祈り

第3話 私の子






 フェイトたちがペターニへ向かって出発した日の午後のことだった。突然の珍客が、この聖都シランドにやってきたのだ。
「ネル様、ネル様!」
 大急ぎでネルの私室に駆け込んできたのは部下のタイネーブ。だが、彼女の上司は残念ながら留守にしており、同じように彼女を訪ねてきていた二人の人物がかわりに部屋の中でお茶などしていた。
 その一人は。
「相変わらず騒々しいな、タイネーブ」
「ヴァ、ヴァン様!」
 彼女は驚いて背筋を正す。普段から接し慣れているネルと異なり、格上でありながら年長者でもあるこの人物を相手にする時こそ、彼女は一番緊張するようであった。
「お邪魔してるわね」
「あ、マリアさんも」
「なんだかおまけみたいに聞こえるけど、ま、いいでしょう」
 少し拗ねたように彼女は茶を一口含む。それを見て、この人は案外可愛いかもしれない、とタイネーブは思った。
「それで、いったい何があった、タイネーブ。随分と血相を変えていたが」
 堂々とした態度でヴァンがタイネーブに尋ねる。それが──と口にしようとしたが、一瞬つぐむ。
「封魔師団にかかわることだったか。ならば、今の質問はなかったことにしておこう」
「い、いえ。そういうことではないんです。実は、聖都シランドで乱闘がありまして」
「乱闘?」
「はい。すぐに警備隊を向かわせたのですが、一応現場責任者としてどなたか来ていただかなければなりませんでしたので」
「それならこの聖都を預かっている私が行くのが筋だろう。確かに、クリムゾンブレイドであるネル様が行くのが望ましいだろうが、たかだか乱闘程度のことでネル様の手を煩わせることもあるまい」
 この年長の人物は、たとえ相手が年下であろうと、目上の者には丁寧な態度を取る。その騎士としての高潔な精神に惹かれる男女は数知れない。
 かくいう、タイネーブもその一人だったりするのだが。
「それじゃ、私もご一緒しようかしら」
 マリアが茶碗を置いて立ち上がる。
「あなたが?」
 驚いたようにヴァンが青い髪の女性をじっと見つめる。
「いけない? こう見えても私、強いわよ」
 それはヴァンも知っているらしく、一つ大きく頷く。
「では、マリア殿にも来ていただきましょう。タイネーブ、案内を頼む」
「はい!」
 タイネーブはふり向いて駆け出す。
 ヴァンとマリアは随分と仲がよさそうだった。いったい今まで一緒に何を話していたのだろうか。
 詮索するのは野暮だと思うと同時に、少しだけ胸の奥が痛んだ。
 城を出て、中央の大通りを真っすぐに南下する。
「あれか?」
 ヴァンが大通りの真ん中にできている黒山の人だかりを見つける。はい、とタイネーブが頷き、現場への足が速まる。
「警備隊が」
 タイネーブが派遣した警備隊のことごとくが地面に叩き伏せられていた。これほどの力のある者とはいったい何者なのだろうか。
「けっ、また新手か。こんなんじゃ物足りねえな」
 その聞き覚えのある声に、ヴァンとマリアが大きくため息をついた。
「何やっているのよ、そこのプリン」
 あっさりさっくり、マリアが疲れた声を出しながらその人物に近づいていく。
「ああん? なんだ、てめえか、クソ女」
「口が悪いのは相変わらずね。その口くらい剣の腕前も上がったの、アルベル?」
「てめえ」
 不機嫌度MAXのオーラを撒き散らした漆黒将軍は剣を構えながらマリアに近づいてきた。だが、その二人の間に光牙師団の副団長が割って入った。
「やめないか。大人げないぞ、アルベル」
「てめえ、ヴァンッ!」
 その不機嫌オーラは、一瞬で敵対オーラに変化する。
「てめえにだけは会いたくなかったぜ。まあいい、ここで白黒はっきりつけてやる!」
「やめないかと言っている。戦争の時ならばまだしも、今この場でアーリグリフとシーハーツの将軍同士が戦えばどうなるか、お前だって分からぬはずはあるまい」
 ヴァンがそう言い、さらにアルベルの背後からもその意見に賛同の声が上がった。
「アルベル様、ここは敵地です。あまり、行動は控えめになさった方がよろしいかと」
 そう言ったのは漆黒の副団長にまで昇格した【黒天使】ことサイファであった。
「ちっ」
 アルベルは残念そうに剣を鞘に納めるとそっぽを向く。振り上げた拳を下ろす場所がなくて困っているだけの、ただの駄々っ子にしかマリアには見えなかった。
「それで【漆黒】の団長様と副団長様が、いったいこの聖都シランドに何の用かしら。二人とも警備隊に暴力を振るったみたいだし、返答次第ではただじゃおかないわよ」
 敵意をむき出しにマリアが目の前に立つ女性を見つめる。
「私もあなたに会いたくて来たわけではありません。アルベル様がこちらに御用がおありなので、私もお供したまでのことです」
 同じように敵意を隠そうともせず、正面からマリアを見据えてサイファが答える。
 二人の間で火花が散っているように、タイネーブの目に映った。
「ふうん? いつのまに仲間と群れることを覚えたの、アルベル?」
「てめえ」
「やめないか、アルベル。マリアさんも、あまり彼を挑発しないでください」
「ごめんなさい」
 さすがに自分でも言いすぎだと気づいたのか、マリアは素直に頭を下げる。
「で、アルベルはこんなところまで何をしに来たわけ?」
「ああ。人探しだ」
「人?」
「そうだ。あのジジイを襲った奴に用がある。ここにいるんなら出せ」
 単刀直入とはこういうことをいうのだろうか、とマリアは素直に感心した。
「仇討ちでもするつもり? でも、その子はウォルターさんを倒したわけじゃないでしょう?」
「あのジジイが殺されようが、そんなことはオレの知ったことじゃねえ。用があるのはそいつ自身だ」
 ウォルターを襲撃したことと関係ないというのなら、いったい何が理由だというのか。
「悪いけど、理由も分からないのにそんな物騒な人を紹介するわけにはいかないわね。せめて理由を教えてくれれば別だけど」
「アルベル様は、別にその方と戦うことを目的とされているのではありません」
 話が進まないのを見かねたのか、間からサイファが割り込んでくる。
「──あなたと話した方が早くすみそうね。何が目的なの?」
「はい。結論から言いますと、死人の王ロメロというものが、その方を狙っているのです」
 死人の王、ロメロ。
 その言葉だけではマリアは何のことだか全く分からなかったが、生粋のエリクール人であるヴァンとタイネーブにはその言葉の意味が分かったらしく、明らかに顔色が変わる。
「ロメロだと。あの死人の王ロメロが蘇ったとでもいうのか」
「ああ。オレとサシでやりあった」
 アルベルが平然と言うと、ヴァンはさらに呻いて頭をおさえた。
「よく生きていたものだ」
「全くだ。あいつはルシファーなんか比べ物にならねえほどの【化け物】だぜ」
 ひねくれもののアルベルにここまで言わせるのだから、その強さは推して知るべし、というところであろう。
「分からないわね。そのロメロとかいうやつがあの子を狙う理由も分からないけど、それが本当なのかという確証もないわ」
「それは、カルサアの件がからんでいるのです」
 サイファがいつもの能面で言う。
「カルサアの事件についてはもう聞き及んでいることと思います。こちらからも【黒風】のリオンが使者として派遣されましたから、正確なことも聞いていらっしゃるでしょう」
「今ひとつ要領を得ないけれどね。カルサア南西で、金色の光が走って壊滅したっていうことくらい」
「ええ。その跡地、爆心地といってもいいですが、そこに巨大な遺跡が見つかったのです。カルサアに限らず、アーリグリフには遺跡が多いのですが、新発見の遺跡でした。かなり古いものですが、今までに見つかった遺跡とは完全に異なり、全く未知の文明のもののようでした」
 サイファの説明を受けて、さらにアルベルが続ける。
「試練の遺跡。そう言うんだそうだ。ふざけやがって、俺がその遺跡に入ったら『さらに強さを求める者へ』なんて声がしやがった。あれはFDの連中が作った遺跡だ。間違いねえ」
「それで、アルベルはその遺跡を探検したっていうわけ」
「ああ。骨は折れたが、なんとか最下層まで行ったぜ。そこに変な天使みたいな奴がいやがった。そいつが言いやがった。ロメロが狙ってる奴がシーハーツへ向かった、ロメロもそれを追いかけるはずだ、ってな」
「なるほどね。それでその子が出てくるってわけ」
「ああ。それに、その天使──ガブリエとかいったか。そいつも狙ってるって言ってやがったぜ。今はまだ遺跡から出るだけの力が足りないとか言ってやがったがな。そいつも倒してやろうかと思ったんだが、まだ実体化できなかったんで後回しにした」
 それで先にロメロを倒しに来たというわけだ。しかし、よくよく無茶をする男である。
「その子を狙う理由は?」
「阿呆。俺が知るか」
 何故けなされなければならないのだろう。理解に苦しむ。
「お前の願いはそのロメロを倒すことなのだな」
「そうだっつってんだろ。もう奴はとっくにこの国の中に入ってるはずだぜ。いいからさっさと連れていきやがれ」
 どうして物事を頼むのにこんなに偉そうなのか。
「……ヴァン。ぜがひでも連れていきたくないって思うのは、私が間違っているからなのかしら」
「いえ。マリア殿がきわめて正しいかと」
 マリアとヴァンは顔を見合わせ、はあ、と同時に大きくため息をついた。
「喧嘩ならいつでも買うぞ、クソ虫」
「あのねえ。あんたがそうやって喧嘩腰で来てるんでしょ。順番を間違えないでちょうだい」
「アルベル様はこれが普通なんです。いいがかりはやめてください」
 何気にサイファが一番酷いことを言っているような気がするが、それはあえて追及しないでおく。
「まあいいわ。あの子に危害を加えないっていうのなら案内してあげても」
 マリアがそう言ってからふと思い出す。
 そういえば今朝、城内で別れてからアミーナの姿を見ていない。
 ネルの姿もなかったのだが、まさか険悪なあの二人が仲良くしているというのは考え難いことではあるが。
 その時。
「あれは!」
 城の中庭の辺りで、突如舞い上がった紅蓮の炎。
 そして、遅れて一同の下に届く爆音。
「ちっ! もう来てやがったか! サイファ、行くぞ!」
「了解いたしました」
「ヴァン、タイネーブ。私たちも行くわよ」
 マリアとアルベルが先頭に立って王宮の中庭へと駆けつける。
 もちろん、あの紅蓮の炎の正体は分かりきっている。
 ロメロが来たのだ。
(でも、いったい何のために?)
 アミーナを殺すつもりなのか。
 だが、いったい何故。
 そして、その中庭で見たものは。
「ネル!」
 全身傷ついて膝をつき、それでも後ろにいるアミーナを守ろうとして体を張っているネルの姿だった。
「無事だったか」
「ヴァン……すまない、ね」
 駆け寄ると、それで緊張の糸が切れてしまったのか、ネルが意識を失ってヴァンの腕の中に倒れこむ。
 一方のアミーナは恐怖で動くことができないといった様子だった。無理もない。技量がネル並だとはいえ、まだ精神は幼い子供にすぎないのだから。
「ロメロ!」
 アルベルが剣を抜いて、そこにいるアークデーモンと対峙する。
『ほう?』
 その死人の王が、楽しそうに笑った。
『まさか我をこの場で止めにくるものがいるとは思わなかったが、それがまさか貴様だったとはな。制約が充分に機能しているとみえる』
「んなものがなくてもてめえだけは許すつもりはねえんだよっ!」
 アルベルはそのまま空破斬を放つ。だが、ロメロは右手だけでその衝撃破を受け止めてしまった。
「なにっ!?」
『まさか、以前と全く同じ力量のままやってくるとはな。残念だが、その程度の技量で我を倒すことなど不可能』
「やってみねえと分かんねえだろうが、クソ虫っ!」
「そうね。以前はともかく、今はアルベルは一人じゃないのだから」
 と、ロメロの背後からブラスターを構えたマリアが言う。
『ぬう?』
 その声に気を取られたロメロが、アルベルに対して無防備となった。
「吼竜破!」
 アルベルの放つ、六匹の闘気の竜がロメロに次々と襲いかかる。そして、
「バースト・エミッション!」
 マリアの極太レーザーが、ロメロを背後から襲った。
 前後からの攻撃が、ロメロの体を焼き崩していく。
『ぐうっ』
 ロメロは体を回転させ、その攻撃を互いに逸らしあい、ぶつけ合うことで力を相殺させた。だが、その攻撃は確実にロメロの体力を削っていた。
『やるな。これほどの力を秘めていたとは。あなどれんな、人間』
 だが、まだ笑う余裕があった。確かにロメロはケガをしている。だが、それでもなお負けるということを考えていないようであった。
「あれをかわすなんてね」
 さすがのマリアもこれで仕留められなかったことに驚いていたが、確実に手ごたえがあったことに胸をなでおろす。この調子ならば勝てないということはない。
『ふむ。見くびっていたのは我の方か。ならば──我も最大奥義を放つ他あるまい』
 ロメロがマントを翻して、呪文の詠唱に入った。
『我招く、無音の衝烈に慈悲はなく、汝に普く厄を逃れる術もなし』
「あの魔法は、まずい! 引けっ!」
 ヴァンが叫び、マリアとアルベルが飛び退く。だが、
『メテオ・スウォーム!』
 二人に『闇』が襲いかかった。二人の体を破壊せんと飛び交う無数の闇の球体。アルベルはなんとかその攻撃を回避するが、マリアは。
「きゃああああああああああああっ!」
 回避することはできない。思わずマリアは悲鳴を上げていた。
 だが、彼女にその攻撃が届くことはなかった。
「ぐはっ!」
 その彼女の前に盾となった人物。
 ヴァン・ノックス。
「ヴァン!」
「ヴァン様!」
 マリアとタイネーブの声が響く。その声が聞こえたかどうかは分からなかったが、意識を失った彼はばたりと倒れた。
「てめえ、よくもっ!」
 闇の球体を回避しきったアルベルが逆撃の空破斬を放つ。
『その程度の攻撃で──?』
 そのとき、ロメロに変化が生じていた。明らかに、何か別の一点を注視している。
 そこにいたのは──
「アミーナ?」
 小さな彼女の髪が逆立ち、薄く色づいたオーラが彼女をまとっていた。
(あれは、何。薄く、青い気が見える……)
『目覚めたか。だが、まだ、浅い』
 ロメロはゆっくりとアミーナに近づく。だが、
「ナメんじゃないよ」
 意識を取り戻した真紅の女性──ネルが、その前に立ちはだかった。
「アミーナは渡さない。絶対にだ」
 満身創痍、という様子が彼女の姿から見てとれた。
 ロメロの力をもってすれば、今のネルなどたやすく排除できるだろう。だが、その姿を見てロメロは鼻で笑うと、身を翻した。
『いいだろう。今しばらく、貴様の覚醒を待つことにしよう。その方が我にとっても都合がよい』
 すると、ロメロの姿は闇となり、そのまま消えていった。
 目の前で起こった出来事に目を疑う。だが、すぐに意識を戻すとすぐにマリアは指示を出した。
「タイネーブ! 医者の手配を! ネルとヴァンを助けるわよ!」
「は、はい!」
「アルベルとサイファは二人を介抱して、早く!」
「ちっ」
 しぶしぶながらも行動するアルベルと、異存はあるのだろうが指示に従うサイファ。
 そして、マリアは完全に元に戻ったアミーナを見つめた。
「アミーナ、大丈夫?」
 すると、彼女は震える体のまま、マリアに抱きついてきた。
(この子──何者?)
 腕の中にいる子は小さく、か弱い。だが、ロメロが狙っているこの子には、おそろしく重大な秘密がある。それをマリアは実感した。
(守らなければ。この子を)
 マリアはこの小さな子に対して、保護者のような意識を抱き始めていた。





Wanderer at the Time

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