Singles-α

第7話 J






「そちらこそ、旧姓で呼ぶのはやめてくれる? こう見えても私、人妻だから」
 始めから勝負になっていなかった、と言ってもいい。冷静さを取り繕い、再会した瞬間から必死に抵抗しているリードに対し、あくまでも余裕たっぷりで笑顔を見せるリョウコとでは、どちらの方が優位な立場かは容易に判断がつく。
 彼は、若くして成功を収めた人間にとっては珍しいことだが、自分を才能があると考えたことは実のところ一度もない。もちろん他人より着実に成功をおさめているが、それは決して奇をてらったことをせず、基本を忠実にこなしているだけのことだ。そしてそれは、自分に才能がないからこそ余計に基本を忠実にしているともいえた。
 自分が才能がないと自分自身に信じ込ませるきっかけとなったもの。それが、この目の前にいる蒼い髪の悪魔のせいだ。
「貴様のような魔女を捜索に来なければならないとは思わなかった。二度と会うことはないと思っていたが」
「そう? 私はまた会えて嬉しいわよ、リーくん」
「いい加減にしないとその口を引き裂くぞ、ラインゴッド」
 それを聞いたリョウコがまた微笑んだ。二十年近くも昔に見たままの笑顔だった。
「言い直してくれたわね。でも、駄目。そうね、昔みたいにファーストネームで呼んでくれたら考えてあげてもいいわよ」
「昔の話だ」
 リードは吐き捨てて一度視線を逸らした。
 それ以上見ていると、悪魔に魂を奪われる気がしたからだ。



 二人は大学に入る前、恋人同士と呼ばれるに相応しい間柄であった。
 口付けをかわしたこともあれば、ベッドで一夜を共にしたこともある。
 だが、常に優位に立っているのはリョウコの方で、リードはただ彼女に従っているだけであった。
 そして、学年が上だった彼女の方が大学に入って間もなく、二人は別れた。
 一方的に、別れ話をつきつけられた。
 理由は、彼女に新しい想い人ができたということ。
 その相手がロキシ・ラインゴッドであった。
 話を聞いたとき、完全に心を奪われていた自分にとってはあまりに苦しい現実を見せられる形となったが、同時に安心している自分がいた。
 彼女とは確かに恋人同士だったかもしれないが、自分は彼女にとって大切な相手というわけではなかった。自分という存在を使って恋愛を疑似体験しているようなところがあった。
 きっと結ばれることはないだろうという思いが自分の中にあったが、それを彼女の前で口にしたことはない。ただ彼女が幸せであればいい、と当時は願っていた。
 だが。
 逆に別れてから彼女のことがはっきりと見え出すようになってきていた。
 蒼い髪の悪魔の魔力が解けてきたのかもしれない。
 彼女は決して、感情というものを持たない。
 親しい人間同士でも完全に猫を被りきり、相手に悟らせることをしない。
 そして、どんなに残酷なことでも実行し、ためらわない。
 彼女に魅入られた者は誰もが虜になり、そして人生を狂わせられる。
 男をたぶらかすようなことがないのは幸いだったが、人の命をもてあそぶようなところは多分にあった。研究者としての性だろうか。いや、これは彼女自身の性だろう。
 実験のために人の命を使うこともいとわない。
 もちろん、それを公にするようなことはないが、隠れてやることくらい彼女にしてみれば容易なことだろう。それで良心の呵責を覚えるようなこともない。
 彼女はただ、自分ができることを黙々とやるだけなのだ。



「私にとっては、大切な思い出だけれどね」
 くす、と笑う彼女の顔はできるだけ見ないようにする。
 また、彼女に呪いをかけられるわけにはいかないのだ。
「年下をもてあそんだだけだろうが」
「あら、あなたのことは本気だったわよ? ただ、それ以上にロキシに惹かれただけで」
「ロキシという男を哀れに思う」
「どういう意味かしら?」
 にっこりと微笑みながら怒る。こういうところも全く変わってはいない。
「不毛だな。そんなことを話に来たわけではない」
「そうね。あなたが来たっていうことは、銀河連邦が動いているってことだものね」
「そうだ。お前に聞きたいことがあったから来た。意向はヘルメスのものだが、ここから先は俺自身の意思だ」
 リョウコは頷いて尋ねた。
「FD人のことね」
「それもある。だが、その前に白黒はっきりさせたい」
 この悪魔を相手にする前に、自分も覚悟を決めておきたい。
 このままずるずると、この人物が灰色のままにしておくのは、自分が不利になる一方だ。

「バンデーンのハイダ襲撃は、お前の仕業か?」

 少しの間。
 そして、ふ、と少しだけ息を吐き出したリョウコが楽しそうに「どういうこと?」と尋ね返してきた。自分で分かっているくせに、この悪魔は平気でそれを悟らせないように繕う。
「簡単なことだ。息子であるフェイト・ラインゴッドの覚醒を促すために無理に息子をハイダまで連れ出し、その情報をバンデーンにリンク、ロキシとフェイトがいるということを伝えて襲撃を呼び込んだ」
「バンデーンとハイダの間には宇宙基地があるのよ? たとえそう考えたとしてバンデーンが素直に動くかは賭けじゃないの?」
「だからこそだ。バンデーンは奇襲でハイダを攻撃するだけの科学力がある。それに、バンデーンにしてもロキシ・ラインゴッドを襲撃するために遠征できるぎりぎりのポイントがハイダだろう。何しろ、セクター一つ分だ。だが、一度奇襲したことが銀河連邦に伝わってしまえば、そこは連邦のテリトリー内だ。バンデーンを袋叩きにできる。そこまでを見越してハイダを選んだのだろう」
「随分と私を高く評価してくれているみたいだけれど、偶然の一致よ。それに、そんな危険なことをしてあの子が万一死んでしまったら意味がないでしょう?」
 論破できる? とでも聞いているかのような笑みであった。確かに自分の推論が正しいとするならば、この悪魔は自分の息子が命の危険にあうことを了承したことになる。だが、バンデーンの狙いがあくまでフェイト・ラインゴッドの身柄の拘束にあるのだとしたら、彼を死なせるようなことをバンデーンがするとも思えない。
 よほど運が悪くない限りは死なない。そう見越しての行動のはずだ。
 最悪の場合、彼女は他人の命だけではない、自分の命ですら有効に利用する。自分が囮になることによって息子の覚醒を促そうとしたのではないか。
 いやむしろ、自分は助かり、ロキシを犠牲にすることによって覚醒を促すのでは。
 蒼い髪の悪魔は何も悟らせない。ただ口元を微笑ませ、自分を見つめてくる。
(──悪魔め)
 心の中で毒づき、その件に関して追及するのはそこでやめることにした。どのみち、今の自分の推論は半ば正しいのだ。
 もしも彼女がこの事態を憂いているのなら、真っ先に自分の息子の安否が気にかかるところだろう。そうならないのは、彼女の掌の上で全てが進行しているからに他ならない。
「リョウコ・ラインゴッド博士には銀河連邦本部に来ていただく」
 口調を変えるが、リョウコは変わらずに微笑む。
「これは要請ではない。命令である。文句はないな?」
「ありすぎるくらいだけどかまわないわよ。リーくんも仕事だもんね」
 こめかみをおさえ、苛立ちをこらえる。
「先に確認しておきたいことがある。まず、フェイト・ラインゴッド、ソフィア・エスティード、及びマリア・トレイターの力についてだ」
「ええ、かまわないわよ」
 彼女は、こほん、と一つ咳払いをしてから説明を始めた。
「クライブたちからある程度はもう聞いたんだとは思うけど」
 そう前置きしてからリョウコが説明する。さすがに自分で発明した紋章だけにその内容も詳しいものが説明された。
 ソフィアのコネクションはあくまで世界間をつなげるものでしかない。リョウコはあくまでFD世界に行って決着をつけなければこの世界の存続はないと考えている。だからFD世界に行き、そこで戦わなければならないのだ。コネクションはそのための移動手段だ。
 FD世界に行くためにはたとえコネクションがあってもそれだけでは意味をなさない。FD世界へ移動するための『扉』が必要になる。それが惑星ストリームのタイムゲートだ。
 このソフィアのコネクションは単に世界をつなげるだけのもので、力というものは全く必要ない。そのため、フェイトやマリアの力の影響を受けることはない。単純にタイムゲートの前まで行けば自然に力が発動するように細工はしている。もちろん、FD世界に行ってなぶり殺されるというのでは意味がない。必ず傍にフェイトとマリアがいることが条件だ。
 したがって、この世界を滅亡から救うには、フェイト、マリア、ソフィアの三人がそろってタイムゲートまで行くことが必要となる。
 そのマリアの力はアルティネイション。物質を変化させる力で、彼女の存在が彼女の仲間たちを守り、FD世界に行ったときに普段と変わらぬ行動を取ることができる。
 彼女の一番の問題はその力がきわめて制御しにくいという点にある。よほど精神を集中しなければその力を使いこなすことはできない。もっとも、FD世界にさえ行ってしまえば彼女の力は十二分に発揮できる。問題は、力を発動するまでだ。
 もっとも、その点についてはリョウコは心配していない。何故なら、
「私の娘ですもの。多分、あの子の育ての親が亡くなった時にでも目覚めてるんじゃないかしら」
 と、適当に答える。それが当たっているかどうかはともかく、既にマリアは目覚めているだろうというのがリョウコの見解だ。
 そして最後にフェイトのディストラクション。この力をうまく使いこなさない限り創造主を倒すことはできない。
 我々三次元世界に生きている者は、四次元世界を生きるFD人たちによって造られたのだ。だから、はじめから創造主である神に逆らうことができないようにプログラミングされている。
 だから本来人間が持つ遺伝子の構造を操作し、神に逆らうことができるように制限を解除したのがフェイト・ラインゴッドという青年なのだ。そしてディストラクションの力を使えば創造主と互角以上に戦うことができる。
「あの三人がうまく出会ってくれるかどうかが一番の問題ね。で、リーくんにはその居場所はある程度見当がついてるんでしょ?」
「ああ。だが、単純な話、FD人たちと戦うことができる力というのなら、それを大量生産できないのかとは考えた。そしてお前なら充分にやりかねないしな」
「もちろんできないわよ。あの子たちの力は人命が使われているんですもの」
「ああ、そうだったな。クライブ博士から聞いた。そしてもちろん、三人の部下を『殺した』のはお前の指示なのだろう?」
 さすがにそれにはリョウコも驚いた様子を見せた。
「私の?」
「そうだ。それ以外には考えられん。世界の滅亡を知った者が自殺だと? 不自然だな。お前は最初から必要な紋章遺伝子が三つであるということが分かっていた。それを子供たち、フェイト、マリア、ソフィアに埋め込むことも考えていた。だが、そのためには人命が必要だった。だからその被験者として自分の部下を使った。自殺が先にあったんじゃない。最初に人の命を奪わなければ実験は完成しないという事実があったんだ」
「でもねえ」
 うーん、と悩んだリョウコは困ったように右手の人差し指を顎につけて、困ったポーズを取る。
「あの子たちのことは正直困ってたのよ。口を開けば真実を公表するってきかないし。そんなことしたら混乱を招くだけでしょう? だから監禁することにしたんだけど、そしたら全員死んじゃったし」
「それが部下を殺した理由か。その前に歳を考えろ」
 困ったポーズを指摘されてリョウコはふくれた。
「いいじゃない。かわいいポーズは若い娘の特権なの?」
「お前みたいに外見だけは若いくせに実際の年齢が高いのは詐欺というものだろう」
 むー、とふくれる。本当に、こういう仕草は子供のそれと全く変わらない。子供がそのまま大きくなっただけだ。しかも、悪魔の知恵を身につけて。
「失礼ね。とにかく、あの子たちは自殺した。それがすべてよ。どんなに調査したところでそれ以外の結果なんて見つからないんですからね」
「そうだろうな。何しろお前が情報を操作したんだ。見つかろうはずがない」
「だからあ」
 結局、この女の本質は変わっていない。目的のためには手段は選ばない。実験のためには部下も殺す。自分が生き残るためには子供も利用する。キョウコは倫理観が強くないと表現したが、この悪魔にはそんなものは存在しない。あるのはただ、知的好奇心、それだけだ。
 もっとも、こういう人物でなければ世界の危機と戦うことはできないのかもしれないが。
「いずれにしてもその件に関する確認はさせてもらう、ラインゴッド」
「別にかまわないけどー。ところで、クライブとキョウコはどうしたの? あの二人には話を聞いたみたいだけど」
「ああ。話を聞いた時点でお前が何をしようとしていたのかはすべて分かった。今は俺の船に乗っている。一緒の船に乗るのだから後で会うといい。もっとも、あの二人は黒幕の存在に気づいていないようだがな」
「黒幕?」
「コネクション、アルティネイション、ディストラクション、三つの力について裏で何が行われたのか。そしてこのハイダ襲撃が他の誰も知らないお前の独断で行われたということ、いや、ロキシも共犯かな。何しろあのクライブ夫妻はお前と違って実に子供想いだ。もし娘の身に危険があるというのなら、一緒にハイダまでは行かせなかっただろう」
「私が黒幕だっていうの?」
 さすがに言いすぎだという様子を彼女は見せる。だが、これまでの話の結果をまとめるとそういう結論にしかならないのは自明だ。
「違うとでも言うつもりか、魔女。だいたい話の内容は分かった。この世界を救うために、お前ならどんな非道なことでもやってのけるだろう。他人も、子供も、夫も、全てを犠牲にしてまるで悲しむこともない。それを責めるつもりはない。お前はそういう女だ」
「ちょっと、それは言いすぎなんじゃないの」
「言いすぎなものか。それより、俺が気になるのはその先だ。お前がそこまでしてこの世界を守ろうとするのは何故だ。生き延びたいという意思をお前からは感じない。何か別のたくらみがあるように思える。もちろん単に、この世界を救いたいなどとお前が思っているはずがない。お前の目的はどこにある? 確かに惑星ストリームでFD人から告げられた内容は他の研究者にとってはショックだったろう。だが、お前の真意が見えない。FD人を倒してお前は何がしたいのか。何故FD人を倒したいのか。それが知りたい」
 ふう、とリョウコはため息をついた。
「何か、随分とひどいことを言われている気がするんだけど。でも、魔女っていう響きはいいかもね。確かに私によく似合う」
 気に入ってどうする、と毒づきたかったが調子に乗せるのも嫌だったので、あえて追及はしない。
「そうねえ、何が理由かっていえば、あまり理由はないんだけど、しいていえば」
 それでもリョウコは相手をからかうように笑った。



「この世界を救いたかったから、というのでは駄目?」





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