマリアがそれぞれ自己紹介を行い、一行はしばらくその場で話していた。
 滅多に休日のない二人にとって、たまの休みというのはなかなかすることが見つからないことの方が多いのだが、こうしてマリアやルージュ、ダリアらと話しているだけでも充分に楽しかった。それにどんなことにでも興味を示すアミーナがいるのだ。全くといっていいほど話題には事欠かなかった。
 だが、そんな楽しい時間も終わりを告げる。
 それも、予期せぬ方法を取って。
 突如鳴り響くテレグラフ。これに連絡を入れてくる相手はたった一人、ペターニの職人ギルド、ウェルチからだ。何もなくてもたいがい三日に一度は連絡は入ってくるのだが、たいがいそれは夜の時間帯であった。
 だから、こうした昼間に彼女から連絡が来るというのは滅多にないことであり、フェイトが不思議に思って着信ボタンを押すのも無理からぬことであった。
「はい、こちらフェイ──」
『たいへんですたいへんですたいへんです、たいへんなんですってば!』
 耳元で叫ばれ、一瞬脳が悲鳴をあげる。その様子を見た女性陣が唖然とする。おそろしく大変なことは分かったのだが、それだけでは何が起こっているのか全く分からない。
「ウェルチ、落ち着いて。何があったんだい?」
『それがぁ、大変なんですよっ! カルサアの件、聞いてないんですかっ?』
「カルサア?」
 その地名にネルがかすかに反応を示す。
 カルサアといえば、ウォルターの襲撃が(ここにいるアミーナによって)あったばかりだ。その件について、ということなのだろうか。
「ああ、ウォルターさんが襲撃されたっていう件なら──」
『そんなことじゃありませんっ! 昨夜、カルサアは半壊したって!』
「カルサアが、半壊?」
 そのただ事ではない情報に、ネルとルージュが真剣な表情に変わり、ダリアとマリアも怪訝そうにこちらを見つめてくる。ただ一人、アミーナだけが陽射しの中にまどろんでいた。
「どういうことだい? 一体カルサアで何が起きたんだい?」
『私にもよく分からないんですけど、昨日の夜に突然、カルサアの南西で金色の光が輝いたと同時に、凄まじい爆発が起こったって。たくさん死傷者が出てるって──』
「死者も!? そんな惨事になっているっていうのかい!? 原因は?」
『それは全くです。ちょうどライアスさんから連絡が入って、ひどい有様だって』
「ライアス──そうだ、カルサアにいるクリエイターの人たちは? ウォルターさんは?」
 死者も出ているというのなら、クリエイターにも被害が出てもおかしくはない。
『はい。こちらも死活問題ですからね、クリエイターさんの安全は確認が取れています。グラッツさんもボイドさんもガストさんも、皆さん無事です。ウォルターさんも今は現場の復旧作業に出られているそうです』
「そう、良かった」
 ほっと一安心するフェイト。
「街の様子は?」
『詳しくは分からないですけど、南西部がほぼ全壊状態で、多くの人たちは被害の少なかった北東部、ウォルターさんの屋敷に避難しているということです』
 ウォルターが無事だというのなら、民衆がそこまで苦しむこともないだろう。
「でも原因が分からないっていうのはな……金色の光って言ってたけど、何かの爆発なのかな」
『今のところは全く分かりません。ですが、今のカルサアはもうほとんど街としての機能がないっていうことです』
「そうか。分かった、ありがとうウェルチ。何か分かったらすぐに連絡をもらえるかい」
『もちろんですよっ! いつもフェイトさんにはお世話になってますから、これくらいは当然ですっ! でも、今度またギルドに品物を『横流し』してくださいね?』
 フェイトは苦笑した。彼女の言う『横流し』というのは、フェイトが作った作品でも彼の作品とせずギルドに特許権を譲ることを言う。彼は作った作品の何個かに一つはこうしてギルドに横流しをしているのだが、その見返りとして大陸の情報が集まるギルドからこうして情報を流してもらっている。彼が大陸各地の情報に聡いのはそういう理由があった。
「もちろんだよ。頼りにしてるよ、ウェルチ」
『はいっ! それではまたっ!』
 通信が途切れると、一同が顔をつきあわせる。
「さて、フェイト」
 ネルがいつもの『黙秘は許さないよ』ポーズで睨みつけてきた。もちろんフェイトも今聞いたことを隠すつもりなどない。
 ただ、うまく説明できるかが多少、自信がなかった。
「だいたい話は聞いていたから分かるつもりだけど、カルサアがどうなったっていうんだい?」
「ウェルチもよく分かっていないみたいだけれど、どうも原因不明の災害にあった、っていうのが一番妥当なところかな。大きな爆発が南西部で起きたって」
「まずいね」
 ネルが眉間にしわを寄せている。
「何がだい?」
「確か、カルサアの南西部には穀物倉庫があったはずだよ。全滅してるとしたら、食糧が不足する」
 だとしたら他の町村から集めるか、そうでなければシーハーツに援助を頼むしかなくなる。
「はあ、なんか嫌な雰囲気。せっかく前線も楽ができるかなーと思ってたのに」
 ルージュが正直な感想を述べる。そうやって場を和ませることができるのは彼女の持ち味というものだろう。
「きっとアーリグリフからは援助を申し出てくるだろうね」
「間違いないね。こういうときにロザリアの存在が大きくなる。シーハーツは援助を断ることはできないよ。早めに用意しないといけないね」
 フェイトとネルが話し合い必要なものを検討する。
「問題は輸送隊を率いるのが誰かっていうことだけど」
「ま、私しかいないでしょ」
 ルージュが答える。そして「クレアにはもう少しアリアスにいてもらうことになるけどね」と付け足した。
「そうしてくれると助かるんだけどね」
「じゃあさ、ネル。一つだけお願い、いいかな」
「なんだい?」
「フェイトくん、貸してくれる? ほら、フェイトくんって顔が広いから、私が一人で行くよりも楽だと思うのよね。それから、医薬品も必要になるだろうから、ダリアも連れていけたらって思うんだけど」
「アタシも?」
 ダリアがびっくりして自分を指さす。
 こう見えてもダリアは一流の調合士である。おそらくシーハーツで薬品を取り扱う者たちの誰もかなわないだろう。生活するために身に着けた技能は、プロの調合士よりもはるかに高いスキルであったのだ。
「フェイトをねえ」
 ネルは明らかに嫌そうな顔を見せる。ただでさえ一緒にいられる時間が最近少ないというのに、これ以上少なくされるのは真っ平ごめんという感じだ。
「あんたはどうだい?」
「僕は、できれば行きたいと思っている」
 フェイトは真剣な表情で答える。その答が意外だったのか、ネルの表情が変わった。
「どうしてだい?」
「分からない。でも、何かすごく不吉な予感がするんだ。アミーナのことといい、何かがこのエリクールで起こっている。そんな気がしてならない。だから、直接現場を見にいきたいんだ」
 アミーナのことを引き合いに出したのは、単に解決できていない問題が彼女のことだけであったためで、別にアミーナのことが今回の件に関係するとはフェイトは少しも思っていない。
「ま、止めたってあんたが聞くとは思ってないから、止めないけどさ」
 ふう、とネルは息をつく。
「よく分かってらっしゃる」
「さすが姉さん女房」
「うるさいよ、新漫才コンビ」
 すかさず茶々を入れるルージュとダリアを、ぎろりと睨みつける。
(旧はやっぱり、あの二人なんだろうなあ)
 と、フェイトは一瞬考えたが口に出すことは慎む。あの二人に関する軽口は命を縮める元だ。
「ところで、そのアミーナはどうするんだい? あんた以外の誰にもなつかないんだよ」
 うに? と状況が見えていないアミーナが小さな顔に大きな疑問符を浮かべる。
「その子なら私が引き取ってあげてもいいわよ。別にペターニに戻らなきゃいけないっていうわけでもないし、あなたの家で面倒くらい見てあげるわよ」
「いいのかい?」
「ええ。そのかわり、しばらくあなたの家にいさせてもらうわよ。かまわないでしょ?」
「ああ、もちろん。アミーナ、ちょっといいかい」
 小さな顔に大きな瞳で、アミーナがじっと見つめてくる。
「僕はこれから、ちょっと忙しくなるんだ。だから、しばらくアミーナに会えなくなると思う」
「……」
 やだ、と大声で反発するかと思ったが、意外にも彼女はじっと黙って聞き続けた。
「だから、しばらく僕の姉のマリアが一緒に暮らしてくれるから、何かあったらマリアを頼るんだよ」
「よろしくね、アミーナ」
「……うん。よろしくおねがいします」
 ぺこり、と頭を下げる。そしてじっとフェイトを見つめ、がばっと抱きついた。
「大丈夫。できるだけ早く帰ってくるようにするから」
「やくそく?」
「ああ。約束するよ」
 ふう、とその様子を見ていた誰かが息をついた。
「さて、それじゃあ早速用意しないといけないね。とりあえずマリアとアミーナも城に一度来てくれるかい? 色々と頼むこともあると思うからさ」
 ネルの言葉で、臨戦態勢となった。






 それからすぐに、シーハーツ国内で、緊急に支援物資の収集が行われた。
 いつでもアーリグリフへ向けて出発できるように、ひとまずペターニに支援物資は集められることになった。担当責任者は連鎖師団【土】のノワールとなった。
 シーハーツ領内で余裕のある食糧・医薬品などが三日がかりでペターニに集められた。いつでも出発は可能な状態となった。
 そして、それを待っていたかのように一騎の飛竜がシランドを訪れた。
「リオンさん」
 アーリグリフからの使者を出迎えたのはフェイトとルージュであった。今回荷物を運搬する二人が出向いた方がいいというネルの考えだった。
「おう、久しぶりだな。お? 気づけば隣の女が変わってるな。どうした、乗り換えたのか」
【黒風】のリオンは会うなりそんなことを言い始めた。相変わらずの言動に、一瞬生まれた緊張をフェイトは解くことができた。
 何しろ『もう一つのエリクール』ではリオンの攻撃で致命の一撃を受けているのだ。たとえ相手が信頼できるとしても、あの時の痛みは明確に自分の記憶の中に残っている。緊張するなという方が無理なのだ。
「ネルとは今まで通りですよ。今回使者はリオンさんなんですか?」
「いや、俺は相変わらず使いさ。本命は後ろだ」
 すると、飛竜からもう一人の人物が降りて、服の埃を払った。
「久しぶりですね、フェイトさん」
 その男性に、フェイトは無論見覚えがあった。
 柔和な笑みを浮かべた、だが目の奥に強い意志のこもった男であった。
「ミハエルさん!」
 彼がアーリグリフの代表ということは、あのルシファー戦以後、ミハエル子爵がアーリグリフに再度士官したということだ。
 思わず嬉しくなったフェイトは、子爵の手を強く握り締めた。
「またアーリグリフで働かれているんですね」
「ああ、君に動かされたかな。私にしかできないことをしようと思ってね」
「アーリグリフの民衆のために、ですか?」
「いや、自分のためにかな。何もすることがない人生というのは、ひどく味気ないものだということに気づいてしまったからね」
 子爵が本気で政治を行うのだとしたら、シーハーツにとってもフェイトにとっても、アーリグリフにパイプが一つ増えることになる。何しろ子爵は戦争反対派だ。ヴォックスの死により肯定派が弱体化したからといって、決してその意見はなくなっているわけではないのだ。
 だが、だからといって子爵がシーハーツの味方というわけではない。彼は彼なりにシーハーツと戦うのだろう。アーリグリフを救うために。
 頼もしく、それでいて油断のならない人間が仕官したことになる。
「さて、感動の再会だが、先に仕事は終わらせてしまおう。女王陛下の所へ案内してもらえるかな」
「はい。ご案内します。こちらへ」
 フェイトとルージュが先に歩いていくと、子爵はリオンに向かって「待っていてくれ」と頼み、その後に続いた。
「ちなみにこちらの女性は?」
 一緒に並んで歩いていたルージュに尋ねる。
「はい。こちらは抗魔師団『炎』の団長、ルージュ・ルイーズさんです。ルージュさん、こちらはアーリグリフのミハエル子爵」
「はじめまして。お会いできて光栄です、閣下」
「いえ、こちらこそ。ルージュ殿の噂はこちらにも聞き及んでいますよ。全く、シーハーツは羨ましい。強く美しい女性が何人もいるのだから」
 もちろんそれはお世辞のレベルを超えないものではあったが、階級が高く、なおかつハンサムな子爵から言われて悪い気がするものではない。ルージュは満面の笑みで「ありがとうございます」と答えた。
「ところでミハエルさんはアーリグリフでは何をされてるんですか?」
 歩きながらフェイトが尋ねる。
「色々、というところですね。国内の治安も行えば、こうして外交の使節にもなります。体のいい雑用というところですか」
「雑用で国の大事を任せられることはないでしょう。それに、政務全般を行うということは、それはアーリグリフ宰相ということじゃないですか」
「いや、正式な地位として宰相は現在空位なのです。このたび新たに設立されました『政務院』という機関がありまして、国内外の政治について、内務、外務、治安、司法など全ての役所に指示を与えるという厄介な仕事をしているのですよ」
 アーリグリフ政務院。エクスキューショナーがいなくなったアーリグリフに新たに設けられた役所である。今まではアーリグリフ三軍の長がそのまま政治に参加していたのだが、これからは政治と軍事を分ける、政軍分離を掲げることとなった。
 頂点にアーリグリフ十三世がおり、その下に宰相と副宰相(現在はいずれも空位)がおり、軍事には『軍事院』を設置し議長をウォルター伯爵が務め、政治には『政務院』を設置し議長をノッペリン伯爵が務めている。なお、ウォルターは軍事院議長に就任する際【風雷】の長を降り、アーリグリフ三軍を統括する位置づけとなった。
「その政務院にはどれくらいの人数がいるんですか?」
「五人です。合議制をひいてはいますが、ノッペリン伯の他はまだ経験不足というところですね。今ひとつ要領を得ておりません。現在は政治に関する全てのことを私とノッペリン伯とでやっているという感じですね」
 おそらくアーリグリフ王の考えとして、最終的にミハエルを宰相に据えるつもりなのではないだろうか、とフェイトは感じた。あの癖のあるノッペリン伯よりも、ミハエルの方が宰相という地位に相応しいのではないだろうか。
「期待されているわけですね」
「王に期待をされても嬉しいわけではないですけどね。私は私にできることをやるだけです」
 そう言って哀しげな目をする。以前、アーリグリフのカフェで見たときの顔と全く同じであった。
 彼の心の中には、深い傷がある。それは親友を殺されたとかいうよりも、もっと大きなもの。
 たとえば、自分がネルを失う、というような。
 だが、その傷口に軽々しく触れてはならない。それはフェイトに許される行為ではないのだ。
「こちらです」
 フェイトが案内を終えて謁見の間にミハエルを通す。
「ありがとう。それではまた後で」
 ミハエルが謁見の間に入り、彼は一息ついた。
「さて、それじゃルージュさん、物資運搬の最後のツメ、しておきましょうか」
「ああ、それは私がやっとくよ。それより、フェイトくんにはやることがあるでしょ?」
 と突然言われて、彼は「やること?」と鸚鵡返しに尋ねる。
「そ。多分、今日か明日には出発するんだから、ネルと最後に会ってきなさい? しばらく会えなくなるんだし」
「いや、でも」
「いーのいーの。もうここまで来たらやることなんて誰がやっても同じなんだから。それにね、これは真剣な話」
 ルージュは突然、本気の表情を見せる。
「任務の前は、必ず恋人には会わなきゃ駄目だよ。何があるか分からないんだから、もし任務で命を落としたりしたら、どうして最後に会っておかなかったんだろうって、残された方は必ず後悔するの。分かる?」
 彼はその勢いに押されて頷く。
「だったら、きちんとやることはやってきなさい! こっちは任せてくれてもいいでしょ?」
 彼はしばらく考えていたようだったが、やがて頷くと笑顔を見せた。
「ルージュさん、ありがとうございます」
「気にしない気にしない。それじゃ、さっさと行ってきなさい。あんまり時間はないんだから」
「はい!」
 答えて駆け出す彼を見て、ふう、と彼女は一息ついた。
(羨ましいなあ)
 もし、などという言葉を使ってもいいのなら。
 もし、彼を助けたのが自分だったなら、彼は自分のことを見てくれただろうか。
 彼と初めて出会った時、既に彼の中には彼女がいた。
 私もそれが分かっていたし、あえて気にすることはなかった。
 だが、あの戦場で。
『絶対に死なないでくださいね』
 本気で心配をされて、心が動かない人間がいるだろうか。
「ま、しゃーないわね」
 縁がなかった。と、諦めるしかない。
「そういや、今のミハエル子爵って結構ルックス良かったわよね。唾つけておいた方がいいかも」
 そんなことを口に出して自分に言い聞かせているあたり、彼への想いが本気だったのだということに彼女は気づいてはいなかった。





私の子猫

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