Another Fate
第3話 La La La
気胸とは、肺に穴があいて空気が漏れる病気だ。肺に穴があくと、その肺を覆っている胸腔に空気がたまり、肺がつぶされる状態になる。
原因は、気管支の先にある弱い風船状の部分が破裂するためで、何故破裂するのかは分かっていない。ただ、程度が軽ければさほど問題はない。日常生活を送ることは十分に可能だ。ただ、重いスポーツや労働をすると症状がひどくなる。
症状は軽い空咳。症状が重くなると胸痛、呼吸困難が生じる。さらに重い場合、胸腔内の圧力がさらに高まり、心臓やもう片方の肺まで圧迫され、呼吸・循環に障害が生じ、最悪の場合は死にいたる病気だ。
宇宙でもこの病気にかかる者はいる。だが、そんなもの現代では手術をしなくても十分に治療することだって可能だ。フェイトが言っていたが、ディプロが来れば百パーセント治せる。
問題はそのディプロがいつ来るかだ。アミーナは既に胸痛で倒れるほどだ。かなり圧迫されている。放置すれば最悪を覚悟しなければならない。
この星の文明レベルでは気胸を治す手段はない。本当に、安静にしている他はない。だが、痛みに耐えるだけでも体力が奪われる。もともと体の弱いアミーナだ。心臓が圧迫されればそれほど長くはもたないだろう。
(こいつはまずいな。倒れたってことは、もうあまり時間はねえ)
クリフはその画面を見ながら顔をしかめる。フェイトが心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫なのか?」
「んなわけねえだろ。倒れたってことは、時間の問題だな。治さなきゃ数日だ」
だが、その期間にディプロが来る保証はない。
「イーグルにゃそれだけの医療設備はねえからな。やっぱディプロが来るまで待つしかねえか」
「でも、それじゃあ」
「ああ。だが俺たちじゃどうすることもできねえ。できねえことを悩んだって無駄だ。それよりも今は俺たちにできることをしねえとな」
「できること?」
「ああ。もうここも狙われてるからな。どうするか考えねえといけねえ。少なくともここにいれば狙われる」
「狙われる? その、アーリグリフとかいう国にか?」
話がかみあわないのにクリフも気付く。考えてみれば今のフェイトはバンデーンに狙われているということは知らないし、そもそもバンデーン艦がここに来たことも分かっていないのだ。
それを一から説明するべきか。いや、それをやってしまえばフェイトが混乱するだけだろう。
(なんだってこんな時に記憶なくしやがるんだ、お前は!)
口に出すのを必死にこらえる。大人である自分がまだ未成年を相手に切れてはみっともない。
「いや、ちょっと待ってろ。お前には説明することが多すぎる」
「何言ってるんだよ、僕は何も──」
「わぁってるわぁってる。だいたいな、お前も悪いぞ」
「何がだよ」
「俺たちが知りたがってることをお前はずっと隠してたからな。ま、それは今のお前じゃねえけどよ」
「そんなの」
「ああ。だから説明はきちんとする。けどその前に少しだけミラージュたちと話をさせてくれ」
「待てよ、僕はお前に説明してもらいたくて来てもらったんだぞ」
「分かってるって。でもな、お前。人の命とお前の記憶と、どっちが大事だ?」
フェイトが詰まる。当然、人命を優先すると言われればフェイトには言葉の出るはずもない。
「んじゃ、ちょっと待ってろよ。そんなに時間はかからねえよ」
そしてクリフは出ていく。そこにディオンとネル、それにミラージュが待っていた。
「なんだ、アミーナはいいのかよ」
ディオンに向かって言うと、彼は小さく答えた。
「アミーナの病気が分かったぜ。前のフェイトがあれだけ気を使ってたはずだ」
「何ですか」
「気胸だ」
ミラージュが顔をしかめる。ネルとディオンが分からないという様子を見せた。
「簡単に言うと、肺に穴が空く病気だ」
「肺……に、穴!?」
ディオンが叫ぶ。
「ディプロがくりゃあ、問題はねえんだが……」
「イーグルではそこまでの医療装置はありません」
「ああ。だからマリアに早く来てもらうっきゃねえだろ。ミラージュ。まずは通信機の出力を最大にして、強引にでもいいからマリアと連絡取れ」
「それなんですが、クリフ」
ミラージュが顔をしかめる。
「なんだ」
「以前は多少なりとも交信を拾うことができていたんですけど、今は全くエリクールの外の情報を拾うことはできません」
「あ? なんでだよ」
「分かりません。エリクール二号星が巨大な電磁シールドに包まれているかのような……」
「んだとぅ?」
クリフが頭をかく。ここ最近、ずっと方針はフェイト任せにしていたこともあって、自慢の勘が少し鈍っているのかもしれない。
「それじゃどうすりゃいいか、対策はたてられねえってことか」
「はい」
「まいったな、こりゃ」
クリフは頭をかいたが、それでもこの豪胆なクラウストロ人は決して諦めていなかった。
何かが起こる──そうすれば、この事態を打開できるという『勘』がはたらいていた。
「どうしますか」
「ま、現状じゃどうにもならねえな。フェイトにも言ったことだが、できることをやるしかねえだろ」
「では、このシランドを離れますか」
「ああ。それがいいだろうな」
さすがにミラージュは話が分かっている。だがその二人の会話にネルとディオンはついてこれなかった。
「どういうことだい? 今さらどこへ行こうっていうのさ」
「あの星の船、見ただろ。あれはフェイトを狙ってきたんだ。このままあいつをこの街に置いてりゃ、この街がズタボロにされるぜ」
それを言われるとネルも返す言葉がない。このシランドを破壊されるのは正直、嬉しくない。
「ですが、今のフェイトさんを動かせるんですか?」
ディオンが尋ねる。今の──とは、記憶を失った状態で連れまわして、本人の負担にならないのかということだろう。
「でもな、ここにいるよりは──」
「クリフ、手遅れです」
クォッドスキャナーを開いていたミラージュが顔をしかめて言う。
「なんだ」
「バンデーン艦です。もう一隻きました」
「ちっ、早かったな。距離は?」
「予測砲撃可能距離まで、あと五分」
クリフは考えたが、ことここにいたってはもはや手段はない。
「悪いな、ネル。お前の国、俺たちの戦いに巻き込んじまうみてえだ」
「私だけならともかく、この国っていうのは困るね。私はまず陛下を安全な場所へお連れする。ディオン、あんたはアミーナのところへ」
「は、はい」
「俺たちは迎え撃つぜ」
「ええ。おそらく砲撃と同時に戦闘員を送り込んでくるでしょうから──」
そのときだった。扉が開いて、そこから蒼い髪の青年が出てくる。
「聞かせてもらったよ」
フェイトが少し憮然とした表情でそこに立っていた。
「僕がバンデーンに狙われてるってのは、本当か?」
最悪のタイミングだな、とクリフは心の中で嘆くが、この際バレてしまったものは仕方がない。
「そうだ」
「ハイダ四号星が狙われたのも、僕のせいなのか?」
「ああ。もう少し正確に言えば、お前とお前の親父さんを狙ってのものだけどな」
「何故!?」
声を荒げるフェイトにネルが近づく。
「フェイト、落ち着いて」
「これが落ち着いて──?」
フェイトの言葉は途中で遮られる。ネルが大胆にも人前で、その唇を重ねたからだ。
「ね、ネルさん」
「……落ち着いてくれたかい?」
マフラーに顔を埋めて見上げる。照れているのが自分でも分かる。
「は、はい」
「あんたがどうして狙われているのかなんて、この際はどうでもいいことなんだ。あんたが狙われている。私はそれを防ぎたい。あんたもそうだろう? だったら今は、クリフたちの言う通りにした方がいい。私もあんたと一緒に行きたいけれど──」
「待ってください。そんな必要はない。僕が原因なんだろ。だったら僕が捕まればいいだけのことじゃないか!」
「おいフェイト、いい加減にしろ」
クリフが胸倉を掴むが、フェイトはそれを振り払った。
「僕は自分が助かるために他の誰も犠牲になんかしたくない!」
「甘ったれてんじゃねえよ。だいたい、お前の気持ちなんか今はどうだっていい。俺の使命はお前を生きてリーダーに会わせることだからな──」
次の瞬間、シランド城が揺れた。
「来やがったか」
「若干早いですね。おそらく威嚇射撃で、城外に打ってきたものと思われます」
「混乱を生んで、その隙に本命を狙うか。ちっ、いやらしい連中だぜ。おいミラージュ、艦は一隻だけか?」
「はい。他にはありません」
その一隻さえどうにかすればこの局面を打開できる。とはいえ、生身で航宙艦と戦って勝てるはずがない。そんなことができるのはフェイトだけ──
(運だのみはよくねえな)
またあの力を解放させればバンデーン艦は撃退できるのかもしれない。だが、それは可能性としてはそれほど高いわけではない。賭けに出るのは危険だ。
「一つだけよろしいですか」
ディオンがずれた眼鏡を直しながら言う。
「なんだ?」
「あの、以前エレナ様がおっしゃられたことがあるんです」
「何をだ?」
「もし、人の力ではどうにもならないようなことが起きる場合があったときに、この城を守るための方法が一つだけあると。それが何かは分かりませんが……」
「人の力では?」
クリフはミラージュと視線を交わす。お好きなように、とその目が訴えている。
もちろん未開惑星の技術だ。何があったところでたいした役には立たないだろう。だが──
(俺の勘は、行けと言っている)
何があるかは分からない。だが、自分の勘には絶対に逆らわない。それで今までやってきたのだ。
「分かった。案内してくれ」
「はい。ネル様もご一緒に」
「そうだね。その方がいいだろう。行くよ、フェイト」
「は、はい」
そうして、五人は治療室を出て開発室に入る。下っ端技術者の近くに地下への入口があって、それは施術で厳重に封印されている。
ネルが施文を描き、鍵を開ける。そして中に入っていく。タラップを降りるとそこは、綺麗に大理石で敷き詰められた通路になっていた。五人が進むたびに照明が奥へ奥へと切り替わっていく。
(こりゃ、この文明レベルのものじゃない)
クリフがミラージュとフェイトに目配せする。この先に、何か自分たちの常識を覆しそうなものがあるという勘がはたらいていた。同時に、それだけが自分たちを救うだろうということも。
そして、その先にあったのは──船のブリッジのような設備が整えられた小部屋だった。
「こりゃあ……俺のイーグルよりはるかに最先端かもしれねえぜ」
「その可能性は否定できませんね」
ミラージュが一つ大きなパネルの前にあった椅子に座る。そしてシステムを起動した。
直後、正面のスクリーン、左右のサブスクリーンに画像が映し出される。それらの全てが空にいるバンデーン艦を映していた。
「おそらく、城のいくつかの場所にカメラがしかけられているものと思われます」
「おいおい」
「調べてみればはっきりするでしょうけど、正面スクリーンは城の塔の上部にあるものと考えられます。その場所から砲撃が可能なようです」
「砲撃?」
「はい。どれだけの威力かは分かりませんが、おそらく設計段階のサンダーアローよりもずっと威力は高いでしょう。これだけの設備ですから。ただし、発射のためのエネルギーがあまりありません。発射は一撃のみ。それもフルチャージは不可能です。せいぜい五十パーセント」
「威力は分からねえんだな?」
「はい」
「しゃあねえ。その一撃で確実に向こうの船の動力を打ち抜くしかねえ。航宙艦フィールドを貫けるくらいの威力があることに期待しようぜ」
エレナという女性がどこまでの科学力・技術力を持っているかは知らないが、期待はずれに終わることはないだろうとクリフは確信している。
「発射準備OK」
「よし、撃てっ!」
その時。
城の塔の先端がほのかな桜色に染まった。
そして、その塔の先にエネルギー球が生まれる。
それは、細い一条の光となって、一瞬でバンデーン艦を貫いていた。
「な」
さすがに、その一瞬の砲撃に呻く以上の言葉が出てこない。
「……今のは、クラス三はありますね。クォッドスキャナーが異常数値を示しています」
「そりゃそうだろ。傍目に見てもすごかったぜ、ありゃ」
黒煙を上げたバンデーン艦が下降していく。サブエンジンはあるだろうが、それだけでは惑星の引力に逆らうだけの推進力が生まれるはずもない。一旦どこかに不時着し、修復するのだろう。
「クリフ」
「なんだ」
「メッセージです。このシステムを作った方からのようです」
「もう何があっても驚かねえぜ。言ってみろ」
「はい。『このエネルギーは太陽光エネルギーを使っています。千年分ためたエネルギーだから、もう一発撃とうとしても無理だからね〜』……だそうです」
知る人なれば『エレナらしいメッセージ』なのだろうが、、クリフにしてみれば『やれやれ』というところだった。
「ディオン。何者だ、エレナってのは」
「は、はい。数年前にラッセル様がその才能を見出されて抜擢した人物だとしか聞いていませんけど」
「とんでもない科学力だぜ、こりゃ。言っとくが、サンダーアローの百倍の威力がある。掛け値なしにな」
百倍どころか、千倍はあるだろう。それでも控えめだ。
「そ、それほどの」
「ああ。航宙艦フィールドをものともしなかった。あのエネルギーはもう生み出せないって書いてあるが、まさにその通りだ。すげえもんを用意してやがったな、その女」
「そんな」
「まあ詮索は後にするか。おいミラージュ、バンデーン艦の動きはどうだ?」
「着陸しますね。シランドの北の森林地帯です」
「よし。とりあえずは時間が稼げ──」
ふと、何か気になることがあった。
バンデーン艦が不時着。これでシランド城は安全と考えていいだろう。
ただアミーナは今の衝撃でさらに悪化していないか──
(そうか)
ある。
たった一つだけ。
「アミーナを治せる」
クリフが気付いたように言う。その言葉にミラージュもはっと気付く。フェイトとネル、それにディオンが驚いたようにクリフを見つめた。
「バンデーン艦を乗っ取る。全員ぶち倒してな。あの船なら治療装置が間違いなくあるはずだ」
Ready Steady Go
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