Another Fate
第2話 LOVE AROUND
慌ててディオンが受け止めたが、既に彼女の意識は朦朧としていた。
「早く横にするんだ!」
ネルが指示を出し、クリフがアミーナを抱き上げる。幸い、ここが病室で助かった。アミーナは簡易ベッドに横になる。だが、呼吸は荒く、苦しそうな表情を見せる。
『ずっと寝ていないと、明日にでも倒れてしまうくらい、衰弱しているんだよ』
ネルの脳裏に、かつての彼の台詞が突如として蘇ってきた。
確かに彼はそう言った。いつ倒れるか分からないほどに衰弱していると。
あのときは自分の方が冷静さを欠いていた。だからまるで意識していなかった。
だが、彼は確かにそう言っていたのだ。
『アミーナの体はもう限界なんだ』
どうして、自分は彼の言葉にもっと耳を貸さなかったのだろう。
「どうだ、ミラージュ」
「絶対安静です。自分で起き上がったりしては、それだけで」
それだけで──いったい何だというのだろう。
傍で聞いているだけのディオンとネルであったが、もちろんその先の言葉をミラージュが伏せた意味はよく分かっている。
「そんな、アミーナ」
「ディオン」
苦しそうに、アミーナが言う。
「大丈夫、大丈夫だから」
「アミーナ」
「私、フェイトさんのおかげでこうしてディオンに会えた。だから、きっと大丈夫。きっと」
ネルはアミーナに気づかれないように顔をしかめる。
問題は、そのフェイト本人の記憶がなくなっている、ということだ。もしもフェイトが元通りならば、きっと彼女の治療法だって分かっているのに違いない。
「ちょっと、フェイトと話してくるよ」
ネルは身を翻してフェイトの病室に向かった。
「おい、ネル」
「心配いらないよ。あいつに負担はかけさせないさ」
問題は彼ではない。
自分のことを覚えていないことに、自分が我慢できるかどうかだ。
(大丈夫)
あいつは言った。
『また君と会ったとき、君のことが好きになる自信があるから』
だったら、また好きになってもらうだけだ。
その自信は、ある。
そして、彼女はその扉を開いた。
病室の中にいた彼は立ち上がって、窓から外を見ていた。
そこから見渡せるのは王宮の庭だ。冬を迎えて花も少なくなってはいるが、それでもこれだけの草花が飼育されているのは大陸でも他にないだろう。
「フェイト、起き上がって大丈夫なのかい」
「あ、はい。体は何ともありません」
丁寧な言葉づかい。
最初と同じ──いや、最初からあいつは、自分に対して遠慮をしていなかった。
だが今の彼は、遠慮どころではない。完全な初対面の相手として、まるで気を許していない。
「話がしたいんだけれど、いいかい?」
「ええ。僕も、いろいろと教えてほしいことがありますから」
案外に、彼は落ち着いた様子だった。
安心してネルはフェイトの向かいのベッドに座る。そしてフェイトはその前に座った。
「僕から質問してもいいですか」
「ああ、いいよ」
「ここはどこなんですか。僕は今まで、何をしてきたんですか」
その質問が本気のものだというのは、いまさら確認するまでもない。彼は本当に、全ての記憶を失っているのだ。
「ここはあんたたちがエリクール二号星と呼んでいる星の、シーハーツ王国という国」
「シーハーツ?」
だが、その言葉には思い当たることがあったのか、彼の表情が変化する。
「何か覚えているかい?」
「いえ、すみません。僕を拷問していた奴が、自分のことをシーハーツのスパイだって言ってたのを思い出しまして」
自分の早とちりだったらしい。あまり、急いでも仕方がない。
「で、シーハーツの聖都シランドがここさ」
「聖都、シランド。どうして僕はここに」
「いろいろとあったんだよ。あんたが捕まっていたアーリグリフっていう国とシーハーツが戦争になってね。あんたは私たちに協力してくれて、アーリグリフ軍を追い払ってくれたんだ」
「僕が、戦争に、協力!?」
その事実に彼はたいそう驚いていた。そんなこと、自分がするはずがない、という様子だった。
「そうさ。あんたは最初から協力的だった。いや、ちょっと違うね。戦争を終わらせることを優先していた。あんたが一人でどんどん先に行ってしまうから、私たちはついていくのも大変だったくらいさ」
愕然としているフェイトの様子に、それがどれだけ彼にとって大きな問題だったのかがおぼろげに伝わる。だが、結局彼が何で悩んでいるのかなど、自分には分からない。
もどかしい、と思う。
それとも、彼が自分の正体を明かせない、というのが一番の大きな問題なのだろうか。
「もし、自分の正体を明かせないとかそういうのなら大丈夫だよ。もうクリフから教えてもらっているからね」
今度こそ、驚愕でフェイトの目が見開かれた。
「なんだって?」
「宇宙から来たんだってね。あんたたちが出てきたあの物体が、ようするに星の船なんだろう?」
今度は少年の顔が徐々に険しくなる。悩んでいるというよりも、うろたえているという方が正しそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。頭が混乱して、整理できない」
「ああ、ゆっくりしなよ。あんたはそれこそこの十日間近く、ずっと大変だったんだから。私たちはあんたにはたくさん助けてもらった。今度は私たちがあんたを助ける番さ」
「助ける?」
「そうだよ。あんたが今、記憶を取り戻したいと思っているのか、そうでないのかは分からない。でも、あんたがこうしたいと思ったことを全力で助けてあげたい。それがたとえ私にとって、国を捨てることであったとしてもね」
「どうしてですか」
ネルは少し戸惑ったが、素直に答えた。
「あんたのことが好きだからさ」
「僕は」
フェイトは困ったように視線を逸らす。
「あなたのことを何も知りません」
「そうだろうね」
「正直言って、どうして僕があなたに、この国に協力しなければいけないのか、それも分からない。どうして僕は協力したんだろう」
「でも、あんたは言ってくれたよ。最初に出会った時から、私のことを好きだった、って」
「僕が、あなたを」
「あんたが私を好きになってくれて、命がけで私を助けてくれた。私も次第にあんたに惹かれていった。それこそ私はあんたに何度返しても返しきれないだけの借りがある。でもそんなのはどうだっていいんだ。私はあんたのために何かしてやりたい。そう本気で思うのさ」
「ネルさん」
少しは誠意が伝わったのだろうか。彼の表情が少し和らいだ。
「ありがとうございます。でも、もう少し待ってください。僕が何をしてきたのか、何をしようとしていたのかを知りたいです」
「ああ、かまわないよ」
「クリフを呼んでもらえますか」
「分かった」
そしてネルは、彼の頬に軽く接吻する。それに彼の方がまた顔を真っ赤にした。
「なんだか、立場が入れ替わったみたいだね」
「え?」
「つい昨日までは、あんたが何でも知っていて、私たちはその話を聞い、て……」
その、瞬間。
ネルの心の中に何かが引っかかった。
(なんだ?)
それはかすかな靄のようなもの。だが、その靄の向こうには、フェイトがどうして記憶を失くしたのかの秘密がある。
いや、記憶を失くしたのではなく。
(なんだっていうんだ)
何かが喉の奥に引っかかっている。出てきてほしいのに、形にならない。
「ネルさん?」
フェイトが尋ねてくる。彼女は「あ、ああ。すぐに連れてくる」と言い残して部屋を出た。
「クリフ。王子様が呼んでるよ」
ネルが話しかけると「しゃあねえなあ」とクリフが隣の部屋へ向かう。ミラージュも随伴した。
「どうなさったのですか、ネル様。何か、お顔がすぐれませんが」
ディオンが心配そうに尋ねてくる。ああ、とネルは頷いた。
フェイトは何でも知っていた。
そうだ、気になったのはそこだ。
「ディオン、さっきあんた、何て言ったっけ」
ふと彼に尋ねてみる。
「さっき、ですか? と申されましても」
「フェイトのことで、アミーナと話になっただろう。何て言ったんだっけ」
さっきはアミーナのことをフェイトが知っていたという話をしていたのだ。
「アミーナに何か言っていただろう?」
「あ、はい。確か、フェイトさんは僕らに出会う前から、僕らのことを知っていたのだと」
そうだ。確かに立場が逆転している。
今のフェイトは自分たちを知らない。だが、最初からフェイトは自分たちのことを知っていた。そうだ、言っていたではないか。あの牢屋に自分が助けに来ることを知っていた、と。アミーナの病気のことも知っていた。それに何と言ったか──そうだ、リオンとかいった。あの【漆黒】の騎士のことも知っていた。一度も会ったことがないアルベルに対して仲間意識すらあった。
状況は酷似している。今は全てが反対なだけだ。みんながフェイトを仲間だと思っている。だが、彼はそのことを知らない。
──フェイトは何故、自分たちのことを知っていた?
それが根本的な問題であるということをネルは認識していた。
「なんだか随分、なやんでます、って顔だな」
「これが悩まずにいられるかよ……」
フェイトはこの男が相変わらず悠然としていてくれるのに助かった気持ちだった。この男にまで心配されたのだとしたら、きっと自分は息が詰まる。
「色々と聞きたいことがあんだろ?」
「そりゃ、たくさんあるに決まってるさ。まず、あの拷問が終わった後から、僕がいったい何をしてきたのか、それを詳しく聞きたい」
「どうして俺なんだ? ネルに聞けばいいだろ」
「お前の方が、推測を交えないで話してくれそうだし、それに、未開惑星保護条約のことがある」
その言葉を口にした途端、クリフは「はあ?」と尋ね返した。
「お前がそんなこと言える口かよ。記憶はねえかもしれないがな、お前は未開惑星保護条約に照らせば十回は死刑になってもおかしくねえことをしてきたんだぜ」
「だから、そこが分からないんだよ。僕が条約違反をするって? ありえない。だからヴァンガードの時だって僕は武器を剣にしたんだ」
「そういやそうだったな。すっかり忘れてたぜ」
どこかとぼけた口調の男に対して、フェイトがため息をつく。
「まず、僕がこのシーハーツっていう国に協力したっていうのは本当なのか?」
「ああ。お前が全部決めた。俺はお前に従っただけだ」
「僕はいったい何をしたんだ?」
「平たく言えば、シーハーツのために戦争兵器を作った。サンダーアローって言って、銃すらない時代に施術──紋章術みたいなもんで砲撃する兵器だ。ま、完成する前に戦争が始まっちまったがな」
「兵器!? 僕が戦争の兵器なんかを作るはずが──」
「ああ、だから『今の』お前らしくはなかったぜ。そうだな、そのアーリグリフの牢獄から、お前の様子はどこか変わったな」
説明の一つずつに反応するフェイトに対し、クリフはしごく冷静に話す。
「実際、俺も知りたかったぜ。お前は何も言わなかったからな。この戦いが終わったら全てを話すとか言っておきながら記憶喪失だぁ? お前、単なる演技とかじゃねえだろうな」
「何を馬鹿なこと言ってるんだよ。こっちが困ってるときに」
それこそフェイトとしては心外だ。知らないことを知っているだろうと言われても困る。
「あのネルさんっていう人は?」
「シーハーツのクリムゾンブレイド……も覚えてねえか。軍隊のナンバーツーだとよ。大将軍クラスだな」
「そ、そんな人と知り合いなのか!?」
それを銀河連邦でいうのであれば、かの名将、アクアエリーのヴィスコム提督クラスではないか。
「そんな人って言ったってなあ。俺たちゃシーハーツの女王様にも会ってるぜ。この国の行政部、軍部で俺たちのことを知らない奴はいねえんじゃねえのか」
完全に目を回しているフェイトに、クリフは苦笑した。
「確かに、十回は死刑になってるね」
自分を落ち着かせるようにフェイトが言う。
「それよりも一つ問題があってな」
クリフは話を切って、逆に質問をする。
「問題?」
「ああ。さっきの、お前の幼なじみに似てた娘がいただろ」
「えっと、アミーナ、だっけ」
「その娘が、病気持ちなんだ。お前の記憶を失う前の言動と今の症状から考えると、あまり長くない」
「長くない……?」
「死ぬ、ってことだ」
フェイトの目が丸くなる。
「な、どうして!」
「何度も言わせるなよ。病気持ちだって言ってんだろ」
「だから、何の病気なんだよ! 治せるなら治すべきだろう!」
「何の病気か、調べる方法がねえんだよ。まあ、ディプロが来ればきっと大丈夫なんだろうが、それまで後どれくらいかかるかは分からねえけどな」
「ディプロ?」
また知らない単語が出てきてフェイトは怪訝そうな顔をする。
「ああ、俺たちのリーダーが乗っている船だ」
「リーダーって、お前が前に言ってたクォークのか」
「それは覚えてるのか」
「当たり前だろ。この間──」
「あのな、お前はちょうど一定期間の記憶が飛んでるみたいだから言っておくがな、俺たちはお前が何を覚えていて何を忘れているかなんて、細かくは分からねえぞ。お前が完璧に覚えてるのはこの星に落ちてきたところまでだろうが、俺やミラージュなんかはその前後から動いてるんだ。お前に何をいつどこで言ったかまで完璧に思いだせるわけじゃねえ」
さすがに苛立ったのか、クリフが厳しい口調で言った。
「……ごめん」
「ああ。分かってくれりゃいいさ。で、話は戻すが、アミーナの症状がよくない。とはいえ、今のお前じゃ病名どころか、アミーナすら覚えてないって様子だからなあ……」
「前の僕は、アミーナの病気のことを知っていた?」
「ぽかったぜ。何か、記憶をなくす前に、病名を何かに書き残すとかしておいてくれたらよかったんだけどな──?」
そう言ってから、クリフはふと気付く。
あれだけ準備の良かったフェイトが、自分の記憶が無くなるということまで予想していたあのフェイトが、何の説明もしないままにいなくなるなどということがあるだろうか──?
「おい、ちょっとお前のクォッドスキャナー貸せ」
「なんだよ、やぶからぼうに」
「もしかしたら、あいつはそこに何かを書きとめておいたかもしれねえ」
もともとクォッドスキャナーはエネルギー分析などを行うことを優先して作られたものだが、その後にメモ帖だの通信機だの、さまざまな用途が付け加えられている。
万が一のため、そこに書きとめてあったとしたら──?
クリフがやや慌てながらそのクォッドスキャナーを操作していく。そして、その項目は意外なほどあっけなく見つかった。わざわざ誰かに見つけてくれと言わんばかりに。
(ちっ、やっぱり準備のいい奴だぜ)
そのタイトルにはこう書いてあった。
【アミーナの病気に関するデータ】
わざわざ他の人間が見たときに分かりやすいようにこんなファイルを作ったのだろう。どこまでも準備のいい男だ。
そして開いて最初の一行を読んだとき、クリフは顔をしかめた。
続発性自然気胸──要治療
La La La
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