祈り

第4話 Wanderer at the ime






「いようフェイトッ!」
 その日の昼過ぎに到着したフェイト、ミハエル子爵を出迎えたのはこの地を警護するノワール連鎖師団長であった。だが、フェイトの後ろにいたルージュを発見した彼は途端に苦い顔になった。
「なんでお前がまだフェイトにくっついてんだよ、ルージュ。さっさとアリアスに戻って仕事しろ」
「ちょうどアリアスに帰るところよ? フェイトくんと一緒にいたって問題ないじゃない」
「こっちが必死んなって食糧かき集めてたときに、のんびりと王都で茶しばいてやがったな」
「いいじゃない休暇申請は通ってるし、仕事は王都でもきちんとやってるんだから。だいたいね、キミだって部下に働かせて自分は楽してるってクチでしょー?」
 この二人は顔を付き合わせるとすぐに口げんかを始める。それが仲の良い証拠なのだからフェイトもあえてそれを仲裁するようなことはしなくなっていた。
「ノワール殿か」
 そこへ威厳のある声がしてノワールは畏まる。もちろんその声の持ち主はアーリグリフのミハエル子爵である。
「このたびの食糧援助の件、まことに感謝する。アーリグリフはこの恩を決して忘れぬ」
「いえいえ。アーリグリフに貸しを作っておくことができるのはシーハーツにとってはありがたいことですから」
「貸しか」
 ミハエルは自嘲気味に笑った。
「今までのアーリグリフであれば、そのような恩など踏みにじって戦争を開始しただろう。それなのにノワール殿はアーリグリフを信じてくださるとおっしゃるか」
「ええ。我が敬愛する女王陛下にラッセル執政官、そしてクリムゾンブレイドに加えてフェイトまで大丈夫って言ってるんだ。信頼に不足することは何もないぜ。女王陛下の命令で必要な分の食糧はそろえてある。持ってくなら持ってきな。けど、これだけは言っとくぜ」
 ノワールは使者であるミハエルに対し、失礼にも指差して宣言した。
「俺様たちがお前らに食糧を援助するのはアーリグリフの罪のない領民のためだ! 決してお前ら権力者のためじゃねえ! そこんとこはきちがえるんじゃねえぞ!」
 本人としては凄みをきかせて言ったつもりなのだろう。だが、ミハエルはまったく意に介さず、一つ礼をして答えた。
「心得ておこう」
 さすがに年の功。若いノワールでは全く動揺させることができなかった。それどころか、その若いエネルギーを見たミハエルに微笑まれるという、まるで子供のような扱いをされている。
(役者が違うな)
 ノワールも決して能力が低いわけではない。普通の使者が同じことを言われたならたじろぐに決まっている。ミハエルだからこそ冷静に対応できたのだ。
 やはり、高い能力の持ち主である。
「ま、今日は一日ゆっくりと休んでくれや。フェイトも働きすぎてばかりいねえで、しっかり休めよ」
「ああ、分かってる」
 ノワールがそう言ってミハエルを案内していく。だがフェイトがついていかないことに、ルイーズとダリアが立ち止まってフェイトを振り返る。
「どしたの?」
 ルージュが下から覗き込むようにしてフェイトを見つめてくる。
「いや、ちょっと用事があるから、二人は先に詰め所に向かってくれるかな」
 フェイトはくるりと振り返ると、ペターニ西部へと向かって歩き出す。
「ちょっと、どこ行くの!」
「一つ、完全に忘れてることがあったんだ。ちょっと行ってくる」
「って、どこに」
「大丈夫、今日中には戻るから!」
 そういい残してフェイトは一人、ペターニの街へと繰り出していった。
 向かう先は、ギルド、及びファクトリーである。
 ウェルチと直接あって事態を確認したかったし、この間マユにはアミーナの件で迷惑をかけている。その後のフォローが必要だ。
(それにしても、とんでもないことになったよな)
 こうして一人になるとき、改めて自分の現状というものが見えてくる。
 カルサア半壊。ただごとではない何かが起こっているのは分かっている。はたしていったいそこに何があるというのか。
 彼がそうしてカルサア西部の道を歩いていた時のことだった。
 彼が通りすぎたあとの、物陰。
 そこから、白い手がすっと現れる。
 その手はゆっくりと彼の背に伸び。
「!?」
 彼の襟首を掴み、力任せに彼は背後へ引きずられる。
 喉元に服が食い込む。何が、とか思う間もない。混乱したまま裏路地へ引き込まれ、どこかの壁に押し付けられ、首元にナイフを当てられた。
 その相手を確認したとき、それが顔見知りであることにフェイトはさらに混乱する。
「く、クレ──」
「何も話すな。質問はこちらがする。お前はイエスかノーとだけ答えればいい。分かっていると思うが、何か下手な真似をしようとすれば、その瞬間にお前の喉を裂く。お前が何かをするよりこちらのナイフの方が早い。試してみるか?」
「の、ノー」
「利口な選択だ」
 自分よりも頭一つ低いその女性は、獰猛な笑みを浮かべた。
 このシーハーツには珍しい金髪ショートカットの碧眼。小さな体に、愛くるしい小顔。いつも笑顔の彼女は部隊の人気者だ。だが、今は彼女の体からは殺気と怒りしか感じられない。
 この人の新しい一面を見られたと喜んでいる場合ではない。
 虚空師団『風』の二級構成員。クレセント・ラ・シャロム。
 ペターニ領主であるシャロム家令嬢であるにも関わらず、誰にでも気をつかう心配りと彼女の見目──すなわち童顔──が、彼女を団で一番の人気者にしている。
 確かに若い。まだ二十かそれくらいのはずだ。だが、彼女の身長と童顔を見ていると、まるで十二、三歳くらいを相手にしているように感じられる。
 もちろん話す時も、私、貴方と丁寧な言葉を使っていたはずだ。決して悪し様に「お前」などとは言わない。
 何があったのか。
 尋ねようとして口を開きかけただけで、喉元にかかるナイフの圧力が変わった。
(本気だ)
 この殺気。隙あらば自分を本気で殺そうとしているということがよく分かった。
 今は彼女の言うままにするしかない。
「助かったよ。ちょうどお前が一人で行動してくれて。そうでなければこんなにうまくお前を捕獲することはできなかった」
 だが、どうにもその可愛らしい顔でそんなことを言われても脅迫らしくなくなってくる辺りがこの少女(失礼な言い方だが)の特徴だろう。
 この殺気さえなければ「何の冗談だ」と尋ねたいところだ。
「聞きたいことはお前も分かっているのだろう。私の母上を殺した奴のことだ」
(アミーナ)
 その名前が頭に浮かぶ。クレセントよりも肉体的にも精神的にも子供であるあの子のことを悟らせるわけにはいかない。いや、
(知っていて、僕を狙ってきたのか)
 そうとしか考えられない。母親を殺された怒りを、アミーナをかくまっている自分にぶつけている。そんなところなのだろう。
「私の母親は知っての通り、反乱を企てていた。その証拠も見つかった。暗殺されたという事実も重なって、大々的に葬式を出すことすらできなかった。ごく近しい人だけで行われた、寂しい葬式だった。確かにね、母は決して世間に顔向けができるようなことをしていたわけじゃなかった。その報いを受けたんだと思う。そう納得している。でもね」
 喉にナイフが食い込む。
「私の母親を殺した奴の罪はどう報いを受けるんだ? とっくにノワール様から話は聞いている。お前が白い服の暗殺者と関係があるっていうのはね! さあ、答えな! お前がかくまってるんだね、イエス、ノー!?」
 ぐぐ、と喉に食い込む。これでは話すだけで皮膚が切れそうだ。
 イエス、とかすれる声で答える。
「なら、どこにいるんだ。もちろんお前の命がかかっているんだ、答えてくれるんだろうね?」
「ノー!」
 だが。
 はっきりとした声で答える。その回答が気に入らなかったのか、見下ろすクレセントの顔は明らかに変わっていた。
「……へえ、随分とナメたこと言ってくれるね」
 フェイトは相手の隙をうかがっていたが、全く力が緩む気配はない。
「もちろん、自分の発言を後悔するようなことはないよね」
 彼女の手に力が込められた。
(殺される!)
 その瞬間、別の人間が間に割り込み、素手でナイフを掴んでいた。
「やめないか。他に誰もいない場所であれば罪を問うことも難しいだろうが、俺の目の前で殺したのではお前も捕まることになるぞ、クレセント」
 フェイトより少し背の高い青い髪の青年。
 見覚えのない顔だった。
「……どうして、ここに」
 その顔を見たクレセントは動揺してナイフから手を離す。
「お前の母親の葬儀だ。間に合わなかったが、花だけは渡してきた。いくら俺が多忙だからとはいえ、信頼する二級構成員の親の葬儀に出ないわけにいくまい。ましてやペターニ伯の夫人だ。上から葬儀に参加しないよう命令されていても、俺が出向かないとなれば問題が起こる。お前を預かっている身としてはな」
「ブルー様」
(ブルー? じゃあ、この人が)
 フェイトが唯一会ったことのない六大団長最後の一人。
 グリーテン方面の諜報担当である虚空師団『風』の団長、ブルー・レイヴン。
「行け。シャロム夫人の話は聞いている。今後、彼の身辺に何かがあればお前が真っ先に疑われることを覚悟しておけ」
 高圧的な態度というのではなく、団長として部下を叱っているという様子に見える。この人は決して悪い人ではない。
「部下が迷惑をかけた。フェイト殿」
 マントに体を包んだ剣士は深く頭を下げる。
「いえ、ですが──クレセント!」
 去ろうとするクレセントをフェイトは呼び止める。
「ごめん。君のお母さんを殺した人を僕は確かにかくまっている。でも、彼女にもきっと罪を償わせるから。だから、ごめん」
 クレセントはフェイトを鋭い視線で睨みつけていたが、やがて何事もなかったかのように歩み去っていく。
「優しいな、君は」
 少し柔和な笑みを見せたブルーに、フェイトは「いえ」と首を振る。
 クレセントの気持ちはよく分かるのだ。何故アミーナがのうのうとしていられるのか不満にも思うだろう。だが、その理由を話すわけにはいかない。
 彼女の正体も何もかもが、まだ不明なのだ。
 彼女の存在がいったい何を呼び起こすものなのか、全く分からないのだ。
 今、不確定な要素を増やすことはできない。
「クレセントは普段はああいう子ではない。だが、今のが彼女の本性だ。おそらく団の中では私以外に知っている者はいないだろう。気に入られたな、フェイト殿」
「は?」
 突然何を言うのか、ブルーは苦笑して首を傾ける。
「彼女の本性は常に隠されている。もし嫌った相手なら彼女はいつもと同じように殺気も見せず、にこやかに笑顔を見せながら君の命を絶っただろう。だが、彼女は本性を見せた。それは本当に親しい相手にしかみせない態度だ」
「……本気で嫌われているから見せたとしか思えないんですけど」
「彼女の本性を知っているのは私の他には封魔師団のファリンくらいだろう。あの二人は正規の士官訓練を受けた同期だからな」
「それで、どうして僕が気に入られたっていうことになるかが分からないんですけど」
「簡単なことだ。彼女は気に入った人間のことなら私に話す。彼女の口から出てくる人物は君かファリンか、それしかない」
「僕はクレセントさんと話したことは一度しかないんですけど」
 それも別に、ルージュの時のような切羽詰まった命のやりとりをしている時ではない。ごくなんでもない、普通の会話だった。挨拶をして、二つ三つ、とりとめのない話をしたくらいだ。もう何の話をしたのかすら覚えていないくらいの。
「クレセントにとっては、それがすべてだった」
「すべて?」
「この国の中で彼女の出自を気にせず話しかけてきたのは君とファリン、それに私。この三人だけだ。クレセントはいつも君に会いたがっていた。私の団長職にかけて明言しよう」
 うーん、とフェイトは腕を組んで悩む。そんなたいそうなことを自分はいつの間にしていたのか。
「なるほど、ネルが気をもむわけだな」
 と、突然ブルーは苦笑した。
「は?」
「いや、最愛の君がこれほどに他の女性を惹きつける。そして君はそのことに無頓着だ。たとえ君がネル一筋なのだとしても、思われている方は気が気ではないだろう。君はもう少し、ネルを大切にしてやるべきだな」
「……えーと」
 頭をかくフェイトにブルーは優しく微笑む。
「君を見ていると、まるで弟を見ているようだ」
「弟? ブルーさんに弟がいたんですか」
「ああ。封魔師団の三級構成員だった」
 だった。
 その言葉で、弟に何があったのかがほぼ正確な予測がついた。
「アーリグリフとの戦いで」
「そうだ。だから私は今回の決定が今ひとつ不満でね。弟を殺したアーリグリフなど滅べばいい──と、そこまで頭の中では思っている。それが理不尽な想いだということは理解しているからあえて口にはしないが」
 だが、そういう人物が現状で多いことには違いない。
 あの戦争は多くの人命を奪った。そしてそれは、何年かで癒えるような傷ではない。何十年、何百年と時間をかけていかなければならない問題なのだ。
「君と話ができてよかった。フェイト殿」
「フェイトと呼んでください、ブルーさん」
「では私のこともブルー、と。フェイト、今回のアーリグリフの騒乱は簡単なものではない。気をつけて行ってくるんだ」
「はい。分かりました」
 自分に兄がいたらこんな感じなのだろうか、と思う。
(僕は、彼にとって弟のかわりになってあげられるだろうか)
 微笑して立ち去る彼を見送りながら、同時にそんなことを思っていた。





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