Singles-α
第2話 Moon Shine Dance
リードは仕事部屋に戻ってくるなり、副官のミレトスに出発の準備をするように命令しようとして絶句した。既にそこには準備万端整えていたミレトスが待ち構えていたからだ。
「どういうつもりだ」
「どうもこうも。司令長官と人払いまでされて話し合いをされては、閣下が宇宙に飛び立たれることは自明の理というものではありませんか」
「たかが人払いくらいでおおげさな、と言いたいところだが今回はお前の勘が当たっているようだ」
「実は勘ではありません。あらかじめ司令長官から連絡を受けておりまして」
なんだ、とリードは正直な感想をもらした。
「艦の連絡も届いてますよ。最近連邦軍が力を入れて作っている最新鋭艦のモデル艦ですね。この一隻で新鋭艦が十隻は買えますよ」
「一隻あれば充分だ。艦名は?」
「『フェアリーテイル』だそうです」
「『おとぎ話』? 随分と妙な名前をつける」
まあ艦名に文句を言っても始まらない。どのみち名前が艦の命運を分けるわけでもないのだ。
「クルーたちに連絡しておけ。出発は今日の夜だと」
「はい」
「それからクルーたちの略歴についてリストアウト」
「完成してます。ただ、艦長が決まっておりません。閣下が兼務なさるかもしれないからということで、ヘルメス司令長官からはその人事だけが決められないまま名簿だけが送られてきました。こちらが艦長資格のある人物のリストです」
リストを受け取りながらリードが答える。
「艦の仕事はパスだ。俺はヴィスコム提督みたいに自分で艦を動かしながら指揮ができるほど器用じゃない。ま、五人までなら好きに連れてっていいって言われてるしな。お前を入れてもあと四人連れていけるわけだし、優秀な艦長を選ぶことにしよう」
リストには現在動ける艦長として二十名ほど名前が並んでいた。誰も面識のある人物はいない。
「では、バルマン大佐でよろしいですか?」
ミレトスがそう言うと、彼も苦笑する他はなかった。
「おいおい、俺はまだ何も言っていないぞ」
だが、このリストを見る限りそれしか選択肢はないようであった。
セイゼル・バルマン大佐。七年前のアールディオン戦でも戦闘機に乗り込み、敵空母を撃沈したというおそろしい腕前の持ち主である。また、艦行動のシミュレーション大会では必ず上位に顔を見せている。おそらくヘルメス司令長官も、使うのなら使えということなのだろう。わざわざリスト化したのは、自分に選ばせるためということか。
「ではバルマン大佐に連絡をしておいてくれ」
「了解しました。ですが、今夜突然出発ということになりますが、早くはないですか?」
「連邦の命運がかかっている。別れを済ませたい奴がいるなら早くするように伝えろ。もしそれで断られるようなら残りの十九人の誰でも同じだ。お前に任せる」
「分かりました」
「お前こそ、誰か別れを伝えておく奴はいないのか?」
試すようにリードはミレトスに尋ねる。
「私の彼女は私のことを理解してますから。もうメールを入れておきました。宇宙に出るからしばらく会えなくなると」
「そうか。お前にも迷惑をかけるな。嫌ならついてこなくてもいいんだが?」
「勘弁してください。私はもう、閣下の傍以外で働くつもりはありませんよ」
「そう言ってくれると助かるな。お前ほどの優秀な副官はいない」
「その言葉だけで充分です。あ、それから仕事が終わったらまた食事をご馳走していただけるなら」
「それくらいなら安いものだ」
どのみち高給取りなのだ。別に食事の一回や二回、何もなくても連れていっている。
「ところで、その間閣下は何をされますか? やはり彼女と別れを?」
「てめえ俺に彼女がいないこと分かって言いやがったな」
そう言ってすごむとミレトスは「申し訳ありません」と頭を下げた。
「ではどちらへ?」
「第五宇宙基地だ」
「第五」
もちろんその言葉の意味が分からないような副官ではない。
「ムーンベースに何の用ですか?」
「今回の件の重要参考人だ。おそらく何人か同行させることになるだろう」
「フェアリーテイルに客室を用意させます。何人分ですか?」
「それは向こう次第だ」
ムーンベースの紋章遺伝子学研究所。別名、ラインゴッド研究所。銀河連邦の独立機関である『紋章術研究開発委員会』の一部署である。
おそらく、今回は銀河連邦の本拠地である地球、特にその衛星である月、ムーンベースは戦場になるとリードは考えていた。
何しろラインゴッド研究所には生体兵器を作った実績がある。つまり、その技術をバンデーンなりアールディオンなりが奪いに来るということが充分に考えられるのだ。
特にバンデーンの動きには注意しなければならなかった。二つの宇宙基地をパスして直接ハイダを叩いたその行動を見るかぎり、こちらの油断や怠慢があったのではないことは明らかだ。おそらくはバンデーンはこちらのセンサーを回避できるような、特殊な磁気カーテンを持っているのだろう。
基本的に連邦軍の哨戒活動は磁気レーダーを使って行う。もちろん質量レーダーやエネルギーサーチなども使っているが、その射程距離は短い。セクターをまるごと覆うだけの哨戒を行うには磁気レーダーしか方法はない。
それをくぐりぬけてくるということは、その磁気をこちらに確認させない特殊なフィールドを形成しているとしか考えられないのだ。
だとすれば、その磁気カーテンを利用して音もなく地球まで近づくことも不可能ではない。もっとも太陽系まで入り込んでくればエネルギーサーチに引っかかるのだが。
防衛省の宇宙基地管理局の連中が泡を吹いているのが目に見えるようだった。今回のハイダ襲撃、おそらく責任者の首のすげかえが行われるだろう。防衛大臣の更迭もありうる。
それはともかくとして、リードには一つの疑問があった。
それを解決しなければ、宇宙へ飛び立つわけにはいかない。
──何故、生体兵器などというものを生産しなければならなかったのか?
身近に科学者などというものを見て育ったせいか、科学者の倫理観の欠如についてはよく分かっているつもりだった。
だからこそその疑問は生まれた。自分の子供を実験に使ったというのは人間として分からない心の動きではない。だが、科学者にはそれがあてはまらないのだ。誰でもかまわないからとにかく生体兵器を生産するという方向に動くのが科学者だ。
(リョウコ・ラインゴッド、か)
あまり、会いたくない相手には違いなかった。
そういうわけで、リードがムーンベースを訪れたのは当然のことであった。
何をするにも情報は必要である。情報の重要性を知らないようでは幕僚総監などやっていられない。それどころか三十一歳という異例の若さで大将にまで出世することなどできるはずもない。
今回情報を収集する相手には既に目星をつけている。ロキシ博士の右腕とまで言われた人物、ラインゴッド研究所の副所長の地位にいる、クライブ・エスティード博士だ。
クライブ博士は本来四次元壁についての研究を専門に行っており、四次元壁を超えようとしたときに発生する時空震についての研究論文をいくつも学会に提出している。
おそらく彼ならば、ロキシ博士がそこまでして何をしたかったのか知っているはずだ。生体兵器の作成など、銀河連邦の保護下で研究している一職員ができるはずがない。これはおそらく、組織ぐるみで生体兵器の研究を行ったに決まっているのだ。
リードがラインゴッド研究所を訪ねると、そこには十名からの所員が詰めていた。受付に身分と階級を名乗り、クライブ博士への取次ぎを願う。だが、さすがにアポイントなしでは取り次ぐことはできないと、月並みな回答を言い始めた。
もちろん、こういう場合の対処方法も月並みだ。
「これは軍事的に作戦活動を妨害することにあたる。残念だがどうしても取り次いでもらえないというのなら、貴様の身柄を確保することになる」
さすがにそこまで言われて動かない受付はいない。すぐに副所長の下へ行く。二分とかからず案内が出た。
だいたい幕僚総監といえば軍で五本の指に入るほどの役職なのである。それが単身ここまで来ているのだから、よほど重要事が起きているのだと理解してもらいたいものだ。
いや、重要事が起きているのはこのラインゴッド研究所でも同じのはずだ。何しろ、当の所長、ロキシ博士がバンデーンに捕らえられているのだから。もっとも、そのような重要機密まで研究所の所員が把握しているとも思えない。おそらくは襲撃にあい、行方不明となった。そのあたりで情報は止まっているのだろう。
「お待たせいたしました。クライブ・エスティードです」
あらわれたのは白衣に眼鏡の痩せた長身の男であった。さらにはその後ろにふっくらとした麗しい女性の姿もあった。
「キョウコ・エスティードです」
二人の略歴は把握している。クライブはラインゴッド研究所立ち上げからのメンバーで、キョウコはリョウコ博士の大学時代からの友人であり、優秀な外科医とのことだった。
「俺は連邦軍幕僚総監のリードと言います。突然の来訪についてはご容赦ください。こっちも先程状況を知らされたばかりなんですよ」
自分より年上の博士に向かって生意気な口をきく。それは分かっているのだが、この口調は誰に対しても同じなのだ。いまさら猫かぶりもできない。
「というと、ロキシの居場所が?」
「ええ、判明しました。どうやらバンデーンに捕われたようです」
やはり、とクライブは肩を落とす。
「娘は無事でしょうか」
キョウコが心配そうに尋ねてくる。
「残念ですが、そちらは現在捜索中です。まあ、捜索が続けられてるってことは生きてるのはほぼ間違いないでしょう。こういう言い方で悪いとは思いますが、今回のバンデーン襲撃のために亡くなった方は判明してるんで」
「ですが、必ず無事という保証もないのでしょう」
「俺の過去の経験から行けば死んでるってことはないと思いますが。何しろバンデーンにはお嬢さんを狙う理由がない。バンデーンが狙っているのはロキシ博士と、その息子さんだけでしょう」
クライブとキョウコは目配せする。その動作に、何か不自然なものを感じた。
「フェイトくんが」
「ええ。隠さなくてもかまいませんよ。フェイト・ラインゴッドという少年が生体兵器であるということはこちらは承知の事実です。もっとも、軍でもそれを知らされているのは五人程しかおりません。それと、ここで話したことについて、お二人に迷惑がかからないことは俺が保証しますよ。どんなことを聞いても上に報告もしなければ、誰にも話したりはしません。だから一人で来たんです」
その言葉に二人は少し安心した様子を見せた。
「俺が知りたいのは真実だけです。何故、ロキシ博士は生体兵器などを作ろうと考えたのか。そして、バンデーンがそれを狙っているのは何故なのか。教えていただけますか」
クライブは頭をひねり、どうしたものかと悩んでいる様子だった。
「閣下。私ども研究者があまり好感の持てる存在でないということは理解しているつもりです。おそらく閣下の目から私たちは、倫理観の欠如した非人間的な所業をしているように思われるでしょう。ですが、私どものしたことは、他に方法がなかった、唯一の方策だったということを了承していただきたいのです」
「了承しましょう。というより、倫理観が欠如しているなどとは言わなくても結構です。我々軍人は人の命を奪ってるわけで、その意味では我々の方が倫理観など欠如してますよ」
苦笑しながらリードは答えた。
「そうおっしゃっていただけると幸いです。くれぐれも、このことは他言無用に。特に連邦首席に知られるわけにはいきません。かえって余計なパニックを生むおそれがある」
「パニックというと」
「お話します。我々が惑星ストリームで調査したときの結果について」
その単語が出たとき、リードは言い知れぬ不安を覚えた。
惑星ストリーム。そこにあるオーパーツ、タイムゲート。その建造物は誰が、何のために建設したのかは全く分かっていない。その建造物には意思があり、選ばれたものは時間を移動することができるという。
「惑星ストリームの調査ですか。聞いてしまうと俺も後戻りできなくなりそうですね」
「ですが、閣下はそれを覚悟でいらっしゃったのでしょう」
「違いない。教えてくれますか。その調査結果とやらを」
「ええ。ただ──」
一度クライブは言葉を区切る。
その額に汗が浮かんでいるのが分かった。もちろんこの場所はきちんと冷暖房完備である。普通にしていれば汗などかくはずがない。つまり、それだけ彼が緊張しているということであった。
「正確には調査というわけではないのです。それは、宣告、と呼ばれる類のものです」
そして、クライブは語り始めた。
惑星ストリームでタイムゲートが下した宣告。それは、この世界の滅びを予言するものであった。
禁断の科学、紋章遺伝子学に手を染めた銀河系人類は、もはや神々が座視するわけにはいかないほど知恵をつけてしまった。
それを聞いたリードの感想は二つであった。
一つは、クライブがこれを本気で言っているのかという疑念である。だが、こんなことを言うことに意味はない。クライブが──というより、惑星ストリームの調査にあたったメンバーがこれを本気で信じているということは間違いないようであった。
そしてもう一つは、これが現実に起こりうる問題なのかということだ。単なるタイムゲートの気まぐれなのか、それとも本気でこの世界は滅びに向かうのか。その判断がつきかねるということだ。
「失礼だが、タイムゲートの虚言ということはないんですか?」
「おっしゃることはよく分かります」
クライブは静かに、だがはっきりと答えた。
「私どもも自分の聞いたことを疑いました。ですが、あのタイムゲートの宣告には、真実である、と信じ込ませる魔力のようなものが込められていたように思います。本当に世界の滅びがあるかどうかは分かりません。ですが、私どもはそれを信じているのです」
「なるほど。それで世界の滅びを救うという方向に思考を働かせたということですか。だとしたら、クリエイションエネルギーを上回るほどの力を持つ生体兵器の創造、という結果に結びつくのがよく分からないんですが」
「私を訪ねられたのでしたら、私の研究内容などもご存知でいらっしゃるのでしょう」
「ええ。四次元空間の研究、でしたか」
「その四次元空間に、この銀河系を含めた全世界の、創造主、に該当するものが存在するということが調査の結果、判明したのです。私どもはこの存在を、FD人、と名づけました」
Humanoid of Four-Demension。フォー・ディメンジョン。四次元人、という意味である。
「四次元人の存在は脅威です。銀河連邦の最新鋭艦でも、奴らにはかないません。何しろ敵は、神、創造主なのですから」
「それを倒すための生体兵器だと?」
「そうです」
「それがフェイト・ラインゴッド少年というわけか。なるほど。ようやく話が見えました」
リードが納得する。この世界を守るためというのなら、フェイト・ラインゴッドの捜索にヴィスコム提督自ら出向いた理由も納得できる。
「この件は連邦首席はご存知ない?」
「ないはずです。我々が意図的に流した情報は、紋章遺伝子学を使って生体兵器を作った、ということだけです。それも二十年近くも前のことです。それ以上の情報がヨーゼフ首席にあるとは思えません」
ということは、ヘルメス司令長官のもとに届いている情報もそこまで、ということになる。知っているのは科学者たちと自分だけということだ。
「なるほど。パニックをおそれる理由は分かります。と同時に、ロキシ博士が考えたもう一つの理由も分かります」
もう一つ、情報を制限した理由。それは、世界の滅びなどということを大々的に広めたとしても、それを信じる者はおそらく一人としていない、ということだ。誰にも信じられず、かといって危険視されるくらいならば、自分たちだけで解決しようと考えてもおかしくはない。
「ですが、私どもの抱えている秘密はそれだけではないのです」
クライブはさらに付け加えて言う。
「お願いです、閣下。どうか私どもの娘、ソフィアを無事に保護願います」
「娘さんを?」
その願いだけで、リードの頭の中で明確に形作られるものがあった。
「ああ、なるほど」
さすがにこの辺りはヘルメスにも誉められた分析力であった。
「つまり、生体兵器は一人だけではない。あなたのお嬢さんも、その対象だということですね」
苦しげに、クライブは頷いた。うっ、とキョウコが涙ぐんで俯いた。
Movin' on Without You
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