REDEMPTION






 いよいよ、この戦いが来た。
【闇】【風】【炎】の現旧師団長をのきなみ撃破してきたフェイトが、このシーハーツ軍を攻略するための最終関門、天下無敵のクリムゾンブレイド、クレア・ラーズバードとの直接対決である。
 クレアとて負けるわけにはいかない。このベスト8まで残ったメンバーのうち、現役師団員はもはやクレアただ一人なのだ。いわば彼女はこの国を背負っている。負けるわけにはいかないのだ。
 フェイトのような正攻法バトラーが相手をするのにクレアのような相手は最も苦手とするところだろう。というのも、同じ正攻法同士。ならば実力の高い方が勝つというのは当たり前のことだ。
 控室から試合会場に向かう。途中でアルベルとサイファが待っていた。
「次まで負けるんじゃねえぞ、クソ虫」
 それが声援だということは分かっている。
「ああ。君と戦うまでは負けないさ」
「フン」
 すれ違う際、サイファとだけは目礼を交わす。
 そして、満員の会場の中心にあるリングを目指して、フェイトは会場に足を踏み入れた。
 二回戦の時と違い、大きな歓声。
 その中をフェイトはゆっくりと歩いていく。
「あれ、そういえばいつの間にフェイトさんって勝ち上がってたんだ?」
「そういえば、さっきクレア様の試合の前に一試合あったって話しだぜ? なんでもブルー様を倒したとか」
「へえ〜、見とけばよかったな」
 心の中でフェイトは「粛清してやるっ!」と滝の涙を流しながらリングに入る。
 既にクレアはリングで待っていてフェイトを笑顔で出迎えた。
「よろしくお願いします、フェイトさん」
 彼女は出会ったときと同じ、端整な美しい笑みを見せて手を伸ばしてきた。
「はい。僕の方こそ、どうぞよろしくお願いします」
 フェイトはさっと手を伸ばして握手をかわした。
 瞬間──クレアの顔が別の笑みを浮かべたようにフェイトには見えた。
 コーナーリングに一度戻る。ネルがどちらのリングサイドにつくかは微妙だったが、フェイト側に来てくれていた。友情より愛情らしい。もっとも二回戦では食事を買いに行っていたが。
「馬鹿なことしたね」
 ため息をついてネルが言う。なんのことだよ、とフェイトは尋ねる。
「クレアの技は分かっているだろ? あんたと握手をすることで、どういう癖があるかを見分けたのさ。まあ、一、二回戦でほとんどデータはもっていかれてるだろうけど、駄目押しになっただろうね」
「ちょ、ちょっと」
「言っておくけど、クレアにダブルダイスは通用しないよ。クレアは攻撃中の動作で相手の手を見極めるんだ」
「分かってるさ。だから僕の方だって、クレアさん攻略はしっかりと考えてあるよ」
 へえ、とネルが驚いたように言って、マフラーに顔を埋めた。
「じゃ、期待してるよ。ゆっくり見させてもらう」
「ああ。期待しててくれ」
 そしてフェイトはリングの中央に立つ。そしてゆっくりと右手を前に差し出し、目を閉じる。
「どういうつもりですか」
 クレアが戦いを侮辱されたかのように顔をしかめて追及する。
「クレアさん対策ですよ。クレアさんは相手の仕草から相手の手を見極める。だったら、はじめから手を出しておいて、コールの時に手だけを変えればいいんです」
 クレアが顔をしかめる。なるほどね、とネルは頷いた。
「無我の境地か。まさか伝説の奥義をフェイトが会得しているとはね。驚いたよ」

 無我の境地……
 余分な思考を排除し、五感を高めて通常の能力以上の力を出す精神状況のことを示す。だが、この奥義の一番の問題点は、その使用に多大なるエネルギーを必要とすることで、この技を使っていたテニス・プレイヤーは試合の度に使ってはピンチに陥っていた。
 無我の境地に達するには、一度自分の心を空にするだけの精神状況を生み出さなければならない。端的にいえば、怪我、疲労などがその要因として作用する。この境地に達することができる者はまずいないとされるが、一人が成功するとその技を他の人間が次々に会得していくことが稀に起こりうる。
 余談ではあるが、この無我の境地に最初に達したのはケニアのプロード・ムガという人物で、無我という言葉はその人物の名前に由来する。
──アペリス書房刊『菊丸はどうやって分身したか』

「なるほど、捨て身、というわけですね」
 だが、精神集中に入ったフェイトはもうクレアの言葉に答えない。ただコールと、そしてクレアの手が出るのを右手を掲げながら待っている。
「ならば、始めましょう! 最強の名をかけて!」
 クレアが走り込み、その無防備の胸を突く。
『ジャンケン、ポンッ!』
 その左胸を、クレアはグーで痛烈に打ったが、フェイトの手はパーを出していた。フェイト、一ポイント先取。
「どうですか、クレアさん」
 激痛に顔をゆがめながらも微笑む。クレアの顔がすぐ傍にあった。
「馬鹿な人ですね。反撃もしないなんて」
「どのみち、クレアさんに攻撃なんて、できないですよ」
 そんなことを痛みにこらえながら笑顔で言うフェイトに、クレアが困ったように俯く。
「あなたはずるい人ですね、フェイトさん。ですが、手加減はしませんよ」
「いいですよ。僕だってこの戦いはもう負けられませんから」
 気付けば自分の身を守るための戦いに変わっているフェイトにとって、優勝以外に自分の身を守ることはできないのだ。
「いきます」
 フェイトは再び目を閉じた。
『ジャンケン、ポンッ!』
 クレアの平手がフェイトの顔を打つ。だが、フェイトの手はチョキを出していた。これで二対〇。
「……本当に、馬鹿ですね」
「何度も言わないでくださいよ」
「でも私もクリムゾンブレイド。ただ負けることはできません。それに、フェイトさんの癖は見切らせていただきましたから」
 ノーモーションで手を出しているのに癖も何もないはず、とフェイトは顔をしかめる。
「駄目ですよ。人間は考えていることは必ず仕草のどこかには出るんです。今の二回でフェイトさんの行動パターンは全て読み取りました。その息づかい、手を変えるときのタイミング、フェイトさんはもう私から逃れることはできません」
 何やら熱情的な求愛を受けているような感じだ。リングサイドにいる誰かさんの視線が痛い。
「いきます!」
 フェイトは目を閉じ、手を考える。心の中で決まる。
『ジャンケン、ポンッ!』
 フェイト、チョキ。クレア──グー。二対一。
「どうですか、フェイトさん」
 自信たっぷりでクレアが言う。
「どうして」
「フェイトさんの右肩が2ミリ上がりました。先ほどと同じタイミングで。だから分かったんです。チョキを出す確率百%です」
 たったそれだけの差。どこかのテニスプレイヤーのような台詞を吐く。
「だったら、やり方を変えます」
 フェイトは構えた。この戦いの中では初めてのことだった。
「でもフェイトさんの動きは、一、二回戦で見せてもらっています」
「要するに、見えなければいいんでしょう?」
 何をするつもりか、とクレアも身構える。だが、それより先にコールがかかった。
『ジャンケン!』
「ストレイヤーヴォイド!」
 フェイトの姿が消える。しまった、と思うがもう遅い。
『ポンッ!』
 現れたフェイトのパーが、自分の顔の前一杯に広げられていた。自分のグーはもちろん、相手に届いていない。
『勝者、フェイト・ラインゴッド!』
 かくして、フェイトは準決勝に進むこととなった。
「フェイトさん。最後、どうして攻撃をしなかったのですか?」
 するとフェイトは微笑みながら答えた。
「クレアさんを傷つけることなんて、できるはずがないじゃないですか」
「フェイトさん」
 恋する乙女のような表情になったクレアがフェイトを見つめる。
 その背中にネルの黒鷹旋が突き刺さっていたのは、クレアの位置からは全く見えていなかった。






『続きまして準々決勝第二試合! アルベル・ノックス! vs! レッサー!』
 グレイのコールが響き、そして微妙などよめきが会場に走る。
 片や敵国アーリグリフの将軍。片や正体不明の僧侶。いったいどちらを応援すればいいのか判断がつきかねるというところなのだ。
 しかもこの二人の実力を示すように、ここまで二人とも一ポイントも落とさないパーフェクトロードを歩んでいる。はたして二人の実力がどこまでのものなのか、会場の誰もが別の意味で注目をしていた。
「変わった奴がいるもんだぜ、この国には」
 アルベルが馬鹿にするように言うが、全身を包帯で巻いたレッサーも鼻で笑う。
「自分の実力を今だ知らざる、か。【歪】のアルベルも名前だけのようだ」
「ふん」
 だが挑発に乗らないあたりが実力者のゆえんか。二人が激しくにらみ合う。
「悪いが、俺は貴様にかまっている暇はない。『次』が待っているんでな」
 既にアルベルの視界に目の前のミイラ男は入っていない。全ては準決勝の舞台、フェイト・ラインゴッドとの一戦に向けられている。
「己が敵を見誤るか。アーリグリフが勝てぬのも道理」
「黙れっ!」
 そして二人が動く。
『ジャンケン、ポンっ!』
 アルベルの拳が唸りをあげてミイラ男を打つ──かに見えたが、レッサーは首をずらしてその拳を交わすと、カウンターの平手をアルベルに見舞った。
『レッサー、一ポイント先取!』
 ついに、あのアルベルがポイントを失った。しかもダメージを与えられている。これは屈辱以外の何者でもない。
「てめえ……」
「貴様の心理も動きも全て読める。貴様が勝つ確率は〇%」
「ふざけんな!」
 アルベルが突進する。その瞬間のレッサーの動きを、リングサイドにいたクレアがしっかりと見た。
「今のは【光】の心眼術」
 相手の動作、筋肉の動きまでを全て読み取り、その癖をつかんで反撃を行う。相手が出す手が読めるのだから、確実に相手の手を返すことができる。【光】でもこの奥義を完全に会得しているのはクレアだけだというのに──
『ジャンケン、ポンっ!』
 アルベルの気孔掌をかわしたレッサーが、二本の指でアルベルの胸を貫く。鮮血が落ちた。
 会場が、どよめく。
「アルベルっ!」
 リングサイドにいたフェイトが叫ぶ。一度膝をついたアルベルだったが、鋭い眼光を携えて再び立ち上がった。
「黙って見てろ、クソ虫」
 その声援は正直アルベルにとってはありがたかった。一瞬失いかけた意識が戻ってきた。やはりライバルというのは、それが一方的なものであってもいいものだ。
 そこに越えるべき山がある。それに比べれば、目の前の敵などまだ五合目ですらない。
「貴様の技は見切ったぜ」
 クレアと同じようにこちらの癖を見抜いて攻撃してくるというのなら、その相手の裏をかけばいい。フェイトがやったのと同じ原理だ。
「さて、うまくいくかな」
 レッサーの言葉になどかまわず、アルベルは駆けた。
『ジャンケン!』
 そして右手を唸らせる。それに合わせるようにレッサーも左手を出した。
 アルベルの右手とレッサーの左手が交差する──
「かかったな!」
 そのアルベルの右手は、何の形にもなっていなかった。親指を立てただけでジャンケンの形になっていない。これは、罠だ。
「双波斬!」
 そして義手の左手が唸る。それがレッサーにヒット──しなかった。
「がはっ」
 レッサーの右手の五本の指が、アルベルの胸に再び突き刺さっていた。
「ば、かな……」
 アルベルは胸に計七つの傷を受けて、リングに倒れる。
 そのレッサーが先に出した左手もまた、親指しか立っていなかった。
「相手の動きが読めるということは、どちらの手を出してくるかも読めるということ。ならば貴様の戦略は分かりやすいものに他ならぬ」
 レッサーは錫錠を握りなおして、シャン、と鈴を鳴らした。
『三対〇、勝者、レッサー!』
「アペリスのご加護を」
 そしてレッサーは静かにリングを下りた。
「アルベル!」
 それを待って、怪我を負ったアルベルのもとにフェイトが駆け寄る。
「無様なところを見せたな」
 アルベルは抱えられながらも強がりだけは忘れなかった。
「そんなことはないさ」
「ふん。今度こそ決着をつけるつもりだったが、また先延ばしになったな。今度こそケリつけるから、覚悟しておけ」
 そして一人で立ち上がる。その隣にサイファが立つ。
「お疲れ様でした」
「ふん」
 アルベルは怪我を全く感じさせずにリングを下りようとする。
「一つだけ、忠告をしておいてやる」
 最後にアルベルが振り返って言った。
「あの男、【光】の心眼術だけじゃねえ。【風】の読心術も使っている。気をつけるんだな」
「え……」
 フェイトが尋ねなおす間もなく、アルベルは闘技場を後にする。
(レッサー──何者だ?)
 アルベルまでストレートで下した相手に、フェイトはいいようのない恐ろしさを覚えていた。












 あと何話?





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