Another Fate

第8話 ANOTHR WORLD






 エレナ・フライヤ。
 シーハーツの施術兵器開発部長にして、この戦争の直前に行方をくらました女性。
 その女性が、何故、このような少女の姿となって現れたのか。
 いや、そもそも。
「どなたですか?」
 フェイトにとってはその人物が誰なのか分かっていない。それを聞いてエレナがくすくすと笑った。
「フェイトくんは、あたしのこと覚えてないんだ」
「え、あ、はい」
 少女のくせになまめかしい目つきでこちらを見る。
「前の体の時は、あんなに激しく愛し合ったのに」

 ──場が、凍りつく。

「あ、な、な、なん」
「あたしがやめてって言っても、何回も──」
「ちょ、ちょっと待ったっ!」
 当然彼女の言わんとしていることは分かる。だが、さすがに『それ』は『自分』の行動として想像もつかない。
「……フェイト?」
 背後に殺気。
 そこに、真紅の怒りの炎がはっきりと見えた。
「ま、待ってください、ネルさん。僕はそんなこと」
「そうだよね。アンタは記憶を失くしてるから知らないだろうねえ……」
 何故か既に血塗れのダガー(おそらくバンデーン人のものと思われる)がその手に握られている。
「フェイトさんって、意外に手が早かったんですね♪」
 そして、もう一つの声。そちらを見ると──笑っていた。彼女は笑っていた。顔だけが。目だけが真剣だ。
「ぷっ、あははははっ。冗談よじょ・う・だ──」
 と、エレナが訂正するより早く、フェイトは二人の攻撃によって昇天していた。
「──やりすぎたかな」
 エレナは冷たい汗が落ちてくるのを全く隠せなかった。






「……ひどいですよ、それは」
 目が覚めてから、フェイトは座った目でエレナを睨む。と同時に、クレセントとは付き合いが短いが、長い付き合い(と思われる)ネルにまで疑われたのが残念でならない。
「ごめんねぇ〜。ちょっとからかってみただけ」
「血が流れるほどの怪我出しといて、それはないと思いますけど」
「ま、過ぎたことはくよくよしない。さて、話を戻すけど」
 そんなフェイトのことをさらっと流して話を進めるあたり、この女性も相変わらずのマイペースだった。
「まず、あたしのことはネルとクレセントは知っているわね? エレナ・フライヤ。シーハーツの施術兵器開発部長」
「もちろんです。ですが、その」
「本当に『あたし』なのか、そして以前の『体』じゃないのはどうしてか、ってことよね」
 そう。それが一番気になるところだ。クリフも一度この女性には会っている。ミラージュは初めてだが。
「そうだねえ、フェイトくんが記憶を失くした状態だし、説明がちょっと難しくなるけど、いいかな?」
「はい、かまいません」
「最初に会ったとき、あたし、フェイトくんとたくさんいろんなことを話したんだけど、それは省略するね。で、みんながベクレル鉱山に行っている間に、聖殿カナンに行ってたの」
 ネルとクレセントの目に驚きが走る。だが、フェイトたちには何の話なのか分からない。
「なんだその、カナン、ってのは」
 クリフが代表して尋ねた。
「カナンはアペリス教の聖地だよ。でもそこまで行くのは大変だから、アペリス教の信者はみんなシランドの大聖堂にお参りに来るんだ。そしてカナンには国の至宝でもある、聖珠セフィラがある。セフィラはこの国に聖なる水をもたらしてくれるのさ。いつまでも湧き続ける水──もちろん、山から流れ出る川の水に比べたら微々たる量だけど、セフィラさえあれば我々は餓え乾くことはないとして、アペリスの奇跡が実体化したものとして祭っている」
「そのセフィラが無くなったの」
 その言葉がさらにネルとクレセントを驚愕させた。
「事情は前のフェイトくんから聞いたんだけどね。それで確かめに行ってみると、確かになかった。まずいなと思ってるときに、その犯人によって殺されちゃったのよね」
 あっさりと自分が殺されたことを暴露する。そこまであっさりとしていなくてもいいと思うのだが。
「殺された……って、でもこうして」
「体が違うでしょ?」
 少女の手よりも大きなリンゴを見せる。
「今のあたしは、このリンゴ一個でおなかいっぱいになるくらい小さいもの」
「それはそうですけど、でも」
「少なくとも今のあたしを見てエレナ・フライヤだと認識してくれる人はいない。それにその証拠もない。あたしの知識が証明できるだろうけど、それだって後から人に聞いたとか、いろいろ難癖つけられたら終わり。だから別に、あたしもこの自分に変わったことをこれ以上広めるつもりもないし、シランドに戻るつもりもないわよ。まあ、この女の子にとってはかわいそうだったけど、でもこの子も死ぬよりはよかったでしょ」
 死ぬよりはよかった?
 全員が理解できないという様子でエレナを見る。
「この子、アーリグリフとの戦いでお母さんを失くしたの。身寄りがなかったから孤児院に入ることになったんだけど……でも、お母さんを目の前で失くしたのか、ショックで口もきけないし、食べ物もうけつけなくなってた。死ぬ寸前だったの。だからあたしがこの子の体をもらったの。ちょうどあたしも体がなかったし」
 ちょうどなかった、で体を取り替えられるような問題だろうか。
「ど、どうやってそんなことをしたんですか」
「それは企業秘密。で、話を戻すけど──どこまで話したっけ?」
 話が飛び交うので誰もが頭を整理するので精一杯だ。
「えっと、前のエレナさんが殺されたってところまでです」
「おっけ〜。その犯人はもうこのエリクールにはいないから、何も問題ないんだけど、困ったことが一つあって」
「困った?」
「うん。別にあたしは困らない──まあ、困るか。でも、あたしよりもフェイトくんやそっちのお兄さんたちの方がたくさん困ると思うわよ? さっきから通信障害が発生してるでしょ?」
 三人は頷く。と同時に、この星の人間がどうしてそうした知識を知っているのかというかすかな疑問が浮かんだが、ここまできたら何でもありだと腹をくくった。
「これを聞いたら、本気で絶望するかもしれないから、覚悟を決めてね」
 そして次の言葉は、言葉の通り三人を絶望へと追いやることになる。
 エレナの小さな口から飛び出た言葉。

「こう考えてくれると一番分かりやすいと思う。宇宙は、このエリクール星系を残して、全て消滅した」

 三人は、しばらく口が利けなかった。
 宇宙が消滅──だとすると、バンデーン艦に負われていた父や母、それにソフィア。大学の友人たち。この宇宙に存在していたものは全て──
「嘘だ」
「本当よ。通信障害が出ているのは、エリクール星系の外側が存在しないから」
「じゃあ父さんや母さんはどうなったんだ! ソフィアは!」
「みんなこの世界には、いないわ」
 胸を打たれる。
 もう会えない。それどころか、宇宙に行くこともできない。
「マリアにもか」
「そうなるわね。そのマリアって子、『仕組まれた子供』でしょ?」
「そんなことまで知ってるのか」
「ええ、色々と。でもこの世界にその子は存在しないわ」
「ですが、おかしいです」
 ミラージュも真剣な顔つきで言う。
「この世界の夜空には星が輝いています。あれはいったい何だというのですか?」
「それは見せかけ。この時期のこの位置から本来見えるはずの星々が、エリクール星系の外側に配置されたスクリーンに映し出されているようなものだと思ってくれればいい」
「じゃあ、本当に……」
「そうよ。この宇宙で人が住んでいるのはもう、この星だけ。というより、世界はこのエリクール星系だけになってしまった」
「勘弁してくれよ」
 クリフが頭を抱えた。つい数日前までいたディプロのメンバー。マリアたちともう二度と会えないというのか。
「じゃあ、ディプロがここに来るということも」
「ディプロって?」
「それは知らないのか。ようは他の星系にある船だが」
「無理ね。神が仕組んでいない限り、この星に新しい存在がやってくることはないわ」
 あっさりとエレナが答える。
「父さんたちを、助けることができなかった」
 がっくりとフェイトが膝をつく。ネルはそのフェイトの体が倒れないように、優しく後ろから抱きとめる。
「エレナ様」
 そのままの体勢で、ネルが尋ねる。
「フェイトの父親の件、それに宇宙の件。私にはスケールが大きすぎてよく分かりませんが、どうにもならないのですか」
 ネルの質問に、エレナがくすっと笑う。
「できる。でも、できない」
 どっちなんだ、と全員がエレナを睨む。「そんなに睨まないでよ」とエレナがかぶりを振る。
「どっちなんですか」
「だから、できるけどできないわよ。今のあたしたちが何をしても無駄。でも、神様が協力してくれればできる。でもその神様は気まぐれで、こちらからコンタクトを取ることは一切できない。神様はこの地をあたしたちに任せてくれたわけだから」
「任せた?」
「ええ。あのアーリグリフとの戦いの時、前のフェイトくんが戦っていたのが、その神様だったのよ」
 突然スケールが大きくなる。いや、だがその言葉はネルだけは聞いたことがあった。
「そういえばフェイトが言っていた。今、神に見張られているとか何とか」
「そうよ。あの頃のフェイトくんは、この世界の神と戦っていた。もっともそれはアペリス教の神々とは全く違うもの、いうなれば創造主ともいえるけど」
「創造主」
 全員がその言葉をかみしめる。
「フェイトくんは創造主と取り引きをした。この世界、エリクール星系を滅ぼすか、それとも残しておくか。そしてフェイトくんと創造主との勝負が始まった」
「勝負?」
 記憶を失くしたフェイトにはその内容など全く分からない。
「そう。それがディオンくんとアミーナちゃんを、戦争終了まで生き延びさせることができるか、という勝負。もっとも、フェイトくんはそうした勝負ぬきにあの二人のことを気に入っていたし、勝負が始まる前からあの二人の命を救おうとやっきになってたけどね。勝負が始まったのは戦争が始まってからだもの」
 そういえば、とネルが思い出す。負傷から目覚めたフェイトが突然、ディオンを戦場から連れ出してほしいと自分に頼んできた。それも、わざわざ神の目を盗んでまで。
「そういうことだったのか……」
 ネルが納得したように頷く。
「ディオンくんとアミーナちゃんが無事に生き残ったまま戦争は終わった。だから創造主はもうこれ以上この世界に干渉することをやめた。エリクール星系は独立を保つことができた。そういうこと」
「だが、他の星系はすべて消滅したんだろ」
 エレナは少し間をおいてから答えた。
「うん。そう考えておいた方がいいと思う。創造主の力が及ぶのはこのエリクール星系だけだったから」

 無論そこにはエレナにとって隠しておいた方がいい事実がある。
 この世界が、作られた世界『エターナルスフィア』の、さらにその『バックアップ』にすぎないという事実。
 だが、そんな事実を話しても益は何もない。それよりも彼らの知識から『消滅した』と伝えた方が混乱しないだろうと彼女が判断したにすぎない。

「じゃあ、どうすれば元に戻すことができるんですか。十賢者の乱の時のように、世界の危機を救う方法はないんですか」
 フェイトの質問に、エレナが答える。
「ないわけじゃない。でも、あたしたちには何もできない。要するに『前の』フェイトくんならできるけど『今の』フェイトくんには無理」
 きっぱりと言われたフェイトが「自分のせいですか」とうわごとのように言うのは仕方のないことだったろう。だが、エレナは首を振った。
「違うよ。フェイトくんは、いわば利用されただけ」
「利用?」
「そう。『前の』フェイトくんは、いわばパラレル・ワールドからやってきた『もう一人のフェイトくん』だったから。ディオンくんとアミーナちゃんを助けるためだけに他の世界からやってきた別人格。だから創造主との戦いが終わったら、この世界からいなくなった。フェイトくんには違いないけど、今のフェイトくんとは全く違う存在。それが『前の』フェイトくんだよ」
「じゃあ、僕は記憶を失くしたんじゃなくて」
「そ。もう一人のフェイトくんに『のっとられていた』っていうところかな。だから記憶が戻ってくることは百%ないし、できることは何もない」
 全員がようやく、このフェイトのことを納得していた。
「前のフェイトがいろいろ隠し事してやがったのは、そういう裏事情があったからか」
「ま、それもあると思うけど。でも彼の気持ちまでは分からないわよ。あたしは万能じゃないもの」
「何でも知ってるって気もするけどな。じゃあ聞くが、できないのは分かった。じゃあ、どうすればできるんだ」
「聞いても仕方のないことだとは思うけど」
 エレナはそう言って答える。
「その『もう一人のフェイトくん』が、この世界にコンタクトを取って、エリクール星系以外の復元作業をしてくれれば、可能性はある」
「だがそれは」
「そう、無理。だって、あたしたちから『もう一人のフェイトくん』にそれを伝えることなんてできないから。そして『もう一人のフェイトくん』は、ディオンくんとアミーナちゃんを助けたことで、この世界のことはかなり満足してると思うから」
「だが、俺たちはもう宇宙には戻れない」
「でも生きている」
 エレナは断言した。
「自分の意思で生きている。それが『前の』フェイトくんが真剣に望んだ、たった一つ、この世界に残していってくれたものだと思うよ?」
 エレナの言葉に、誰も逆らうことはできなかった。





Heaven’s Place

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