祈り

第5話 n the Light






 アリアスに到着してすぐ、出迎えに来たクレアはルージュを連れていなくなってしまった。それで別にミハエル子爵を放っておくというわけではなく、きちんと光牙師団の者に接待をさせている。
「そういえば、リオンさんは先に帰られたんですか?」
「まあな。彼にはまず、シーハーツから食糧その他の物資が届くことを国王に報告する義務があるからな」
 とはいえ、普通にミハエルと話すのはフェイトの役割だ。隣にはダリアがちょこんと座っていて、何とも居心地が悪そうである。
 ミハエルの方はといえばすっかりリラックスムードで、饒舌というわけではないが、あれこれとフェイトの方に質問をしては深く頷いていたりする。
 何しろ、ミハエルにとってフェイトは年代や国籍をこえた、ただ一人の友である。これを喜ばないはずがない。そもそもこういう事態になればいいという願いを抱きながらこの国へやってきていたのだから。
「フェイトさんはシーハーツではどのような仕事をされているのですか?──ああ、もし国家機密とかに関わるようでしたらかまいませんが」
「いえ、きっとミハエルさんも知っている程度だと思いますよ。僕はこの国では明確な地位を与えられているわけではありません。一応、施術兵器開発所に務めてはいますけど、その仕事はほとんどしていないですね。ラッセル執政官が便宜上与えた仮の身分です」
「実際にはクリムゾンブレイドのお二方、特にネル殿をサポートするというところですか」
「そうですね」
 さすがにアーリグリフの人物を目の前にして『今はアストールさんがアーリグリフに潜入しているから』と話すことはできない。たとえ友人とはいえ、その辺りの線引きは必要だ。
「『グリーテンの技術者』という名目でネル殿が連れてこられたフェイトさんにとっては、その地位が一番安泰というところですか」
「そうなんでしょうね。僕が封魔師団に入って一級構成員になる、なんていう話もあったんですけど、さすがに反対が多くなりそうだということで取りやめになりました。僕としてもそれで助かったんですけど」
「ふむ」
 ミハエルは少し腕組みをして考える。
「ですが、その立場ではあくまで助言者であって、国の政治を左右することはできませんね」
「ええ。でも僕はそういう立場にいるべき人間ではありません。もともとこの国の人間じゃないですし」
「出自など何か必要ですか? それこそ私からしてみれば、フェイトさんには今すぐアーリグリフに来ていただいて、現在空位になっている【風雷】の長にでもなっていただきたいくらいです」
「ちょ、ミハエルさん」
 さすがにその言葉には、周りにいた光牙師団の人間から鋭い視線が浴びせられる。こんなに堂々と引き抜きの言葉をかけるとはいい度胸だ、と思われただろう。
「私にとってみれば、その方がフェイトさんと話す機会も増える。それにウォルター老はもう年です。次の軍事院議長はアルベルという話になっていますが、あのアルベルがそんな地位になりたいと思うはずがない」
 思わずフェイトは吹き出して笑う。その通りだ、彼には【漆黒】団長として戦場に立つ姿がよく似合っている。
「六大団長に死者が出ていないこの国よりも、アーリグリフの方がはるかに人材不足なのですよ。シランド、ペターニ、アリアスと見させていただきましたが、やはり国力が違う。アーリグリフのように軍事力だけ突出させても国はうまく機能しないのです。フェイトさんのような方がアーリグリフへ来ていただけるのなら、その辺りのバランスは取れるようになる」
「いえ、ですから」
「分かっています。フェイトさんがどの国をというより、どなたをお選びになるか、ということは。フェイトさんがこの星にいらっしゃるのは、ネル殿のため、なのでしょうから」
 別にひねくれて言っているわけではない。優しく微笑みながら、現実をただ話しているだけだった。フェイトは「すみません」と頭を下げる。
「いえ、私の方こそ、詮無いことを言いました。忘れてくださるとありがたい。おや、ちょうど彼女たちが戻ってこられたようですね」
 扉が開いて、クレアとルージュが入ってくる。クレアは非常に機嫌よさそうに、対するルージュは見るからにやつれていた。顔に縦線が入っているのが分かる。
「ど、どうしたんですかルージュさん」
「ふふふははは……大丈夫、大丈夫だよルージュ。私はまだ生きている、私はまだ生きている」
 明らかに別の世界にイってしまったルージュにはそれ以上かける言葉がなかった。おそるおそるクレアの方を見ると『何か?』とその笑顔で尋ねてくる。フェイトは首を振った。
(クレアさんに逆らっちゃ駄目だ)
 おそらくルージュがなかなかアリアスに戻ってこなかったことをクレアが『咎めた』のだろう。いったい何が起こったのかなど想像もしたくない。そして改めてフェイトは彼女がクリムゾンブレイドであるということを(ルージュという被害者を見て)思い知った。
「お待たせしました、ミハエル子爵。私がクリムゾンブレイドのクレア・ラーズバードです」
「はじめまして、ミハエルと申します。今回の援助の件、まことにありがとうございます」
「いえ。我々もアーリグリフには縁者のいる者もおりますし。ありていに言うと、今回の一件で私がおそれているのは、再び主戦派の方々が動き出さないかということが心配なのです」
「クレア殿のおっしゃる通りです。今は私やウォルター伯、ノッペリン伯がそれを押さえてはおりますが、何かのひずみで動き出さないとも限らない。まあ【漆黒】は下手な動きをするはずがありませんし【風雷】はウォルター伯が睨みをきかせている。そこは問題ありません。常に問題になるのは【疾風】なのですよ」
「ヴォックス公の後に【疾風】団長になられたのは穏健派のグレイ・フォーマン殿と聞いていますが?」
「あいつは飾りです。実際に今【疾風】を動かしているのはヴォックス公の甥になる副団長のラルフ・クレインという男です。事実上、現在の【疾風】はよくない。国王の制御から離れつつある。暴走するとしたらこの男でしょう」
 ミハエルは国の大事を軽々しく話しているように見える。実際フェイトやクレアにしても【疾風】の内部まで完全に把握できているわけではない。
 そうした情報をこちらに提供することで関心をかおうとしているのか。
 いや、ミハエルはそんな単純な男ではない。
「そこでお願いがあるのです、クレア殿」
「私でできることでしたら」
「やっていただかなければならない。両国の平和のために」
「平和のため、というのでしたら協力は惜しみませんわ」
 頷いてミハエルは机上に地図を広げた。このアリアスからカルサアまでの丘陵地帯の図である。
「私がラルフの立場ならどうするかと考えました。奴は知能がそれなりにある。うまく両国を戦争に結びつける方策を考える。となると、シーハーツが今回の援助の件を断ったという形を整えることが好ましい。そうすればアーリグリフ国民の感情に火をつけることは可能です」
「つまり、援助隊の待ち伏せを行うと」
「そうです。ラルフは【疾風】のほぼすべてを支配している。さすがに全軍を動かすとなればその動きは察知されるでしょうが、ラルフを中心とするメンバー、手練が十名ほど出てくるだろうと予想されます。援助物資を抱えて、満足な兵隊もなくそれを迎え撃つことはできません」
「我々の兵隊を貸してほしいということですか?」
「ええ。ですが、大々的なものになると、アーリグリフ国民からシーハーツが侵攻してくるのではないかといういらぬ疑念をもたれます。それに援助物資は足手まといになりますので、このアリアスで一度留めておいてもらいたい。つまり先発隊として援助物資を装ったシーハーツの軍隊が出向いてラルフの目を欺き、その後で本当の援助物資を送る。そういう手はずを整えていただきたいのです」
 物事がよく見えている人物だ、とクレアは判断する。フェイトからも信頼できる人物だというふうに聞いてはいるが、これほどの人材がアーリグリフにいるのはあなどれない。
「分かりました。これより光牙師団、抗魔師団の中から人選を行い、ただちに編成を行いましょう。ルージュ! いつまでもぼんやりしていないの! 仕事よ!」
「はい! もうサボりませんから許してください! 許してください!」
 ルージュは何の仕事をするのか分かっているのか、そのまま飛び出していく。
 ……本当に、いったい何があったというのだろう。
「お見苦しいところをお見せしました」
「いえ。ここは部下の管理がきちんといきとどいている証拠です。我々も見習わなければなりません。まあ、欲を言えばうまくラルフを倒してしまう方が早いのですが」
「私が直接行くわけにはまいりませんから。先ほどの彼女、ルージュをつけます。それにフェイトさんも。ああ見えてルージュはこの国でも優れた戦士ですし、フェイトさんのことはミハエル子爵もご存知なのでしょう?」
「ええ。【漆黒】のアルベルを倒した男というのは、もはやアーリグリフでは伝説の名前になっていますから」
 それではアルベルが怒るのも無理はないだろう。今回は彼に会えるだろうか。会いたいような会いたくないような、不思議な気持ちだった。
「ふふ、どこの国へ行かれてもフェイトさんは人気者なのですね」
「ええ。ぜひとも我がアーリグリフに来ていただきたい人材です。フェイトさんなら宰相の地位でも充分に務まるでしょう」
 アーリグリフ宰相。それはシーハーツに置き換えればラッセル執政官と同格ということになる。とんでもない、とフェイトは肩をすくめた。
「あら。それでしたら引き抜かれないように気をつけなければなりませんね」
 自信満々にクレアが微笑む。もちろん、ネルがいる限りフェイトがシーハーツを出ていくはずがないという自信だ。
 その時であった。
「クレア様! フェイトさん!」
 シランドにいたはずのタイネーブが、突然飛び込んできた。
「タイネーブ。お客様の前です」
「は、はい。失礼しました。緊急事態です、クレア様」
 クレアとフェイトが視線をかわす。そこに「私ならどうぞお気遣いなく」とミハエルが言ってくれたので、遠慮なく二人は席を外すことにした。
「それで、どうしたの」
 クレアの部屋に三人が移動し、声をひそめながら話す。
「はい。実は聖都シランドに魔族の襲来があったんです」
 その事実を聞いた二人の顔が青ざめる。
「魔族?」
「はい。死人の王ロメロという魔族、一体です。聖都に来ていた【漆黒】のアルベルのおかげで撃退することができたんですが」
「アルベル? アルベルが来てるって?」
 その名前にさすがにフェイトも驚く。
「はい。ロメロを追ってきたということでした。ロメロの狙いはアミーナです。アミーナをどうするつもりなのかは分からなかったのですが」
「怪我人は?」
 生粋のエリクール人であるクレアにはその存在がよく理解できていた。
「ネル様がアミーナをかばって、ヴァン様がマリアさんをかばって、いずれも重傷です。命に別状はないんですけど、私がシランドを出るまではまだ意識が戻っていませんでした」
「ネルとヴァンが……」
 クレアが顔をしかめる。そして、ちらり、と隣の青年の様子をうかがった。
 表情が変わっていなかった。
 驚いたり、怒りが見えているのなら、まだいい。
 だが、無表情は。
(……聞かせるべきではなかった)
 今後の任務に支障が出る。おそらく、既に彼の頭の中にはロメロに対する復讐心しかないだろう。
「その、ロメロとかいう奴は撃退したって?」
 フェイトが感情を押し殺した声で尋ねる。
「は、はい。ですが、撃退したというより、向こうが勝手に引いた、という感じでした。ですから、またアミーナを狙ってやってくると思います」
「そう」
 腕を組んだ体制で目を伏せる。
 クレアとタイネーブは、何も言葉にすることができなかった。
 今、彼から発せられているものはまぎれもない殺気。それも、二人が戦場ですら感じたことのない強大なものだ。
「ロメロの狙いはアミーナって言ってたけど、それは?」
「あ、はい。フェイトさんが向かわれているカルサア、その爆心地に遺跡が発見されたらしく、そこにいるガブリエという天使からアルベルが教えられたそうです。そのガブリエもアミーナを狙っているとか」
「なるほどね。同類か」
 目を開けたフェイトの顔は、まさに【復讐者】の顔であった。
「どうされるつもりですか」
「まずはカルサアへ向かいます。向こうにはリオンさんもいますから、ガブリエとかいう奴を倒したら一足先にシランドへ戻ります」
 そしてフェイトは部屋を出た。後に残された二人が、はー、と大きく息をついた。
 彼は先程、クレアにだけは逆らってはいけないと考えていた。
 だが、現実は反対だ。
(……ロメロは、この宇宙で一番怒らせてはいけない人を怒らせてしまいましたね)
 何をするにしても、ネルだけは傷つけるべきではなかった。
 ネルを傷つけるということは、あのディストラクションの力に直接攻撃されるということなのだ。
(それにしても可哀相なのは)
 一番可哀相なのは、きっとこの先で待ち伏せをしているであろう、ラルフという【疾風】の副団長だ。
 なにしろ、行き場のない怒りを全部その一身に受けることになるのだから。
 見たことのない敵の冥福を、クレアは真剣に祈った。






 そして、クレアの予感は見事に的中することになる。
 道中現れた【疾風】たちに何も発言させず、フェイトは剣を持って一気に踊りこむ。
 鬼神のごとき活躍ぶりは、傍で見ていたダリアやルージュをすら怖がらせたほどだ。
 全部で十三体の竜と、十二体の人の躯が大地に倒れている。
 その人数以上の光牙師団、抗魔師団のメンバーがそこにいたが、実質その【疾風】の半分以上はフェイトの剣によって倒されていた。
 最後に生き残ったラルフが、地面に腰を落として「助けてくれ」と哀願している。
「助けてほしいのか?」
 ぶんぶんと頷くラルフの前で、力を溜める。
「だったら始めからこんな姑息な罠を仕掛けるな!」
 フェイトのリフレクトストライフがラルフを十メートル以上弾き飛ばした。その最後のシーンを見たダリアが身を震わせる。
「ふぇ、フェイト、強い……」
 ダリアの呟きに、ルージュが抵抗もなく頷く。
「ルージュさん。【疾風】たちをアリアスへ運ばせてください。ミハエルさん、かまわないですね」
「ええ。いっそ殺してくれると助かりますが、まあそういうわけにもいかないでしょう。あとはウォルター伯あたりにアーリグリフ騎士の剥奪を行わせて、犯罪者として引き取る手はずを取ります。とにかく今は、援助物資を運ぶのが先です」
「そうですね。急ぐ理由もありますし、援助物資はシーハーツ軍に任せて、僕たちは先に行くことにしましょう。ルージュさん、ダリア。急ぎましょう」
 はあ、とルージュはため息をついた。
 今のフェイトはいつもとは違う。殺気に満ちて、触れたら切れそうな雰囲気だ。
(可愛いっていうイメージが強かったけど、やっぱりカッコイイんだなあ……)
 自分より年下ではあるが、シーハーツの中で誰よりも魅力的な男だ。
(やっぱり、ネルが羨ましいな)
 たとえ自分が怪我をしたところで、ここまでフェイトは怒ってはくれないだろう。
 それが少しだけ、妬ましかった。





愛の希望

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