Another Fate

第1話 IN ILENCE






 そして、彼は目覚めた。
 周りで歓声が起こったが、彼が一人だけきょとんとしていた。
 クリフがその首にヘッドロックをかけ、ネルは涙目になってその手を取る。ミラージュがほっと一安心し、ディオンとアミーナが手を取って喜び合う。
「ったく、あれからまた一日も寝こけやがって、この野郎!」
 クリフが容赦なく首を絞める。
「ちょ、クリフ、苦しい」
「よかったです、フェイトさん」
 ミラージュも微笑んで彼を見る。
「あ、ミラージュさん」
「あ、じゃねえよこの野郎」
「っていうことは、ミラージュさんに助けてもらったってことなのか?」

 ?

 全員の顔に、疑問符が浮かぶ。
 何か、彼と周りとの会話がかみ合わない。
「まさかとは思うけど」
 ネルが近づいて彼の顔を覗き込む。
「フェイト」
「え、あ、はい」
 その美人を目の前にしたフェイトは、突然の接近に顔を真っ赤に染めた。
「私の名前が、分かるかい?」
「おい、ネル。そりゃいくらなんでも」
 だが、ネルは全く耳を貸さない。フェイトの表情の動きだけをじっと見続けている。
「えっと、すみません。初めて……ですよね」
「やっぱりね」
 一度、ネルは少し後ろに下がった。
「おい、どういうことだよ」
「ああ。フェイトが昨日、倒れる前に私に言ったんだ」
「倒れる前ってーと、お前と二人になった時か」
「ああ。記憶を失う。私と出会う直前の、あのアーリグリフの牢獄の時の自分に戻るってね」
「おい、ちょっと待て」
 クリフは表情を変えてフェイトを見た。
「するってーと、お前、ここがどこかも分かってねえのか?」
 だが、ネルの話を聞いていたフェイトは、動揺して何も答えることができなかった。
「待ってよ。記憶……喪失だって? 僕が? だって、ここはエリクール二号星、なんだろ?」
「その記憶はあるのか。おい、どこから記憶が飛んでやがる?」
「待ちなさい、クリフ」
 ミラージュが事態を重く見て、彼の襟首を掴んで後ろの壁まで放り投げた。容赦のない人だ。
「少し、動揺されているようですね。でも落ち着いてください。ここは安全な場所で、フェイトさんを苦しめる人は誰もいません」
「あ、はい」
 フェイトがまた少し赤くなった。それを見て、少しだけネルの表情が歪む。
「今までフェイトさんがこの世界で何をしてきたのかを説明する前に、フェイトさんの記憶を少しだけ教えてください。エリクールに不時着したのは覚えてらっしゃいますか?」
「ええ」
「その後、アーリグリフの兵士に捕まって、どうされましたか」
「あんまり思い出したくないんですけど」
 拷問されていたという話はミラージュも聞いている。だが、ネルのことを覚えていなくてエリクールに不時着したことは覚えているとなると、まさにミラージュがフェイトと別れてから、記憶を失っているということになる。
「拷問されたことは覚えてらっしゃるんですね。その後は」
「その後……っていうか、拷問中に意識をなくして、目覚めたのが今っていう感じなんですけど」
「私のことも、覚えていないんですか」
 アミーナが近づく──
「ソフィア! お前もエリクールに!?」
「えっ」
 びくっ、とアミーナが後ずさる。その肩をディオンが抱いた。
「待ってください、フェイトさん。彼女はソフィアさんではありません。そっくりだという話は聞いていますが、彼女はアミーナ、といいます」
「アミーナ?」
 そのフェイトはもはや混乱して、何が何やらという様子だった。
 そんな彼に、そっと近づいたのは、ネルであった。
 そっと手を取り、彼女の頬に手をあてる。
「え」
「落ち着いて……そう。私を見て」
 ネルの鋭い、真剣な視線を、フェイトは逸らすこともできずにいた。
「私は、ネル・ゼルファー」
 名乗った女性を前に、フェイトは「ネルさん?」と聞き返していた。
「ああ。あんたの名前も、教えてくれるかい?」
「僕の……って」
 知っているはずではないのか、と彼は聞きたかったのだろう。だが、それが彼女の優しさなのだと気づいたのか、頷いて答えた。
「僕は、フェイト・ラインゴッド」
「フェイト。少しずつ理解してくれているとは思うけど、あんたは今、記憶をなくしている」
「う、うん」
「あんたがこの国のために何をしてくれたのかも覚えてないんだろうし、ディオンやアミーナ、それに私のことも全く覚えていない」
 責めるような口調に、フェイトが黙り込む。
「でもね、私はそれでもかまわないよ。あんたがこうして、ここに生きてくれてるんだから。その間の記憶がなくたって、あんたはあんただ」
「えっと、ネルさん?」
 フェイトが動揺したのか、彼女の名前を呼ぶ。だが、彼女は許さなかった。
「駄目だよ。あんたは覚えてないかもしれないけど、あんたは確かに言ったんだ。たとえ記憶がなくなったとしても、あんたがまた私を好きになってくれるって。だったら、私も遠慮はしないよ。あんたに好かれるために全力で立ち向かうさ」
「え……」
「私、ネル・ゼルファーは、フェイト・ラインゴッドを愛しています」
 衆人環視の中、触れるだけの優しいキス。
 彼の顔が真っ赤になったのを確認して、ネルは満足そうに笑った。
「すぐになんて言わないさ。でも、あんたが私のことを好きになった時は、そう伝えてほしい」
 そして、一旦離れると回りのメンバーに目配せした。
「悪いけど、フェイト。少しだけ横になっていてほしい。私からみんなに状況を説明して、それからすぐに戻ってくるから」
「え、あ、うん」
「そうしたら、四人とも、ちょっと時間をくれるかい?」
 ネルがそう言って、フェイトの病室を出た。
 ぞろぞろと出て行くみんなを見送った後で、フェイトはベッドの上にばさりと倒れこんだ。
「なんだっていうんだよ……」
 ぽつりと出た言葉が、彼の混乱をよく表していた。






「どういうことだよ、ネル」
 一声はクリフからだった。もちろん分からないことも気になることも多々あるだろう。そして自分がその全てに答えられるとは思っていない。自分は、フェイトから聞いたことをそのまま伝えるだけだ。
「言っておくけど、私だって全部が分かってるわけじゃないよ。まさかとは思ったけどさ」
 ネルは腕を組んで、マフラーに顔を埋める。
「倒れる前のフェイトから聞いたってのは、どういう内容だ?」
「私もちょっと混乱してたからね。一字一句、正確に言えるわけじゃないけど」
 ネルの説明は、完全とは言わなかったが、クリフたちに確かに伝わった。
 未来のこと、今までのことを全て忘れて、ネルとフェイトが出会う直前の状態に戻るということ。
 つまり、先ほどミラージュが確認したとおり、拷問を受けたあとの記憶が全くないということだ。
「けど、おかしいぜ」
 クリフは首をひねりながら言う。
「あいつ、よく分からないがこの星で起こることについて予めいろいろ知っていやがった」
「そうだね。出会う前からアミーナのことも知っていた。でも、さっきの様子だとアミーナのことは全く知らないという感じだ」
「どうなっちまいやがったんだ、いったい……」
 またいつバンデーンが来るか分からない、マリアとの連絡もつかない。
 こんな状況で、肝心のフェイトは全くアテにならないときた。
「問題は、そうだね。フェイトが記憶を失っても前のままなら問題はない。でも、今の感じを見ていると、まるで別人だ」
 ネルが素直な感想を口にする。
「そうかあ? あれが記憶喪失っていうんなら、ちょうど俺と会ったときと同じようなもんだぜ」
 言われてみると、フェイトたちのことをネルはまだよく分かっていなかった。
 もちろんフェイト本人から伝えられた通り、彼らがグリーテンの人間なんかではないということは先刻承知だ。それに、先ほどフェイトはここを『エリクール二号星』と呼んだ。その呼び名にどのような意味があるのか、確かめなければならない。
「それじゃあ、逆に聞くけどさ、クリフ」
「あ?」
「あんたたちはいったい何者なんだい? ここまできて、もう黙ってるなんてことはないだろうね……黙秘は許さないよ」
 クリフは腕を組んでから、一度ミラージュを見た。彼女が笑顔で頷くのを見て、一つ息をついた。
「ディオンにアミーナは問題ねえと思うんだがな。ネル、お前は信用ならねえ」
 突然差別化されたネルは一瞬たじろぐ。まさかこの自分が、ディオンやアミーナよりも信用ができないとは。これだけずっと一緒に旅をしてきたというのに。
「どういうことだい!? 私があんたたちに何かするっていうのかい!?」
「そうじゃねえ。俺は軍人って奴を信用できねえ。俺がお前に色々なことを教えれば、それはすぐに女王に伝わるだろう。それが軍人って奴の宿命だ。それがいいとも悪いとも言わねえが、軍人に秘密を伝えるのはまっぴらなのさ」
「つまり、私に国を裏切る覚悟があるかと言いたいんだね」
 それならばもう、自分の心は定まっている。
 クリムゾンブレイドは自分の誇りだ。だが、自分は何よりも誰よりも、フェイト・ラインゴッドを優先するのだと既に決めた。
「他言はしない。何に誓えばいい?」
 だが、その言葉にクリフはただ首を振った。
「いや、お前さんがそう言ってくれるんなら問題はねえよ。お二人さんもかまわないな?」
 ディオンとアミーナは同時に頷く。二人を結び合わせてくれた恩人のためならば、その程度の約束が守れなくてどうするという思いだった。
「俺たちは宇宙から来た」
 その最初の一言から、既に三人の予想の範疇を超えていた。
「宇宙にはお前たちは知らないだろうが、いろんな連中が住んでやがる。巨大な船で星と星の間を行き来することだって可能だ」
「巨大な船──」
 当然、三人の頭に浮かんだのは、戦場に現れたあの船だった。
「この宇宙って奴は、いくつかの勢力に別れててな。あの船はバンデーンっていう小さな国の船だ。ただ、科学力はおそろしく高い。それが、フェイトの親父を狙いやがった」
「フェイトのお父さんを?」
「ああ。俺もその辺りは詳しくねえんだがな。フェイトは銀河連邦っていう、この宇宙の中では最大勢力をもってる国の、要人の息子だ」
 なるほど、と三人は頷く。確かに彼の言動を見ていれば、それくらいの肩書きがあっても不思議ではない。
「俺とミラージュは、その銀河連邦に抵抗する勢力でな。うちのリーダーに言われて、バンデーンに襲撃されたフェイトを助けにやってきたってわけだ」
「待ちな。説明が変だよ。あんたたちは、フェイトの敵側なのかい?」
 途端に警戒を強めるネル。だが、クリフは首をひねって「どうなんだろうな」と答える。
「立場でいえば間違いなくそうだ。もしフェイトが政治の世界に入って、銀河連邦で活躍する立場となったら、間違いなく敵だ。だが、うちのリーダーはフェイトを敵にしたくない、つまり引き込もうと考えている」
「どうしてだい?」
「同病、相憐れむって奴かな。うちのリーダーとフェイトの奴には共通点があってな。お前さん、フェイトの『力』のことは知ってるか?」
「アリアスで見せた奴だね」
「ああ。あの力をうちのリーダーも持っている。その力を銀河連邦に使わせたくない。そして同じ力をもった者同士、何か通じるものがあるんじゃないかと願ってやがる。だからこだわってるのさ、奴にな」
 扉の向こうにいる彼を視線で示す。
「一つ聞くけど、じゃあこの星──エリクール二号星、かい? ここは、あんたたちの戦いに巻き込まれたってことか」
 当然、そういう結論にいたる。だが、その一瞬でそこまで考えが及んだ冷静な思考をこそ誉めるべきだろう。
「そうだな。それについては悪いと思ってる。ま、アーリグリフに墜落したときのことを考えてくれりゃ分かると思うが、バンデーンに襲撃を受けて、ぎりぎりでここに逃げ込んだわけだからな」
「ま、いいさ。あんたたちには何度も助けられた。ま、もう少し早くにそういうことは教えてもらいたかったけどね」
 多少、意地悪くなったことは許されるだろう。クリフは肩をすくめて応じた。
「一つ、よろしいですか」
 それまでずっと黙って聞いていたアミーナが口を挟んだ。
「あの、フェイトさんというのは、いったいどういう方なんですか?」
 突然にそんな質問をされても答に窮する。
「どういう意味だい?」
「いえ。ずっと話を聞いていると──コホッ、なんだか、フェイトさんが普通じゃないような、そんな印象を受けたので」
 そういえば、アミーナはフェイトの『力』のことも知らなければ、フェイトが未来を知っているということすら伝えられていないのだ。確かに不思議な感じはしただろう。
「フェイトは、フェイトさ。ただ、あいつには秘密が多すぎる。あいつは初めて会った時から、アミーナ、あんたの病気のことだけを考えていた。あんたを治すことだけを考えて、真っ直ぐにペターニを目指していたんだ。あきれるくらい真剣にね。あんたは知らないだろうけど、フェイトは自分が倒れても、それでもペターニにいるあんたのところに会いに行こうとしていた。それだけ、あんたの具合が悪いっていうことをフェイトは知っていた」
「でもそれは、フェイトさんがディオンに頼まれたからで」
「違うんだよ、アミーナ」
 隣にいたディオンが険しい表情で答える。
「僕はフェイトさんのことを知らなかった。フェイトさんは、僕らに出会う前から、僕らのことを知っていたんだ」
「……どういうことですか」
 アミーナが困惑した表情で尋ねる。
「どうもこうもねえな。俺にも分からねえが、フェイトはこの星の未来を知っていやがった。それは間違いねえ」
「未来を……」
 アミーナは、少し悩んだ様子を見せて、目を伏せる。
「アミーナ?」
 だが、次の瞬間、それは悩んでいたのではないということが分かった。
 ぐらり、とその体が傾き、崩れ落ちる。
「アミーナ!」





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